「PDCAサイクルありき」について思うこと
個人的に少し疑問に思っていたので、自分の情報を整理するつもりで書きまとめました。
よく「PDCAサイクルを回して」と当たり前のように使われる。
Plan(計画)を立てて、
Do(実行)して、
Check(測定、評価)して、
Action(対策、改善)する。
うまくはまれば、よい事業改善ができるであろう。
時間が無制限にあれば、プロセスに滞りがなければ、ひたすらに改善を続けていけるはずだ。
相撲のように取り組みまでの所作を一つ一つ止めながら考える。いかにも日本人好みの概念だ。
だが、確かに何かおかしいと感じていた。
まずは、「前例ありきでの考え方」のこと。
改善を続けるのであって新しい考え方や「そもそもこの事業を止める」という考えには到達しない。CやAが正常に機能していればそれも可能だろうが、難しいだろう。
次に、「減点方式」であること。
現状の否定が常にある考え方の為、荒さがしに躍起になるのだ。「ここが良くない」「なぜこれをした」と言われれば、計画者の熱意は下がる一方だ。
そして、「過剰な正しさを求める活動」であること。
六割くらいで低空飛行できればいいものを、120%の正しさを求めることで酷く窮屈で面倒くさいものになってしまう。そんなに高品質なものを求めているのだろうか。
最後にはやはり、「致命的に遅くなる」こと。
チェックが終わって対策改善計画、としていると時間が矢鱈とかかる。時間がかかるということは思考する脳的スペースを奪うということ。いつまでも考えなくてはならないため、能率が下がる。故にやりたくなくなる。しかし無能な上司はこれしか知らない為に「PDCA! PDCA」と金科玉条のように唱える。
OODAループ(ウーダループ)というものを最近目にしたり耳にしたりすることがある。
「直感的に考える」、「完璧を求めない」、「一瞬で行動する」など。
なるほど、PDCAとは逆の発想だ。アメリカ軍人の合理性を感じる概念だ。
兎角、日本は時間を浪費しやすい。
職人肌というか、古来より労働時間に対する対価が低い文化があるように思う。
PDCAサイクルも考え方としては間違ってはいないと思う。時と場合によっては相当に有効だ。
だが自分は、いつの間にか蔓延した「PDCAありき」という通説については、少し疑ってから考えるようにしたいと思う。
「PDCAサイクル」は、製造業で主に使われ、それがいつの間にか教育界や政治にまで波及しています。古くは戦後日本のGHQ統治下まで遡るそうです。
いつの間にか常識となっていたことを、少し見直すことも大事かもしれませんね。