ぶーにゃんのおふとん王国
「いってきまーす!」
もえはあわてて玄関を飛び出した。ドアはお母さんが開いた状態でおさえてくれている。ドアを開ける時間ももったいないくらい遅刻ぎりぎりなのだ。
「もえちゃん、車に気をつけるのよ!」
「はーい」
走り出したもえの背中にお母さんの声が届く。
「まったく、いつまでも起きないからよ」とも言っていたけど、それはカタカタ鳴るランドセルのせいで聞こえないふりをした。
走りながらはく息が白い。
「さっむ!」
遅刻ぎりぎりなのは寒いせいだ。寒くてなかなかおふとんから出られないせいだ。もえのせいじゃない。
と、突然、足下を茶色いかたまりが横切った。
「うわっ!」
よけようとして転びそうになった。
見ると、茶トラの大きな猫がこっちを見ている。
「ちょっと! ぶーにゃん、あぶないでしょ!」
もえが怒鳴ると、ぶーにゃんはわざとのようにまたもえの前を行きいよく横切った。
「なにするのよ!」
ぶーにゃんはのらねこだ。かわいくないねこだ。大きいし、きたないし、いじわるだ。
なのに、お父さんとお母さんはうちの家族にしてあげたいらしい。それはぶーにゃんが毎日うちの庭に来て、ガラス戸の向こうから家の中をのぞいているからだ。
「きっとうちの子になりたいのよ」
「外は寒いから家に入れてあげたいよな」
そんなあまいことを言う。
だけど、もえが反対しているからぶーにゃんはのらねこのままだ。だって、こねこだったらかわいいけど、ぶーにゃんはちっともかわいくない。
そして、ぶーにゃんにじゃまされたせいで、その日もえは5分遅刻した。
毎日そんな感じで、ついには3日続けて遅刻した。
寝る前にお母さんがこわい声で言った。
「明日こそちゃんと起きなさいよ?」
「だってー、おふとんが気持ちいいんだもん。おふとんのまま学校に行けたらいいのに」
「もえちゃんが起きるまでにお部屋を暖かくしてあるでしょ。寒くはないはずよ」
「ちがうんだよー。おふとんは、ふかふかのぬくぬくだから気持ちいいんだよー」
もえのベッドのまくらもとにはぬいぐるみもたくさん並んでいて、とっても居心地がいいのだ。起きられないのも仕方がない。
そんなことを一生懸命に説明したのに、お母さんは激怒した。
「そんなにおふとんが好きなら、もうずっとおふとんで暮らしなさいっ!」
「うるさいなあ! いいもん! おふとんで暮らすもん!」
それはいいかも。なんて思いながら、もえはベッドにもぐりこんだ。
ピピピピピと音が鳴る。目覚まし時計のアラームだろうか。昨夜はお母さんとけんかしちゃったけど、さすがにもう遅刻はできない。いやだけど、起きなくちゃ。いやだけど、おふとんからでなくちゃ。いやだけど。
もえはアラームを止めるために手を伸ばした。目覚まし時計はまくらもとにある。手を伸ばせば届く位置だ。だけど、伸ばした手を左右に動かしても、目覚まし時計が見つからない。どこもふわふわのもこもこだ。寝相が悪くてぬいぐるみたちがちらかってしまったのかもしれない。
「しょうがないなぁ」
もえはしぶしぶ目を開けて、体を起こした。それから、ピピピピピと音の鳴る方を見る。そこには小鳥がいた。
「え?」
目覚まし時計のアラームではなく、小鳥の声だったのだ。しかも、よく見れば、もえのぬいぐるみである。まくらもとに並んでいるぬいぐるみのひとつだ。もちろん、鳴いたりはしない。いままでは。
抱き上げると、やっぱりぬいぐるみの小鳥だった。けど、動いている。それに生き物みたいにあたたかい。
だけど、それさえ、小さなことだった。なぜなら、そこはもえの部屋ではなかったから。
「ええ~? どこなの、ここ?」
外のようだ。「ようだ」というのは、もえの知っている外とはまったくちがうから言い切ることができないためだ。だけど、部屋の中でもない。
見上げると、雲だか天井だかわからない、やわらかそうなものが広がっている。大きなドームの中なのかもしれない。
もえは小鳥を抱いたまま歩き出した。地面はふわふわとしていて頼りない。一歩ふみだすごとに足がしずんで歩きにくい。
「きゃあ!」
なにかが足に触れた。
驚いたひょうしに尻餅をついたけれど、地面がやわらかいおかげで、ちっとも痛くなかった。ひっくりかえったままのもえの顔にもふもふしたものが頬ずりしてきた。
「きゃはは、くすぐったいってば」
両手で引きがすと、子犬だった。ぬいぐるみの。
ほかにも、うさぎ、ねずみ、くま、あざらし、ペンギン……もえのぬいぐるみたちが大集合していた。そして、みんな元気に動き回っている。
「ねぇ、どういうことなの?」
ぬいぐるみたちに聞いてみても、誰も答えない。答えているのかもしれないけど、チューチュー、ワンワン言われたところで、動物の鳴き声ではもえにはわからない。
そのとき、地面が大きく波打った。もえはしゃがみこんで、怖がって寄ってきたぬいぐるみたちを抱きしめた。
向こうから茶色いかたまりが突進してくる。
「まさか……」
茶色いかたまりはもえの目の前で立ち止まり、2本足で立ち上がり、高らかに叫んだ。
「おふとん王国へようこそ!」
「……ぶーにゃん!」
王冠をかぶり、赤いマントを羽織ってはいるが、そのふてぶてしい大きな姿は、まちがいなく、のらねこぶーにゃんだった。
「ぶーにゃん、なんでもえのうちにいるの? いつもガラス戸の外からのぞいているだけなのに、どうやって入ったの?」
「ここは、もえちゃんの家であって、もえちゃんの家ではないのだよ」
「なに言ってるの」
「ここは、おふとん王国である!」
「それがわからないって言ってるの! あなたのせいなの? あなたがこんな変な場所をつくったの? いつもいじわるばっかりして、いやなねこ!」
もえが怒ると、ぶーにゃんは言葉に叩かれたみたいに後ろにふっとんだ。地面にひっくりかえったまま、目をパチパチさせてなにが起こったのか一生懸命に考えているようだ。
「だ、だって、ぼく、見ていたんだ。もえちゃん、おふとんで暮らしたいって言っていた」
ぶーにゃんは、もえがお母さんとけんかしていたのをのぞき見していたらしい。
「たしかに言ったけど……」
「そうでしょ? だから、もえちゃんの好きな国なら一緒に暮らせると思ったんだ」
「え? あなた、もえと暮らしたいの? じゃあ、なんでいつもいじわるするの?」
「いじわるなんてしてないよ! もえちゃんを見つけるとうれしくなって走り回っちゃうんだ。ほんとうは足下にすりすりしたいけど、もえちゃんは急いでいるみたいだし、じゃましちゃいけないなと思ってがまんしてるんだ」
ぶーにゃんの目が涙でうるうるぬれている。
「そっか。そうだったんだね。泣かないで、ぶーにゃん」
もえがぶーにゃんに近づこうとしたとき、また地面が波打った。
ピピピピピ!
小鳥が騒ぐ。
揺れが大きくて立ち上がれない。もえは地面にうつぶせになって、ぬいぐるみたちを抱きかかえた。
「ぶーにゃん! ぶーにゃんもこっちへおいで!」
「もえちゃん!」
「ぶーにゃん、どこ?」
「もえちゃん! もえちゃん!」
おふとん王国はぐらぐらと揺れて――突然、ぱっと明るくなった。
「もえちゃん! いいかげんに起きなさい!」
そこには、掛け布団を抱えて立つお母さんがいた。
「さむっ!」
思わず体を丸めると、もえの腕の中にはぬいぐるみたちがいた。
「みんな、だいじょうぶだった?」
声をかけてみたけど、だれも返事をしない。動いたりもしない。
「もえちゃん。遊んでないで早く朝ごはんを食べちゃいなさい」
お母さんについてリビングに行くと、ガラス戸の向こうにぶーにゃんがいた。
「あ。ぶーにゃん!」
ぶーにゃんは目をうるうるさせて、鼻水までたらしている。
「あら。かわいそうに。かぜかしら」
お母さんがガラス越しにぶーにゃんをなでるしぐさをする。
「ねこもかぜひくの?」
「ひくわよ。病院に行かないとひどくなっちゃうかもしれないわね」
「じゃあ連れて行ってあげて!」
「もえちゃん、ねこがきらいでしょ?」
「きらいじゃなくなったの! ぶーにゃんを家族にしてもいいよ。かぜを治してあげようよ」
それからぶーにゃんはもえの家族になった。病院で薬をもらってかぜも治ったし、シャンプーをしてきれいになった。
変わらないのは、ぶーにゃんの体と態度が大きいこと。それと――
「もえちゃん! いつまで寝てるの! 早く起きなさい!」
「だってー、おふとんが気持ちいいんだもん。おふとんのまま学校に行けたらいいのに」
「もえちゃんが起きるまでにお部屋を暖かくしてあるでしょ。寒くはないはずよ」
「ちがうんだよー。おふとんは、ふかふかのぬくぬくだから気持ちいいんだよー。って、ぶーにゃんも言ってるよ」
もそもそとおふとんが動いて、茶色いかたまりが出てきた。大きな茶トラのねこが伸びをする。
「ほら、ぶーにゃんも起きるって。もえちゃんも起きなさい」
「はーい」
もえが起きあがると、ぶーにゃんは足下にすりすりと体をこすりつけた。
「ぶーにゃん、今夜もまた一緒におふとん王国に行こうね」
ぶーにゃんは嬉しそうに目を細めてニャーと鳴いた。