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第二章

「じゃぁなー!勇一、ばっくれたりするんじゃねぇぞー!」

「うるせ!ってか、俺は出ねぇからな!」

 不機嫌そうに遠野の言葉を弾き飛ばし、勇一は頭痛を堪えるように頭を横に振った。

 その様子に、右斜め横に座っていた天野那美(なみ)が不思議そうに勇一を見遣る。どうしたのかと問いかける表情を無視し、勇一は椅子から立ち上がると昇降口へと向かって歩き出した。

 慌てて那美も席から立ち上がり、勇一の後を追う。

 まるで避けるようにして足早に校舎から離れる勇一の背中に、那美は息を整えつつ降参とばかりに声をかけた。

「もう、何怒ってるのよ」

「別に怒ってねぇよ」

「そう見えないから聞いてるの。

 どうせ、遠野に何か頼まれたんでしょ」

 ぴたり、と勇一の足が止まり、隣に到着した那美の顔を見下ろした。

 図星を指されてしまえば、違う、とはもう言えない。幼い頃から一緒にいた仲だ。小さな機微を見逃すことのない那美の洞察力は、勇一としては舌を巻くしかないほど鋭いものといえるだろう。

 じっと瞳を見つめられ、勇一は溜息とともに不機嫌の理由を口にした。

「なんか知らんが、試合に引っ張り込まれそうになってる」

「試合って、今度の三校合同の練習試合?」

「あぁ」

 そこで言葉を切り、勇一は今気付いたように那美に問いかける。

「お前は出ないのか?」

「槍術部以外から出ないかって聞かれたけど、忙しいからってパスさせてもらった」

「んだよ、それ」

 しれっとした那美の答えに、勇一は悔しそうな表情を浮かべてみせる。そんな勇一の仕草にぷっと吹き出し、那美は勇一よりも一歩ほど先に歩き出した。

 まるで子供をあやすかのような那美の姿に、勇一は小さく舌を打ち付けたが、あえて何も言わずその後を追いかけようとする。

 だが、ふと何かに気が付いたように足を止め、勇一は後ろを振り返った。

「勇一?」

 不思議そうにそう尋ねた那美もまた、同じように勇一と同じ方向を見る。

 程なくして、二人の耳に大きな声が響き渡った。

「せ、ん、ぱ、いっ-!」

 突進、と言う言葉がぴたりと当てはまる早さで近づき、二人の前に立った少年は肩で息を切らしつつ、ぎっ、と鋭い目で勇一を見上げた。

 その眼光の鋭さに、勇一が一瞬だがたじろいでしまうが、少年の剣幕の強さに疑問を持ったのか、那美が少年に声をかけた。

須田(すだ)君、いったい何があったの?」

「何があったの、じゃないですよ!天野先輩も聞いてください!」

 普段は温厚な須田忍の尋常ではない様子に、那美は何度か瞬きを繰り返しつつその先を促すように首をかしげた。

「高橋先輩、剣道部をやめたんですよ!」

「え?」

 忍の口から出た情報は初耳だったらしい。那美は小さく驚いたような声を上げた後、ちらりと勇一へと視線を送る。

 それに肯定の意で頷くと、那美はそうなんだ、と小さな声を上げた後、まさか、との思いで忍に疑問を投げつけた。

「もしかして、それで勇一を探してたの?」

「はい!是非とも納得する答えを聞きたかったんですっ!」

 きっぱりと断言した忍の様子は、勇一から答えを引き出すまで食い下がる事はないと語っている。

 思わず頭上を見上げた勇一だが、どこからか不穏な空気が感じられ、疑問を覚えながらもそれが確かな物かを見定めるように眼を細める。その雰囲気が確かな物であるのを肌で感じとると、勇一は視線を忍から自分の左方向へと移動させた。

「勇一?」

 今自分達がいるのは、校舎から離れた部活棟へと続いている林道だ。

 林、と言うからにはそれなりに木々が生い茂り、視界をふさぐような適度な間隔で樹木が立っている。だからこそ、何か悪さをするにはちょうど良い環境だといってもよいだろう。

「那美」

 注意を促すように呼びかければ、その声の硬さから何かを感じ取った那美は黙って勇一の視線を追いかけた。

 別段変わった所はないように見える。だが、ちらりと視界の端に映った人影に、那美はそちらへと顔を向けた。

 いかにも、という雰囲気を醸し出している男子生徒が数名。一本の木を囲むように佇んでいる。その奥には、一人の女生徒が恐怖の表情を浮かべて彼等を見、逃げ場を探すようにあちこちに視線を向けていた。

「あいつら!」

 同じようにそれを見とがめた忍が、憤った声でその場から駆け出そうとする。だが、それは力強く肩を捕まれた為に、忍は蹈鞴を踏んでその場にとどまった。

「先輩!」

「お前が出て行ったらやばいだろ」

「でも!」

 もしも忍が事を起こし、その行動が対外的にまずいことになればどうなるか。剣道部にまで支障を来す恐れがあるのは、考えるまでもない。

 それに対し、すでに退部届を出し、正式に届け出が受理されている勇一が彼等の間に入った所で、この件がばれたとしても反省文を書くだけにとどまるだけだ。

 ちらりと那美を見遣れば心得たように頷き、女生徒を助ける為にそちらへと走り出そうとする。

 だが……。

「何してんのよ!」

 勢いのよすぎる少女の声が、少年達がいる別の場所から上がった。

 驚きに思わず三人の視線がそちらへと向けられてしまう。無論勇一達は、この現場に自分達以外に介入する者がいないと考えていたからだ。

 第三者として介入してきたのは、長い黒髪を頭上できっちりと三つ編みに結い上げ、白磁の肌と大きく元気そうな瞳を持つ少女だ。

 少年達の事など欠片も恐れていないのだろう。その証拠に、少女はまっすぐに少年達を睨み付け、何があっても退く気は無いのだと雄弁にその瞳が語っている。

 その様子に、勇一達が感心したのはほんの一瞬のことだ。

「やだ!中等部の()じゃない!」

 驚愕した那美の言葉に、勇一と忍も少女がどこに属するかを知る為に視線を一点に集中させた。制服は高等部と同じ造りをしている為に、どこの学部に所属しているかを明らかにするのは胸元に巻かれている中等部を意味するリボンか、高等部を意味するネクタイでしか確認できない。

 それは、少年達も同じだったようだ。

 勇一達同様に驚いた顔をした少年達だが、臙脂色のリボンを見て明らかに優位を確信したのだろう。下卑た笑いとともに少女を排除しようと口を開いた。

「おい、ガキ。ここは高等部の敷地だぜ。ガキの来る所じゃ」

「ガキって言うけど、あんた達はガキじゃないって言うの。そんな低レベルら事やってる所見ると、幼等部に戻ってきちんとやり直してきた方がいいんじゃないの」

 少年の言葉を最後まで言わせることをよしとしないかのように、少女はバッサリと少年の声を弾くような勢いでそう言ってのける。

 あまりといえばあまりのことに、その場にいた全員は呆気にとられたように、ぽかんと口を開いてしまう。

 少年達の間抜け面を鼻先で笑い飛ばし、少女は更なる毒舌を発揮すべく小馬鹿にしたように言を綴った。

「やっていいことと悪いことが分からないなら、ガキ以下って事じゃない。っていうか、ああたしをガキガキって言うんなら、あんた達が違うって証拠出しなさいよ。それとも、んな簡単なことも出来ないわけ?

 まぁもっとも、ガキ以下どころか、こんな単純な事も分からないんだったら、幼等部にもいられないでしょうけどね」

 余りにもはっきりとした断言に、その場の空気が凍り付く。

 可愛らしい少女から飛び出すとは考えにくい言葉の数々だ。それ故に、その衝撃の高さは常識外といえるだろう。

「すごい……」

 那美が思わずといったように呟く。

 その意見には勇一も忍も同意する。が、はっきりいってしまうと火に油どころか、燃えさかる炎にガソリンをぶちまけたようなものだ。

 あまりの言いぐさに呆然としていた少年達だが、少女に言われた言葉の意味を脳に染み渡れば、激怒の域に達するには十分すぎるものといえた。

 その証拠に、怒りに顔を赤くした少年達は木に背を向けると、少女との間合いを詰めていく。

 その様を見るなり走り出していたのは、勇一と那美だ。

 小柄な少女が頭一つ二つ高い少年達に勝てるとは思えない。呆けていた忍も、慌てて勇一達の後を追いかけた。

「おい!」

 まさかこれ以上の第三者が介入するとは思っていなかったのだろう。

 少年達は駆け寄る勇一達の姿に、苛立たしさを隠さぬ表情で睨み付けつつ、中等部の少女と勇一達を交互に見遣る。

 関係性を探っているのだろうが、あいにくと勇一達も彼女とは初対面だ。

 展開の早さについて行けず、きょとん、と少年達に追い込まれていた高等部の少女は呆けたようにその場に立ち尽くす。

 そんな少女の腕を、那美が優しく引き寄せその背に庇った。

「なんだてめぇら!」

「感心できねぇからな。こんなことは」

「んだと……」

「止めておけよ」

 どこか面倒そうに勇一が、少年達を見回してそう言い渡した。

 高等部の制服を着くずした少年達の格好に、まさか校内にこんな不良じみたことをする生徒がいるとは思わなかった、というのが正直な気持ちだ。

 それは那美も同じだったのだろう。顔をしかめて少年達を見回し、小さく溜息を吐き出している。

 そんな二人の態度は、少年達の闘争本能を刺激するには十分な行動といえた。

 じりじりと勇一と那美に近づく少年達に、勇一は疲れたように長い息を吐き出して少年達を見回す。

 自分達の方が数の多さで有利だと考えていることが、勇一や那美には手に取るように分かるのだが、その力の差は赤子と大人ほどの差があると言っていいだろう。

 だからこそ、忠告じみた言葉が勇一の口をつく。

「止めとけ。お前らじゃ、相手になんかならねぇんから」

「んだと!」

「須田。この二人を連れて、早く向こうに行け」

「あ、はい」

 勇一の言葉の鋭さに、忍は慌てて少女達を守るために、明らかに不良と断言できる少年達から距離をとり、彼らの背後に回り込む。

 中等部の少女は多少の不満を顔に浮かべるが、それを無視して忍は彼女にこの場所を離れるように視線を送りつける。そして、背後の樹に身をもたれかけていた少女は、怯えて動けなくなっていたのだろう。今更のようにカタカタと身体を震わせて、一歩も足を踏み出せないでいる様子を見、忍は安心させるような笑みを浮かべてその手を取って歩き出した。

 それを見送り、勇一と那美は軽く拳を握り締めて一歩足を後ろに下げる。何時でも動けるように身体を沈めた二人を見て、少年達は足早に二人を囲む。その様子に、那美が勇一の背後に回り込み、背中合わせの状態を作り出した。

「やっちまえ!」

 お決まりの台詞を吐き出し、少年の一人が勇一に向かって突っ込んでくる。

 あまりにも鈍重な動きに、勇一は呆れたような吐息を吐き出し、少年の拳をするりと抜けて、逆に少年の腹に拳を入れる。

 ぐっ、と詰まったような声を上げて、少年はバタリと地面に倒れ伏す。それを見た仲間達は一瞬眼を丸く見開いたが、すぐさま怒りに駆られたように二人に向かって距離を縮めた。

 はぁ、と二人が同時に溜息をつく。この人数だけならば、それほど時間も関わらずに地面に倒れさせることは簡単だ。だが,勇一の懸念は、別のところにある。

 力加減が、出来ない。

 覚醒した結果なのだろう。今まで出来た事が、上手くいかずにいくことが多くなってきている。そんな状態を那美は見抜いており、勇一を綺麗にフォローするだけではなく、まるで何事もなかったように場を取り繕ってくれる。

 ありがたく思う一方で、那美に迷惑をかけているという自覚はある。それに対して礼を言えば、当たり前じゃない、という言葉が返ってきた。驚いたように那美を見れば、苦笑を浮かべ那美はコツンと勇一の額を叩いた。

『勇一は、今のままでいいのよ』

 その言葉に、勇一は瞬きを繰り返し、その言葉を頭の中で反芻する。今まで緊張していた心が、それによって解れていくのを感じ取り、勇一は長い吐息を吐き出していた。

 ありがとう、という勇一の言葉を遮るように、那美は言葉を紡ぐ。

『勇一が何をしようと、あたしはかまわないのよ。だって、勇一は勇一でしょ。だから、気負う必要はないわよ』

 柔らかな笑みを込めてそう断言した那美の姿に、ジワリと目頭が熱くなったのことは勇一の中では秘密の事柄だ。

 そんな事を思い出しながら、勇一は少年達の姿に溜息をこぼした。

「めんどくせぇ」

「何言ってるの。煽ったのは勇一でしょ」

 勇一の言葉に、呆れたように那美が応じる。

 そんなやり取りなど耳に入っていないのか、少年達は数任せで二人に迫ってきた。

 単調な攻撃の仕方だ。勇一は呆れを込めて短く息を吐き出す。

 お粗末とさえいえる攻撃。この程度ならば、いつも以上に楽に勝てるだろう。

 何故そんな結論が下せるのか。

 理由は簡単だ。

 どういうわけか、勇一も那美も因縁を付けられやすいらしく、絡まれた後に喧嘩沙汰へと発展する確率が高い。そのために、これくらいの雑魚と言ってよい少年達の動きを見ていれば、勇一も那美もその動きを見切れるだけではなく、短時間で決着がつくだろうということは簡単に計算できるのだ。

 徐々に数を減らされていく少年達は、この喧嘩を始める前と違い、明らかな焦りと苛立ちに満ちた表情を浮かべつつ、ようやく自分達が無謀な喧嘩に走ったかを知ることになった。

「おい、こいつら」

「高橋と天野だ!」

「何だよ。今頃気がついたのか?」

 人の悪い笑みを見せつけて、勇一はそう嘯く。さらに煽るような勇一の言葉に、那美は頭痛を抑えるように頭を振ってみせる。

 そんな那美の様子に、好機と見取ったのだろう。一人の少年が腰を低くして那美に突進してきた。

 僅かに、那美が驚いたように動きを止める。

「那美!」

 その様子に、勇一は息をのみこんだ。

 体格だけが取り柄といえそうな少年の突っ込み。よけるタイミングを取り損ねた那美の身体は、簡単に吹き飛ばされることは確定事項だ。

 ―させるか!

 その強い思いは、あってはならない事態を引き起こした。

 少年が、見えない力で吹き飛ばされる。

「だめ!勇一!」

 悲鳴のような声が那美の喉を通り抜け、それによって勇一は現実へと意識を切り替えした。

 呻き声を上げ、額を伝う赤い色に、勇一は息を止める。

 今、自分は何をした。

 そう自分に問いかけたのは、自分に宿った神力が暴走しかけたことを認めたくなかったからだ。

 血を流す少年の様子に怖じ気づいたのだろう。少年達は顔色を変えて傷ついた少年を抱きかかえてその場を走り去る。

「おれ……は……」

「勇一!」

 駆け寄る那美の姿さえどこか遠くに感じられ、勇一は呆然としたようにその場に立ち尽くす。

 ぎこちなく持ち上げた右手を見下ろた瞬間、真っ赤なものがそこに付着している感覚に陥る。思わず息が止まりかけ、勇一はなんとかこみ上げてくる感情を抑えつけるために、唇を強く引き結んだ。

 そんな勇一の姿に那美は何かを言いかけるが、かける言葉が分からず視線をさまよわせてそのまま地面へと眼を落とした。

「なんとか踏みとどまったな、沙羯羅(さかつら)龍王」

 聞こえてきた声に、勇一は弾かれたようにそちらに視線を向ける。

 今まで気配を殺していたのか。近くの樹に身体をも垂れかけていたのは、今は秋山(おさむ)と名乗っている、阿修羅王の姿だ。

 呆れを多分に含んだ視線を受け、勇一は仏頂面で近づく阿修羅を睨み付けた。

「手加減、という言葉ぐらいは覚えろ。

 今のままでは、単なる人間は死簡単に死に至るぞ」

 そんな言葉すらはねのけ、阿修羅は態とらしく溜息をつきながらそう告げる。

 分かりきっているこなどを指摘されれば、勇一の神経にささくれを起こすには十分すぎるものだ。

「っるせぇよ。それぐらいは、理解してるっつうんだ。

 それより、俺には高橋勇一って立派な名前があるんだぜ」

「そういえばそうだったな」

 軽く笑みを漏らした阿修羅に、少しばかり拗ねたような声がかけられた。

「阿修羅も見てたら、少しは手伝ってくれてもよかったんじゃない」

「私も沙羯羅、いや、勇一と同じで、力加減が面倒なくちだからな。

 最も、あの程度の連中なならば簡単に蹴散らせるだろう?」

「まぁ、な……」

 一応肯定を示せば、阿修羅は小さく笑みをこぼす。

「それにしても、だ」

 そこで言葉を切り、阿修羅は感心したように那美を見つめる。

「那美、おまえも強いな。相当場数を踏んだとみてよいのか?」

「ご想像にお任せします」

 肩を竦めてみせる那美の態度に、阿修羅は気を悪くする風でもなく微笑でその姿を眺めた。

 その様子に、那美は疲れたような吐息をつく。

 阿修羅にしてみれば、こんな事態は傍観を決め込んで、自分達の様子を観察するだけなのだ。勇一が今だに神力(ちから)のコントロールが出来ないでいるのだから、もしも暴走するような気配があれば、すぐにでもそれを納めに割り入れて、その神力の力の向きを変えるだろう。現にこうやって自分達のそばにいると言う事は、自分達の力の及ばない事に対しての対策でしかないという事が分かってしまう。

 再度小さく息を吐き出した那美のそれに重なるように、大きな声が被さった。

「先輩!」

 逃げ去った少年達に代わり、やや小走りに近い速度で忍が勇一達に近づいてくる。

 一瞬ではあったが、阿修羅の姿に驚きの色を見せて軽く頭を下げると、忍は周囲を見回して不良集団がいない事を確認した。

 どうやら、少女達をこの場から隔離し、自分も助っ人に入ろうと考えたのだろう。彼らの態度に怒りを覚えた忍らしい行動だ。咎めようにも、それは自分達を思っての事だと理解できるため、勇一は小さく苦笑の形を口の端に刻みつけた。

「あいつらは、どうしたんです?」

「丁重にお帰りいただいた。

 で、後ろの二人はなんでいるんだ?」

 勇一の言葉に、忍はきょとんと目を見開き、慌てて自分の背後に視線を向けて何度か瞬きをくり返した。

 そこには、先程助けた少女達が近寄ってきており、忍はしまったと言わんばかりの表情を浮かべる。

 軽い足取りで近づいてきた中等部の少女は、好奇心いっぱいの視線で勇一達を見、その表情通りの声を発した。

「連中、どうしたんです?」

「逃げた」

 簡潔な勇一の言葉に、ふーん、と、中等部の少女は周囲の様子を伺いながら、ふと気がついたようにぺこんと頭を下げる。

「さっきはありがとうございます。

 中等部の、瀬尾野(せおの)めぐみといいます」

「瀬尾野?」

 どこかで聞き覚えのある名前に、勇一は記憶の中でその名を探そうとするが、それよりも前に瀬尾野めぐみと名乗った少女は、不適な笑みを浮かべて勇一達を見つめた。

「でも、あれくらいの連中なら、あたし一人でも何とかなりました」

「いらんお世話だったと言いたいのか?」

「いえ。出来れば手伝わせてもらいたかっただけです。

 高等部の有名コンビがどんな動きをするのか知りたかったので」

 悪びれた風もなく瀬尾野はそう言い切ると、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべてみせる。

 血の気が盛んといわんばかりの少女の様子に、勇一達は呆れたよう瀬尾野の姿を眺めてしまう。だが、そんな視線は何時もの事とばかりの態度を見ると、どうやらそれなりに腕に自信があるのだと理解させられてしまう。

 そしてもう一人。カタカタと今だに収まらぬ震えを何とか押し殺す風情の少女は、深々と頭を下げると、どうにかという形で口を開いて見せた。

「ありがとう、ございます」

「怪我はなかったか?」

 心からの謝意で礼を言う少女に、勇一はその姿を頭から爪先まで眺めながらそう問いかけた。

「はい」

「そうか。で、えっと……」

成瀬(なるせ)です。成瀬真由美と言います、一年三組の」

 そう言って、成瀬真由美と名乗った少女は強ばった笑みを浮かべる。

 あんな連中に絡まれた後だ。恐怖心が残っていないという方がおかしいだろう。

「ほんとに、大丈夫?」

「はい」

「気分が落ち着かないなら、保健室に行く?」

「いえ、大丈夫です」

 那美が心配そうに訪ねると、真由美はぎこちないながらも自分を落ち着かせるように息をすき込み、ほっとしたように息を吐き出すと全身から力を抜いた。

 小作りと言える顔立ちは、可愛らしいと言って差し支えのない少女だ。どこにでもいそうで、それでいてどこにもいないといえる雰囲気を持つ少女は、不良集団にとっては格好の獲物だったのだろう。

 再度少女の身体を眺めて、勇一はどこにも怪我らしいものはないと理解する。どうやらあの少年達は、傷を負わせずに真由美を脅していただけのようだ。

 勇一と那美が安堵の表情を作ると、真由美は再度頭を下げた後、現場から離れたそうにそわそわと身体を動かした。

「もう大丈夫だと思うけど、何かあったら大きな声を出していいわよ。すぐに助けに行くから」

「ありがとうございます」

 那美の茶目っ気めいた言葉に、それにつられたように真由美はふんわりとした笑みを浮かべた。

 その様子を見ていた忍の顔面が突如として赤くなり、僅かに身体を震わせながら真由美の姿をを見つめる。

 それを横目で見ながら、勇一は忍の様子に首を傾ける。何か彼女の行動に不自然な事があったのだろうか、と疑問に思いながらも、今までの行動でそんな様子がなかったという結論に至る。

 再度頭を下げると、真由美はその場を離れるために小走りで先程まで勇一達がいた部室棟につながる道へと駆けだした。

 それを見送り、ふと何かに気付いたように忍が阿修羅に視線を向ける。

「秋山先輩、いつ来たんですか?」

「つい先程だ」

「そう……なんですか」

 どこか納得できないと言いたげな雰囲気を醸しながらも、忍は側にいた瀬尾野に気付くと不思議そうな感想を漏らした。

「きみは、どこに行く予定だったんだい?」

「高等部の職員室です。音楽の飯田先生に呼ばれたもので。

 音楽室なら分かるんですけど。先生から高等部の職員室に来るように言われたんです……でも、職員室がどこにあるか全く分からなくて」

 少しばかりばつの悪そうな顔で、瀬尾野はそう告白する。

 それを好機ととり、勇一はここぞとばかりに忍にごり押しの形で言葉を紡いだ。

「須田、案内してやれ」

「え?」

 きょとんと眼を瞬かせた後、忍はぶすりとした表情で勇一を見やる。

 まだ用件は終わっていないのだと言いたげな忍の顔面を綺麗に無視し、勇一はのんびりとしながらも勇一と忍の会話を聞き耳を立てている瀬尾野をちらりと見やる。どこか面白そうな目線で、けれども隠しきれない好奇心を押さえつける事無く、瀬尾野は勇一の態度を見つめている。その姿に、勇一は溜息をつきたくなった。

 トラブルメーカー、という単語が頭に浮かぶ。眼の前の少女は、まさしくその言葉通りの性格をしているのは、先程の行動といい、今の態度といい、それらだけで十分に察せられる。

 これ以上ここにいると、瀬尾野があらゆる質問をぶつけてきそうな空気を感じ取り、勇一はなるべく穏便な口調で忍へと声をかけた。

「わりぃ、俺用事があるんだわ」

「先輩」

「そ、そうそう。だから、ごめんね、須田君。あたし達、これからその用件済ませなきゃいけないから」

「天野先輩もですか?」

「そう」

「じゃぁ」

「すまんが、私もそうだ」

 阿修羅もまた、それに便乗するように言葉を放つと、くるりと背を向けて歩き出した。

 それに続くように、勇一と那美もその後に続く。

 悔しそうに三人の背中を見送る忍だが、溜息を一つ吐き出し、瀬尾野の案内のために高等部の校舎に向かって歩み出した。

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