第一章
ボールを蹴る音と、ゴールキーパー役の生徒が大声で指示を出している。
それをぼんやりと眺めながら、高橋勇一は何をするでも無くただ空を見上げるようにして座り込んでいた。
『―三千大世界を破滅に導くつもりか!』
どこからか聞こえてきた声は、今は遠い、遠すぎる記憶で聞いたもの。目をつむれば、今の記憶と過去の記憶とが交差する。
荒涼とした大地。
本来は緑にあふれ、その恩恵を受けた人々が笑顔で暮らしていた場所は、もはや目覚める事のない永遠の眠りについた者達の身体によって、大地に血を捧げるようにして横たわっていた。
『―何故、邪神と呼ばれる事を選ぶ』
鈍く、何かを切り裂く感触が腕に伝わる。目の前の敵が胸を裂かれた衝撃で、数歩後ろに下がりそのまま膝から崩れ落ちた。
『―邪悪な神力を持っている。やはり貴様達はこの場所で死するべきだ』
邪悪の根源、とまでいわれた。否定しようにも、天界の神々達はこちらの言う事に耳を貸すわけがない。天界の意思に背き、戦になる事を覚悟していた以上、彼らが自分達を邪神というのは分かりきっていた事だ。
無論それは、修羅界という場所にいたからだろう。闘神と呼ばれる修羅人達が暮らすこの世界は、和睦を結ぶ前までは邪神の巣窟だと唾棄されていたのだ。
何をもって善神とし、どうやって邪神と認定していたのか。それは、天界の考えに反してその意思を沿わなというたったそれだけの事だ。
―俺達が、邪悪な神力を持っている、か。
移り変わる光景の中で、天界の兵士達は皆帝釈天の意に沿うために、自分達へと太刀を振り下ろしてきた。
躊躇を一瞬でも持ってしまえば、そこには死という選択肢しかない。何を言われようとも、何と罵倒されようとも、自分達は自分達の考えを貫き、それを行動に移していただけだ。
帝釈天の考えが間違っていたのか。それとも自分達が間違っていたのか。
戦いに敗れた時、天界の神達は自分達が正しかったのだと歓喜したに違いないだろう。だが、帝釈天の意思が本当に正しいのかと反芻した天人は、天界に本当に存在していなかったのだろうか。
自分達は修羅界にいたからこそ、修羅界の住人は帝釈天の考えに眉をひそめ、それに反した言葉を放った。
たったそれだけの事だというのに、その思想は邪悪な事と定義された。
「どうしてだろうな……」
「あ?なんか言ったか、勇一」
知らずに漏れた言葉は、それほど大きくはなかったはずだ。けれど、近くに居たクラスメイトの耳には届いたのだろう。
不審げに眉をひそめて声をかけた友人に、勇一は弾かれたように顔を上げた後苦い笑みを浮かべて何でもないと手を振った。
納得はしていないのだろうが、それでもそんな事を気にする事はないと思い直したらしく、友人は人の悪い笑顔で勇一に猫なで声で話しかけてきた。
「んだよ。つれねぇな」
「うるせぇよ」
「あぁ、そういや、この間の試合の話し先に進めたからな」
「んだって!遠野!」
「約束は約束だろうが。もう決まった事に対してぐちゃぐちゃ言うなよ」
「ってめぇ……」
覚醒する以前に友人、遠野秀樹と交わした約束事は、近く行われる三校―この周辺では特に有名な矢沢学園、聖山高校、籐華学園のことである―同時の対抗戦に出場する事案の話しだ。しかし、覚醒直後にそれを辞退する意を遠野に対して口にしていたのだが、どうやらそれはすでに遅かった、ということだろう。
エントリー表を今から組み直すのは手間だと感じたのか、それとも元剣道部員の腕を買っていたのか。
余り嬉しくない言葉に苦々しい息を吐き出し、勇一は己の掌に目を落とした。
普通の『人間』では持ち得ない、強大な神力。
戦う上では欠かせない神力だということは理解している。だが、それでもこの平穏な時間の中では、それは忌むべき神力でしかない。
けれどこの神力は、多くの者達を犠牲にして呼び戻した神力だ。
それを否定する事は、死んでいった者達の思いを踏みにじる行為でしかないということであり、彼等を全面的に否定することだと充分に理解している。
そしてそれは、前世の、そして現世の父親達の思いを、真っ向から逆らうことになる事に他ならない。
「……父さん」
自分を守るために死んだ父達。
何時も温かく、時には厳しく自分を育てた父達に、自分は報いることが出来るのだろうか。
握り締める拳が白くなる。
自分は本当に、死んでいった修羅人達の期待に応えられるのだろうか。
いや、応えなければならないのだ。
不安と焦りとが、心の中でせめぎ合う。早く神力を完全に使いこなせるようにならなければ、自分は彼らの思いすらも踏みにじってしまうことになるのだと分かりきっているために……。
思考に没頭していたせいだろう。ホイッスルの音も聞き逃していた勇一の側に座っていた遠野が、重い腰を上げるようにして立ち上がる。
「おい勇一、次俺達だぜ」
「あ、あぁ」
慌てて頭の中にあった考えを一時やめ、勇一は溜息とともに立ち上がる。
心の中で重い石がどかりと存在感を示しながらも、勇一はそれから目を反らすようにピッチへ向かってゆっくりと歩き出した。