第2話 ときめきに死す(3)
パウラは魅力的だし、この世界で初めて出会った同じ境遇を理解しあえる仲間だし、俺のことを少なくとも嫌ってはいないことはわかるし、キスまでしてしまった。
だが、彼女ではない。決して彼女ではないが、なぜだか同じ敵に命を狙われる運命共同体ではある。
……パウラの不機嫌が、俺への好意から来ていることに気付かないほど、鈍感なわけじゃない。でも、だが、しかし、俺とパウラは付き合ってるわけじゃない。
だいたい、まだ出会って一週間ちょっとしか経っていないし、言葉もあんまり通じない。そもそも、命の危険が迫っている状態で、色恋について考えてる余裕なんてあるのか。
けれども、現にパウラはご機嫌斜めだ。そんな状態だと俺とパウラの命に関わる。キスできなければサイキックを強化できない。奴らに襲われたとき、パウラにちょっとでもキスを嫌がられたら、それが死に繋がる可能性だってある。少なくとも、良好な関係を保つことが、俺自身のために必要だ。
一方で、困ってしまうのが白瀬先輩への対応だ。美人だとは思ってたけど、龍田が先輩のことを好きなのはわかっていたから、異性だと考えないようにしていた。なのに今日になって突然なんなんですかね?
眼鏡外してくるわ一気に距離を詰めてくるわ休日に誘ってくるわ。なんで俺の命が危ないときに、そんな展開になるのか。龍田とも明日からどう接していけばいいのか、困ってしまうし……もおおおおっ!
と、そんなことを一晩中ぐるぐると考えてしまった。しかし、やはり最後は俺自身が納得することが大事だ、という結論に達した。『納得』は全てに優先するのだ。
翌朝、俺はパウラの家の前に立ち、深呼吸した後で玄関のチャイムを鳴らした。いつもパウラがうちに来る時間より五分早い。先手必勝だ。
「ハイ」
インターホンからパウラの母親の声が聞こえた。
「おはようございます。玄葉ですー」
「オー、トーマクン! パウラ呼ぶネ」
俺の挨拶を受け、パウラの母親は驚いたようにそう言うと、インターホンが切られた。そして、しばし待つ。
……三分ほどすると、玄関のドアが開き、気まずそうな顔をしたパウラがゆっくりと出てきた。
「トーマ……」
「おはよう、パウラ」
俺は意識して普段通りの調子で言った。
「オ、オハヨウ」
「さあ、一緒に学校へ行こう」
昨夜とは逆に、パウラの歩みは遅い。俺が普通の速さで歩いていると、どんどん距離が離れてしまう。駅に着くまでに何度も俺は立ち止まり、パウラが追いつくのを待つことになった。
「……トーマ、ゴメン。ゴメンネ」
そんなことを何度か繰り返すうちに、パウラが謝ってきた。
「なんで謝るのか、わからないな。謝るのは、悪いことをしたときだ。別に俺はパウラに悪いことされてないし」
「アー? ウーン」
日本語としては難しかったかもしれない。パウラが釈然としない顔をしている。俺は本題に入ることにした。
「昨日の夜、白瀬先輩から誘われたんだ。今度の休みに、買い物に行かないかって」
「アー……ヴィオレッタから、聞いタ」
昨夜のうちにテレパシー女子会が開催されていたのか。俺には何も言わないんだよな、あいつ……。
「トーマ、センパイと行くカ?」
さびしそうな顔で、まっすぐ俺を見てくる。そんな顔するなよ、と思いながら、
「行かないよ。用事があると返信して、断った。先輩は嫌いじゃないけどさ」
「ソ、ソウ」
パウラの肩の力が抜けるのがわかる。ほっとしたことを体全体で表現しとるなあ。
「ちなみに用事というのは、パウラと一緒に出かけるからだって言っておいた」
「オー……オーゥ!?」
パウラが時間差で驚き、俺を二度見してきた。それがなんだかおかしくて、吹いてしまう。
「ははは! そんなにびっくりするなよ」
「デモ、ウソは良くナイ」
「ウソじゃないよ。順番が違っただけだ」
「?」
「パウラ、明日の土曜日とあさっての日曜日、なるべく一緒に過ごそう。ずっとってわけにはいかないだろうけど、敵がいつ襲ってくるかわからない以上は、そうするべきだ。強化された後の能力がどんなものなのか、検証してみる必要もあるし。そうなると、ご近所だと一目につくから、ちょっと遠くへ出かけたほうが良い」
「アー、待っテ待っテ、日本語難しイ。簡単に、簡単に」
「え、そうか。ええっと……」
パウラには難しすぎたか。自分の中では理屈として納得行くものなんだけど。どういったら良いのか。
『……私がテレパシーで伝えようか?』
ヴィオレッタが助け舟を出してくれた。そのほうが誤解が無く伝わるとは思う。けど、
「いや、いい。俺自身の言葉で伝えた方がいいと思うから」
『そう』
とまどっているパウラに向かって、俺は言った。
「一緒にいよう。俺とパウラは仲間なんだから」
「…………ナカマ、だネ」
俺の単純な言葉を聞いて、少しの間を置いてパウラは微笑んだ。
仲間。今はそれ以上踏み込む度胸は俺には無いし、そんな状況でもないと思う。ゆっくりでいいのだ、ゆっくりで。焦らずマイペースに行けばいい。
「あんな色っぽい先輩は、先輩じゃねー! なんで眼鏡外すんや、うう……」
龍田がコーラを飲んでクダを巻いている。大人だったらこういうとき酒飲んでるんだろうなぁ、と思いながら俺はパンを食っている。
俺とパウラが昼食を取っている中庭のベンチへ、今日は龍田がやってきた。話を聞いてほしいそうだ。
「俺はあの、本気を出せばめちゃモテ委員長なのに垢抜けない感じが、あの感じが、良かったんですよ!」
「はあ」
「わっかるかな~、わかんねぇだろうな~」
龍田は基本的にクールだが、ときどき変なテンションになる。パウラもどう接していいかわからないようで、困り顔で黙々とパンを食べている。
「はあ、眼鏡、眼鏡かけてほしい。もう先輩は眼鏡かけてくれないのだろうか」
「お前、そこまで眼鏡好きだっけ……?」
「好きだよ。眼鏡があればご飯三杯はいける」
「うわぁ」
さすがにちょっと引く。
「そうだ、ここに俺が授業のときに使う眼鏡があるんだが、パウラちゃんちょっとかけてみないか」
言いながら龍田が眼鏡を取り出す。
「一回だけ、一回だけでいいから!」
「別にイイヨ~」
パウラはあっけらかんと言い、龍田から眼鏡を受け取る。
「やった! ありがとうございます!」
「おいやめろ、お前の性癖にパウラを巻き込むな!」
止めようとしたが、遅かった。
「トーマ、似合うカ?」
黒縁眼鏡をかけたパウラが微笑みかけてくる。……なんか新鮮だ。
「おう……」
「いやー、いい! すごくいいよパウラちゃん!」
俺の言葉を遮って龍田が興奮している。
「ハハハ、アリガトウ。ワー、グルグル」
度が合わなくて気持ち悪くなったからか、パウラはすぐに眼鏡を外して龍田に返した。
「ありがとう! いやー、いいもん見れた」
龍田はほくほく顔である。
「お前、パウラに変なことするなよ」
「いいじゃねーか、これくらい。お前は先輩にかわいがられてるんだから」
うっ。
「いいよなー。先輩に口元フキフキ」
「変な言い方するな。俺だって、なんで昨日から急に先輩があんな感じになったのか、不思議なんだ」
先輩から誘われたことは、龍田には黙っている。余計にねたまれそうだからだ。
あ~、オカ研行きたくないな! どんな雰囲気になるのか想像もできん! だからって行かないのも変だし!
俺の心配をよそに、放課後のオカ研は意外にも何事も起きなかった。いつも通り俺のサイコキネシスを検証したり、思い思いにオカルト本を読んでダラダラしたり、という活動を行っただけだ。
誘いを断ったことを白瀬先輩に責められるということもなかった。先輩は格好こそ昨日と同じく眼鏡を外していたが、変に俺に迫ってくることもなく、いつも通りに穏やかだった。今はパウラと一緒にオカルト本を読んでいる。ついでに日本語も教えてくれているようだ。
まあ、とりあえずは良かった……。俺がやや離れた位置でスマホをいじっていると、二人には聞こえない程度の小声で龍田が話しかけてきた。
「玄葉」
「なんだよ」
「こうして見ると、眼鏡をかけてない先輩もアリだな、と思えるようになってきた。別腹というか」
「現金な奴だなあ」
「でもやっぱり、たまに見る分にはいいけど、しょせんはお菓子みたいなもんで。メインディッシュにはならんのだ。やっぱりおかずは眼鏡なんだよォ……」
「……」
龍田に呆れつつ、俺は先輩のことを考えていた。本当に、なんでまた突然眼鏡を外したり髪を切ったりしたのだろうか。