第2話 ときめきに死す(1)
やっと四時限目の数学が終わった。永遠と思えるほど長かった。
授業の内容はほとんど頭に入ってこなかったが、しょうがない。昨日ヴィオレッタから聞いた話について考えてしまうばかりで、俺の頭のキャパはいっぱいいっぱいなのである。
とにかく、昼休みだ。昼休みとなれば……。
「飯食いに行こうぜ、飯」
龍田と福崎、南が、自分の席でボケーっとしていた俺に寄ってきた。高校入学以降、俺を含めた四人で昼飯を一緒に食べるのが、なんとなく習慣になっている。
だが、それも今日までかもしれない。
「ああ、悪い。俺は……」
と、俺が言いよどんだとき、
「トーマ! 来たヨ!」
元気な声が、開け放たれた教室のドアの向こうから聞こえてきた。そちらを見ると、笑顔のパウラがぶんぶんと手を振っている。
「ゴハン、食べヨ!」
「お、おう」
俺はそう言って椅子から立ち上がり、
「すまんが、俺はパウラと行く」
その宣言を聞いた瞬間、福崎と南がその場に膝から崩れ落ちた。
「ええっ! どうしたお前ら!」
「まぶしい……まぶしすぎる……パウラちゃんの笑顔も、それを向けられるお前も……」
「俺たちはアンデッドだから光属性に弱いんだよ……」
息も絶え絶えになりながら、なんか呪詛のように言葉を吐き出している。
「何言ってんの……?」
「アホどもはほっとけ、玄葉。いいからパウラちゃんと行ってこいよ」
龍田がそう言ってくれたので、
「おう、すまん」
俺は礼を言ってパウラの待つ廊下へと出た。うらやましいとか裏切者とか性の喜びを知りやがってとか言ってる声が聞こえてきたが、無視無視。
『楽しいお友達だねぇ』
ヴィオレッタの声が頭の中に響く。
「別に楽しくはねーよ」
俺はつぶやいた。
「ウマイッ」
焼きそばパンにかぶりついて口をもごもごさせながら、パウラが至極シンプルな感想を述べた。『うまい』という表現は俺と初めて会ったときに覚えたようだ。
「パンと、焼きソバ一緒にすル。すごイ。日本人頭おかしイ」
「それ褒めてんの?」
初めて食べる焼きそばパンに感動しているらしいパウラに相槌を打ちつつ、俺はメロンパンをカフェオレで流し込んだ。
パウラと一緒に購買部でパンを買った後、俺たちは中庭のベンチに並んで座って食事をしている。空は青く、日差しがぽかぽかと暖かい。隣にはかわいい女の子。
『私知ってる。青春って言うんでしょ、こういうの』
「サイキッカーに命を狙われてなきゃな」
周囲の生徒に聞こえない程度の大きさで、俺はヴィオレッタに突っ込んだ。
昨日のことを思い出す。俺の部屋での会話のことを。
『私はヴィオレッタ。A級サイキッカーさ。玄葉冬馬とパウラ・ヴェルメリオ、君たちを守るのが私の役目だよ』
「守るって……あの犬からか?」
『正確には、アポイタカラに精神を憑依させたサイキッカーからね』
「……わけわかんねーよ。なんで俺が、俺たちがいきなりあんな奴らに襲われなきゃいけないんだ!」
俺の言葉に、パウラが大きくうなずいた。俺もパウラも、死ぬところだったのだ。理由を知りたいのは当然だ。だが、ヴィオレッタの答えは釈然としないものだった。
『なぜ彼らが君たちを狙うのか。今はその理由を教えることはできません』
「はぁっ?」
『お願い、わかって。伝えられる限りの情報は提供するから』
ヴィオレッタが申し訳なさそうに言う。到底納得できない。
が、何度俺が理由を教えろ、と言ってもヴィオレッタは教えられない、の一点張りだった。そのままでは話が進まないため、俺はとりあえず彼女の話を聞くことにした。
『まず奴らの素性については、犯罪組織の構成員、とだけ。サイキックを様々な犯罪やテロに利用しているの。金のためにね。言ってしまえば、プロね。プロの犯罪者で、おまけに超能力者』
「プロって……」
『プロのサイキッカーが行う犯罪を取り締まるには、同じくプロのサイキッカーが必要になる。私が所属する特務機関は、サイキック犯罪を撲滅するために活動しているの。心あるサイキッカーが中心となってね』
「待て待て待て待て、話が飛躍してきたぞ。犯罪組織に特務機関って。そんなの聞いたことないぞ」
『それはもちろん、極秘だもの。サイキックのことも犯罪組織のことも特務機関のことも、知っているのは限られた人間だけ。警察もマスコミも知らないよ』
「……」
『狙われる理由を君たちに教えられないのも、そこだよ。何もかも知ってしまうと、危険な世界に足を踏み入れてしまうことになるの。最悪、死ぬまでずっと犯罪組織から命を狙われるかもしれない。まだ未成年で、サイキックと言っても微弱なものしか持たない君たちを、危険から守りこそすれ極力巻き込みたくはない、というのが特務機関の考えだよ。もっとも、大人になって自分の意志でこちらの世界に入ってくるなら別だけどね』
テーブルの上に立つ黒いマスクの小さな女性が、俺とパウラをまっすぐ見て言う。
一応の筋は通っている気もする。彼女が敵だとは俺も考えていない。悪人とも思わない。だからと言って、信用していいのか。
「……パウラはどう思う?」
俺がパウラに話を振ると、
「ンー、悪イヒト、じゃなイ思ウ。ワタシと、トーマ助けてくれタ」
彼女も俺とだいたい同じ意見のようだ。俺はため息をつき、
「狙われる理由については、どうせこれ以上教えてくれないんだろ、あんた」
『まあ、そうね』
「じゃあその点についてはいいよ、もう。他によくわからないことは二つある。まず一つ目はアポイタカラって金属……これのことだ」
俺は右手首に装着されたままの銀色の腕輪を指し示した。
「なんなんだ、これ。いきなり巻き付いてきやがって。外しちゃダメなのか?」
『そうね。無理やり外すことも可能だけれど、君たちの安全が確認できるまでは、外しちゃダメ。外すなら、命の保証ができないよ』
「エー!」
ヴィオレッタの言葉を聞き、パウラが声をあげた。その後、左の袖をまくり上げ、自らの二の腕に巻き付いたアポイタカラをしげしげと観察する。その仕草にドキッとしてしまったのは内緒だ。
……俺はパウラの二の腕から視線を逸らし、ヴィオレッタにたずねる。
「どうすりゃいいんだよ」
『どうもこうも……アポイタカラが君たちに取り付いているから、こうしてコミュニケーションが取れているんだよ。君たちを守るために絶対に必要だから、我慢してほしい』
「なにぃ?」
『アポイタカラは、金属生命体なの。そして、ある程度強力なサイキッカーであれば自らの精神をアポイタカラに移すことができる。さらにアポイタカラの状態で取り付いた生物の肉体を乗っ取り、思うがままに操ることができる。サイキックは精神に依存するんだ。だから肉体を乗っ取った状態でも、サイキック使い放題。あの犬は、発火能力を持つサイキッカーに乗っ取られちゃったんだね。かわいそうに』
「待て待て、あの野良犬のことはわかったよ。じゃあ、あんたがアポイタカラに精神を移して俺たちに取り付いてるってことは、体を乗っ取られるってことじゃ……」
『やろうと思えば、できるね』
「おいいいぃぃぃっ!」
『安心して、そんな人道にもとることはしないから。奴らと違い、私は二つのアポイタカラに同時に精神を移し、君たち二人に取り付いている。どちらかの肉体を乗っ取るのではなく、私含めた三人の意思疎通にサイキックを使っているんだ』
「はぁ」
『それから、君たちの能力を強化することにも私のサイキックを使っている。要はあれは、私のサイキックを君たちに分けていると思ってくれればいい』
「……分けてくれるのはいいが、だったら直接あんた自身が俺たちを守ってくれればいいじゃないか」
『そういうわけにもいかない事情があるんだってば。詳しくは話せないけどね。私の肉体は遠く離れた場所にあって、無理なんだよ』
「そればっかりだな……。あ、じゃあついでに二つ目の質問。お互いが能力強化するためには、やっぱり俺とパウラが、キ、キスする必要があるのか?」
恥ずかしくて、ついどもってしまった。
家に帰ってから少しサイコキネシスを試してみたが、以前の弱いものに戻ってしまっていた。公園の滑り台を動かしたのがウソみたいだ。ヴィオレッタが言っていた通り、五分が経過したからだろう。となると、また強化しようと思えば……。
『そうだね。キスは必要だよ。単に私のサイキックを分けてくれればいいのに、と思うかもしれないけど、そんな都合よくはいかない。その都度、キスする必要がある。それでも能力強化は五分間。効果が切れたらまたチュッチュするしかない』
「そ、そうなのか」
顔を赤くしたパウラがこちらをチラッと見るのがわかったが、俺は気付かないふりをして、
「しかし、なんで? なんでキスすると俺とパウラの能力が強くなるんだ? どういうメカニズムになってるんだよ?」
『それは一言でいえば……』
もったいつけて少し間を開けた後、ヴィオレッタは言った。
『愛の力だね』
なにが愛の力だ、うさんくせー。
俺はカフェオレを飲み終えると、右手首に巻き付いたアポイタカラを見た。
キスで俺たちのサイキックが強くなることについても、愛の力であるという綺麗ごと以上は説明してくれなかった。明かすことができないと正直に言ってくれるだけ、まだ誠意があるのかもしれない。けど、どうもヴィオレッタのことは信用しきれない。
「ごちそうサマでしタ!」
隣でパウラが元気のいい声を出した。焼きそばパンを食べ終えたようだ。が、よく見ると唇の端に紅しょうががくっついている。
「パウラ、ここ、ここ。ついてる」
俺はそう言って自分の唇を指した。
「エ?」
パウラは紅ショウガに気が付いて指でつまむと、口の中にそっと入れて「アハー」と俺に微笑みかけてきた。
は??? かわいすぎでは??????
「あー、パウラ、今日の放課後のことなんだけど」
俺はパウラから目を逸らし、話題も変えた。
理由は不明だが、サイキッカーである刺客に俺たちは狙われている。あの犬に取り付いていた奴は逃げ出したし、再び俺たちを襲ってくるだろう。そのうえ、今度はどんな生物(人間も含む)を操ってくるかわからない。
おまけに、あいつ一人が刺客というわけではなく、もう一人の刺客が送り込まれている可能性が高いとヴィオレッタが言っていた。
となると、俺とパウラはなるべく離れずに行動する必要がある。襲われたとき、身を守るにはキスして能力を強化する必要があるからだ。クラスが違うから授業中はしょうがないとして、昼休みや放課後は一緒に過ごすよう、昨日のうちに打ち合わせていた。
そして放課後といえば、部活である。
「オカルト研究会、本当に行くのか? めんどくさいことになりそうな……」
「行ク。面白そウ!」
こんな事態だというのに、パウラは満面の笑みで言った。




