第1話 何かが殺しにやってくる(3)
「パウラ、い、行くぞ!」
俺はパウラの肩に手をかけ、勢いのままに言った。
「ハ、ハイ!」
パウラも緊張した様子で答える。
『オーケーオーケー! さあ、ドーンと行ってみよう!』
「うるせえよ!」
ムードもへったくれもないが、しょうがない。もうどうにでもなれ!
俺はドラマや漫画で見たキスシーンを思い出しつつ、目を閉じたパウラに顔を近付け、そっとキスをした。
うう、柔らかい……!
が、じっくりファーストキスを味わっている場合ではなかった。
『お前ら、なにやってやがるぅぅ!』
犬の叫びが頭の中にこだまし、俺とパウラはあわてて唇を離した。
『アポイタカラが現れたと思ったら、いきなりキスし始めるとか、わけがわかんねぇ! そんなにチュッチュしたいなら、あの世でやってろ!』
そう言って、炎を吐く態勢に入った。
「おい、キスしたからってどうにもならんじゃないかー!」
『本当にそうかな?』
え?
女性の言葉の意味は、すぐに理解できることになった。犬は確かに俺たちめがけて炎を吐いた。
だが、俺たちはまったく火傷せずにすんでいる。なぜなら、瞬間移動したからだ。しかも、俺たちが立っていた位置から一〇メートルほど離れた、砂場の中に。
犬は俺たちの姿が見えないことに気が付くと、周囲を見回している。俺たちの姿を発見すると、
『なぜそこに……!』
驚愕の声をあげた。
驚いているのは、俺も同じだ。パウラの能力でテレポートしたのは理解できる。でも、パウラはテレポートしすぎて限界が来ていたのではないか。それにそもそも、二メートル程度しか移動できないはずなのに、今回の移動距離は一〇メートルだ。
「なにがどうなってるんだ」
『これが君たちのキスの効果だよ』
「はあっ?」
「トーマ、ワタシ、今、すごイ。チカラすごイ!」
パウラがやや興奮している。女性の言葉と重ねて考えると、キスのおかげで超能力がパワーアップしたってこと?
『どうかな? 冬馬くん。君の方も、力が増してる感じしない?』
「……言われてみれば」
さっきまでへとへとだったのに、なんだか体の内側から力がみなぎってくる。
『サイコキネシス、使ってみなよ』
女性の声に促され、俺は砂場の中に埋まっていたジュースの空き缶を見た。空き缶を動かそう、と思っただけだ。思っただけなのに、空き缶がふわりと三〇センチは宙に浮いた。
「………!」
自分で動かしておいて、言葉を失ってしまった。
必死に集中して、叫びまくって、一〇円玉をわずかに浮かせるのがやっとだったのに! 俺の能力も、明らかに強化されている!
『サイコキネシスが強くなったのはわかったでしょ?』
「あ、ああ。しかし、なんでキスしただけで、こんなことに……?」
『今は説明する時間が無い。この能力強化は、もって五分間といったところだからね』
「五分……」
『その間に君たちは、奴へどう対応するか決めなくちゃいけない』
女性の言葉を受け、俺は敵を見据えた。犬も俺たちの超能力が強化されたことは理解しているのだろう。警戒しながら、ゆっくりと距離を詰めてきている。
どう対応するか、か。そもそもこの声の女性が何者なのかわからんが、そんなことを考えている場合じゃない。さっきまで俺たちを待っていたのは九十九パーセント、奴の炎で焼き尽くされる未来だった。
だが、状況は変わった。俺のサイコキネシスとパウラのテレポートが強化されたことで、選択肢は一気に増えたはずだ。どうする、どうする!
「トーマ、逃げヨウ。今のワタシなら、逃げルことできル」
パウラが俺にささやいてきた。
逃げる、か。パウラのテレポートで移動できる距離が増え、さらに五分の間なら何度でも使えるのであれば、確かに公園の外へ逃げるのはたやすい。それもいいかもしれない。
……いや、やっぱりダメだ。それじゃ根本的な解決にはならない。
「パウラ、今ここで逃げても、奴はきっとまた俺たちを狙ってくる。警察にこんな話をしても信じちゃくれない。誰も守ってくれないんだ。だったら今やるべきは、奴を倒すことだ! 強くなった俺の念動能力と、パウラの瞬間移動能力で! 今ならできる!」
俺だって逃げたい。でも、この分じゃ家の場所も知られてるかもしれない。戦うべきは、今だ。
『カッコよくキメたつもりかもしれないけど、日本語の理解度がまだ低いパウラにはちゃんと伝わってないからね?』
「そうなの!?」
確かに、パウラは俺の顔を見てきょとんとしている。
『大丈夫だよ。通訳して伝えてあげるから』
女性の声はそう言うと、
『……ですってよ、パウラ』
俺の言葉をかいつまんでパウラに伝えてくれた。どうやらこの女性の声は、テレパシーだからかパウラにはポルトガル語で聞こえるようだ。
「……わかっタ、トーマ。戦ウ」
「ありがとう!」
パウラも覚悟を決めたようだ。再び俺の手を握ってきた。一緒にテレポートするために必要とはいえ、まだ少し照れくさい。
『戦うって、具体的にどうする気?』
「奴が火を吐いてきたら、とにかくパウラのテレポートでかわしてもらう。今までと違って、奴は俺たちがどこへテレポートするか予想できないはずだ。必ず隙ができる。そこへ俺の力をぶつける」
『ほうほう』
「トーマ、どこへテレポートすル?」
「パウラに任せるよ。幸い、武器になるものは公園のあちこちにあるし」
「ハイ」
俺は公園の中を改めて観察した。
ベンチ、滑り台、雲梯、ブロック塀。パワーが増したとはいえ、俺のサイコキネシスでそんな重たいものを動かせるかは正直わからない。だが奴の不意をつくためには、こっちもぶっつけ本番で行くべきだ。
大丈夫、やれる。俺は自分の中に溢れてくる力を信じることにした。
敵がじりじりと近寄ってくる。俺たちとの距離は五メートルほど。奴も、俺たちの能力がどれほど増したのかはわかっていないはずだ。動きが慎重になっている。
このままにらみ合ってたら、能力が強化されるという五分が経過してしまう。それはまずい。俺はパウラの手を握ったまま、奴に聞こえないようにささやいた。
「今から奴に突っ込む。そしたら奴は火を吐いてくるはずだ。パウラはすぐに俺ごとテレポートでかわしてくれ」
「エ?」
パウラの返事を確認することなく、俺は手を繋いだままで野良犬にまっすぐ突進した。
『て、てめぇっ!』
敵が慌てて火を吐く。わずかに熱を感じたが、
「キャア!」
パウラの悲鳴が聞こえた瞬間、俺の目の前の光景が文字通り一八〇度変わっていた。五メートル程先で、犬が俺たちに背を向けて誰もいない空間に炎を吐き出している。
今しかない!
「おりゃあああああっ!」
俺は犬の左側に見える滑り台へ右手を向け、全力で念を送った。金属製の支柱がゴキッと大きな音を立てて折れ、宙に浮かぶ。
『なっ』
犬が炎を吐くのを止め、滑り台のほうを向くが、もう遅い。
「ぶっつぶれろォ!」
滑り台は俺のイメージ通りに犬めがけて猛スピードで落下した。
ギャン! という鳴き声と、滑り台が地面に叩きつけられる轟音。もうもうとした砂煙。
その後には、横倒しになった滑り台と、下敷きになって動けずにいる野良犬の姿があった。
「やった……」
「スゴイ」
ご近所の皆さん、公園の管理者の人、ご迷惑おかけします……!
『大したものだよ、冬馬くん』
「でも、こりゃ騒ぎになっちまうな。人が来る前に、あの犬からなぜ俺たちを狙うのか聞きださないと」
俺がパウラの手を離し、滑り台の下にいる犬に近付こうとしたときだった。にぃっ、と犬がいやらしい笑みを浮かべるのが見えたのは。
『不用意に接近しちゃダメッ!』
女性の声で俺が足を止めるとすぐに、犬の体がボンッ! と大きな音を立てて爆発した。
「うおおっ!」
爆風を感じたが、痛みは無い。ただ、何かが制服に付着するのがわかった。
「血っ! 自爆かよ……」
大した量ではないが、点々と赤い血が付いていた。地面を見ると、犬の臓器らしき物体が血液とともに散乱している。
「うげぇっ」
目を逸らしたくなったが、銀色の金属が蛇のように動いているのが視界の隅に入った。めちゃくちゃ俊敏にコンクリート塀を駆け上がり、公園の外へ逃げ出そうとしている。
「あ、あれは!」
『あれが奴の本体だよ。私と同じ、アポイタカラ。あの野良犬はたぶん、操られていただけ』
「そんな……。あいつを捕まえなくていいのかよ!」
『それができればベストなんだけどね。今はテレポートでこの場から立ち去るべきじゃない? 君たちの生活を思えば』
女性の声で冷静になり、周囲を見る。まだ随分と距離があるが、人の姿が見える。騒ぎを聞きつけたのかもしれない。
この有様が発見されれば、警察も巻き込んだ事件になるだろう。って、そうこうしている間にも、アポイタカラとかいう金属は見えなくなってしまった。本当に素早いな!
「しょうがねえな……。パウラ、悪いけど、家の前まで頼む」
俺はパウラに向けて手を伸ばした。が、彼女はその手を取らない。代わりに、体ごと俺にどーん! とぶつかってきた。
「げほっ」
俺の背中に手が回される。
「トーマッ」
すぐに、一緒にテレポートするのを感じた。目の前の景色が連続して変わる。小学校の前、最寄りのコンビニの前、それから俺の家の玄関前へ到着し、テレポートは止まった。
「パ、パウラさん?」
その間ずっと、ていうか今も、パウラは俺に抱き着き、胸に顔をうずめている。ああああ、柔らかいものが当たって、あああああ……。
「トーマ、オブリガーダ……アリガト、アリガト」
「え? うん」
「トーマいなかッタラ、死んでタ、ワタシ。怖かッタ……アリガト!」
そう言いながらパウラが顔を上げた。目に涙を浮かべている。緊張の糸が切れたのだろうか。俺は照れながら、
「いや、それはお互い様っていうか……パウラの能力のおかげだし……こちらこそ、ありがとう」
正直な気持ちを伝えた。
「アハー」
「へ、へへ……」
パウラに涙交じりの笑顔を向けられ、つられて笑ってしまう。とりあえず命が助かったのは、純粋に嬉しい。俺だけじゃなくパウラもだから、余計に嬉しい。
『もしもし、お二人さん』
いやしかし、こんなかわいい子と手を握って抱き合ってキスまでしてしまう日が来るなんてな……。
『おーい』
まあ、その代わりに鉄骨と犬で二度も死にかけたわけだが。なんて日だ、マジで。
『冬馬、後ろ、後ろ』
「なんだよ……」
頭の中に響く声に呼ばれ、俺はパウラに抱き着かれたまま背後を振り返る。
「冬馬、パウラちゃんと仲良くするのはけっこうなんだけどさ。家の前はやめよっか?」
いつの間にか玄関のドアが開き、微妙な表情をした母さんが立っていた。
母さんは机の上に二人分の麦茶を置くと、
「それじゃパウラちゃん、ごゆっくり」
「ハイ! アリガト」
「冬馬、お母さん一階にいるからね。別に二人の邪魔をする気はないけど、節度ある付き合いをするようにね。くれぐれも変なことはしないようにね」
「しねーよ! もう、早いところ出てってくれ」
「ああん」
俺は母さんの背中を押して追い出し、ドアを閉めた。
あの後、それぞれの家で昼飯を食べ(犬の爆発した死体を見た後なので食欲は無かったが、無理やり口の中へ押し込んだ)、パウラに俺の家へ来てもらった。母さんに聞かれるわけにいかないので、二階にある俺の部屋で話をすることになった。なんか母さんは誤解している気がするが、もう説明するのもめんどくさい……。
「オー、本イッパイ」
俺の部屋を見渡したパウラが素直な感想を口にした。初めて会ったときと同じ、Tシャツにショートパンツという格好に着替え、部屋の中央に座っている。ちなみに俺も、血が付いた制服を着ているわけにもいかないので、Tシャツに着替え済みである。
自分で言うのもなんだが、そこそこ綺麗に片付けられた部屋だとは思う。余計な物はほとんどない。となると目立つのは、本棚にある大量の本だろう。
「ほとんど漫画だけどな。あとラノベとアメコミ、オカルト系の本が少々」
「フーン」
わかっているのかいないのか、よくわからない相槌をパウラが打った。
『ざっと見た感じ、特殊能力バトルものが多いみたいね』
「わかるのかよ、あんた……」
『まあね』
頭の中で聞こえる声が言う通り、俺が買う漫画やラノベは、もっぱら特殊能力バトルものだった。幼い頃から自らの超能力に気が付いていた俺は、いつか役に立つのではないかと、その手の作品をよく読むようになった。憧れもあったかもしれない。
公園で犬に襲われたときに比較的落ち着いていられたのは、こういう漫画をよく読んでいたからではないだろうかと、ちょっと思う。
「で、漫画の話をしてる場合じゃないんだよ。説明してもらうぞ、何もかも」
床に腰を下ろした俺は、頭の中に聞こえる声に対して言った。パウラもうなずく。
『……わかってるよ。何もかもってわけにはいかないけど』
そんな声が聞こえると、俺の右手首とパウラの左二の腕に装着した金属がわずかに光った。同時に、机の上に突然何かが出現した。
「わ!」
思わず声が出てしまった。
最初はアメコミヒーローのフィギュアかと思った。三〇センチ程度の全身黒タイツを着た人間が現れたからだ。体のラインから女性であることがわかるが、顔はプロレスラーが着けるような黒いマスクで完全に覆われていた。目元も口元も隠され、素顔が全く見えない。
『これが私の姿。実体じゃないよ。君たちだけに見えるよう、調整している』
話しながら、わずかに顔や手が動く。少しチラついているように見え、実体ではなく映像だというのは、ウソではないように思える。
『じゃあ遅くなったけど、自己紹介させてもらおうかな。私はヴィオレッタ。A級サイキッカーさ。玄葉冬馬、パウラ・ヴェルメリオ。君たちを守るのが私の使命だよ』