第3話 燃えよサイキック(8)
落ち着け、落ち着け、落ち着け。
冷や汗が流れるのを感じながら、俺は必死に頭の中を整理しつつ、ヴィオレッタとパウラとテレパシーで会話する。
あいつは本気だ。俺たちがこの場からテレポートで逃げ出しても、確実にこの場にいる無関係の人間を殺す。
どうやって止める? 今すぐあいつの元へテレポートして、ヤケド覚悟でカラスを捕まえるか? だがそんなので、火球による爆発を防げるか? 爆発が起きれば、結局は無関係の人が死んじまうんじゃないか?
俺のサイコキネシスで、奴の火球を止めるか? いや、その前に、そもそも炎を止められるのか? 燃焼も、詰まるところは酸化反応だ。サイコキネシスが物質を操作できるのなら、炎だって止めたり跳ね返したり、できるんじゃないか?
『冬馬の考え通りだよ。今の冬馬レベルのサイコキネシスなら、炎だって止めることができる』
ヴィオレッタに教えられ、俺は安心した。
だったら俺が火球を止めれば、その間に無関係の人たちは避難でき……
『ただ、確実に止められるのは普通の炎だったら、の話なんだ。サイキックによって発生した炎は敵の意思が介在している。それを冬馬のサイコキネシスで止められるかどうかは……正直、わからない。そしてその炎がガソリンに引火しての爆発となると……規模が大きすぎておそらく冬馬では止められない』
なんだよそれっ!
残念そうなヴィオレッタの言葉で、俺は目まいを覚えた。
『ど、どうする、冬馬、どうしよう!』
パウラが動揺している。心の声に加え、じっとりと汗ばんだ手の感触からもそれがわかる。
『私の都合だけで言えば、君たち二人の命を守ることが最重要。今すぐここからテレポートで逃げ出してくれるのがベストな判断ということになる』
ヴィオレッタの声が伝わってくる。
『玄葉冬馬。パウラ・ヴェルメリオ。君たちはどうする』
『何の罪も無い人たちを、あいつの犠牲にするわけにはいかない』
脳裏に消防服を着た父さんのイメージが浮かび、自分でも意外なほどすんなりと答えが出た。
『みんなを助けられる可能性が高いのは、俺がサイコキネシスで火球を止めるのに専念することだと思う。その間に、避難してもらう』
『君ならそうすると思ったよ』
ヴィオレッタの感情が直接心に伝わってくる。俺の選択を支持しているのを感じる。
『じゃあ、私は冬馬と一緒にいる。危なくなったらテレポートで……』
『いや、そうじゃない!』
俺はパウラを止めた。
『俺が火球を防いでいる間に、パウラはこの場にいる人たちを全員、テレポートで安全な場所まで避難させるんだ。車ごとでも構わないから、できる限り早く。俺を逃がすのなんて、最後でいい』
『でも!』
『パウラが信頼できるパートナーだから頼むんだ! みんなを助けるんだよ! 俺とパウラで! サイキックを、人を守るために使うんだ!』
『……わかったっ』
この会話は、時間的には一秒にも満たないものだったと思う。俺たち三人の精神がダイレクトに繋がっているからこそ、可能なことだった。そうしていなければ、ぐずぐずと決断できずにいる間に火球で攻撃され、俺たちは爆発に巻き込まれていただろう。
『焼け死ねよォォォーッ!』
オウロの叫びとともに、巨大な火球が給油機に投げつけられる。俺たちではなく、スタンドを狙うのが嫌らしい。
気が付くと、パウラとともに給油機の目の前にテレポートしていた。パウラの唇が素早く俺の唇に触れ、すぐに離れた。同時に、ずっと繋がれていた手も離れる。
「トーマ、ダイ好キッ」
という声が耳から入り、
『冬馬、みんなを避難させたら、すぐ戻るからね! 絶対一緒に逃げようね!』
という思念が頭に流れ込む。
その直後、パウラの気配が消えた。みんなを助けるためにテレポートしたことは、言うまでもない。
わざわざその様子を目で確認する余裕は、俺には無かった。火球が迫っていたからだ。
「おおおおおおおおおぉぉぉぉっ!」
左手で右手首をつかみ、右手の平を上空へ広げて叫びながら、全集中力を込めてサイコキネシスを使う。屋根の上にいるカラスから投げつけられた火球は、給油機の前に立つ俺から一メートルほどの位置で動きを止めた。
『何ぃっ!』
オウロの心の声が聞こえる。なんとか止めたのか!?
『いや、冬馬! 完全に止まったわけじゃない! じりじり押されている!』
ヴィオレッタの言う通り、火球は少しずつ少しずつ、俺に近付いてきている。完全に止められたわけじゃない! 奴のサイキックで押し込まれている!
『無駄なあがきをォォ!』
オウロの心の叫びが頭の中に流れ込んでくる。俺と同じくらい、奴も必死だ。
「おおおおおおおっ! んぎぎぎぎぎっ!」
止める、止める、止めるっ!
俺を狙ってきた奴のせいなんかで、誰一人として死なせるわけにはいかないんだ!
炎を消したり、別の方向へ弾き飛ばせたりできれば良いのだが、そんな器用な真似はできなかった。すべてのサイキックを注ぎ込んでも、どんどん接近してくる炎の塊の動きを抑えるのがやっとだ。
『冬馬、奴も相当消耗してる。あのカラスの体じゃあ、この攻撃が最後だと考えていいはず! ここさえ耐えれば、なんとかなる!』
「ぎいいいいぃぃぃぃっ!」
テレパシーで伝わるヴィオレッタの意思に対して、俺は叫ぶことしかできない。
熱っ! 熱い!
火球はもう、俺から五〇センチ程度までじりじりと距離を詰めてきた。炎の熱が、上方へ向けて広げた右手の平を焦がし始めている。熱傷の痛みを紛らわそうと、俺はとにかく叫んだ。
「くっそおおおおおぉぉぉぉっ!」
負けるか、負けるかこの野郎! 何のためにあるのか、ずっとわからなかったチンケな能力が! 今、やっと、役に立ってるんだ! 人を救うためにっ!
罪の無い人を助けるっ! 好きな子も助けるっ! 未来がどうなるとか関係ない! 今、助けたいから助けるっ!
歯を食いしばって右手の痛みに耐えながら、横目で周囲を見回す。さっきまでスタンド内にいた自動車は、ほとんどが消えていた。
残された自動車は一台。幼い兄弟が後部座席で肩を寄せ合っている。パニック状態になっている若い母親を、半ば無理やりパウラが運転席へと押し込んでいるのが見えた。その目には涙が浮かんでいる。
『早く、早く、冬馬を!』
そんな心の声が聞こえた次の瞬間、自動車ごとパウラの姿が消える。無事にテレポートしたらしい。
もう少し、もう少しだっ!
だが、わずかに気が緩んだせいなのか、炎は勢いを増した。
「がああぁぁっ!」
火球が俺の右手に触れるか触れないかの距離まで接近する。右手の火傷が激しくなり、俺は苦悶の声をあげた。
右手だけじゃない、髪も、腕も、衣服も、焼け始めている。
『殺す殺す殺す殺す殺すッ! 貴様だけでも、焼き尽くすッ! それで俺の勝ちだッ』
オウロの悪意が頭の中に響く。大したもんだよ、その執念!
「おおおおおぉぉぉっっ!」
痛みに耐えながら脳裏に浮かぶのは、この俺の力は、今この瞬間のためにあったのではないか、という考えだった。
パウラと、ガソリンスタンドにいた人たちを助けられたのなら、それでもう、充分なんじゃ……。
『ダメだよ、冬馬!』
ヴィオレッタの声が聞こえる。
『君は、今このときのためだけに生きてるんじゃない。今、君の中に芽生えてるものが、ずっと先に受け継がれていくんだ。だから、絶対にここで君を死なせはしないっ!』
そう励まされた瞬間、
「トーマッ!」
目の前にパウラが現れた。泣きながら俺の胸に飛び込んでくる。
ああ、助かった……! すぐにテレポートしてくれる……。
だが俺が味わったのは、すっかり慣れたテレポートとは異なる感覚だった。場所を移動したわけじゃない。ただ、何か強烈な光が突然発生し、周囲を包んでいる。目を開けていられないっ!
………………。
気が付くと、俺はパウラに押し倒される形でコンクリートの地面に転がっていた。
……火球はっ!?
俺はすぐに体を起こし、前方を見た。
火球は依然として、目の前にある。しかし、爆発は起きていない。
やがて、完全に動きを止めるどころか、徐々に給油機から離れていく。
……サイコキネシスで押し戻されている! 俺じゃないぞ!
「……君たちにキスしてもらったのは、将来君たちが結ばれる因果性を高めるためだったんだ」
そんなことを言いながら、黒いコスチュームに身を包んだ女性が、俺たちをかばうようにして火球の前に立っている。
なんで、なんで、どうやって!
俺もパウラも、彼女の後ろ姿を見ながら口をパクパク動かすことしかできない。
「とはいえ、キスしようが体を重ねようが、因果性は高まっても決定打にはならない。結局のところは、心だったんだねぇ。君たち二人の心が命の危機を前にして強く結びつくことで、私が誕生する未来が確定した」
よくわからないことを口にしているその声は、聞きなれたものだった。だが、頭に響いてくるわけではない。テレパシーじゃない! 本当に話している!
「ヴィ、ヴィオレッタ!」
「映像じゃない、本物なのか!?」
「ナンデ? ナンデ?」
「実体化したってことかっ? どうやって……」
疑問を口にする俺たちに対し、ヴィオレッタが振り向いた。相変わらずマスクをしていて顔が見えない。
だが、すぐにマスクが部分的に解除され、
「だから、愛の力だよ」
褐色の肌をした女性が、俺たちに微笑を浮かべて言った。




