第1話 何かが殺しにやってくる(2)
二学期最初のホームルームが終わり、自分の席に突っ伏してぐったりしている俺に、龍田が話しかけてきた。
「どうしたどうした、元気ねぇな」
「疲れ果てた、朝から……」
「まあ、いろいろあったんだろうけどなぁ」
龍田の声は同情的だ。
結局あの後、俺とパウラは駆け付けた駅員に事情を聞かれ、次いでやってきた警察官にも状況を説明することになった。パウラの日本語が心許ない以上、もっぱら俺が話をせざるを得なかった。
幸い、鉄骨の落下による死者も怪我人も無し。駅の改修工事で使う鉄骨が何らかのアクシデントで落ちてきたのだろう、と警察官は言っていた。一歩間違えば大惨事だったわけで、工事業者の責任が追及されるかもしれない。
俺が気になったのは、鉄骨の状態だった。なぜか、先端がグズグズに溶けていたのだ。高熱を出す機械か何かの影響だろうか。
まあ、それはともかく。
警察から解放された時点で、すでに遅刻が確定していた。パウラと電車に乗り、学校に着くころには始業式がちょうど終わったところだった。それからも、職員室で先生に事情を説明したり、母さんから電話がかかってきたので話したり。
ホームルームのために教室に入れば、クラスメイト達の質問攻めが待っていた。すでに噂が広がっており「鉄骨が落ちてきたって本当?」「一緒に登校してきた外国人の女の子は誰だ?」「付き合ってるのか?」といった野次馬たちの質問に、仕方なく対応するしかなかったのだった。
「だるい。しんどい。そもそも目立つのが苦手なんだよ、俺は。『植物の心』のような人生を送りたい……」
「吉良吉影かお前は」
「まだお昼前だぞ。午前中だけで色々ありすぎだろ、今日。昼からはもう寝たい! 泥のように眠りたい!」
「オカ研はどうするんだ?」
「休む。先輩には連絡したよ」
「あっそ。じゃあ俺は先輩と二人きりでラブラブしとくわ」
「好きにしてくれ……」
龍田は軽口を叩くが、白瀬先輩との関係を進めるような度胸が無いことを俺は知っている。頑張ってほしいものだけれど。
教室では、他の生徒が下校したり、部活へ出る前に昼食を取ったりしている。始業式の日だから、授業は午前中で終わりなのだ。
龍田には、俺のサイコキネシスで鉄骨を止めたことや、パウラの超能力のことも話しておいた方がいいだろうか。クラスメイトがいる以上、ここでは話せないが……。
ていうか、これから帰るにしても、パウラはどうしよう。隣のクラスに編入になったのだが。
と、俺が疲れた頭で考えていると、教室のドアが勢いよく開いた。
「トーマ! イッショに帰ロ!」
教室中に響く元気な声とともに、パウラが入ってきたのだった。
パウラと並んで、駅までの道を歩く。
「~♪」
特に会話も無いが、パウラは何が楽しいのか、周囲の景色を見ながら鼻歌なんか歌っている。聞いたことのないメロディーだった。
パウラが教室に現れた後、クラスメイトの好奇の視線を感じながら、パウラを龍田に紹介した。
「パウラ・ヴェルメリオ、いいマス」
「龍田瞬です。初めまして」
「ヨロシク、シュン!」
笑顔でいきなり下の名前を呼ばれ、龍田がたじろいだ。わりと何があっても動じないタイプなのに、珍しい。
「なんか、距離感がすごい子だな」
「まあね……」
そんな俺たちの会話を聞いても意味がわからないのか、パウラは不思議そうな顔をしていたが、やがて俺の腕をつかんで言った。
「早ク帰ロ、トーマ。帰ッテ、トーマと、イッパイ、しタイ」
「したっ……! 何言ってんのっ!」
「お前、もうそんなことになってんの……?」
「違う! してない!」
動揺する俺を見たパウラは気が付いたようで、
「間違えタ。イッパイ話しタイ」
笑って訂正してくれる。クラスメイトたちがこちらをチラチラ見て、小声で話しているのが見えた。絶対誤解されてるぞ、これ!
で、いたたまれなくなった俺は逃げ出すようにパウラを連れて学校を出て、今に至るわけだが……。
駅前の蕎麦屋を物珍しそうに眺めているパウラの顔を見つめる。端から見たら、付き合ってるように見えるのかね。出会って一週間しか経っていないのに……。
警察や先生を相手にバタバタしている合間にパウラと情報交換してわかったのは、パウラもまた俺と同じような微妙すぎる超能力の持ち主……いわば超低能力者であることだった。
自ら告白してくれたように、パウラは生まれながらに瞬間移動能力を持っている。だが、移動できる距離は一回でせいぜい二メートル前後。おまけに、一日に二、三回テレポートすると疲れてしまうという。漫画やアニメのように、どこへでも瞬時に移動できるなんて便利なものではないのだ。
とはいえその能力で、鉄骨に潰されるかもしれなかった俺を助けてくれた。いくら感謝しても足りないくらいだ。
パウラもまた、俺のサイコキネシスを理解してくれた。鉄骨を止めたのが奇跡的であり、普段は一〇円玉を浮かせるのがやっとであると知ると、思いきり笑われてしまった。けれど、まったく不快ではなかった。
パウラが言ったように、俺と彼女は仲間だ。しょうもない超能力を持つ仲間。世界で一人きりなんじゃないかと思っていたので、仲間と出会えて単純に嬉しい。
それはパウラも同じようで、俺のサイコキネシスの話を聞きたがった。なので、早く帰って俺の家で話そうということになったのだ。人前でできる話ではない。
「ランチ、食べル?」
パウラが蕎麦屋の店頭にあるネギトロ丼セットのサンプルを指さしながら、俺に聞いてくる。食べたいんだろうなぁ。
「いや、今日はとっとと帰ろう。俺もパウラも、親が心配してるからな。お互いの家で適当に昼飯食ってから、俺の家に来ればいいよ」
「ウ~」
どこまで俺の言葉が通じたのかはわからんが、とりあえず外食せずに帰るということは理解してくれたようだ。パウラは名残惜しそうな顔でまだ蕎麦屋を見ている。
「また今度、一緒にごはん食べようよ」
俺が思わずそう口に出すと、パウラは一瞬きょとんとしたが、
「ハイ!」
と、嬉しそうに言った。
あれ、ひょっとしてなんかデートの約束を取り付けたみたいな感じになってる……? ま、いっか。
俺たちは電車で最寄り駅まで行き、そこで降りると、てくてく歩いて家へと向かう。
ああ、もう少しでゆっくり休める……。そんなことを思いながら近所の公園の前を通りがかったときだった。
『見つけた』
知らない男の声が聞こえた、ような気がした。俺は足を止め、周囲を見回す。
が、パウラの他には公園の中に野良らしき白い中型犬がいるだけで、誰もいない。パウラも俺と同じようにキョロキョロしているので、
「今、声が聞こえたよな?」
「ハイ」
俺の問いに、パウラはやや戸惑ったような様子でうなずいた。
俺の空耳ではないようだ。しかし周囲には俺たち以外、野良犬しかいない。二人そろって空耳が聞こえるなんてことあるだろうか?
「……気にしてもしょうがないか。帰ろうぜ」
パウラにそう言って再び歩き出そうとしたが、
『玄葉冬馬とパウラ・ヴェルメリオだな』
再び聞こえた声で、動きを止めざるを得なかった。
俺とパウラは慌てて辺りを見る。やはり、誰もいない。だが、空耳なんかじゃないことは確実だ。はっきりと名前を呼ばれた。
それに、上手く表現できないが耳を通して聞こえた声ではない、という感覚があった。頭の中に直接聞こえてきたような……。
精神感応。
そんな言葉が頭に浮かんだとき、
『まだわかんねーのか、ウスノロ。お前ら以外、他にこの場にいるのは俺だけだろうがよ』
嘲るような口調の声。間違いなく、頭の中に聞こえてきている。
俺とパウラは顔を見合わせた。パウラの表情に、恐怖の色が見えた。たぶん、俺も同じような顔をしている。
やがて、公園から出てきた野良犬が一歩一歩こちらへ近付き、俺たちの前に立ちふさがった。俺は野良犬から目が離せなかった。
信じられないが、声の主は、こいつだ。この野良犬が、俺たちに語りかけてきたんだ!
野良犬は、明らかに俺たちに敵意を向けていた。しかも、異常なのはテレパシーで話すことだけじゃない。
さっきまでと違い、両前足が燃えている。比喩じゃない。前足の先で、炎がメラメラと赤く燃えている!
朝に見たものを思い出す。駅前で落下してきた鉄骨。その先端は高熱のせいか溶けていた。鉄骨の落下も、ひょっとしてこいつの仕業なんじゃないか?
だとしたら、こいつは、俺たちを……!
そこまで俺が思考した瞬間、野良犬が飛び掛かってきた。俺はとっさにパウラを公園の中に突き飛ばし、その勢いで自分自身も地面に転がった。
「キャッ!」
パウラが悲鳴をあげて倒れ込んだが、無事なようだ。俺もなんとか、野良犬の攻撃はかわすことができた。砂が少し口の中に入ったけど、それどころじゃない。
「公園の中に入ったのは、失敗だったかな……」
俺は体を起こしながらつぶやいた。
野良犬が、公園の入口で俺たちを睨みつけている。
入口以外は植え込みで囲まれており、逃げようにも時間がかかる。反対方向だと自動車が通って危険だと考えてパウラを公園の中へ突き飛ばしたのだが、結果として閉じ込められてしまった。
『意外と素早いじゃねーか。しゃらくせぇ』
ヤバい。この野良犬が何者なのかさっぱりわからんが、とにかくヤバい!
鉄骨を落としてきたのもこいつだとしたら、本気で殺しに来ている。狙いが俺なのか、パウラなのか、それとも両方なのか、まだわからないけれど。
何かないのか、ここから逃げる方法は!
愛読している異能バトル漫画を必死に思い出す。
が、そもそも敵の能力がはっきりとわからんから、役に立ちそうもない! 炎を使うのは見た目通りだろうが、射程距離や威力が全く不明なのだ。どないせぇっちゅうねん!
ふと、両足に炎を宿した野良犬が、銀色の首輪のようなものを付けているのが見えた。さっきは気が付かなかったが、あんなの付けてたのか。どうでもいいけどさ……。
「トーマ……」
いつの間にか立ち上がっていたパウラが、俺の左手をそっと握ってきた。柔らかい手が震えているのがわかる。女の子に手を握られても、ドキドキするどころじゃない。今は命の危険でドキドキだぜ、もう!
『パウラ・ヴェルメリオ。お前、テレポートを使ってこの場から逃げ出す方法を考えているな?』
「っ!」
野良犬の言葉に、パウラが動揺するのがわかった。
『玄葉冬馬と一緒に逃げる方法を考えている。お前らのしょぼい能力、こっちは把握済みなんだよ。小さなものしか動かせない念動能力に、二メートルぽっちの瞬間移動。そんなもん、クソの役にも立ちやしねぇ』
俺は口汚い犬に怒りを覚えた。いかん、落ち着け。命の危機なんだぞ。どうするべきか、冷静に考えろ。
テレポートを使うのは良いアイディアにも思えたが、奴の言う通り二メートルの移動では、結局すぐ追いつかれる。
不意を突いて逃げ出しても、結果は同じだ。
大声で助けを呼ぶ? その瞬間に飛び掛かられる。
しょせん野良犬だし、多少の火傷を覚悟して戦うか? ……鉄骨をグズグズに溶かしたのが奴だとしたら、つかみ合いになったりしたら確実に焼け死ぬのでは?
だめだ、死ぬ。何か行動を起こせば、確実に殺される。
だから、ここは。
俺はパウラの右手を強く握りしめながら、カラカラに乾いた口を動かした。
「なんなんだよ、いったい。お前は何者なんだよ。なんで俺たちを狙う?」
とにかく話す。話して、少しでも相手の情報を得る。それでなにかこの場を切り抜けるヒントを得られるかもしれない。
あるいは、話している間に人が通りかかったりして相手の気が散れば、その隙にパウラのテレポートで脱出できる可能性も出てくる。
今はただ、話を引き延ばす!
『言う必要はねぇ。お前らを殺す。それだけだ』
「お前らってことは、俺とパウラ、どちらも狙ってるってことかよ」
『……小賢しいガキだな! どうせここで死ぬんだから、そんなこと知っても意味無いだろうが!』
野良犬の声の中に苛立ちが混じってきた。あれ、失敗したか?
『もういい。とっとと焼け死ね』
そう言うと、野良犬が口を開けるのが見えた。
何か来るっ! 死ぬ!!
そう思った瞬間、野良犬の口から猛烈な炎が吐き出されるのが見えた。……いつの間にか、違う角度から、だ。
すぐにパウラによるテレポートで左に移動したのだと気が付いた。元の場所にいたら、確実に火傷を負っていただろう。
『フン、テレポートでかわしたか』
「ハァ、ハァ……」
俺の手を握ったままのパウラの息遣いが荒くなっているのを感じる。
パウラは、一日二、三回テレポートすると疲れてしまうと言っていた。これで今日すでに三回目だ。無理をしてテレポートを続ければ奴の攻撃をかわすこともできるだろう。しかし……。
『まあいいさ。E級能力者のお前に、そう何度も使えるものじゃないのはわかっている。いつまで続くかな?』
E級能力者、という言葉に引っかかったが、野良犬はお構いなしに再び炎を吐く。パウラが俺と一緒にテレポートでかわす。また炎を吐く、またかわす。
そんなことが三度続き、
「ハッ、ハァッ……!」
疲労がピークに達したのか、パウラは地面に片膝をつき、立ち上がれずにいる。息が完全に上がっていた。それでもなお、俺の手を離しはしない。
「パウラ、もういい。もういいよ……」
俺は泣きそうになっていた。同時に、敵への怒りも湧いてきた。なんで俺たちが、こんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだ!
『そろそろ限界か? 楽にしてやるよ』
この野郎……!
俺は憎たらしい犬をにらみつけた。
しかし、どうすることもできないのが現実。もう、こうなりゃヤケだ。何もせずに死ねるか!
「誰か助けっ、」
犬に襲われるのを覚悟で、叫ぼうとしたときだった。
俺たちと犬の間の空間が歪んだように見えた。
「なっ!」
『!』
俺も犬もそちらに注意を向ける。空間の歪みはバスケットボール程度の大きさだ。その範囲だけが漆黒の闇へと変わり、中から何かが現れる。
……銀の腕輪?
いたってシンプルなデザインをした銀色の輪っかが二つ、闇の中から現れた。やがて、銀色の輪っかは地面に落下し、同時に空間の歪みも消えた。
『アポイタカラだと……?』
犬の驚く声が頭の中に聞こえる。
アポイタカラってなんだ、と思った瞬間、地面に落ちた二つの輪っかがぐにゃりと生物のように動き、棒状に形を変えた。そして……信じられない速さで俺とパウラ、それぞれに向かって飛んできた!
「うおおっ」
「キャッ!」
俺自身とパウラの声を聞くのと同時に、右手首に妙な感覚があった。見ると、さっきの銀色の金属? がまた形を変え、腕輪のように巻き付いている。
なんだこれ……。
恐る恐る触ってみたが、ごく普通の金属のように思える。さっきいきなり形を変えたのがウソのようだ。
パウラはといえば、左の二の腕をしげしげと見つめている。そこに、やはり銀色の金属が巻き付いていた。なんなんだ、いったい。
『玄葉冬馬、パウラ・ヴェルメリオ』
俺とパウラは顔を見合わせた。また、頭の中に直接響く声で名前を呼ばれたからだ。だが、その声の主は炎使いの犬ではない。若い女性のものだった。
『今、あなたたちに取り付いた金属……青生生魂を利用して声を届けてる。詳しいことは後で説明するから、助かりたければ指示に従って。いい?』
「あ、ああ」
女性の声で、今が命の危機であることを思い出す。声の主は少なくとも敵ではないように思える。何がどうなっているのかわからんが、言うことを聞くほかなさそうだ。
パウラも女性の声に対し、うなずいていた。
『よろしい。じゃあ、君たち二人でキスしなさい』
「…………は?」
キス?
「キスって、どういう……」
『キス。唇を相手の唇に接触させ、愛情を示す行為。口付け。接吻。チュウ。ベーゼ』
「そういうことじゃない! なんでいきなり、そんな……」
俺は動揺しながら、パウラをちらっと見た。彼女もまた俺を見て、真っ赤な顔で、なにかごにょごにょと言っている。が、ポルトガル語なのでわからない!
『今は説明してる暇なんて無い。彼女もびっくりしてるけど、この状況を切り抜けるために必要なら、相手が君だったら良いって』
「いいっ!?」
『ほら、早く! ウダウダやってる余裕無いでしょ!』
その言葉で、俺は犬の方に視線を向ける。突然金属が出現したこともあり、奴は注意深く俺たちと距離を取って様子をうかがっているが、今にも襲ってくるかもしれない。
俺は覚悟を決めた。賭けてみるしかない!