第2話 ときめきに死す(7)
キスでサイキックを強化していないパウラは、せいぜい三回程度のテレポートで体力的に限界を迎えるはずだ。だが、今の尋常でない疲労の様子を見ると、限界を超えてテレポートを連発したのだろう。手当たり次第に、俺を探すために……。
「んんーっ!」
パウラ、と叫んだつもりだったが、声にならない。
「見つかっちゃったか。手荒なことはしたくなかったんだけど、しょうがないね」
女はそう言うと、ポケットから何か取り出した。……ナイフだ。
「死んでもらうっ」
ためらうことなく、一気にパウラへの距離を詰めて襲いかかる!
パウラッ!
心の中で叫ぶ俺をよそに、パウラはまったく予想外の動きを見せた。
軽く助走をつけると腰を落とし、低い体勢から両手を地に着ける。
その勢いのまま体を回転。
逆立ちするような体勢になり、丸見えになったピンクの下着に俺の視線は吸い寄せられた。
だが、それも一瞬だった。
パウラの脚が、向かってきた女の側頭部を直撃する。
「げっ」
女が呻き声をあげて倒れ込むのと、蹴りの勢いのままにパウラが着地して元の体勢に戻るのが、同時だった。
……なんだ、今の動き。回避と攻撃が一体になった、踊るような蹴り。パウラのしなやかな動作に、俺は見惚れてしまっていた。
パウラはすぐにナイフが地面に落ちているのを確認すると、それを拾い上げた。女は起き上がってくる様子が無い。
「フー」
パウラは一息つくと、こちらを見た。
「トーマ!」
そう叫び、俺に駆け寄ってくる。
「助けル、今、助けルヨ」
涙ぐみながら、真っ先に俺の口に貼られたテープをはがしてくれた。
「痛ててて。ありがとう、ありがとう、パウラ。助かった……」
「ウン」
「でも、なんだよ今の動き。なんか凄かったんだけど」
俺が笑ってそう言うと、
「メイア・ルーア・ジ・コンパッソ言うヨ。カポエイラの技だヨ」
「カポエイラ!」
ブラジル発祥の格闘技だ。パウラがそんなの使えたとは。そういえば俺の家で初めて会ったとき、母さんとパウラはなんだか踊っているように見えたが、あれはカポエイラの動きだったのだろうか。
「トーマ、良かっタ、無事で……」
パウラに優しくそう言われた瞬間、俺の目から涙がこぼれた。
「エッ!」
「ああ、いや、これは! ……なんでだろうな」
パウラだけでなく、俺自身もびっくりしてしまった。
「なんだろう、助かった安心感もあるんだけど、たぶん、自分が情けないんだ、俺は。パウラに助けられて、先輩にも迷惑をかけて、情けない……」
涙声でそう言いながら、ますます自分が情けなくなってくる。
俺がパウラを守るつもりでいたのに、現実は逆じゃないか。しかもパウラはあんなキックできるくらいで、たぶん俺より強い。喧嘩したらきっと負ける。
なんなんだよ、俺は。なんなんだ……。
「アー、ンー」
わかっているのかいないのか、パウラは困ったような顔をしていたが、
「ヤー!」
突然、俺を抱きしめてきた。
「わっ、ちょっ!」
「トーマ、元気出ス。言ってルコトわかんなイけど、私、嬉しいヨ。トーマ生きてテ」
そう言いながら、俺の背中をぽんぽんと叩く。
「……うん」
ちょっと驚いたが、拒否するものでもない。
俺だって嬉しいんだ。パウラの体温を感じて、彼女の言う通り元気が出てきた気がした。
「……ジャア、縄ほどいたゲル」
パウラは俺から離れるとそう言って、
「ナイフで切っタ方がいいカナ……ヤァーッ!?」
急に叫んだ。彼女の視線は、俺の股間に向けられていた。
「トーマナニしてルッ!?」
パウラは顔を真っ赤にしてそれを見ていた。耳を舐められるわ体をまさぐられるわパウラに抱きしめられるわで、けっこう、その、元気になっている………。
「やめてやめて! じっと見ないでくれ! 早く縄をなんとかしてくれよ! しまうから!」
……落ち着いた後、パウラに手足の拘束を解いてもらい、俺はズボンを履き直した。そしてパウラとともに、いまだ倒れ込んでいる女……白瀬先輩の肉体を乗っ取った刺客に、警戒しながら近付いた。
まずは俺のアポイタカラを取り返す。ぐるぐる巻きにしていた紐のようなものは、パウラとのキスで強化されたサイコキネシスで破壊した。
久しぶりに手首に装着した瞬間、
『やれやれ、今回は危なかったね』
と、ヴィオレッタがテレパシーで話しかけてきた。
『大変だったんだからね。君と連絡が取れなくなったことに気が付いて、アポイタカラを奪われたんじゃないかと推測して。そこからパウラに授業を抜けてもらって、手当たり次第探してもらって……』
「悪かったと思ってるよ」
パウラの疲労の具合を思い返すと、相当無理をさせてしまったはずだ。
「あとは、こいつをどうするか、だな」
俺たちは、気を失っている先輩の体を見下ろした。
露わになった太腿にはアポイタカラが巻き付いている。俺が先輩の太腿を触るのも問題なので、パウラがアポイタカラを引きはがし、手渡してくれた。逃げ出さないようにしっかりと握りしめる。
今のところ、抵抗する気配はない。先輩同様に、こいつも気を失っているのか。
「えーと、アポイタカラに憑依してる状態のこいつと会話できるの?」
『私のテレパシーを通してなら』
ヴィオレッタに教えてもらい、俺は女の精神が憑依したアポイタカラに話しかけてみる。
「おい、起きてるのか、おい」
『……んんっ? ……はっ! 玄葉冬馬!』
意識を取り戻した女の声が聞こえ、アポイタカラがじたばたと動く。だが俺の手から逃れることはできない。無駄な抵抗だった。
「あきらめろ。お前の負けだ」
『くっ……。わかったよ』
アポイタカラが抵抗を止め、おとなしくなった。
先輩の肉体を操っていたときは当然先輩の声だったが、今、俺の頭の中に聞こえてくる女の声はまったく別人のものだった。
「お前には、聞きたいことが山ほどあるんだ。やってもらいたいこともな」
こいつからは、可能な限り情報を引き出す必要がある。こいつだけじゃない、ヴィオレッタからもだ。
「……あれ? 玄葉くん? パウラちゃんも」
保健室のベッドで、白瀬先輩が目を覚ました。
「大丈夫ですか、先輩」
「よかっター」
ベッドの脇に置かれた椅子に座り、俺とパウラは胸をなで下ろした。
あの後、どうにかこうにか二人で先輩を保健室まで運んだのだ。
「うん、大丈夫。あたたた、ちょっと頭痛い。あれ? ここは……保健室か。私、なんで保健室にいるんだっけ」
「アー……」
ぼんやりとした口調でつぶやく先輩に対し、パウラが申し訳なさそうな表情をした。
サイキッカーに操られていた先輩から俺を助けるためにパウラがあなたの頭を思いっきり蹴り飛ばしました、とは言えるわけがない。
「覚えてませんか? 先輩、階段から転んで落ちちゃったんですよ。そのときに頭を打ったみたいです」
俺が刺客の憑依したアポイタカラを拳の中で握りしめながら言うと、
「あー、そうだっけ。あまり覚えてないなー。記憶飛んじゃってるのかな」
先輩は俺の説明に納得しつつ、体を起こした。どうやら、先輩の記憶の操作はうまくいっているようだ。
アポイタカラに精神を憑依させた刺客の女は、ジルバラと名乗った。テレパスであるジルバラであれば、さっきまで寄生していた先輩の記憶を操作できるだろう、というヴィオレッタの助言を受け、まずはとにかく先輩のここ数日の記憶をジルバラに操作させることにした。
あまり極端な操作をしても周囲の人間の記憶とギャップが生じてややこしいことになるので、ぼやけさせるというか、曖昧にする感じだ。
「大事を取って、病院に行った方がいいと思いますよ。親御さんに連絡して、迎えにきてもらったほうがいいんじゃないですか」
「ソウダヨ、頭は危ないヨ、ウン」
先輩の頭にダメージを与えた張本人が、俺に続いて心配そうに言う。
「そうだね、そうするよ。二人が保健室まで連れてきてくれたの?」
「ええ、まあ」
「そっか、ありがとうね」
先輩は力なく微笑んだ。その笑顔を見て、俺は決意を新たにする。
記憶を操作するなんて決して褒められたことではない。だからといって、有りのままの記憶を残すわけには絶対にいかない。俺たちの身の安全のためにも、先輩自身のためにも。
俺たちを狙うだけでなく、そのために無関係の人間を巻き込むやり口は許せない。
これまで俺は、自分とパウラが生き残ることばかり考えていた。だけど今は、ジルバラというよりも、彼女を含めた組織全体に怒りを感じている。
標的である俺たちだけじゃなく、何も知らない人間までも利用する、紛れもない悪。
なぜ俺たちがそんな組織に狙われるのか。俺は知りたい。知らなきゃ、納得できない。
先輩を残し、俺とパウラは学校を出て一緒に帰ることにした。いったん俺の部屋で、ヴィオレッタやジルバラも含めて話し合う必要がある。ジルバラが憑依したアポイタカラが逃げ出さないよう、俺の左手はずっと握りしめられたままだ。
道中、ほとんど会話は無かった。周囲の人間に聞かれるわけにはいかないという事情もあったし、俺が頭の中を整理したかったというのもある。
ジルバラが口走ったことから推論を積み重ねれば、ヴィオレッタが俺たちに隠していたたことの見当がつく。俺の推論が正しいのか、彼女たち自身に確かめなければならない。
「おう、冬馬お帰り。お、パウラちゃんも一緒?」
パウラを連れて家に帰ると、リビングでゴロゴロしながら再放送の刑事ドラマを見ていた父さんが迎えてくれた。
平日の夕方だというのに家で怠惰に過ごしているが、別に父さんは無職というわけではない。父さんの職業は消防士だ。今日は非番で、丸一日休みなのである。
「コンニチハ。お邪魔しマス」
パウラがにこやかに挨拶すると、「おー、いらっしゃいいらっしゃい!」と父さんが愛想よく返事をした。
「ちょっと俺の部屋で話すから、入ってこないでくれよ」
俺がそう言ってパウラを連れてとっとと二階へ上がろうとすると、
「はいよ。……パウラちゃんに変なことするなよ。ヴェルメリオさんに申し訳が立たないんで」
「し、しねーよっ!」
動揺しながら父さんに言葉を返した。どこからを『変なこと』と言うのかわからんが、ある程度のレベルのことは既にやってしまってる気がする……。
部屋に入ると、俺たちは腰を下ろした。そして俺はずっと握りしめていた手を開く。そこから銀色の金属生命体がにゅるんと動き、テーブルに登ると動きを止めた。
『やれやれ、やっと自由になったわ』
ジルバラの声が頭の中に響く。
「わかっていると思うが、あんたを逃がしはしないぞ。情報はとことん提供してもらう」
『はいはい。どうせ、組織に戻ったところで安全だかわかったもんじゃないからね』
『言っておくけど、すべてを冬馬たちに話してもらっては困る』
そんな声とともに、ヴィオレッタがテーブルの上に姿を現した。例の、フィギュア程度の大きさの立体映像だ。
『冬馬たちが情報を知りすぎては、困るんだ。ジルバラって言ったね。あなたもわかるでしょ?』
『あんたは! ……あんたがここに来ていたのか』
ジルバラが驚く。二人は知り合い、というより、ジルバラがヴィオレッタを一方的に知っている関係のように感じられる。
『ストップ! 冬馬たちに余計な情報を与えないで。彼らにどこまで明かすかは、私が判断する。私たちのためにも、彼らのためにも』
『……わかったよ』
ジルバラの憑依したアポイタカラがくねくねと動いた。
「あんたら、勝手に決めてくれるな。俺らにだって知る権利ってのがあるんだよ」
俺が抗議すると、ヴィオレッタは申し訳なさそうに言う、
『もちろん、君たちの命を守るのに役立つ情報は知らせるよ。けど、知らせるわけにはいかないことだってあるの。わかって』
「それは……」
ヴィオレッタが俺やパウラを守りつつ、与える情報を制御しようとしている理由。最初は納得できなかったが、今なら理解できる。ジルバラが俺を襲ったときに口走ったことが最大のヒントになった。
「あんたらが、未来からやってきたからか? 俺とパウラが必要以上の情報を得ることで、未来が変わることを恐れているんじゃないのか?」
『っ!』
ヴィオレッタが息を呑むのがわかった。
「ミライ?」
パウラが俺の言葉を繰り返す。
「そう、未来だ」
俺の推論が正しければ、ヴィオレッタも、ジルバラたち刺客も、未来から時空を超えて送り込まれてきたんだ。