第2話 ときめきに死す(6)
頬をぺちぺちと軽く叩かれる感触で、俺は目を覚ました。
「おはよう、玄葉くん。といっても昼間だけどね」
「んー! んー!」
状況を思い出し、叫ぼうとした。が、声が出ない。口にガムテープか何かをべったりと貼り付けられている!
自分の置かれた状況がわかってくる。手も足もロープらしきもので縛られて動かない。そんな状態で、俺は床に転がされていた。青空が見えるってことは、ここは屋上なのか?
そして、スタンガンを手にした白瀬先輩が勝ち誇った顔で俺を見下ろしている。
「君がなびいてくれないから、ちょっぴり強引な手に出ちゃった」
そう言って先輩が妖艶に笑う。
どこがちょっぴりだ! と叫ぼうとしたが、口に貼られたテープのせいでもごもご言うことしかできない。
とにかく、スタンガンの攻撃で意識を失い、拉致されたということは理解できる。俺だって馬鹿じゃない。白瀬先輩がこんなことをするはずないってことはわかった。
目の前のこの女はおそらく、先輩の姿をしているが先輩じゃない!
「ご明察」
先輩が言った。……俺は何も口に出していないぞ!
「私はB級精神感応能力者でね。君の心を読むくらいは、わけないの」
そう言いながら、先輩は自らの制服のスカートをゆっくりめくり上げる。
何やってんだ! と思ったが、俺の目は先輩の太腿に釘付けになった。銀色の金属……アポイタカラが巻き付いていたからだ。
「この子の肉体は乗っ取らせてもらったわ」
こいつも、俺たちの命を狙いに来た刺客だ。野良犬に取り付いたのとは別の奴!
「そうそう。理解が早くて助かるな、玄葉冬馬くん」
先輩……いや、先輩じゃない。女はスカートから手を離し、クスクス笑う。
拉致されたのはピンチだ。ピンチだがおそらく、ヴィオレッタだって異変に気が付くはずだ。それに、六時間目の授業に俺が出ず姿を消したのだから、先生やクラスメイトだって……。
「ヴィオレッタというのは、こいつのことかな?」
そう言って女が俺に見せつけてきたのは、紐のようなものでぐるぐる巻きにされたアポイタカラだった。
「君の手首に装着されていたアポイタカラは取り外させてもらったよ。君の味方のサイキッカーは、しばらくは気が付かない。あと、君のスマホも預かったからね。お友達には、気分が悪くなったから六時間目は保健室で休むって連絡しておいたよ。ついでに言えば、パウラ・ヴェルメリオは別のクラスだから、彼女も君の不在に当面は気が付かないと思う」
……。
「お察しの通りここは学校の屋上なんだけどね。入口のドアの鍵は閉めたから、しばらくは誰も来ないはずだよ。それから、制服のポケットに入れていた、スチール製の弾? あれは捨てちゃったからね。護身用のつもりだったのかなぁ。かわいいねっ」
先輩の整った顔で、女は勝ち誇ったように俺を見下ろしてきた。
……悔しいが、完全に詰んでいる。今の俺の弱いサイキックでは、この場を切り抜けることはできない。俺はこのまま殺されるのだろうか……?
「ああ、君を殺したりはしないよ?」
えっ?
女の意外な言葉に、俺は戸惑った。
「オウロ……あ、名前言っちゃった。まあいいか。以前君を襲ったサイキッカーは、私の仲間なんだけどね。彼は手っ取り早く君たちを殺すことで目的を果たそうとしているの。でも、私はそんなことはしない。殺しちゃうと何かと後始末が大変だし、どうなるかわかったもんじゃないし」
そう言うと女はしゃがみこみ、吐息が感じられるほど俺に顔を近付けてきた。
「私の能力は心を読むだけじゃない。催眠能力……強烈な暗示をかけることが得意なんだよね~」
なんだ、どういうつもりだ。
もごもご言っている俺を尻目に、女はさらに顔を近付け……俺の耳を舐めた。
「んーっ!」
悪寒が走り、思わず声が出た。が、口を塞ぐガムテープのせいで声にならない。
「んっ、んっ、んつ、ちゅる……、んはぁっ」
女は俺の耳を執拗に舐め回し、ときには口に含み、しゃぶってきた。
「んー! んんんーっ!」
嫌だ嫌だ、気持ち悪い! いや気持ちいいのか? わからんが、嫌だ!
耳が女の唾液まみれになるのを感じながら、俺は体を必死に動かして抵抗した。だが、手足の拘束のせいでほとんど意味が無い。
「はあぁっ……!」
女は俺の耳から離れると、淫らな笑みを浮かべ、
「かわいい反応だね。心は嫌がってても、体の方はどうかな~?」
そう言って、俺のズボンからベルトを外し、ゆっくりとジッパーを下げる。
「んーっ! んーっ!」
やめろやめろやめろ! マジで! この痴女!
「痴女でけっこう。自覚はあるんで。……お、やっぱり大きくなってるじゃない」
「んっ!」
女の言う通り、悲しいかなパンツ丸出しになった俺の体は、耳を舐められたことで興奮状態になっていた。なんだよ、何がしたいんだよ、もう……。
「ふふん、いいわ。教えてあげる。私の使える暗示には、条件があってね。セックスした相手を、完全に魅了することができるの。私以外を恋愛対象として見ることができなくなり、私の命令をすべて聞くようになる。私が暗示を解除するか、私が死ぬまで、永遠にね」
セッ……なっ……!
「まあ今回は白瀬秋穂の肉体に憑依しているから……このまま君と繋がると、君は白瀬秋穂だけに恋愛感情を抱くことになる。強制的に、ね」
「……っ!」
女の言葉を聞いた瞬間、パウラの顔が浮かんだ。
先輩のことは嫌いじゃないし、美人だと思う。だけど、嫌だ。こんなのは間違っている! 俺はもちろん、先輩だって!
「うふ。君はパウラ・ヴェルメリオに惹かれてるんだね。でも、この子は君が相手だったらいいんじゃないかな? 微弱な能力とはいえ、憧れのサイキッカーだもんね。君のことが気になってたみたいだよ。だから眼鏡を外して君に迫ったり、背中を押してあげたんだけど」
……あの先輩の変化もお前のせいだったのか。
「そういうこと。手始めに半分程度、この子の意識に介入してみたの。でも、脈が無さそうだったからね。こうして完全に意識を乗っ取り、強硬手段に出てみたってわけ」
なんで、こんなことをする? 俺を殺さずにこんなことをして、なんになるってんだ!
「味方のサイキッカーに聞いてないんだ。ま、そうかもね。いいわ、教えてあげる」
女は俺の体に覆いかぶさり、シャツの中に手を入れてくる。
「組織からの指令は『玄葉冬馬とパウラ・ヴェルメリオが恋愛関係になるのを阻止すること』だからよ。そのための手段は問わない。だからオウロは、手っ取り早く君とパウラの生命自体を奪おうとした。いっぽう私はこうして、君の恋愛感情を支配して別の人間に向けようとしている。北風と太陽みたいだよね~。太陽のほうがいいでしょ? 君も」
俺の上半身をまさぐりながら、女が囁いた。
「……っ!」
知らねーよっ!
「君にはかわいい彼女ができて、そのうえ命を狙われることもなくなるんだよ? 君もパウラも、もう怯えることなく、安心して生活できる。いいことずくめじゃない、ねえ?」
「……っ」
それは……。
いや、ダメだ! 心を他人に強制的に操作されてたまるかっ! 俺の心は俺自身のもんだ。先輩だってそうだ!
「あらあら」
だいたい、俺とパウラの邪魔をしてどうなるんだよ!
「ふふん、それはぁ……」
うっとりしながら俺の質問に答えようとしていた女が、突然はっとしたように表情を変えた。
「玄葉冬馬。あんた、思考を隠そうとしてるね。感情的になっていると思わせて、冷静に私の話を少しでも引き延ばそうとしている。そうして、パウラが助けに来る可能性に賭けているっ!」
……バレたか。
「圧倒的優位に立っている私が調子に乗ってると見たんだね。食えないガキめ」
ヴィオレッタのおかげで、多少はテレパシーでの会話のコツみたいなものがわかっていたつもりだったが、うまくいかなかったようだ。テレパス相手に思考を完全に隠せるものではないということか。
「あんたに味方しているサイキッカーなら、そろそろ異変に気が付いてもおかしくない。学校中を探すにしても、パウラにはテレポートがある。グズグズしてはいられないか」
女は先輩の顔で憎々しげに俺を睨みつけてくる。体を起こし、
「ここまでだよ、玄葉冬馬くん」
そう言って、一気に俺の下着をずり下した。当然、俺の股間が露出する。
「ふふん。経験ないんでしょ? 優しくしてあげる。生意気な子は嫌いじゃないからね」
「んんーっ!」
てめえの好みなんて知るか、バカ! ビッチ! 逆レイプ魔!
「なんとでも言って。すぐにパウラのことなんか忘れて、この子しか見えなくなるよ。一緒に気持ちよくなろう……?」
女がスカートを履いたまま、自らの白い下着を脱ぎ捨てた。マニアックだな!
「いくよぉ……」
「んむーっ!」
ちょ、ちょ、ちょっ……!
俺は必死に左右へ体を動かし、抵抗した。
「ああん、こら、無駄なことを……!」
女が俺の体を押さえつけた、そのときだった。
「トーマッ!」
待ちに待った声が聞こえた。
俺と女が、同時に声のした方向を見る。一〇メートルほど離れたところで、肩で息をしているパウラがこちらを睨みつけていた。
激しく疲労していることが表情でわかる。立っているのがやっとのようだった。