エピローグ。もしくはプロローグ
目の前に座って外を眺めている、小さな人の姿をした竜の子を、私は馬車に揺られながら眺めている。
その子は私と同じ顔を持ち、私が生まれる前に生まれ、私の身体の元となった竜の、その子供らしい。
なんとも不思議な状況だ。
魔王などと呼ばれる者から私は創られ、人ではない私は人の世界で育てられたが、それだけでも稀有な事柄なのに、目の前には私と同じ顔をしたまったく別の種類である生物が座っているのだ。
まったくもって自分の存在というものが理解できない。まったく訳が判らない。お前はおかしな物なのだということを突き付けられているようだ。
私を創った魔王はなんの為に私を創ったのか、私を育ててくれた親に訊いても答えてはくれない。両親共に知らないようだ。
ゼノが私を創ったのはなぜか。なんの為に私は生まれたのか。
自我を意識するようになって、つい先日までその事を自問している人生だった。
そう、つい先日まで。
フィオンの町から皇都へと出発する二日前、その日は私の誕生日であり、二十五歳を迎えた日だった。
誕生とは言うが、私は母体から生まれた訳ではない。魔王ゼノが粘土細工でも作るように形作られたらしいので、心臓が動き出した日を誕生日としたと母さんからは聞いている。
それが私の誕生らしい。
それまでは家族から「おめでとう」と言われ、ちょっとしたご馳走を食べるだけの、本当にささやかだった誕生日が、今年は大勢の人からの祝辞を貰うことになってしまった。
ヴェルさんの話では伯爵家の家族なのだからもっと大きな宴でも良いくらいだと言われたが、それは遠慮し、貴族としてはささやからしい宴となった。
それでも私達家族にとっては大掛かりな宴であり、眠るころには疲れさえ感じるほどになっていた。
その夜中、ベッドの中で目を覚ます。
足元に人の気配を感じ、その方向へ目を向けると、一体の魔族が立っていた。
その魔族には見覚えがある。
魔王ゼノだ。
二度程、親に連れられてゼノの城へと行ったことがあるが、その時に見たことがあるゼノの姿が、今、目の前に在る。
これは明晰夢というやつだろうか?
その証拠に、目の前のゼノは半透明で向う側が透けて見えている。
こちらをじっと見詰めていたそのゼノは、右腕をゆっくりと上げ、天を指差すと、言葉を発した。念話のように頭の中に響くが、その声は念話とも違っている。頭の中でなにかが声を出しているような、そんな不思議な声だった。
『星を見よ。近づいてくる星を見て考えよ。その星がなにを引き起こすのかを考えよ』
そう言うと、ゆっくりと消えていった。
私は朝まで同じ姿勢のまま、ベッドの上からゼノが消えたあたりを見ていた。
あれは夢だったのだろうか?
多分、違う。ゼノが私の頭の中に残した伝言なのだろう。
明確な証拠はないが、そう思える。
私を創っておきながら育てることを放棄し、その放棄した子へなにをさせようというのか。まったくもって理解できない。
しかも、その伝言はまったく意味が判らない。
星を見よと言うが、どの星の事を指しているのかも見当すらつかない。
私を捨て、その捨てた子へなにかをさせようとしていることに怒りすら覚えるが、それでもその伝言は無視することができないように思ってしまう。
ゼノは私の頭へ伝言を残したように、私の思考までをも、その事を考えるように細工でもしていたのかもしれない。
その日から私の自問は、自分の生まれた意味から、ゼノの伝言へと変わってしまった。
「アスラ、皇都には星を見る仕事というものがあるらしいが、どんな仕事か知っているかい?」
明晰夢のようなゼノからの伝言を聞いた後、その次の日の夕飯時には手掛かりを探していた。
皇都には星を見ることを仕事にしている人々がいると聞いたことがある。冒険者として旅をしていたアスラならば聞いたことがあるかもしれない。
「星? そんな仕事あるのか? 聞いたことはないよ。だいたい、そんな仕事、なんの役に立つんだ」
アスラは知らないらしい。
自分で皇都に出向いて訊いて回る他にないようだ。
「天文学といわれる学問として研究している人は居ますよ」
アスラの代わりにヴェルさんが答えてくれた。
訊く相手を間違えていたようだ。皇都に住んで、しかも貴族の令嬢であるヴェルさんへ訊くのが筋としては正しい。考えが及ばなかった。
「私の祖父が創った学問らしいです。父はその研究者達に資金援助していますね」
「へえ。白竜公がねぇ。星なんか見て、なんの役に立つんだ。貴族のやることは判らんな」
「あなたもその貴族になったのよ。いいかげん冒険者気分は抜きなさいよ」
ヴェルさんの言葉にアスラは肩を窄める。
「学問なんてそんなものよ。そのうちに何かの役に立つかもしれないくらいでなきゃ、なにも研究なんてできなくなっちゃうわ」
「そんなもんかねぇ」
「ヴェルさんのお爺さんは、どうしてそんな学問を創ったのですか?」
私の問いに少し考える間を置き、結局は「さあ? 判りませんね」と答えられた。
「でも、ヴェセミア様の手記には、ゼノ様や魔族の方々が別の星へと渡ったという記述があるのです。その記述から祖父は星に興味を持ったのかもしれませんね」
ここにもゼノが関係しているらしい。
手掛かりとしては、その伝手は辿る価値があるかもしれない。
アスラとヴェルさんの結婚式が皇都で行われるというのも、なにかの因縁なのだろうか。
皇都へと到着しても、式の日までは二週間以上はある。
私は白竜公からの紹介で、星の研究をしているという人との連絡をとりつけ、会う約束をすることができた。
驚いたことに人間の間ではこの星が球状であるという事実ですら、つい二十年ほど前に知られるようになったばかりということだった。
ヴェルさんの先祖であるヴェセミアなる人物は、二百年ほど前の人間だ。
この二百年間、人間というのはなんの発展もしてこなかったらしい。
とは言え、目の前に居る、白竜公から紹介されたこの人物は私などよりも空に浮かぶ星についての知識は豊富だろう。
「夜空に見える星の中で、この星へと近づいてくる星というものはありますか?」
「ん? 近づいている星? 惑星と呼ばれる星の中には近づいたり遠ざかったりを繰り返しているものがあります」
「この星と同じように太陽を回っている星のことですね」
そのことは既に知っていることだった。いつの間にか私の頭の中に、その知識があった。たぶんゼノが伝言を残したのと同じように、この知識もゼノが私の頭に入れておいたものだろう。
「ほお。よく知っていますね。その通りです」
ゼノが云った「近づいてくる星」とは、その惑星のことだろうか?
「これから一番早くこの星へと近づく星はどれですか?」
「第二惑星と呼ばれる星になります。最接近は三年後ですね」
ゼノが移住したと言われているハムト星は第四惑星のはずだ。
「この星は第三なのですよね? 第四が最接近するのはいつになりますか?」
そう問うとその人は山積みになっている書類の山を掻き分け、なにかを探しだす。目的の書類が見付かるまで、私は少しの間を待たなければならなかった。
「あった。これだ。……えーと。これでは……十五年と半年ほど先になりますね」
ゼノの云う星とは、それらの惑星の事なのだろうか?
二つの内のどれか、それとも二つ共に関係しているのか、はたまた別の星だろうか。
可能性がある星を一つ一つ調べる必要があるかもしれない。
これは面倒そうだ。
結局はこれといった手掛かりもないまま、その日は紹介された研究者宅を後にすることになってしまった。
「ロヒも魔王の星へ行くの?」
暇を持て余していたラプ君も私に付いて来ている。
アスラもヴェルさんも式の用意で忙しく、私もラプ君も暇な日々を過ごしている内に、私達は一緒に居ることが多くなっていた。
「いや。そんなつもりはないですよ」
「どうして星の事なんか調べているの?」
どうしてと言われても返事に困る。
ラプ君の親に似ているからと言っても私はラプ君の親ではない。
邪魔者扱いなどするつもりは無いのだが、あまり懐かれても困ってしまうだけだ。
「そうですね……。私の生みの親であるゼノの事に少しだけ興味が湧いたのですよ。星を渡る方法というのも好奇心ですが少し興味がありますね」
「……黙って消えたりしないで欲しいんだ」
「え? 消える?」
「ハムト星に今にも飛んで行ってしまいそうだから……」
私の身体の元となったロヒという竜は冒険者として人の姿で世界中を旅していたらしい。私もゼノのことなど忘れて世界中を旅してみたいと思ってしまう。ハムト星は無理だとしてもこの星の別の大陸などは見てみたいものだ。
この子供のような姿をした子竜も冒険者として、親と同じように世界中を見て回るのだろう。羨ましくもあるが私にはまずやるべき事を片付ける必要がある。
それがなんなのかも、まだ判らない状態ではあるが。
「行けるものならば行ってみたいものですね。別の世界というものも見てみたいものです」
「……」
ラプ君が不安そうな目で私を見詰める。本当に私が居なくなることを心配しているらしい。
「あはは。大丈夫ですよ。今のところ、そんな予定はないです。この星の他の大陸ですら行くことが困難なのですから」
「他の大陸?」
「はい。この海の向こうにはこの大陸とは別の大きな陸があるのです。私はラプ君とは違って、食事も眠ることも、それなりの限界がありますからね。飛んで行くにはそれなりの準備が必要となります」
「僕が竜体でロヒを乗せるよ。それなら行ける?」
「それは良い考えですが、それはまだ先の事になるでしょうね。ラプ君が行くことがあれば、どんな世界だったか教えてください」
ラプ君の顔に満面の笑みが溢れた。
「残念ながら私がこの目で別の世界を見ることになるのは、まだまだ先の事になりそうです。私はなにかをやらなければならないようですからね」
「なにか? なにをやるの?」
「さあ……。なんなんでしょうね。ラプ君、君もそれを考えてくれませんか? 判ったら教えてくれると嬉しいです」
この私よりも長く生きている小さな人の姿をしたその子竜は、可愛らしく、まるで私を親のように慕ってくれているようだ。
私が生殖能力を持たない所為か、子供などにまったく興味を持ったことがなかったが、いつのまにかこの子竜を可愛く思ってしまっている。私は、前世であるロヒの記憶を引き継いでいるのかもしれない。
ふとヴオリ山を見上げると空に黒い点が飛んでいた。
あの白竜と、その孫であるこの子竜は、私に幸福を齎してくれるだろうか。




