竜と子竜
昼になり、一旦、師匠の屋敷へと戻り昼食を食べると、すぐに竜を探すために足跡が消えた河原まで来た。
僕は飛び立とうとするアスラを止める。
「まって、少し考えがあるんだ」
僕は服を脱ぐ。
「どうするんだ?」
「竜体になって待ってみるよ。この辺りに住んでいる竜が居るのであれば、たぶん僕を見付けて近づいてきてくれると思うんだ。その竜ならば探している竜のことをなにか知っているかもしれない」
「大丈夫なのか? 竜の姿で別の竜の縄張りに居ちゃ、攻撃されるのだろ?」
「たぶん、大丈夫だと思う。僕はまだ子供だからね」
それほど確信があるわけではないけれど大丈夫だろう。
僕は竜体へと変化した。
「俺は飛んで探してみるよ」
そう言ってアスラは一人、飛び去る。
一時間ほど待ってみるが竜は現れなかった。
ヴェルは焦れてしまったのか「私も探してくる」と言いだしたけれど、念話が使えない僕は首を横に振って答える。
悄気た顔をしたヴェルは、座っている僕を背凭れにしてその場に座り込んでしまった。
さらに一時間ほどすると、突然、南方に強い魔力を感じる。それは、こちらへと近づいて来ていた。
僕は立ち上がり、その方向を見上げる。ヴェルは眠っていたのか、僕が立ったことでそのまま河原へと倒れ込んでしまった。
「いたーい。ラプ、どうしたの?」
僕が南の空を見詰めているのを見てヴェルも悟ったらしい。
「く、来るのね……」
それから少しすると一体の炎竜が姿を現した。
小さな点だったものが段々と大きく見えだし、僕達が居る河原まで来ると上空を旋回する。
「話があるんです」
念話で呼び掛けてみるけれど、届いているのかは判らない。
その炎竜は河原へと降り、僕を見詰める。襲われるようなことはないようだ。
「お前はまだ子供のようだが、あいつとも違うようだな」
「あいつ?」
「お前さん以外の子竜がこの辺りにもう一体、居るな。まだ子供だから縄張りに入っても放っておいたが」
「その子竜の事で貴方と会いたくて待っていたんです。僕が竜体になっていたのは貴方を待っていたからなんです」
「……竜体になって? まるで人へ変化できるような云いかただな」
「はい。出来ます」
僕はそう云うと、人へと変化してみせる。
「へぇ。その歳で変化ができるのか。おもしろい」
「それで、その子竜のことなんですが」
「ん? あの竜がどうした?」
「あの子竜は、貴方の子供ですか?」
「え? 俺の? はは、冗談だろ。俺はまだ卵は創れんし、今のところは創るつもりもないよ」
「それじゃ、あの子竜はどこから……」
「もっと南に居る『黒竜』だろうな。あいつはこれまでに何度か子供を捨てている」
「え? 捨てる?」
「ああ、自分の気にいらない子供は捨てているそうだ。ここまで来れる子竜は少なかったが、あいつは運が良かったんだな」
「ここまで来れない?」
「ああ、大抵はすぐに死んじまうからな」
「……そうなんですか」
僕はその黒竜という竜に対して、なんとも言えない、酷く嫌な嫌悪を感じた。
ロヒが死んだのではなく、僕を捨てていたらと考えると、それは死よりも辛い、酷く嫌な事のように感じてしまっていた。
「それで、その子竜なんですが、今、どこに居るか知りませんか?」
「ん? 今はあの湖あたりに居るようだな」
そういうとその炎竜は川の上流へと目を向けた。
この先に湖が在ることは知っていた。けれど、その湖は大きく、ざっと見て回るくらいのことしかできていない。
「あ、ありがとうございます。僕にできることは少ないですが、なにかお礼をさせてください」
「礼? そんなものはいらんさ。暇だったから来てみただけだ。気にするな」
「そうですか。ありがとうございました」
「ところで、お前とはどこかで会ったことがあるのかな? なんだか見覚えがあるような気がしているんだが」
「昔、僕の親が、ここから少し北に在る、人の村に居たことがあります。その時、貴方と会ったことがあると聞いています」
「ほぉ、あの竜か。どうりで見たことがあると思ったわけだ。それで、あの竜はまだあの村に居るのかい? 気配を感じないが」
「……いえ。死にました」
「……そうか」
その竜が飛び去ると入れ違いでアスラが戻ってくる。
「今の竜は、ロヒと話したっていう奴か?」
「うん。子竜の居場所も教えてくれたよ。この先にある湖だって」
「そうか。……それじゃ、行こう」
アスラの顔に緊張の色が浮かんだ。
湖へ辿り着くが、湖は広く、その湖畔を見て回るだけでも日が暮れてしまうだろう。
もっと正確な位置を聞いておくべきだった。
「どうする? 二手に別れて探そうか?」
少しだけ考えたアスラが答えた。
「いや、三人一緒に居よう。見付けても俺が殺るしかないのであれば、二人が見付けても俺を待つことになるだろ。三人一緒に居た方がいい。……傲慢な言い方に聞こえるかもしれんが、判ってくれ」
アスラは既に子竜を殺す事を覚悟しているらしい。
「うん。大丈夫だよ。判ってる」
竜を探しながら湖畔を巡る。綺麗な円形ではないので、入り組んだ入江のような場所があると、時間を掛けて探すことになってしまい、夕方になっても見付けることはできなかった。
その日はそのまま日没を迎え、僕達は村へと戻る。
明日には見付けることができるのではないだろうか。
次の日も朝から湖畔を巡り探す。昼を過ぎ、湖畔を一周しても見付けることはできなかった。
昼飯を食べに村長宅へと戻り、食べ終るとすぐに湖へと飛ぶ。
湖への道すがら、ヴェルが言った。
「本当にここに居るのかしら? 子竜といってもラプくらいの大きさの竜ならすぐに見付かると思ったんだけど」
「必ずしも同じ場所にじっとしている訳ではないからね。移動しているのかもしれない。それに少しでも湖畔から離れて森の中へ入ってしまうと探すのは難しくなっちゃうよ」
森を抜けて、広い湖へと辿り着くと、目の前に美しい湖畔の風景が広がる。
それまで探すことに必死で、この美しい景色が目に入ることはなかった。
僕はその湖へと飛び込みたいと思ってしまった。きっと気持ち良いに違いない。
アスラとヴェルにそんな事を言えば、こんな時になにを言っているのかと言われてしまいそうだ。
「あっ……」
僕は思いついてしまった。
「ラプ、どうしたの?」
「勘違いしていたのかもしれない。僕がここに居れば森の中じゃなくて、この湖で泳ぎたいと思うかもしれない。……二人はここで待っていてもらえるかな。ちょっと見てくる」
「え? どこに……」
二人の返事を待たずに、僕は上空へと舞い上がった。
湖を一望できる程の高さまで上昇すると湖を凝視する。
もしも湖で泳いでいるとすれば、上空からでもその波紋を見ることができるはずだ。
湖上に浮いているのであれば、その子竜そのものを見ることもできるかもしれない。
そして、その波紋はすぐに見付けることができた。
子竜の姿は見えないので浅い水中を潜って泳いでいるらしい。
その波紋の先端を追いかけながら、地上へと上陸するのを待った。
二時間ほどするとアスラが僕の所まで飛んでくる。
「見付けたか?」
「うん。今、あそこを泳いでる」
「あそこ?」
「波が立っているでしょ? その先端に居るはずだよ」
「……見えんぞ」
人には遠すぎて見えないらしい。
「まあ、陸へ上るまでは待つほうが良いと思う。……ヴェルは?」
「こんな高い所まで飛ぶのは怖いそうだ。それにこの高さまで来ると寒いし息苦しい。なんだか酷く飛びづらくもなるからな。俺もあまり長くは居られない……」
「うん。アスラは下で待っていてよ。陸に上って塒を突き止めたら僕も降りるから」
「すまんな。任せる」
そう言うとアスラは地上へと降りていった。
子竜は夕方近くまで泳いで過ごした。
偶に頭を水上へと出していたけれど、ほとんど一日中を水中で暮らしているのかもしれない。
そんな暮らしも良いのかも。食事さえ確保できるのであれば……。
子竜は湖の東側へと上陸した。
その辺りがこの子竜の塒なのだろうか。
僕が見失わないように高度を下げると、アスラとヴェルが僕の方へと飛んできた。
「塒、見付かった?」
「今、移動しているところ。そろそろじゃないかな」
上陸した子竜は森へと入り、なだらかな崖を登る。
崖から飛び出ている大きな岩の先端へと辿り着くと、その場で丸まって横になった。
「あそこが塒?」
「そうかもしれない。良い場所だね。湖が一望できる」
その岩場の先端から見渡せる景色は、視界一杯にこの湖を見渡すことができるだろう。
なんだか優雅な生活をしている竜ではないかと思ってしまう。
「それで、どうするの?」
ヴェルの言葉に僕達は黙り込んでしまった。
「アスラ、竜心は見える」
「ああ、見える……」
僕は決心した。上手く行くのかは判らないけれど試してみよう。
アスラだけに辛い思いをさせることはできない。
僕は僕の中の獣に従うことを拒んだ。
「一旦、僕に任せてくれないかな。上手く行くかは判らないけれど、一つ、試してみたいことがあるんだ」
「試す? どうやるんだ?」
「話をする」
「話すって。念話だよな?」
「うん。挑戦してみる」
「挑戦って。なにを話すんだ? これからお前を殺すとでも言うつもりか?」
「違うよ。僕もアスラとヴェルの考えに賛同する」
「俺とヴェルの考え?」
「殺さずに済むのであれば殺したくないのでしょ?」
「ああ、そうだが。……殺さずにどうするんだ」
「それは、まあ、一応の考えはあるのだけど……。まずは念話が通じるか、だね。後の事はそれからだよ。まあ、どうなるかはまだ判らないけれど、兎に角、見ていてよ」
僕は服を脱ぎ、アスラへと渡す。
「もしも、あの竜が暴れるようなことがあれば、その時は、……アスラに任せる。……少し離れていて」
僕は竜へと変化すると、子竜へと近付く。
僕が近付いても気付くことはなく、手を伸ばせば触れることができそうな所までいっても、まったく気付く気配を感じない。
一日中を泳いで過ごしていたらしいその子竜は、既に深い眠りに入っているようだった。
「君、起きて」
やっぱり届かない。もっと練習しておけば良かった。
何度目の呼び掛けだろう。
届いたという感触があった。
驚いたように目を開け、すっと頭を擡げる子竜。その目は僕を見付けると、じっとこちらを見詰めていた。
「僕はラプ。君と同じ炎竜だよ。多分、歳も同じくらいだ」
「……」
念話が使えない相手でもこちらへ伝えようという意志があれば念話と同じように相手の意志を感じることができるはずだ。
だけど、この子竜から感じる『念』は聞こえてこない。
「僕はラプ。君の名前は?」
人の姿で発する声と実際に竜が持っている名前は、少しだけ違っている。一番近い発声が『ラプ』というだけで、あまり本当の自分の名前という感じはしていなかった。
「……」
それからどれくらいをそうしていたのだろう。
何度も同じ問い掛けをし、何度もこの子竜の念を感じようとしたけれど、僕の念話が届いているのかすらも判らない。
この子竜の顔からは不思議そうに僕を見詰めていることしか判らなかった。
ずっと見詰め合っている二体の子竜は、傍から見れば睨みあって、今にも取っ組み合いが始まるように見えるかもしれない。アスラとヴェルは気を揉んでいることだろう。
そろそろ日が暮れかけようとしている時だった。
その答えは突然で、僕は聞き逃がしてしまう。
「え? 今、答えてくれたの? もう一度言って」
「……俺はノブリ」
はっきりと聞こえた。
「よかった。僕の念話は届いているんだよね」
「うん。聞こえる。ラプ」
僕は嬉しかった。僕の名前を呼ぶこの子竜と意志の疎通ができていることはもちろん、僕の名前を呼んでくれたことが、たまらなく嬉しかった。
僕はもう、この子竜を殺すことは出来ない。




