我儘
「まったく、なんにも感じないわよ」
宿の食堂で朝食を食べ終わり、ヴェルに念話の練習台になってもらっていた。念を送ってみるがまったく手応えがない。
「これは?」
再度やってみる。
「……うん。なんにも感じない」
「二人でなにやってんだ?」
朝の鍛錬を終え、アスラも食堂へとやってきた。
「ラプが念話の練習をしたいからって」
「へえ。念話か。使えれば確かに便利かもな」
使えれば便利になる。そう思って、早く使えるようにと練習しているけれど、まったく手応えはなかった。
「もう、少しくらいは使えるのか?」
「ううん。まったくだめだった……。護衛中もヴェルにずっと念を送ってたけど、全然気付いてなかったみたいだし……」
「え? そうだったの? ……うん。まったく感じなかったわ」
「そうか。まあ、がんばってくれ」
あまり期待もしていないのか、それほど興味もなさそうに朝食を食べだすアスラ。食べているアスラへ念を送ってみる。『もっと美味しそうに食べろ』と。
「ん? 美味しいよ。顔はこんなだから仕方ないだろ」
「え? 今の念話、届いたの?」
「……いや。今……、声に出てたぞ」
僕達の話を聞いていたヴェルが変な顔をしている。呆れているのだろう。
なんだか面倒になってきた。声の方が便利だ。念話の練習はやらなくても良いかもしれない。
宿を出るとエテナへと向う。
この辺りは冬だというのに雪はまったく見られない。
遠くに見える高い山の山頂付近には白い雪らしきものが見えるけれど、この辺りは寒くはあっても雪はまったく見られなかった。
「歩きやすくていいわぁ」
これまで雪の上を歩いていたので雪の無い道を歩くことが、ヴェルにはかなり嬉しいことのようだ。
「これまでだって別段歩いてないだろ。浮いて移動してたのだから」
「ずっと浮いてたわけではないでしょ。ほんの少し歩くだけであっても歩きづらいことに変わりはないし、地上に降りるたびに足が冷たくなっていたのよ。雪がないって、素晴らしいわ」
浮けるというだけでも他の人に比べれば、かなり楽な旅だろう。
エテナへはすぐに到着した。
「アスラは何度か来たことがあるんだよね?」
「一度だけだよ。ラプに出会う半年くらい前に来ただけだな」
「へえ。そうだったんだ」
「エテナの首都って大きいのね。皇都と同じくらいかしら」
「広さとしてはこっちが少しだけ大きいはずだ。町並みは皇都の方が綺麗だと感じるけど」
「あ、あれがエテナ宮ね。後で行ってみましょうよ」
「あの宮殿は中央区にあって、その区画に入るには許可が必要なんだ。そう簡単に入れないぞ」
「え? そうなんだ……」
遠く、結構な高さがある丘の上に小さく見える宮殿がある。
この町にはミエカに連れられて何度か来たことはあるけれど、僕も近くで見たことはない。
「あ、でも公爵ご令嬢なら簡単に許可してもらえるかな?」
アスラが意地悪な顔をして言う。
「そんなこと出来るわけないでしょ」
「でも、ヴェルの先祖はこの国の公爵だったんでしょ? 結構簡単に入れてくれるかもしれないよ」
「公爵じゃなくて、その子供よ。エテナでの爵位なんて無いわ。それに先祖っていっても二百年も前の話よ。誰も私の事なんて知りもしないでしょうね。公務で来ている訳でも無いんだし、残念だけど無理よ」
「夜に飛んで忍び込むか?」
アスラの言葉にヴェルが呆れたような目を向ける。
「馬鹿なこと言ってないで、宿屋を見付けましょ」
「俺は結構、本気で言ったんだけどな」
アスラは大公の屋敷に忍び込んだことに味を占めたようだ。そのまま盗賊などにならなければ良いけれど。
僕達は北区にある宿を取った。
「どうしてよ。少し見て回るくらい良いじゃない」
昼食を食べ終わると、アスラは冒険者組合へ行こうと言い、ヴェルはエテナの町を見て回りたいと言って口論を始める。
「遊びで来た訳じゃないだろ。組合が先だ」
「まったく……。融通がきかない人ね……」
アスラの言い分が正しいので組合へと行くことになったけれど、それ程仕事がしたいと言う訳ではない僕も、少し町を歩いて見て回りたいと思ってしまう。
組合は大きかった。皇都の組合と同じくらいの広さがあるだろう。
皇都と同じで、掲示板は初心者向けと中堅者以上で別れて設置されている。
内容も皇都と同じで初心者向けは畑仕事や簡単な手伝いが主だった。
「あっちも見てくる」
いつものようにヴェルは中堅冒険者以上の掲示板へと向う。
「そう言えば、僕達、皇都だと噂になっているんだっけ?」
「先輩達はそう言っていたな」
「案外、良い仕事が取れるかも」
「無理だろ。あの先輩達だって俺達の顔を知っていたわけじゃない。ここはエテナだ。皇都じゃないぞ」
「噂くらいじゃ無理か……」
「無理だろうな」
二人並んで初心者用掲示板を見る。
僕もアスラも溜息しか出てこなかった。
「ちょっと、二人とも来て」
後ろから聞こえてくる声へ振り向くとヴェルが真剣な顔をして立っていた。
「ん? なにかあったのか」
「うん。とにかく来て」
ヴェルの後へと付いて上級者用の掲示板へと向う。周りはかなり手練れに見える冒険者が多く、なんだか場違いな場所へと入った気分になってしまった。
「これ」
ヴェルが指差す募集要項を見て驚く。
その要項には、竜の生け捕りが内容として書かれていた。
「竜を……、生け捕り……」
さすがに誰もやろうとはしなかったのだろう。張り出された日付は三ヶ月程前になっている。夏の終わりには募集が始まっていたようだ。
エテナの南のさらに奥に、その竜は居るらしい。
人数は任意、報酬は見た事が無い程の金額が書かれている。一人で出来れば十年以上は遊んで暮らせるくらいの金額だ。
目的は書いていないけれど、その竜は何か問題でも起したのだろうか?
生け捕りとなっていることが少し気になった。
アスラを見ると強張った表情をしていた。
ロヒやオトイの事を思い出しているのだろうか?
「へぇ。お前さん達がやるのかい?」
声を掛けてきた四十歳くらいのおじさんが僕達をからかうように話し掛けてくる。
「行こう」
おじさんを無視するようにアスラは早足で歩きだすと、そのまま冒険者組合を出て宿へと向っていった。
「アスラ、待ってよ」
アスラはなにも言わず、そのまま早足で歩き続ける。
「待ってってば」
ヴェルが腕を引っ張り、やっと止まるが、振り向いたアスラはぼんやりとした顔をしている。心配事でもあるのだろうか?
「どうしたのよ。仕事は探さないの?」
「……ああ、そうだったな。……今日はやっぱり休みにしよう。二人は町を見て回るといいよ」
「アスラ、どうしたの? ロヒやオトイのことを気にしているの?」
「……まあ、それもあるが……。あの要項に書いてあった竜が居る場所、覚えてるか?」
「え? えっと、エテナの南にある森林のどこかって書いてたっけ」
「その森林には萎竜賊の村があるんだ」
「その村が心配ってこと?」
「……ああ、そうだな。心配だ」
「萎竜賊なら自分達でどうにか出来るんじゃないの?」
「無理だよ。竜を相手にどうにかできるなんて、今の萎竜賊の人達では無理だ」
「その村に行くつもりなんだね?」
「二人はここで仕事をしていてくれ。俺が戻らなければ先に進んでもらっても構わない」
「……アスラ、私達は仲間なのよ。って、これを言うのは何度目かしら……」
「いや、これは俺が個人的に村に行きたいだけなんだ。……無いとは思うが、竜と戦うことにでもなったら……。村になにも無ければすぐに戻ってくる。二人はこの町で待っていてくれ」
「あら? 私が魔王の城に行きたいって言ったのは私の個人的な理由よ。でも二人は付いてきてくれた。今のアスラの説明では、私達が付いて行っては駄目だという理由になっていないわ」
「相手は竜なんだぞ。ヴェルが居たって邪魔なだけだ」
声を荒げたアスラをヴェルが睨む。
睨みながらも、その顔は悔しそうで、黙ったまま唇を噛んでいた。
アスラはそんなヴェルから目を逸らし、俯いてしまった。
「……悪い。言いすぎた。でもヴェルじゃ危険すぎる。なにが起るか判らないんだ」
「竜と戦う気なの?」
「え?」
僕の問いに少しだけ考え込むアスラ。
「いや。多分、そんなことにはならないと思う。あの辺りには一体の竜が居たはずだけど、その竜は昔から居る竜だ。今更、村に危害を加えるようなことはないと思う……。だから何が起きているのかを確認しに行くだけなんだ」
「それじゃ、僕達三人で行っても問題ないんじゃないかな。危険があるのなら、その時はヴェルには隠れていてもらえば良いと思う」
「でも……」
「ヴェルは冒険者なんだよ。危険は承知の上で旅をしているんだよね?」
ヴェルを見る。
邪魔だと言われたことがかなり堪えたのだろう。悲しそうな顔のまま軽く頷くだけだった。
「戦うのであれば確かに危険すぎると思うけれど、まだ危険かどうかも判らないのに、そこから距離を置かせようとするのは、ヴェルの父さんと同じことをしているように思うよ」
多分、これは少し違う。言っていながら自分で気付いてしまった。
僕の本音は、こっちだ。
「……僕はアスラの家で言ったよね。僕達三人で旅を続けたいって。この旅にはアスラとヴェルが居なきゃいけないんだ」
僕はこの三人から一人でも抜けることが嫌だった。
今日の三人は、皆、それぞれが我儘を言いすぎだ。僕のこの我儘は酷すぎるだろうか?
今日、一番酷い僕の我儘は聞き入れられ、僕達は三人で萎竜賊の村へ向うことになった。




