残心
「どうしてさ? ロヒがそう言ったの?」
「いや、ロヒ兄はなにも言っていないし、確実に治せないという確信や証拠が有る訳じゃない。でも……、多分、ロヒ兄は治せない……」
「それじゃ、アスラがそう思ったというだけの事なんだね?」
「ああ、そうだ」
「……どうしてそう思ったの?」
洞窟までの少しの距離を歩いていたアスラが止まり、話を続けた。僕もアスラに合わせて立ち止まる。
「あのオトイさんって青竜、あの竜心の傷は小さくて、傷とすら言えないほどのものだったんだ。それなのにロヒ兄は、これまでに見たことが無い程必死だった。それに、あの治療をしている時にロヒ兄は、『これ以上酷い傷だったら私では治せなかった』とも言っていた」
「つまり、じいさんの竜心の傷は、もっと酷いということ? ロヒでも治せない程に」
「竜心の一部分が砕け散っているように見える。俺がこれまでに見た竜心は、どれも綺麗な円形だった。だけど、……あの竜の竜心はその円が欠けているように見える。ロヒ兄が苦労していたあのオトイという青竜ですら、俺からは傷が有ることすら判らない程の円形だったんだよ」
「でも、……でも、……それじゃなぜロヒは諦めていないのさ。アスラが無理だと思うのであれば、それを治しているロヒならすぐに、もっと早く駄目だと判るんじゃないの」
僕は大きな声を出していたらしかった。アスラが僕の肩へその手を置いてくれなければ、もっと興奮して大声を上げていたかもしれない。
「落ち着けよ……。確かにまだ確定しているわけじゃない。……でもあの創成の竜の魔力量はロヒ兄よりも大きいはずだ。その創成の竜が自分で治せないのに、ロヒ兄が治せるとは思えない……」
「僕には二人とも同じくらいの魔力量に感じたけど」
「いや、あの創成の竜の方が大きいよ。あの竜とロヒ兄とじゃ魔素の見え方がまったく違って見える」
僕は見るのではなく感じ方で推測する。その違いで変わるらしい。
「それに、ロヒ兄は傷の治療は出来るけど再生は出来ないんだ。あの創成の竜は俺の先祖やヴェルの先祖の身体を再生させているんだ。ロヒ兄に出来ない事ができるあの竜との差はかなり大きいと思う」
「……じいさんも、それが判っているんだね」
「ああ、多分な」
僕達はその場に立ち尽くす。僕は言葉がでない。なにかに縋りたいけれど、縋るべきものも見付からなかった。
落ち込んでいる僕を見てアスラが口を開いた。
「……悪い。まだ結論が出ている訳じゃない。ロヒ兄が諦めていないのに、俺が諦めちゃだめだな。……戻ろう」
そういうと洞窟へと歩きだした。
ギシギシと雪を踏み締めて、僕達は無言で歩いた。
アスラの予言通り、ロヒが治療を諦めたのは、その晩、遅くになってからだった。
僕がテーブルでうとうととしていた時、アスラとヴェルが動いたように感じて二人の視線を追うと、ロヒが翳していた手を降ろし、じいさんの側に俯いて立っていた。
「私には無理なようだ」
そうロヒが言うと、ヴェルはロヒへと縋るように理由を訊く。ロヒは「今の私では無理だった」としか言わず、テーブルへとつき、頭を抱えてしまった。
少しの間をそうして、ロヒが口を開く。
「……竜心が複雑すぎる。破損部分も大きい……。構造を探っていたけれど、私には理解できない部分が多すぎた」
「それじゃ、この二日は、竜心の構造を探っていただけということですか?」
ヴェルの問いに頷いたロヒは顔を上げることはなかった。
「ははは。そりゃそうだろうさ。わしには初めから判っていたことだ。人ごとき、魔王の子供ごときがわしを治療するなど、土台無理なことだったってだけの話だ」
じいさんの念話に僕達はじいさんを見る。
僕にしか判らないだろうけれど、じいさんは微笑を浮かべていた。
「なに、気にすることはない。ヴェセミアにも言ったことだ。
わしはなんの不自由もないんだ。
デーテもバッセも、ヴェセミアも、そしてラプも。
皆、その時代時代で、わしに生きる希望や勇気をくれたんだ。
そして今もお前達から希望と勇気を貰うことができた。
お前達の顔を見れただけで十分なんだ。
……ありがとうよ。お前達のおかげで、まだまだ生き長らえることができそうだよ」
じいさんの微笑は、優しい笑顔に変わる。僕以外には判らない変化だろうけれど、念話に含まれる感情からも、それを読み取ることができた。
それはヴェルにもアスラやロヒにも伝わっているだろう。
朝、これからどうするのかと、アスラが僕とヴェルへと問う。僕とヴェルが無言で答えずにいると、じいさんが「さっさと帰りなさい。ここは人が住むには寒すぎるだろ」と云った。
皆の顔が曇るのを見てじいさんは話を続ける。
「昨日も言っただろ。お前達はわしに、これから数十、もしかすると数百年を生きる為の勇気をくれたんだ。もう十分だよ。さっさと帰りなさい」
じいさんは昨晩と同じ、優しい笑顔と念話で話していた。
「僕は残るよ」
僕の言葉に三人は僕へと振り向く。
「僕は竜だからね。ここで暮らすのも悪くない」
「ほお。あのラプの親に成るといっていた人間は、やっぱりラプを一人前には育てられなかったんだな」
じいさんの念話からは怒りが感じられる。もちろんそれは怒った「ふり」なのだろうけれど。
「どうしてさ。僕はもう一人で生きられるよ。ミエカは十分なことを教えてくれたよ」
「それではラプ一人で生きなさい。ラプが一人で生きられるというのであれば、わしの縄張りに入った一体の竜としてラプを攻撃しなければならなくなるな」
攻撃するなんて脅しているだけで、このじいさんがそんな事をする訳がない。
僕はじいさんの顔の側へと駆け寄り、その顔を両腕で抱き締め懇願した。
「どうしてさ。僕は邪魔なの? じいさんを一人にしたくないんだよ。魔族が居なくなった今からは、人間達がここへも頻繁に来るようになるよ。心配なんだ。お願いだよ。僕をここへ置いてよ」
「人間どもがここへと来るというのなら追い返すくらいのことはわしでもまだまだ出来るさ。悪意を持った人間ならば一目で判る。そいつらが何十人来ようと簡単に消し炭にしてやるさ」
じいさんの念話が更に優しくなり、話を続けた。
「ラプよ。竜とは一人で生きるものだよ。まあ、青竜という例外もあるが、わしは氷竜であり、お前さんは炎竜だ。種族すらも違う。しかもラプはもう一人で生きることができる。ここに居なければならない理由はなかろう。あの人間はラプを竜ではなく、人にしてしまったのかい?」
ミエカは僕を竜としても人間としても生きられるように育ててくれていたはずだ。竜であれば、別の竜の縄張りに入れば攻撃されても文句は言えない。
僕は返す言葉を見付けられず、諦めることしかできなかった。
昼を過ぎて僕達は洞窟を後にすることになった。
僕達は一人一人、じいさんへと別れの挨拶をする。
アスラは恭しい。
「またお会いできることを信じています。いずれまた」
ロヒは残念そうだった。
「力及ばず恥ずかしいかぎりです。もしもなにか手立てを思い付いたならば、すぐに来ます。未だに私は不可能だとは思っておりません。その時には必ず治します」
ヴェルはじいさんの顔を両手で抱き締める。
「おじいさま。ごめんなさい。でも私はまだ諦めていません。ヴェセミア様からの宿願なのです。また来ます」
僕もじいさんの顔を両手で抱き締める。
「また来るから……」
僕にはそれ以上の言葉を見付けることはできなかった。
僕達は洞窟を後にし、南へと飛んだ。




