氷竜のターゲディア
僕達三人は、そのままテーブルで眠ってしまったらしく、朝方に寒さで目を覚ます。
ロヒはまだ、じいさんの竜心へと手を翳していた。一晩中やっていたらしい。
僕が焚き火に薪を焼べ、火をつけるとアスラとヴェルも目を覚ましたようだ。
「外はもう明るいかな? なにか狩ってくるよ」
「まだ暗いよ。二人ともまだ寝てなよ。明るくなったら僕がなにか狩ってくるから」
そういうとヴェルはまたテーブルへと顔を伏せ、寝息を立てだした。
アスラはロヒへと目を向け、ぼんやりと眺めている。
竜心の治療は進んでいるのだろうか?
明るくなり、そろそろ日の出近くとなる頃に、僕は外へと出て手頃な獲物を探した。
すぐに見付けた鹿を狩り、それを担いで洞窟の入り口まで飛ぶと、後方の空に強い魔力を感じる。
振り返り空を見ると、そこには一体の竜がこちらへと舞い降りてきているところだった。
「君は前に会ったことがあるね。最近見掛けなかったけれど、まだ創成の竜の洞窟に住んでいたのかい?」
地上へと舞い降りたその竜から念話で話し掛けられる。ミエカとこの洞窟に居た時に一度だけ会ったことはぼんやりと覚えているけれど、その時の竜なのかはあまり自信がない。
「いえ。住んではいません。昨日、じいさんに会いに来たんです」
「なにやらとんでもない魔力を創成の竜の洞窟から感じるのだけれど、あれは君の知り合いかい?」
多分ロヒのことだろう。
「はい。僕と一緒に来たものです」
「その他にも、なんだか懐かしい気配というか、知っている人間が居るように感じるのだけど……、私が入っても構わないだろうか?」
「え? はい。問題ないと思いますけど……」
僕がそういうと、その竜は人の姿へと変化する。
僕が洞窟へ入るとアスラとヴェルが僕を見る。
一瞬、二人は驚いた顔をするが、ヴェルはすぐに顔を背けてしまった。
その竜はまだ眠っているじいさんへと身体を向け、ちょっとだけ頭を下げると、アスラとヴェルへ顔を向けた。
そしてその表情が驚きへと変わる。
僕は背嚢から毛布を出し、その竜へと差し出した。
「寒くはありませんか? これをどうぞ」
その竜は僕が差し出す毛布など気にも止めずにヴェルへと訊いた。
「君はヴェセミアなのか?」
「え?」
ヴェルは一瞬、問い掛けた竜へと顔を向けるが、またすぐに顔を背けた。
少し笑いながらアスラがその竜へと言う。
「とにかくその毛布を身体に巻いた方がいいですよ。人間はあまり他人の裸を見ることに慣れていないものなのです」
「ああ、そういえばヴェセミアもそんなことを言っていたな……」
その竜は僕が差し出す毛布を受け取ると、身体へと巻きつけた。
こんな北の地に人が居る訳もなく、アスラには竜心も見えているはずなので、この突然現れた人物が竜であることは判っているのだろう。
アスラはその竜へと言う。
「まあ、その、座って話されたらいかがでしょう」
ヴェルはテーブルへとついたその竜へと少しだけ振り向き、なにかを確認すると、安心したように身体を向けた。
「もしかすると、貴方はターゲさんですか?」
「ああ、私はターゲディア。ヴェセミアにはターゲと呼ばれていたよ」
ヴェルは先祖の旅の思い出と、また一つ出会うことができたようだった。
朝食をとりながら、そのターゲと名乗る竜はヴェルの先祖と過ごした日々を語ってくれた。
ヴェルが魔王の城跡で行ってみたいといっていた最後の場所というのは、創成の竜とターゲと名乗る氷竜が居る、この北の地だったのだろう。
「私って、そんなにヴェセミア様と似ていますか?」
「え? どうして?」
「だって、私を見てヴェセミア様と間違えたようだったので……」
「ああ、そうか。そうだね。髪の色は同じに見えるけれど……、まあなんとなく雰囲気は似たものを感じるかな」
「……それって、あまり似ていないということでしょうか」
「竜は顔だけじゃなくて、その人から感じる雰囲気……、みたいなものでも判断するんだよ。それがなんというものか、僕にも判らないけど」
僕の答えにターゲが付け加える。
「そうだな。竜や魔族が使う念話に近いものなんだ。君達人間から感じる固有の『念』とでもいうべきものを感じることができるんだよ。君とヴェセミアは、それが似ている。そう感じるんだ」
「それって、私達、人間の心を読めるということでしょうか?」
「強い念話を使えば出来るが、それは君達にも強い念話として感じる事ができるものだよ。隠したい考えなども無理矢理読み取れるけれど、それはその人に強い負荷を掛けることになる。下手をすれば殺してしまうかもしれない」
アスラとヴェルが少し不安そうな顔をする。
「心配しなくてもそんな事はしやしないさ」
「でも、少し怖いですね……。ラプも出来るの? 念話」
「僕はまだ出来ないよ」
「そう。よかった」
僕は早く念話を使えるようになりたかった。使えるようになってもヴェルには黙っておいた方が良さそうだ。
このターゲと名乗る竜との会話は昼近くまで続いた。
ロヒは未だその手をじいさんの竜心へと翳したままだ。ロヒの事をターゲへと話すとやはり驚かれる。
「魔王ほどとは思わないが、これまで見たことがある魔族のどれよりも強い魔力を感じる。恐ろしいよ」
ターゲもパウレラと同じように感じているようだ。
昼になりアスラが「いいかげん一休みした方がいいんじゃないかな」とロヒへと言って、やっと手を降ろす。
ロヒは僕が朝に狩ってきた鹿肉を一気に食べ切ってしまった。
食後、お茶を啜っていたロヒへとヴェルが訊く。
「ロヒさん。どうですか? 治せそうですか?」
「難しいかもしれない……」
「そんな……。オトイさんは治せたのに……」
話しを聞いていたターゲが訊いた。
「オトイ? オトイとは青竜のオトイの事か?」
「はい。青竜のオトイさんの竜心を傷付けてしまったのですが、このロヒさんが治療してくれたのです」
「オトイが……」
「ターゲさんはオトイさんをご存知なのですか?」
「ああ……。人の言葉では幼馴染というのか。兄弟のように育った仲だよ」
ターゲは心配そうに、そう呟いた。
「そうだったのですね……」
「とにかく、私はもう少し竜心を診させてもらうよ。あの青竜とは竜心の大きさも、その複雑さも違いすぎてまだ把握できないでいるんだ」
「よろしくおねがいします」
ヴェルは心配そうにじいさんの側へと戻るロヒを見詰めていた。
「僕はなにか狩ってくるよ」
「ああ、今度は俺も行くよ。外の様子も見たいしな」
僕とアスラが立ち上がる。
「私もそろそろ帰ることにするよ」
ターゲも僕等と一緒に立ち上がった。
身体に巻いていた毛布を取ると僕へと渡す。
「君達に会えてよかった。懐かしい事を思い出せて楽しかったよ」
ヴェルはまたターゲから視線を逸らしながら「こちらこそ色々と聞けて楽しい時間を過ごせました」と言う。その顔は少し赤くなっている。
アスラはまた少しだけ笑っていた。
洞窟から出る前のほんの少しの時間、ターゲと名乗る竜はじいさんとなにやら念話を交わしたようだった。
少しだけ目を瞑るような、頭を下げるような仕草の後、ターゲは洞窟を出ていき僕とアスラもその後に続いた。
ターゲは洞窟を出ると、すぐに竜体へと変化する。僕は飛び立とうとするターゲへ急いで訊いた。
「ターゲさんは、じいさんの所へよく来るのですか?」
竜体へと変化したターゲは僕へと振り返り、少しだけ間を置くと念話で答える。
「……いや、記憶違いでなければ、ヴェセミアが居なくなってからは創成の竜と会ったことはなかったはずだ。我々、竜にとって、あの創成の竜は偉大な始祖なんだ。畏れ多くて近づくのには躊躇う程だよ」
そう言うとターゲは羽撃き、空へと舞い上がる。
「もしもまたパウレラやオトイへ会うことがあれば、ターゲは元気だったと伝えてはくれないだろうか」
「はい。伝えておきます」
「ありがとう。さらばだ」
そう云うとターゲは北西の空へと飛び去ってしまった。
狩りの獲物は朝と同じ鹿を狩ることができた。
アスラが担いで洞窟まで飛んで運ぶ。
「こんな北の地でも結構、獲物は居るものなんだな」
「僕はここで数ヶ月を過ごしたことがあるけど、食料は問題なかったみたいだよ。狩りはほとんどミエカがやっていたんだけど……。ヴェルの先祖さんなんて三年もいたんだよね」
「これまでは魔獣や魔族がいたから、あまり人が入ってくることはなかっただろうが、これからは入ってくる人間が増えるかもな」
「それは、この辺りに棲む竜にとってはあんまり嬉しくないことかも……」
「そうだろうな」
ふと、僕の中に違う考えが浮かぶ。
「……違うかも……」
「ん? なにが?」
「じいさんはずっと一人ぼっちだったんだ……」
「それで?」
「さっきのターゲさんは、ヴェルの先祖が居なくなってから会っていないっていってた。それは二百年くらい前で、僕やミエカは二十年前に数ヶ月しか居なかった……。つまりじいさんは何十年も、多分一人きりで、じっと洞窟から動くこともなく過ごしていたんだ」
「……」
「人が来れば、じいさんは寂しくないかも」
「つまりラプは人が入って来たほうが創成の竜は寂しくないから、その方がいいことだと言っているのか?」
「違うかな?」
「訪れる人間が善人しか居らず、それほど頻繁でなければ、そうかもしれないけど。……でも悪人、いや普通の人間であっても、引っ切り無しにあの創成の竜へ関わりだしたら、やっぱり創成の竜だって煩わしく嫌だと感じるんじゃないのかな?」
「そうなんだ……」
「……俺は伯父さんを悪人だとは思っていない。だけど、その伯父さんは……、ロヒを、ラプの父さんを殺したんだぞ。伯父さんより悪い奴なんてこの世にはごまんと居る。動けない竜をそんな奴等が放っておくとは思わないな」
洞窟の近くまで飛び、地上へと二人並んで降りる。僕は話を続けた。
「そうか……。危ないところだったんだね。良かったよ。ロヒが竜心を治せて。動けるようになれば寂しくなっても自分から誰かに会いに行ける」
アスラが少し暗い顔をする。アスラの伯父さんとロヒの話をした所為だろうか?
「……ラプ。確定したことではないし、俺からは言いたくないことなんだけど、ロヒ兄は、多分……、治せない……」
「え?」
「そして、その事は、あの創成の竜にも判っていると思う……」
僕の中に不安が広がった。




