青竜の里
青竜の里へと入る。けれど、それ程大きな変化を感じることはできない。
確かに一瞬、薄い空気の壁を突き破り暖かな空間へと入った感覚があったけれど、相変わらず真っ暗闇の中を飛んでいた。
少し先の地上には明かりをいくつか見ることができる。
青竜達が灯した明かりなのだろう。
変化が無いという考えは、地上へ降りると一変した。
雪がまったく見えない。
しかも寒くもなく、ここが北の地であることが信じられない程の暖かさを感じた。
たぶん人が外で眠ったとしても問題なく眠れるのではないだろうか。
地上は人の村に近く、この大陸の南方を探せば似たような村が見付かるかもしれないと思う程だった。
僕達がパウレラの背中から里の広場へと降りると、オトイを運んでいた四体の竜は再度空へと舞い上がり、更に里の奥へと飛んで行ってしまった。
オトイが安静にできる場所が里の奥にはあるのだろう。
四体の竜に運ばれていくオトイを見送っていると、出迎えてくれた竜達の中から一人、僕達へと近づいてくる者があった。
「よく来てくれたね。ラプ君、立派に大きくなってくれたことを嬉しく思うよ」
そういって僕を抱き締めてくれる人の姿をした竜には見覚えがあった。
ミエカに連れられて初めて来た時に、僕の為に色々とやってくれた竜だ。
僕はまだ立派でも大きくもないけれど、お礼はいっておこう。
「イヒムさん。ありがとう。また来ることができて嬉しいです」
「そうか。良かったよ。今回は里へ入ってもらうことができて。……ミエカ殿のことはパウレラから聞いた。残念なことだね……」
そういうと再び僕を抱き締めてくれた。
イヒムはその後、ロヒ達三人へと身体を向け、頭を垂れて挨拶をする。
「ようこそ青竜の里へ。私はイヒムと申します。あなた方はオトイの命の恩人です。我々は竜であり人の世界での歓迎の流儀というものを知りません。ですが我々なりの精一杯のお礼と感謝を受け取っていただきたい」
三人は少し照れ臭そうな顔をして顔を見合わせていた。
僕達が案内された場所は、人が十人くらい入れば一杯になるほどの小屋のような所だった。
あまり厚いとはいえない板で作られた壁と、簡単なテーブルに椅子、それなりに寝心地は良さそうなベッドがある。
寒くはないので問題はないけれど、これが里の外であれば寒さで凍えそうな部屋だった。
少し高い場所に作られた小屋からは、昼間であれば遠くまで見渡すことができそうで、夜の今でも遠くを飛ぶ竜を見ることができた。
その夜は沢山の料理を次から次へと出され、その半分も食べることができなかったけれど、どれも美味しい。
「不思議な味ね。でも美味しい」
「これエテナで食べたのに似てるな。でもこっちの方が好きだな」
僕達は人の世界では食べたことがないようなものを沢山食べ、飲み、楽しくその晩を過ごすことができた。
朝、目が覚めて小屋の外へと出ると、既にヴェルも起きていて遠くを眺めている。
「ヴェル、早いね。おはよう」
「うん。おはよう」
「なにを見てるの?」
「この里の風景よ。なんだか幻想的な風景だと思わない?」
まだ明るくなりきっていない時刻の里全体には白く薄い朝靄がかかり、遠くにはゆったりと飛ぶ竜が三体見える。
幻想的なのかは僕には判らないけれど、確かにこんな風景はこの里以外で見ることは出来ないだろう。特に三体もの竜が一度に見れることなんて、この里以外ではありえないことだ。
「ヴェセミア様も見たかっただろうなぁ……」
ヴェルは、その幻想的な景色を眺めながら、そう呟いた。
朝食も食べ切れないほど沢山の料理が出される。イヒムが「人とは小食なのだな」と言っていたけれど、竜の僕だって人の姿の時はこれだけの量を食べることはできない。
青竜達は食べることができるのだろうか?
朝食後、パウレラが小屋へとやってくる。里を案内してくれるというので僕達は里を見て回ることになった。
「あの竜、かわいい」
ヴェルが見ている方へと僕も目を向ける。そこには生まれて五年くらいの子竜がちょこんと座って僕達を見ていた。
背の高さはまだ人の大人と同じくらいでしかない。
僕達をじっと見詰めるあの子竜からも、僕達は珍しいものとして目に写っているだろう。
里はあまり建物というものは無い。建物も簡単な小屋のようなものがぽつぽつと在るだけだった。
竜体で暮らすのであれば人が必要とするような建物は不要なので、やはりそこは人の村や町とは違うらしい。
里の中は青竜が地べたへ丸まって寝ているところを何度も見ることができた。
「竜って、一日中、あんなふうに寝ているのですか?」
ヴェルがパウレラへと訊く。
「そうだね。竜というものは狩りをしているか、ああやって丸まったまま寝ているだけだな。人からはぐうたらな生き物に見えるかもしれないね」
炎竜であるロヒや白竜は朝晩に縄張りの見回りをしていたけれど、縄張りを持たない青竜はそれすらもやらないで済むのだろう。
竜である僕には合っているかもしれない。僕の場合は竜であるからというよりは性格がぐうたらだからだとは思うけれど。
里の外れまでくると大きく開けた場所へと出る。
緑の大地がなだらかな丘陵となっていて、そこには三体の竜が居た。
その三体の竜達は僕よりも大きいけれど、パウレラよりは少し小さく見える。竜達は翼をばたつかせながら丘の上から駆け下りていた。
パウレラの説明が入る。
「あの三体は飛ぶ為の練習をしているんだよ」
「え? あんなに大きな竜なのにまだ飛べないのですか?」
ヴェルにとっての竜は飛べて当たり前の生物らしい。
「ああ、あの三体はまだ若い。八十年ほど生きているけれど、人であればまだ十七、八という年齢なんだよ」
「八十……。それじゃラプは優秀な竜ってこと? まだ四十歳くらいなのでしょ?」
「え? 僕もまだ飛べないよ」
「飛んでるじゃない」
「竜体では飛べないよ。練習すらしたこともない。僕も竜体で飛ぶ練習をしなきゃ……」
「ラプ君。君も彼等と一緒に練習してみるかい? 一緒にやってみるといいよ」
パウレラの勧めに従い僕も竜体になり丘の上へと向う。
パウレラも側について、飛ぶために必要な魔法の使い方を教えてくれた。
「翼は竜の身体を浮かせるには小さすぎるんだ。もちろん補助としては使うけれど、基本は魔法で飛ぶ。魔法で身体の周りの空間を曲げることで浮き、進む。それを意識してやってごらん」
パウレラの指導に従いながら翼をばたつかせ丘を駆け下りる。まったく飛べるような気がしないが、それでもその日一日を練習することで過ごすことになった。
夜になり、昨晩と同じように食べきれないほどの食事を出される。
幾人かの竜とも親しくなり、食事は更に楽しいものになっていた。
「それで、ラプはいつごろ飛べるようになるの?」
ヴェルが訊いてくるが、僕は今日、初めて練習をしたばかりで、まったく飛べる気がしない。
「さぁ……。まったく判らないよ」
「普通、二十年くらいは練習が必要だね」
パウレラが代わりに答えてくれた。二十年もかかるのか……。
「にじゅう……。そんなにかかるものなんですか……」
「どうしてヴェルが残念そうなの?」
僕の質問にアスラが笑って答えた。
「ヴェルはラプの背中に乗って移動できるから楽が出来ると思ったのさ」
「そんなこと、思ってないわよ……。でも、それも良い考えね。って二十年も先じゃだめか」
「ラプ君ならすぐに飛べるようになるかもしれないね。人への変化も数ヶ月で出来てしまったのだから」
「人への変化は先生が良かったからだと思います。あのじいさんが居なければ今頃僕はどうなっていたか……」
「いや、確かに創成の竜のおかげというのはあるだろうが、ラプ君の能力がなければできることではなかったと思うよ」
「ラプの先生って、創成の竜なの?」
「うん。ミエカは『師匠』っていってた」
「……そうだ。思いだした」
ヴェルが真剣な顔付きでロヒへ身体を向ける。
「ロヒさん。お願いがあるんです。もう一人、竜心を治して欲しい竜がいるんです」
その場に居た全員が動きを止め、部屋の中は静まり返り、ヴェルへと視線を向けた。




