青竜
三日が過ぎても未だオトイは目覚めなかった。
ロヒはオトイの側でずっと目を瞑って手を翳している。
僕が見ていた限りではあるけれど、ロヒはこの三日間、ほとんど眠っていないのではないのだろうか?
ロヒだけではなく、アスラもロヒが治療している間は、ずっと側でロヒを見守っている。
なにをやっているのかは判らないけれど、ロヒの腕あたりから溢れ出ている魔力は、僕が竜体であっても出すことができない程の量があり、途轍もない程の魔力を持っている事が判った。
僕を含めたロヒ以外の者はやることもなく、ただ見守ることしかできない。
アスラはロヒの側に座りロヒとオトイの様子を見ていて、ヴェルとパウレラが少し離れた所で岩に腰掛けて話をしている。
「オトイさんは魔獣になってしまったのでしょうか?」
「いや、そうではないと思う。正確な事は判らないけれど、オトイの身体から感じる魔素は変質したものではないからね。魔獣になったということではないはずだよ。多分、長い時間、濃い変質した魔素に晒された状態が精神に影響を及ぼしたのではないかな」
「でも、どうしてあんな箱なんか持って海の底に眠っていたのでしょう?」
「それも、オトイに訊かなければ正確な事は判らないけれど、あの魔素は魔族以外には危険な物だからね。偶然見付けたオトイが海の底にでも捨てようとして、持っている間に変質した魔素に当てられたのかもしれないな」
「創成の竜はもう治らないらしいとヴェセミア様の手記には書いてありました。これまでに治った竜というのは居たのですか?」
「いや、聞いたことがないよ。そもそも竜心を傷つけた事がある竜というのが、それ程多くはいないからね。私が知っている限りだと、君のいう創成の竜くらいしか知らないよ」
「その、創成の竜ですけど、もし、この治療が成功すれば、創成の竜も……」
ヴェルの言葉が途中で途切れ、二人の視線がロヒへと向いていた。
僕もその視線の先へと目を向ける。
ロヒは立ち上がり、手を腰に当てて空を仰ぐように腰を延ばしていた。
「終わったの?」
僕の問い掛けにロヒはこちらへと身体を向けた。
「うん。終わった。目が覚めない理由は判らないけれど、竜心は元通りのはずだ。疲れたから私は少し眠らせてもらうことにするよ」
そういうとロヒは寝袋へと入り、すぐに寝息を立てはじめた。
なんともあっさりとした結末に、皆、言葉を失ったように眠りについたロヒを見詰める。
「……っと、このままというわけにはいかないな。私は里の者に知らせてくるよ。少しの間、私はここを離れるけどロヒ君も居ることだし大丈夫だよね?」
パウレラへとアスラが答える。
「はい。問題ありません」
パウレラはアスラの返事へ「それじゃ頼んだよ」と返すと、すぐに空高く飛び上がり、東の方角へと飛び去っていった。
パウレラが行ってしまい、所在なく昼過ぎまでを過ごす。
「私、そろそろ、狩りに行ってくるわ」
この三日も全ての食事の用意はヴェルに任せっきりになっている。今では狩りから解体まで問題なく熟せるようになっていた。
今でも獲物の解体時にはあまり気が乗らないような顔をしてはいるけれど、初めて狩る獲物というのでなければ問題なくやっている。
「僕も行くよ。ずっと任せっぱなしじゃ悪いから」
「ええ。そうしてもらえると助かるわ。大きな獲物は私じゃ運べないもの。アスラ、お留守番、よろしく」
オトイの側に座ったままのアスラは、振り向くこともなく手を挙げて答える。
ロヒが治療を終えたとしても、やはり自分が傷つけた竜のことが心配なのだろう。アスラはオトイの側を離れようとはしなかった。
今日の狩りは鹿を仕留めることができた。
ヴェルでは飛んで運べないので僕が運ぶ。
「僕が解体もやろうか?」
「……ありがとう。でもいいわ。私がやる。これも慣れなきゃ、アスラは認めてはくれないでしょ?」
「うん。じゃあ、任せるよ。よろしく」
アスラは聞こえているのか、ほんの少しだけこちらを振り返っただけだった。
僕達が早い夕飯を食べていると、東の空から近づいてくる大きな魔力を感じ、僕は立ち上がって東の空を見た。
「ラプ、どうしたの?」
「なにか近づいてくる。大きな魔力を感じるよ」
アスラも立ち上がり、僕と同じように東の空へと目を向けた。
「なにも感じないな」
その大きな魔力は一つだけではないようだ。
「パウレラさんが他の青竜を連れてきたのかもしれない」
僕とアスラはそのまま、近付いてくる魔力の方へと目を見張る。
まだ雲のさらに上空を飛んでいるらしく、姿は見えない。雲がなければ、かなり近くまで来ている竜の姿が見えているはずだ。
突然、雲を突き抜け、四体の青竜が姿を現す。
「すげっ」
アスラが驚いたように目を大きく見開く。人であれば四体の竜を同時に見ることなどまずないことだろう。竜である僕でもそれは同じことだった。
ヴェルも齧り付いた鹿の肉を口に咥えたまま、アスラと同じように目を大きく見開いて驚いていた。
四体の竜は、まだ目を醒さないオトイの側へと降りると、その内の一体が僕達の方へと歩いてくる。
アスラとヴェルは少しだけ後退りをする。平気だと判っていても巨大な竜が近づいてくれば恐怖を感じるものらしい。
「あれはパウレラさんだね」
僕の言葉が聞こえていないのか、二人は相変わらず驚いた顔のまま、その近づいてくる竜を見ていた。
パウレラの念話が僕たちの頭へ響く。
「君達、この網をオトイの下へ敷くのを手伝ってくれないか」
またもや二人の顔が驚きの表情へと変わった。念話を初めて経験したらしい。
二人の表情が可笑しくて僕は笑ってしまっていた。
オトイの身体を一体の竜が引き起こしていた。
僕達はオトイの身体をパウレラが持ってきた網に包まれるように、オトイの下へと敷く。
敷いた網の四隅を四体の竜が持ち上げ、オトイの身体は宙に浮いた。
そのまま青竜の里まで運ぶらしい。
「君達も来てくれるかい? お礼をしないわけにはいかないからね。ささやかな食事と寝床は用意させてもらうよ」
僕達は顔を見合わせる。
ヴェルは嬉しそうに大きく目を見開き、頬を紅潮させていた。
先祖であるヴェセミアからずっと続いていた願いが叶うのだから断る理由はないだろう。
僕達はまだ眠っていたロヒを起すと、竜達の後ろを飛んだ。
竜達はオトイを運ぶためか、ゆっくりと飛んでいる。
あまり早く飛ばれてもヴェルが追いつけなくなるので、この早さはちょうど良かった。
まだ少しねむそうな顔をしてロヒが呟くように言った。
「いやはや、壮観だね。竜を、それも四体、いや五体か。それを同時に見ることができるなんて、普通の人にはまずできない経験だよ。私はまだ夢を見ているのかもしれないな」
ヴェルが、ロヒの言葉に答えるように言葉を繋ぐ。
「ええ。すごいですね。私は皇都に住んでいるのに白竜ですらまだ見たことがなかったんです。人に姿を見せることがない青竜を見られる、それも飛んでいる所をこんな間近で見ることができるなんて夢のようだわ」
アスラまでもが話を引き継ぐように言った。
「竜なんて、この目で見るまで、本当に居るのかって思ってたよ。居るものなんだな」
「僕も竜なんだけど……」
一瞬、僕の言葉で三人は僕へと振り向くけれど、すぐに目の前の竜達へと視線を戻し見惚れているようだった。
すっかりと日が暮れても、この奇妙な集団は闇の中を飛び続けていた。
四体の竜は僕達の為にぼんやりと身体に光を灯してくれている。身体全体が発光していた。僕や、たぶんロヒにも不要なことだけれど、普通の人間であるアスラとヴェルでは、この暗闇で竜達を見失ってしまうだろう。
かなりの時間を飛び続け、そろそろヴェルが根を上げることを心配しだした頃、パウレラの念話が僕達へと届いた。
「四人とも私の背中に乗ってもらえるかな。これから青竜の里へ入るけれど、私の身体に触ってもらっていないと君達は弾かれて里へ入ることができないんだ」
僕達はパウレラの背中へと降りる。
ヴェルは気流の乱れでふらついていたけれど、なんとか乗ることができた。
「すごい。私、今、竜の背中に乗って飛んでる……」
ヴェルの顔は、感動と興奮で紅潮し、目を大きく開き、瞳はキラキラと輝いている。
そして僕も今、二十二年前には入ることを許されなかった青竜の里へ入ろうとしていた。




