僕より怖い人
その日はアスラの家に泊まり、次の日の朝、庭に出るとアスラの家族全員が庭で剣を振っていた。
ヴェルはまだ寝ているらしい。
庭にある長椅子に座り、アスラ一家の鍛錬をぼんやりと眺めていると、隣にアスラの父さんが座った。
「ラプ君、……私達を許してくれた事に感謝するよ」
これまで話に入ってくることがなかったアスラの父さんが、僕へぼそぼそと話し掛けてきた。
「私はこの家で起ったことは知らなかったんだ。リノ、つまりアスラの母さんと結婚した後でロヒの事や呪いを解くために起きた出来事を知って驚いたよ」
僕に話し掛けてくるこの小父さんはアスラとはあまり似ていない。どちらかと言えばアスラはお爺さん似だと思う。
「アスラは、君の父さんを殺したアスラの伯父に似ている。名前をレモと言ったが、私とレモは幼馴染でね。寡黙な男だったけれど、魔法も剣も村一番だったよ。その昔から知っている幼馴染がこの村を救ったと知って、驚いたのと同時に感謝もしたんだ」
「感謝したのは私だけじゃない。この村の人々は、皆、レモに感謝していた。でも、君にとっては仇でしかない……」
「君が仇討ちをする気が無いと知った時、私はどれ程嬉しかったことか……。私だけじゃない、アスラを含む、私の家族全員が同じように君に感謝したんだ」
「レモとロヒの事は、この家の者しかしらない事なんだ。この村で生きる者として私からも詫びと礼を言わなければならない。本当にすまない。そして、ありがとう」
そう言って小父さんは立ち上がり、どこかへと歩いていってしまった。
すまないと言う、小父さんの話を聞いていると、僕は誰かを許したことになっているけれど、僕は本当に許しているのだろうか?
ロヒの仇討ちをするつもりはないけれど、許しているかと訊かれると少し答えに詰まってしまう。
アスラに怪我を負わせた海賊達を怒りに任せて虐殺したのは、目の前でそれが起きたからだ。
その怪我を負わせた人間だけではなく、その海賊一味を全滅させるほどの怒りが僕の中にはあった。
目の前でロヒが殺されたのならば、僕はアスラの家族だけではなく、この村の人々、皆を殺してしまうかもしれない。
僕は僕の中に存在する獣を怖いと思った。
鍛錬を終え、アスラが僕の方へと向ってくる。
汗を拭きながら僕の隣へ座った。
「……父さんとなにを話していたんだ?」
「小父さん、あやまっていた。それとありがとうっていわれた」
「おやじが……」
こんな話は続けたくなかった。
ロヒの事で、誰かを恨んだことはない。確かに許したとは言えないけれど、その相手はもうこの世にいない。
アスラの家族の中に僕が恨みの対象としている人はいないんだ。
そう思い込まなければ、なにかの拍子に僕の中の獣が暴れだしてしまうかもしれない。
そんな事ばかり考えていては、また暗く落ち込んでアスラやヴェルに心配を掛けてしまう。
話を変えよう。
「家族全員で毎朝鍛錬をしているの?」
「ああ、そうだな。まあ日課のようになってるよ」
「そろそろ僕も鍛錬を再開しないと……」
「あまり強くならないでくれよ。追いつけなくなる」
「え? 僕なんかよりアスラの方がよっぽど強いんじゃないかな」
「そんなことはないよ。ヴェルの兄さんとやりあった時みたいなこと、俺には出来ないぞ」
「僕だって、アスラみたいな動き、できないよ。試合、やってみる?」
「え? うん……。今は止めておくよ」
強そうな相手であれば所かまわず試合をしろと言っているアスラらしくない。僕はまだアスラが戦ってみたくなるほど強くはないということだろうか?
「ラプの父さんも萎竜賊の剣技を習得してたらしいぞ。人じゃ太刀打ちできないほど強かったらしいよ」
「え? ロヒが……」
「ああ、生きていたら……、ラプも萎竜賊の剣技を使ってたのかもしれないな」
そういって少し暗い顔をする。こんな顔は見たくはないけれど、これから数か月は同じようなことが何度もあるのだろう。
「アスラの家族全員が萎竜賊ということになるの?」
「え? ああ、いや、萎竜賊というのは、本来はもっと南の、エテナよりさらに南にある村の人達の事なんだ」
そう言えば、ミエカが萎竜賊は南の方にある町か村の一族ではないかと言っていたように思う。
「え? それじゃアスラは萎竜賊じゃないの?」
「俺は萎竜賊流の剣技を使うけれど、萎竜賊かと言われれば、違うと思う」
「思う?」
「剣技は使わせてもらっているけど、萎竜賊っていうのは、本来はその南にある村の人達のことを指す言葉だからな」
「そうなんだ。でも僕達竜にとっては怖い名前だよね。萎竜賊って本当に竜を狩ることが仕事なの?」
「え? あはは。違うよ、仕事じゃない……」
少しだけ笑ったアスラだったけれど、すぐに沈んだ顔になった。
またロヒと伯父さんの事を考えてしまっているのだろう。
「萎竜賊流剣技は確かに竜を殺す事を目的にしているけど、実際には、大昔、剣技を創った人が三体だけしか殺していないらしい。その三体以降は剣技だけが伝わってはいるけど『竜心』を見る魔力が消えたらしくて竜は倒せないらしい」
「竜心?」
「そう……竜心。ん? ラプ、もしかしてお前、竜心を知らないのか?」
「うん。知らない」
「いや、見えるだろ? 自分の身体に纏っている魔素が渦を巻いている場所が」
僕は自分の身体を見る。
確かに魔素は纏っているけれど、渦なんてどこにも見えない。
「竜は、アスラ君ほど良くは、魔素が見えていないんだよ」
突然後ろから声がする。
驚いた僕とアスラが振り向くと、パウレラが立っていた。
「パウレラさん、どうしてここに?」
「君達が報酬をほっぽり出していっちゃうから、届けに来たんだよ」
「あっ」
僕とアスラは同時に小さな声をあげた。
そう言えば、海賊退治の報酬を受け取っていなかった。
「それに、この村にも一度来るつもりだったから、良い機会だと思ってね」
「しかし、君の家族には、とんでもない人がいるね……。あれが君の家だろ? もしかして人ではないのかな?」
パウレラの真剣な眼差しはアスラの家の方を向いている。
きっとロヒの事だろう。言われてみると、確かにロヒから感じる事ができる魔力は、人どころか、竜すらも超えている。
その魔力は、今では一体だけが生き残っている創成の竜にも匹敵していると僕は感じていた。
「はい。人ではありません。でも竜でも魔族でもないそうです……」
僕とアスラはロヒの事をパウレラへと話した。
「つまり、竜と魔族の合の子ってわけか。……なんだか恐ろしいものを魔王は残して消えたんだな」
「パウレラさんはゼノ様が消えた事を知っているのですか?」
「ああ、魔獣の森から変質した魔素が消えた事も知っているよ。ところでアスラ君、今更だが、君は私の正体も知っているのだよね?」
「はい。竜心も見えます」
「……恐ろしいことだ」
竜心と言う言葉の意味が判らない僕には、なにが恐ろしいことなのか判らない。
「それで、竜心ってなんなの?」
「竜の急所みたいなもんだな」
「急所……」
「竜は体中がぼろぼろになる程の怪我を負っても死にはしないのだろ?」
僕はぼろぼろになる程の怪我というものは経験がないのでよくは判らない。だけど、ミエカからはそう聞いた事がある。
「でも、その竜心を破壊すれば、普通の竜なら一発で殺せる……」
「そうなんだ……」
自分自身でも判らない、竜の弱点である竜心の場所というものがアスラには見えるということらしい。
それでパウレラが恐ろしいと言ったのか。
「その竜心というものが僕にもあるんだね?」
「……ああ、……ある」
「どこ?」
僕は椅子から立ち上がり、身体をアスラに向けた。
「それは……後で教えるよ……」
パウレラがアスラに代わって答えてくれた。
「そうだね。教えてもらうのは私が居ない時の方がいい。竜心は竜毎に場所が違う。だから急所ではあっても、そうそう簡単には場所が判るものじゃない。だからこそ竜心は他人に知られないようにしなければならないんだ。私だって例外じゃないよ」
それ程重要な場所が自分の身体にあるのだという事を知ると、なんだか少し怖くなってくる。
アスラにはその場所が見えているらしい。つまり竜を殺そうと思えば、竜心を一突きするだけで事が終わるということなのだろう。
僕は自分が怖いと思っていたけれど、アスラはその僕を倒せる術を持っているんだ。




