死んだロヒ
僕は言葉が出なくなっていた。
考えることも、あまりできていない。
目の前にロヒが居る。それしか判らない。
「紹介する。これは兄の『ロヒ』」
「あ……」
僕は、なにかを言おうとするのだけれど、言葉が出てこない。なにを言いたいのかすらも自分自身が判っていない。
口をパクパクとさせているだけで、ロヒを見ていることしかできなかった。
「ラプ、ロヒ様は死んだんじゃ……なかったの?」
ヴェルが何かを言っているらしいが、僕にはその声は届かない。
目の前に居た、ロヒと呼ばれる人物が僕の方へと向ってくる。
ロヒは僕の目の前までくるとしゃがみ込み、僕を抱き締めた。
「君がラプ君だね。驚かせてしまってごめん。私はロヒと呼ばれているけれど、君が知っている、君の親であるロヒさんではないんだ」
僕は抱き締められたまま、なにもすることができず、そのまま立っているだけだった。
しばらくは、立ち尽くしたままの状態が数分は続いていたのだと思う。
家の中に入り、居間へと通されると「座って」と言って初老に近い女性が椅子を引いてくれた。
僕が言われるがままに椅子へと座ると、その女性は後ろから僕を縋るように抱き締めて、「ごめんね」というと泣き出してしまった。
僕にはなにが起きているのか判らない。
「母さん、落ち着いて。ラプ君が困ってるよ」
その女性は、アスラに似た、背が高い男に支えられるようにして別の椅子へと座る。
僕は座ったことで少しだけ落ち着いて周りを観察することができるようになっていた。周りに多くの人が居ることに気がつく。
その部屋に居るのは、僕とヴェルの他は、お爺さんと初老の夫婦、アスラに似た若い男とロヒと呼ばれる男、そしてアスラだった。
アスラと、そのアスラに似た若い男はテーブルに椅子がないらしく僕とヴェルの後ろへ立っている。
僕はロヒを最初に見た時からすれば、かなり落ち着いてきていた。
それでも夢の中のように、ふわふわとした、なんとも言うことができないような感覚で上手く考えることができない。
「ラプ君、落ち着いてくれたかな?」
僕はその声の方へと顔を向ける。
声の主は、この部屋の中で一番の年長者だ。
「私はアスラの祖父。名前をシテンと言う。……これから話す事はラプ君にとって、とても辛い話になるだろうけれど、少しの時間だけ我慢して聞いていて欲しい」
僕は返事をするつもりで口を開くが、口をパクパクとさせるだけで、声が出ない。声を出すことを諦め頷くだけの返事をする。
「そして辛いだけではなく、その中で怒りを覚えるかもしれない。その怒りはアスラを含む、ここに居る私の家族全員を殺したくなるようなことかもしれない。……いや、そうなるのが普通だろう」
僕がアスラを殺す?
「だけど、我々を許して欲しい。その願いは身勝手なことでしかないが、それでも許して欲しい。……それでも殺したくなる程の怒りが抑えきれないと言うのであれば、この老体だけにして欲しいんだ」
つまり殺すなら、この老人一人だけにしろと言っているらしい。
どんな事があれば、ここに居る全員を殺したくなる程の怒りが起きるのだろう?
僕はアスラと初めて会った時の事を思い出していた。
刺繍が入った黒い服。
黒い髪で鋭い目付き。
異様で強い魔力。
そんな人物から感じ取れる、危険な雰囲気。
それらはミエカが言っていた、ロヒを殺した奴に関係しているらしい『萎竜賊』と呼ばれる者を連想させるには十分なものだった。
それでもアスラは若すぎる。ロヒが殺されたのはアスラが生まれるよりも前のはずだ。
関係者ではあるかもしれないけれど、当事者ではないと思っていた。
そして、アスラが萎竜賊かもしれないという考えは、三人で過ごす楽しい旅の途中では取るに足らない事、さほど重要ではない事柄になっていた。僕の中では殆んど忘れていたといってもいい程の事になっていたようだ。
だけど、今、ロヒが目の前に現れ、僕が大きな怒りをこの家族にぶつけるかもしれないと言われた時、アスラと出会った時のことを思い出す。そして、なぜアスラが僕の前から姿を消したのかもぼんやりと理解できた気がした。
それでもまだ、ぼんやりとした考えでしかなく、上手く考えを纏めることはできない。
「……あ、あなたたちが……」
なんとか口から出すことができる言葉は、後が続かない。
アスラがコップに水を入れてきてくれて、僕の前に置く。
それを一気に飲み干して僕は再度、口を開いた。
「あなた達が『萎竜賊』と呼ばれる人達で、ここに居る誰かがロヒを殺したということですか?」
部屋の中は静まり返り、アスラの家族は皆、驚いた顔をして僕を見ている。
しばらくの沈黙の後、最初に声を出したのはアスラだった。
「もしかして、知っていたのか? 俺が萎竜賊だって」
「うん。……最初に見た時にそんなことを考えたよ。ミエカに聞いていたんだ。……ロヒを殺した人の特徴を」
「どうして、黙っていたんだ。仇だとは思わなかったのか?」
「ロヒが殺された時、アスラはまだ生まれてもいなかったでしょ? その内に話すこともあるかもしれないとは思ったけど、僕は仇討ちをする為に旅をしていた訳ではないから、ほとんど気にしていなかったんだ」
「そんな重要な事を気にしていなかったって……」
アスラはそう言うと呆れたような、少し悲しそうな微笑みを浮かべて、僕を見る。
その目付きにはいつもの鋭さはなく、どちらかと言えば優しそうな顔にさえ見えた。
「ラプ君。君には大体の事が理解できているらしい。それでも説明する責任が私達にはある。先刻、私が言ったように、もしも殺したくなるような事があっても、それは私だけにして欲しい」
「あなたが、ロヒを……殺したのですか?」
「いや、ロヒを殺したのは、……私の息子だ。しかし、既にこの世には居ない。ロヒを殺した後、すぐに殺されたんだ……」
「そうであれば、僕は誰も殺すことはしません。仇討ちをする気は、……あまり、ありませんでした」
「そうか……。ありがとう」
言った後で僕は自分の言葉が本心なのか疑問を持つ。
確かに僕は、ここに居るアスラの家族を殺したいとは思っていないけれど、ロヒの仇を取りたくないというわけでもない。
ロヒが死んだことで僕は悲しみや寂しさを感じたのだから、それを引き起こした人へ怒りを感じるはずではないのだろうか?
今のぼんやりとした頭では、その答えは考えだすことはできそうにない。
それからその老人は、ロヒを殺すに至った経緯を淡々と語った。
その話は、このクラニ村に代々受け継がれている呪いから始まっていた。
アスラやアスラの家族、それにこの村の人々の左腕に見える黒い魔素は呪いの名残で、この村に住むほとんどの人々は魔獣の森より北にしか存在しない変質した魔素を必要とし、それが無ければ命に関わる、つまり死んでしまうというものだった。
そしてその呪いを解く方法を魔王ゼノがこの家族へと伝えるが、その方法には竜の遺骸を必要とした。
ロヒはこの老人の親と親子とも言える程の関係だった。しかしロヒはこの老人の母親を殺してしまう。つまりアスラの曾祖母にあたる人をロヒが殺してしまったらしい。
「ロヒが……殺したの……ですか?」
「ああ、もちろん事故だよ。ロヒに殺す意思はなかったし、私の母の過失でもある。でも、私の息子はそれを言い訳に、ロヒが竜だと知ると、自分の自由の為にロヒを殺したんだ……」
先刻、僕を抱き締めて泣いていた小母さんは、ずっと辛そうな顔をしていたけれど、老人の言葉を聞き、さらに辛そうな顔をして涙を落とす。
この小母さんはアスラの母さんだろう。きっと、その辛さはロヒが死んだ後もずっと今日まで、二十年以上に渡って、この小母さんを苦しめつづけていたのではないだろうか。
事故であったとしてもロヒに責任は在ったのだろう。
つまりロヒはその責任を取らなければならず、責任を死という形で取ることになったらしい。
「私達はロヒの死の上に胡座をかいているようなもんだ。自由を手に入れたが、ロヒと君にはどれだけ詫びても許されないという思いがある……。この老いぼれの命であれば、いつでも奪ってくれて構わない。でも、私以外の者は許してやって欲しい」
その老人の何度も口にする、自分以外を許し、その代りに自分の命を奪えという言葉は、まるで死にたがっているのではないかと思うほど、何度も繰り返された。




