祈り
宿屋へ戻るとパウレラが僕と同じくらいの歳の男の子と話をしていた。
僕と同じといっても十五歳ではなく、もちろん四十二歳でもない。十歳前後に見える。
「————それに、君は剣も持っていないだろ? 魔法が使えるという訳でもなさそうだし……」
パウレラがそう言うと、その子は腰に下げていた木刀を握りしめた。削り方が荒いその木刀は、きっと自分で削ったものだろう。
遠巻きに見ていた僕達の方へと、その子は目を向け、僕を見詰めた。
「……あいつは、やるんだろ? おれだってできる」
僕を指差し、パウレラへ懇願しているその男の子は今にも泣き出しそうな顔なのに精一杯の声を振り絞るようにそう言った。
パウレラは首を振り、やさしく答える。
「あの子は十五歳だよ。それに魔法も剣も大人以上に扱える。なにより冒険者組合へ登録された立派な冒険者だ。……悔しいだろうけれど君を連れて行くことはできないよ。仇はかならず私達でとる。その報告を待っていてくれないか」
その男の子は悔しそうな、今にも泣き出しそうな顔をしながら宿屋を出ていった。
「今の子、どうしたんです?」
ヴェルがパウレラへと訊いた。
「討伐隊に加わりたいと言ってきたんだよ。……あの子の両親は海賊に殺されたんだ」
「そんな……」
そう呟くとヴェルは、男の子が出ていった宿屋の入口を向き、両手を合わせて祈るような仕草を見せた。
「お祈り? ヴェルはどうしたんだろ?」
ヴェルの仕草の意味をアスラへと訊く。
「……さあな。……あの子の両親への祈り……じゃないか……」
そう言うアスラの顔は、なにか思い詰めたような顔をしていた。
なんだか青ざめて見える。
「あの子のこれからに幸せがあらんことを。って願ったのよ」
ヴェルは僕の声が聞こえていたらしく、祈りの意味を教えてくれた。
「祈るなんて意味があるの? そんな事をするより、金や権力を持っている白竜公に話して、どうにかしてあげる方が意味があるように思うのだけど」
僕の言葉を聞いて少し怒ったようにヴェルが答える。
「公爵だからって、たまたま出会った目の前の人だけを助けるなんて事はできないわよ」
悲しそうな顔に戻ったヴェルが話を続けた。
「この国の多くの不幸な人々を助けるというのが、公爵としての地位を授かった者の使命だとは思うわ。でも、それは公爵の地位を持っていたとしても簡単なことではないのよ。父様だってこの国の人々が幸せに暮らすための努力はやっているはずよ」
「今の私にできる事は、目の前に居る人の幸せを祈ることだけ……」
ヴェルはそう言うと、また両手を胸の前で合わせ祈っていた。
僕にはやっぱりヴェルの祈りの意味がまだよく理解できない。皇都で神とされている、僕のお爺さんである白竜に祈りが届けばなにかあの子にしてあげられる事があるのだろうか? 白竜はそんなことをするようには思えなかった。
人という生きものは、祈るということが出来るようになる者のことなのだろうか?
それが出来るようになれば、僕も人へと近付くということなのだろうか?
僕はこれから先、人の幸せを祈ることができるようになるのだろうか?
宿屋の人へと聞くと、この辺りの島は殆どが無人島らしいので、僕等は飛んで無人島を探すことにした。
「落るなよ。もう水は冷たいぞ」
海上へと出るとアスラが僕とヴェルへ向って言う。
「だ、だいじょうぶよ。たぶん……」
ヴェルは少し不安そうだ。
秋なので水は既にかなり冷たいだろう。この海は皇都からは、結構な距離を北へいった所なので夏場でも冷たく感じるかもしれない。
「アスラこそ大丈夫なの? なんだかさっきは、顔色が悪かったように見えたけど……」
宿屋を出る時にも訊いてはみたが、平気だとしか言わなかったので僕にはなにもできなかったけれど、海の上で倒れでもしたら大変なので一応は訊いてみる。
部屋の中では青ざめて見えていた顔色も外で見るとそれほど悪いようには見えない。けれど、無理をしているのであれば言って欲しかった。
「ああ、平気だよ」
僕の気の所為なのだろうか? そう答える今のアスラの顔は、青ざめてこそいないが、なんだか暗く見える。
無人島らしき島はすぐに見付かった。
「ここでいいか?」
「ええ。ここにしましょ」
その島は小さく、白竜公の邸宅よりも狭いかもしれない。
「ラプ、アスラでもいいけれど、人を殺さないで気絶だけさせるくらいの雷光って、どれくらいか教えて」
僕は先日、初めてやったばかりだ。その時の感覚もあまり覚えていない。
「アスラ、僕はまだ自信がないよ。教えてあげて」
「なんだよ。野盗退治じゃやってたじゃないか……」
しぶしぶと近くの岩へと向き、雷光を落とす。「ぱん」という音と共に稲光が岩へと落ちた。
「これくらいだ。もういいか?」
「練習するわ……」
そう言ってヴェルも岩へと雷光を落としだした。
ヴェルの雷光は十発撃って、三発くらいの命中率だった。
あれではあまり役に立たないかもしれない。
「せめて十発中、九発は当てるようになってくれよ」
アスラはヴェルへと向って言う。
ヴェルは「判ってるわよ」と、少し苛ついたように答えた。
「俺は海岸にでもいってるよ」
アスラはそういって海岸へと向って歩く。
「僕も行くよ」
僕はその後へと付いていった。
海岸へ出て、海の中を見る。
アスラがいなければ竜体になって飛び込み、魚でも取りたくなってしまう。
水へと足を入れると冷たい。竜体であればどうということもない冷たさだけれど、人の身体だと一分もつけていられない。
しばらくは水辺で遊んでいたけれど、中に入れないので、すぐに飽きてしまった。
岩に腰を下ろしていたアスラの横へと行き、僕も腰を下ろす。
「アスラ、本当に平気なの? どこか身体の調子が悪いんじゃないの?」
いつも明るい顔というわけではないけれど、やはり今日のアスラはなんだか暗い顔をしている。今は青ざめているわけではないけれど、やっぱり心配だ。
「ああ、平気だ。飛べなきゃ海の上なんて飛ぶ前にちゃんと言うさ。ヴェルの為にキツい思いまでする気はないよ」
アスラはそういって少しだけおどけたような顔を見せてくれる。
「そう。それならいいけど……」
やっぱり僕の気の所為らしい。
けれどアスラのそのおどけた顔は、僕にはやっぱり少し暗く沈んだ顔に見えていた。
ふと、先刻のヴェルがやっていた祈りの事を思い出し、アスラへと訊いてみた。
「アスラは人の為に祈ったりする?」
「祈る? ……いやないな」
「そうなんだ。ヴェルとアスラはどっちが普通なの?」
「どっちって。別にどっちも普通だろ。そんなのは人それぞれだ」
「そうなんだ」
「ただ、墓の前では祈るぞ。だからって神様も死者の霊も信じてるわけじゃないけどな。だから誰かの為じゃない」
それは僕が山を降りる時にロヒとミエカを埋めた場所へ行った事に似ていることなのだろうか。
「俺がこうして生まれた村から出て、冒険者になることができたのは伯父さんのおかげなんだ。その人の墓の前では『ありがとう』って感謝はする。たぶんそれは祈りだと思う」
「へえ。……その人のおかげって?」
「それは……」
アスラはなにか言いたげではあるが、言い辛いことらしく、言葉はでてこない。
「あ、無理に言わなくてもいいよ」
「……すまん。その内に言えるようになる……と思う……」
やっぱり今日のアスラは少し暗いように感じてしまう。
いつも明るい訳ではないけれど、話の間もなにか辛い思いを隠しているように見えてしまった。
ヴェルの雷光を練習している破裂音が、既に寒さを感じる秋の空へ響いていた。




