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菌類との戦い

作者: 外並由歌

 なぜだ。呻く声が部屋に響き渡る。風が巻き起こってその生暖かさは、何かを洗い流すような夕立を予感させた。


「貴様こそ……貴様こそ我が苗床に相応しい……! それを、滅ぼすなどと……!」

「御生憎様、です! 私は世界に暗雲を(もたら)すあなたのようなキノコとは、添い遂げたくありませんから!」


 巨大な影が苦しみもがくのを、キサラとその仲間達はじっと見据えていた。やがて塩を舐めたように縮んでゆく諸悪の根源。彼女達はついに倒したのである。人間を苗床に繁殖し、この世を掌握しようとしていたキノコ族の長、タワベヤテングタケを。

 その旅の始まりは、キサラの家族がタワベヤの胞子を食わされたことから始まる。父親に庇われただ一人胞子から逃れた彼女は、はじめこそ愛する家族を失った悔しさだけを糧にタワベヤテングタケの討伐を目指していた。しかし旅のさなか、素晴らしい仲間達に出会いそれも変わった。キノコの調理法を丁寧に教え、自らも包丁を握って数々のキノコ料理を生み出してくれたアイザ。誰よりも熱心にキノコ毒の研究に励み、ときに手にした毒でいたずらをしながらも多くのキノコの食用を可能にしたユーマ。ファッションとしてのキノコの在り方に注目し、パリコレへの発表も適うだろうというほどのアイテムを縫製してきたツヅ。避雷針の設置を公約に掲げ当選し、地域の人々と助け合いながらキノコの過剰な誕生を未然に防いだ議員、ひらた勝芳。彼らは人とキノコとの在り方を示し、ただ相手を滅ぼすだけではない道をキサラに教えてくれたのだ。

 塔の、切り取られた窓から覗く空が晴れ渡ってゆく。「やっと……」キサラは呟いた。「やっと、人々が安心して椎茸を干せる日が来ました…——」

 振り返れば仲間達が笑っている。とりわけ、はじめからずっとキサラを支えてくれていたアイザの表情が眩しく思えた。その口が言う。


「世界も平和になったことだし……キサラには俺の苗床になってもらおうかな」

「え?」

「ちょっと待ちなさいよアイザちゃん。キサラちゃんを苗床にするのはこのアタシ。出会ったときからずーっと決めてたんだから」

「えっ、ユーマさん?」

「ストップストップ! 二人ともなーに言っちゃってんの。キサラが装備してるフレア・フレアタケワンピースが目に入らないの? これは既に、私ツヅ・カーネアンの苗床になったようなものでしょう!」


 視界がぐらりとゆれた。この人達は何を言っているんだろう。眩暈の中で微量に散布する色の違う胞子が見えて来る。まさか、まさか。

—— ち、違いますよね…。そうです! きっとタワベヤの胞子を浴びすぎて、アイザ達も乗っ取られているんです! 時間を置けば……あるいはサウナで蒸し込めば……そうでなくとも私の剣できっと、元の彼らを取り戻せるはずです!

 キサラは剣の柄をぐっと握った。これまで惜し気もなくふるってきたはずの勇気をなんとか振り絞り、仲間達に問い掛ける。「あの!」集まる視線の粘着質を、先程倒したばかりの巨悪と繋げてしまわないようにすることがどうしてか難しかった。


「皆さん、おかしな冗談は止してください。苗床だなんて、」

「ああ! キサラちゃん……! アタシの苗床のキサラちゃん!」

「ひっ……」


 ユーマが身振り手振りを大きくして、夢見るように叫びだした。「キサラちゃんを苗床に育ったアタシはどんな成分を持っているのかしら……! きっと何者にも扱えない、甘美な毒を持っていることでしょう……!」人を弄ぶような冗談を言う彼の、それでもいつだって冷静な光を湛えていた飴色の瞳が狂気的に潤んでいる。官能に身を焦がすように柔らかい白髪を細い指先で掻き乱し、桃色の唇が息を荒げていた。

 一歩後ずさったキサラの細い手首を、誰かが掴む。


「な、なにするんですかっ、ツヅちゃん!」

「ねぇ、私の苗床になってくれるよね? この装備、すごく喜んでくれたんだから……」

「皆さん変ですっ! タワベヤテングタケの胞子にやられてしまっているんです!」

「やだな、ラスボスと混同するなんて……約束したでしょ、私達、戦いが終わってもタケトモだよ……って」


 ふふ、と笑いを零すツヅはいつもと変わらないように見えるのに、なぜだか寒気がする。どんな服でも靴でも作り出す、魔法のような指先は案外普通の女の子らしく柔らかくて、キサラは好きだった。こんなに、恐ろしい柔らかさをしていただろうか。割いたら綺麗に縦に割れそうな、こんな柔らかさ。細いプラチナゴールドの髪がさらさらと頬を撫でる。キサラの平凡な茶髪と交ざろうとしている。

 ざん、と音がして、思わず目をつむった。キサラ、と愛しい声が呼ぶのに、もう何も聞きたくはない。「うそです……そんな……」薄目に見たのは斬り倒されてもなお、こちらに手を伸ばそうとするツヅ。自身を掻き抱いて興奮に震えるユーマ。一番近くに、

 アイザの姿があった。


「ようやくこの時が来たんだ、キサラ……さあ、この胞子を受け取ってくれ。その身に宿し、育んでくれ……」

「嫌です…! 何を、そんな、こどもみたいに……!」

「こどもも同然じゃないか。待ち遠しいよ、キサラのか弱い痩身の体のいたるところから、俺が生えて来る様を目の当たりにするのが…!」

「やめてください!」

「その愛しい顔がみにくく歪む日のことが!」

「やめてください、アイザ! 気持ち悪い!!」


 その逞しい腕を振り払い、距離を取る。怪訝な顔をする彼等の表情は、キサラが苗床になるのを当然と思っていたかのようである。——当然だなんて、菌類の苗床になるなんて御免だ。冗談じゃない。(騙さ、れていたんです……)人間として近づいてきた彼等は皆、先程ようやく(たお)したばかりのタワベヤテングタケと同じように、この非力な体を養分にしたがっていたのだ。今までずっと。そう、彼らは、(キノコ族……だったなんて……!)

 気持ち悪い、と疑問符を添えてアイザが繰り返した。行き場を失った手が、海色の髪の包む頭を抱え、切なげに眉を潜める様子に殺意を禁じ得ない。キサラは剣を抜いた。


「なんで、キサラ、」

「そうよ、アタシたち、仲間じゃない」

「みんなキサラのこと愛してるんだよ」

「煩いっ……こんなこと、タワベヤテングタケと変わらないじゃないですか!」


 なんて気味が悪いんだろう。たった今解決したばかりの問題がまだここに鎮座している。三つもの形をとって!

「変わらないだって!?」三者は顔を見合わせ、あいつとは違う、他の人間を苗床にしようなんて思わない、これは愛の形だのなんだのと宣った。馬鹿言わないでほしい。あんな定型もなく下品に育っていく植物をこの身で育てろというのか。そんなものを愛などと呼ぶのか。


「ありえない……ありえないです! 気持ち悪すぎます!」

「キサラ……、私達のことを人間だと思っていたのを、訂正しなかったのは謝るよ。だけど仮にも仲間だったのに、どうしてそこまで拒むの?」

「そうよ、キサラちゃんだってアタシたちのことが好きでしょう?」

「この期に及んでまだ仲間だなんていうつもりですか!」

「キサラ…!」

「名前を呼ぶのもやめてください!! 反吐がでます!!」


 こんなキノコ類たちを仲間だと呼ぶくらいならこの身引き裂いて犬にでも食わせたほうがマシだ。だいたい、キサラはキノコが好きではなかった。食べるのも触れるのも、においすら嫌いだ。見た目を可愛いなどと思ったこともなかった。それでもここまでやってこれたのは——勿論、そうだ、彼らが好きだったからだ。多様な角度からキノコという生物との和睦の道を見出だし、キサラの手を引いてくれる、寛容で頼りになるその人柄に……人間であればこその長所に、惹かれてここまで来たのだ。それがどうだ。本人たちがキノコだったなんて、茶番もいいところじゃないか。思い出も交わした言葉も何一つ、触れたくも思い出したくもない。

—— ああだけど、どうしろっていうんです! 愛する家族をなくし、あまつさえその元凶ともいえる種族に騙されて友好を築いてきたなんて、いくらなんでも酷すぎる! そんなこと認められません、認めてしまったら、私はこれからどうやって生きろというんでしょうか……!

 あまりに心許ない、砂の杖の上に立っているようだった。何一つ許せないものばかりがキサラの周囲を囲って、いつでも悲しみの底に沈められてしまう、そんな場所。何か、掴めるものはないかと手をさ迷わせる。ふらつきながら。

—— 彼らは本当にキノコ族なんでしょうか……。確かに今このとき、胞子の散布が視認できるのだから彼らはキノコ族なんです。だけどはじめから、本当に、ずっと?

 ならどうしてアイザはキノコ料理などしていたのだろう。なぜ、ユーマはキノコ毒の解毒を研究し、食べられるよう促していたのだろう。それに、大事なことを忘れていた。ツヅは——彼女も、食用としてのキノコは嫌いだったはずなのだ。

 そのとき、何か声がした。塔の外から拡声器を通して誰かが何か言っている。キサラはガラス戸のないすぐそばの窓から塔の下を見下ろした。


「っひらた議員!」


 そこには、政治家としての仕事を全うするために街に残り、パーティーから外れたはずのひらたが、日本警察を従えて立っていた。声は彼のものだった。

—— そう……、そうです、本当にアイザ達がずっとキノコ族だったなら、ひらた議員の避雷針の公約を支持したり、実際に設置を手伝ったりしないはずです。あれはキノコの過剰な繁殖への、対策なんですから……!


「ひらた議員!」

『キサラ・ストーラー。聞こえるか』

「きこえます…! 大変なんです、助けてください!」

『何か言っているようだが、生憎こちらからは君の声は聞こえない。しかしまあ、こちらの声が届いているようなら十分だ』


 こちらとしても、それで十分だった。ずっしりと構えた穏やかな声音は父によく似ていて度々励まされた。ひらたはいつも正しいことをいい、真摯な態度で全てのことに臨んだ。避雷針の設置にあたって、雷を逃がした土地の状態によっては逆にキノコの繁殖を助長してしまう可能性があることを示唆されたときも、その意見を決して軽視したりせず、専門機関での実験を重ねて設置場所を慎重に定めた。アイザ達がはじめからキノコ族だったとして、彼に限っては万が一にもそんなことはありえないだろう。

 それだけの信頼を無意識においていた彼は、淡々と、けれど堅実に、語りはじめた。驚くべきキサラの秘密を。


『私が訪ねたキノコ類の研究機関すべてに、頼んでいた調査がある。それが君、キサラ・ストーラーのオーガナイザーとしての素質だ。

 先刻、結果が出た。黒だったよ』

「……? なんですか、それ、どういう……」

『その場にアイザ君達もいるね? どういう形をとっているかはわからないが……少なくともアイザ君は、もう人間ではないだろう』

「!」

『おそらくキノコ族に……。君が、そうしたのだ、キサラ』


 急に耳が音を拾わなくなった。吹く風も、ざわめく木々も、どこにあるのかわからない。

 私が、そうした? アイザを、(キノコ族に?)


『不思議だとは思わなかったか。悪事を始めたころのタワベヤテングタケは、何も人間を苗床にすることばかりを目的にしていなかった。むしろ山の木々をすべて苗床にする、キノコの山計画の推進が目立った。それが、君がタワベヤテングタケ討伐に加わったことを奴自身に知られた日……覚えているね』


—— “気に入った”と。確か、そう……、


『それから奴は君を苗床にすることにこだわり始めた。街の受けた被害報告書を見ても明らかだ。完全にキノコの山計画はストップし、君をさらったり、捕らえたり、そのための下準備の作戦に重きをおいている。他のキノコたちもだ。そんな中、私は自分の中にある異変が起こっていることに気付いた』


 目の前が暗くなってゆく。もうどういうことなのか、キサラは知っていたのかもしれなかった。もし、アイザ達がはじめは人間だったとして、では一体どの時点でキノコ族に転換してしまったというのだろう。少なくとも、()()()()()()()()()()()()内のことに違いない。どうしてタワベヤテングタケは、誰でもない、キサラだけを苗床にしたがったのか。

 それはキサラが、


『キサラ。たとえば私がキノコ族なら、君を苗床にしたい。いつしかそんなことが頭から離れなくなってしまったんだ。』


 それは、病的と言っていい感情の起こり方だったと彼はいう。


『だから私は調査した。これは私だけに起こっている現象なのか。答えは否だった。なぜならアイザ君達も、同じ感情を吐露したからだ。では、全国的に起こっている現象なのか。これも否。局所的、それも君の周りにしか起こっていないらしい。この調査で一緒に、次のこともわかった。まず一つ目、君の辿った軌跡ではやたらとキノコ族の繁殖が多いこと。二つ目に、うち数名が人間から転換するという異例の誕生のしかたをしていたこと。私はここから、君がキノコ族の、とくに繁殖に関する生態形成を生み出す形成体である可能性が存在するのではと考えた』


 アイザも、ユーマも、ツヅも。はじめは人間だった。

 しかしそれを変えてしまった。

 キサラが。


 この見立てが、たとえば間違いだったとしよう。それをキサラは主張できるだろうか。さきの考えのように、アイザ達がキサラを騙していたことに、キノコ族の悪意とも言える情欲に遊ばれていたことに、できるだろうか。(……できません……)出来ない。だってキサラは、仲間を愛していたのだ。家族を愛していたのだ。そして、キノコ族を、人間をただの栄養分としようとするタワベヤテングタケを、憎んでいたのだ。それなのにどうして、家族を殺したタワベヤテングタケと同じ思想を、なんの理由もなく仲間が抱いていたなんて思えるだろう。


 何かやむを得ない理由さえあれば。

 誰か一人、その理由を生み出した人物さえいれば。


 それだけを恨んで、愛するもののことは大切に胸にしまっておけるのだ。


 気がつけば背後からアイザだったものに抱きすくめられている。両足をそれぞれ、キノコ族になってしまったユーマとツヅに掴まれていた。拡声器を通す声はいつのまにか同じことを繰り返している。『キサラ、君を苗床に…』「キサラ、」「キサラ、」「アタシの胞子、育ててくれるでしょう?」『苗床にしたい』「俺の苗床になってくれ」「私の胞子、もらって…」「俺だけの」「キサラ、」『キサラ…』「キサラ」「貰って」「愛して」「育ててくれ」『キサ、』銃声がひとつ。バーナーの息する音が微かに聞こえて、焼かれるキノコの香りが上って来る。もう彼も手遅れだったのだ。最後に、キサラに真実を伝えにきた。


「それを無駄にはできません……」


 柄を、もう離さない。一薙ぎがキサラの身を軽くする。愛する仲間達が二度と狂わぬように、この身体が悍ましい種の苗床になるために生まれてきただなんて肯定させないために、もう、この剣は、


「この身に埋めて、離しません。」


 貫いた胸を傾げて窓から乗り出す。塔の下できっと、ひらたの有能な仲間達が悪しき存在を消し去ってくれることだろう。

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