伝えられなかった言葉達
伝えられなかった言葉達
※男でも妊娠出来る世界です
道草がてらに寄った街であの子を見掛けた時、息を飲んだ。年齢のわりには小柄過ぎる体躯、少し癖のある黒髪に真ん丸とした灰色の瞳。顔の作りは平凡だが芯の強さが見える表情、全部あいつにーースノウの幼少期の頃にそっくりだったから。五年前、行方不明になってしまったスノウに。
俺とスノウは幼なじみだった。貴族の息子である俺と有名な魔法使いの息子であるスノウ。お互い身分は高く、親同士も仲が良かったので流されるままに結婚した。16歳だった。当時俺には付き合っていた人がいたが、他に好きな人が出来たとこっぴどく振られたばかりだった。だから自棄になっていたのかも知れない。自棄になりながらもそんな自分を認めたくなくてあくまで家の為だと誤魔化しながら結婚に踏み切ったのだが、スノウは違っていたらしい。初夜を迎えた日、ずっとずっと好きだったと涙を浮かべながら縋りついてきた。正直、鬱陶しかったが男の性に抗う気はなくスノウを抱いた。性行為自体は満足出来るものだったので、それから毎晩の様にスノウを抱いた。最中、何度も好きだと言われた。俺はそれに答える気はなくただ無言で聞き流していた。身体は数え切れないくらい繋げたのにキスは一度もしなかった。俺にとってスノウは体の良い性の捌け口に過ぎなかった。ただ良いようにスノウの身体だけを求める日々。そんな俺をスノウは一度だって非難したことはなかった。いつも「大好きだよ」と優しく呟いて俺の頬を愛おしげに撫でるだけ。俺のどこがそんなに好きなのか。自慢ではないが顔は良い、だけれど性格はこの通り横暴なのだと自覚している。それを素直に伝えればスノウは可笑しそうに灰色の双眸を細めた。
「自分のこと良く分かってるね」
「茶化すなよ」
「ふふ君は昔からそう。横暴で自分勝手で猪突猛進で、」
「本人を前に悪口かよ」
「でもねぇ覚えてる? 僕小さい頃よく苛められてたの。その度に君が必ずすっ飛んで助けてくれたんだよ」
「昔の話だ」
唐突に昔話を持ち出され、俺は気恥ずかしくなって外方を向いた。
「うん。でも僕にとって君はいつだってヒーローだ」
そんな恥ずかしい台詞を臆面もなく口にするスノウ。スノウの言葉通り、周りよりも小柄なスノウはよく苛められていた。確かに傍目から見れば庇ったように見えるかも知れないが、スノウは勘違いしてる。俺はスノウを守りたかったと言うより、ただ単純に苛めっ子達が気に入らなかっただけだ。ヒーローなんてとんでもない。そう言う俺にスノウははにかむだけだった。
「雰囲気が和らいだね」
「以前はどっかピリピリしてたよね」
スノウと暮らし始めてからというもの、口裏を合わせかのように皆から同じ感想を貰った。今思い返せば本当に穏やかな日々だった。それを壊したのは他ならぬ俺だ。結婚前に振られた相手が急に擦りよってきたのだ。やはり俺がいいのだと泣きながら懇願してきた。大きな瞳にキラキラと涙を溜めて、艶のある唇で「愛してる」と呟く美しい元恋人。身体の芯が熱くなっていくのを感じた。愛していると思った。だから本能のままに元恋人の唇を貪り、身体を重ねた。
「俺も愛してる」
最中、俺は何度も元恋人に囁いた。スノウには決して言えなかった愛の言葉がいとも簡単にするりと唇から零れ落ちる。元恋人から恋人に戻った瞬間だった。
スノウとは離婚しようと思った。元々スノウとの結婚などお飯事のようなものだったのだ。名残惜しげに恋人を解放した後、スノウが待つ家に帰ると俺の大好きなシチューの香りがした。はにかむ様な笑顔で俺の事を迎えてくれるスノウ。
「あのね話があるんだ」
一瞬、物凄い罪悪感に襲われたが俺の決意は揺るがなかった。
「俺も話がある」
「なに?」
「別れよう」
痛いくらいの静寂が辺りを包む。ぽたり、ぽたり、とスノウの瞳から涙が溢れ出した。泣き声は聞こえない。ただただ静かに泣くスノウが酷く痛々しかった。
「スノウを嫌いになった訳じゃない。だけど最初から好きじゃなかったんだ」
罪悪感で押しつぶされそうな俺の言い訳がましい台詞が口をつく。スノウは「分かった」とだけ返事をして自室へと籠もってしまった。その後、スノウとスノウの両親に頭を下げて婚姻関係を解消した。スノウと結婚してから3年。お互い19歳になっていた。こんな酷い仕打ちをしたというのに俺はどこかでスノウに甘えてたのだ。スノウは俺から離れていかない。スノウは俺を許してくれる。だから俺に黙って消えた時は信じられなかった。俺は迷子になった子供みたいに途方に暮れた。
恋人は直ぐに元恋人になった。また他の男に目移りして俺を呆れさせた。あんなに愛を誓い合ったのに馬鹿みたいだと自分自身を嘲ける。そしてここでようやく気付いたのだ。あんなにも簡単に「愛している」と言えたのは元恋人の愛が軽かったからだと。スノウの深い愛情とはまるで違う。スノウはいつだって全身で俺を愛してくれた。だから気軽に返せなかったのだ。
『大好きだよ』
ふわり、と春風のようにスノウの声が耳元を擽った気がした。涙が頬を伝う。今更だ。散々スノウを傷付けておいて今更だがスノウに会いたいと心から思った。感情が溢れ出す。優しい声もはにかむような笑顔も頬を撫でてくれる手付きも、全部ぜんぶ恋しくてたまらなった。それから俺はスノウを探した。夫であったにも関わらずスノウのことを何一つ知ろうとしなかった自分を恥じながら虱潰しに様々な場所に足を運んだ。スノウの両親に土下座してスノウが行きそうな場所を教えて貰ったがいずれも成果はなかった。気付けば五年もの月日が流れ、俺は24歳になっていた。
仕事の帰り、何気なく足を伸ばした隣り街でスノウとそっくりな五歳くらいの少年を見掛けた。俺はその場で凍り付いたように動けなくなったが、直ぐに我に返ると少年に話し掛けた。
『あのね話があるんだ』
少年を見て俺は全てを理解出来た気がした。あの時、スノウが話したかったこと。それは……。
「こんにちは。ねえこの辺で宿屋ないかな?」
どんな風に話を持って行こうか。そんな風に考えながら少年に話し掛ける。スノウの生き写しである少年は親切に案内役を買って出てくれた。
「有り難う。君のお母さんにもお礼を言わなくちゃね」
俺の台詞に少年の表情はみるみる暗くなる。俺は嫌な予感を覚えながらその時を待った。
「僕のお母さんね、去年死んじゃったの」
一瞬、少年の言葉が理解が出来なかった。息をするのも億劫なくらい視界がぐらぐらと大きく揺れる。誰かに心臓を掴まれているように心苦しかった。全て遅過ぎたのだ。
「でも僕泣かないよ。お母さんが言ってたの。僕のお父さんはね、僕は会ったことないんだけど強いヒーローなんだよ!」
すごいでしょう? とはにかむ少年を見て俺はその場で泣き崩れてしまった。