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「……君」

 声がした。優しい声。まだ夢を見ている、そんな気がした。

「和泉君」

 何かが揺れたのを感じた。

 ああ、これは夢じゃない。

 目を開けた。書物を読んだり、字を書いたりするために用いる台の木目が確認できた。

 少し目を擦り、上体を起こした。

「起きた?」

 桑原さんが机をちょこんと揺らした。

「あっ、ああ、うん」

 寝ていたのはわかったが、教室で寝ていたという感覚はなかった。いつ寝たかは覚えていない。

「流石一番後ろの窓際ね。ホームルーム中、爆睡していても誰も気がつかなかったみたい」

 そういえば、帰りのホームルームで先生を待っている最中に体を机に預けていたら、目を閉じてしまったんだ。

 周囲を見回すと、半数近い生徒はすでに教室から出ていた。その目で時計を確認すると、三時半を少し過ぎたところだった。

「新見さんは職員室に用があるって言ってたよ」

 もう一度目を擦り、「そう」とだけ呟いた。

「何話すんだろうね?」

 桑原さんの問い掛けに悩む仕種をするものの、裏腹に頭は働かないし、想像もつかない。

「……」

「何も考えてないでしょ?」

 桑原さんに顔を覗き込まれた。

「ご名答」

 こういう場面で維持を張らなくなったことも進展と言えなくもないかも知れない。

「あっ、私、新見さんが来る前に図書室に本返しに行ってくるね」

 桑原さんは踵を翻し、自分の机の中から二冊ほど本を抜き取り、教室から出て行った。その後ろ姿を見送り、もう一度目を閉じようと体を丸めた瞬間、影が僕を包んだ。

 ゆっくりと視線を上げる。

「何寝ようとしてるのよ?」

 入れ違いになったのか、僕の前に仁王立ちの新見さん。

「ああ、もういいのか」

「いいからここにいるんじゃない」

 いちいち刺のある言い方をされる。


 新見さんは前と同じようにすでに帰宅したであろう僕の前の人の席を拝借する。

 腰を降ろして、僕の机に肩肘を付いた時、「にぃ、帰ろー」と何処からか声がした。新見さんは女子から「にぃ」の愛称で親しまれている。

 新見さんは体を捻り、「ごめん、先帰ってて」と扉の前にいる女の子に両手を合わせた。

「今日はキューピット役か。じゃあまた明日ね」

 教室から出ていく女の子数名。それを見送り、また肘を付く。どうやら本当にステータスになっているらしい。

「で、少しは好きって気持ちがわかった?」

 唐突に突然に尋ねてきた。

 放課後とはいえ、まだ教室には若干クラスメイトが残っている。そんな中でのこの質問は、僕を羞恥にさせるためでは無いだろうかと考えてしまう。

 そう考えるのも、僕が前より周囲の人からのイメージとか印象を気にするようになったからかも知れない。

「まあ、少しは」

 周りには聞こえないよう小さな声で囁いた。

「じゃあ改めるけど、桑原さんのこと、好き?」

 いざそう意識するとまだ胸が痛む。もちろん好きと言える状況にはあるのだが、自分のこの俄な感情を信じきれていない部分も否めない。

「好き、だとは思うんだけど」

 こういう時に自分に取り巻いていたネガティブな性格があらわになる。

 人との付き合い方を知らないお互い、彼女に取って僕は都合の良い相手として思われていたら……彼女に取って、僕は何なのだろうか。それがわからない以上、これ以上深い関係を追求することに恐れを感じている。

「煮え切らないわね。けど何よ?」

 深く追求しないところが良いところと思っていたが、それは二人になると無くなるらしい。

「たまに思うんだよ。僕は桑原さんにとってどういう存在なのか。今の状態が完成系だとしたら、告白とかして、その完成系を崩しかねない。だから――」

「怖いの?」

 的確だ。僕は怖い。告白することはプラスにもマイナスにもなる。付き合えれば、それはプラスになり前にも進めるが、もしフラれたら今の状態に復元することは出来なくなる。少なくとも、僕にとっては大事な人との関係を断ち切らなくてはならないのだ。

「……」

「馬鹿ね、二人ほど結果の見える告白なんてまず無いわよ。今のこの状況でフラれるのが怖いから気持ちを伝えられないとかどれだけ消極的なのよ。私なんてたまにしか会えない人にアタックして撃沈しているんだから」

 たまにしか会えない相手に告白したというのは初耳だったが、それとこれとは現状が違う。

「いや、まあそれはそれで勇気のいることだと思うけど、僕の場合、失敗したら今後に影響が……」

 失敗しても、あと数ヶ月は同じ教室で顔を合わせるのだ。気まずい感じになるのは必然。

「私が知っている限り、このクラスの四人の男子が同じクラスの女子に告白しているわ。それでも、その人達は普通に話している。考えすぎよ」

 流石新見さん。クラスの色恋沙汰を把握している。しかし、クラス内の恋愛事情なんて興味も関心も無いが、それはそれで意外だった。告白したら、友人関係は崩れ、顔を合わせるのも悲痛になると思っていた。

「――それに、告白して失敗しても、疎遠になるかはその人次第なんじゃない? 何事もなかったようにまた話しかければ相手だって気にしてないんだって思うしさ」

 簡単に言ってくれる。それがどれだけ難しいことか。

 でも、それを経験しているからこそ、そういうことが言えるのかも知れない。経験者は語るってやつだ。

「なるほどねえ」

 素直に関心した。それが新見さんに拍車を掛けたのかも知れない。

「今だって傍から見たら付き合っているように見えるわけだし、形から入ったんだからあとは自分の想いを伝えるだけだよ」

 想いを伝える。ありのままを言葉にして、ありのままを口に出してそれを伝える。僕はそれを否定していたはずだ。それは一時の想いであり、そんな想いを伝えることは将来的に考えてデメリットしか残らない。

 でも、今は……今は違う。恋という切ない気持ちに感情を左右され、一時の想いのはずが、永遠に続くかのように胸を痛める。

 こういう気持ちになるから、人は想いを伝えるんだ。

 痛みを抱え、苦しみを飲み込み、想いを伝える。その先にある喜びを求めて、それだけを求めて想いを伝える。

 想いを伝えることはデメリットではない。むしろ、想いが伝えることは幸せになる可能性を秘めたメリット。反対に自分の分かりきった気持ちを胸に秘め、それを抱え込んでいることがデメリットになるんじゃないだろうか。唯一の存在に胸を痛める日々は何も残らない。

「――誰だって怖いんだよ。でも、伝えないと伝わらないわ。待っていても何も変わらない。だから伝えるんだよ」

 変わった気でいたのは、すごく小さな部分だったのかも知れない。本来の意味で変わるというのは、マイナスを恐れない勇気を持った時なのかも知れない。

「一つ聞いてもいい?」

「何?」

「失敗したらどうすればいい?」

「やる前から失敗した時のこと考えてどうするのよ?」

 その通りだ。

 軽く息を吐いた。その姿を見て、新見さんが微笑む。

「決心付いた?」

「うん、まあ」

「じゃあ、私は退散します」

 そう言って新見さんは立ち上がると同時に教室を見渡した。まだ数名の生徒が談笑している。

「はいはいー、皆さん早く帰りましょう。これからこの教室で一大イベントが起こるので、出て行きましょう」

 教室中に聞こえるように新見さんは叫んだ。

 えっ、今からするの? しかもここで……。

 一大イベントとか余計なことを言うものだから、察しの良い人からは「頑張れー」とか「えっ、まだだったの」なんていう声を僕に掛けて来る。クラスメイトには随分知られているものだ。これが新見さんのステータスを向上させた証明なのかも知れない。

 それにしても、新見さんの言葉は神の言葉と思えるほどその指示に従うクラスメイト達。教室から出ていく人達を見送った後、新見さんは僕に向けて親指立てて、ウインクをする。

「頑張れって合図がベタベタ過ぎでしょ」

「気持ちが伝われば良いのよ」

 うまいことを言ったみたいな満足げな顔で、新見さんも教室から出て行った。

 窓から光が注ぐ。日の落ちる時間はまだ早い。気を落とすのもまだ早い。

「あー、痛い痛い」

 誰もいないことを良いことに、声に出してみた。

 過剰な表現になるが、心臓が飛び出しそう。鼓動が速くなると、全身がピリピリと痛む。

 時計を見た。一秒が長い。これから十分後にはどうなっているのだろうか。秒針が一周した。分針が小刻みに動く。

 さて、なんて言おうかな。こんなことなら、恋愛ドラマでももっと見ておくんだった。

 とか後悔していると、教室の扉が開いた。

「あれ? もう皆帰ったんだ」

 桑原さんが図書室から新たに本を借りて戻ってきた。

「あっ、ああ、うん」

 重い口を精一杯動かす。

 閉める必要の無い扉を律儀に閉めた桑原さんは、机の間をすり抜け近づいて来る。鼓動がまた少し早くなった。

「新見さんは?」

 自分の鞄に本を入れながら問われる。

「ああ、なんか……用があるとかで、先に帰った」

 用があるのは僕のほうなのだが。

「そう。じゃあどうしよっか?」

 椅子を反対に向け、体が僕のほうを向くように席に着く。

「ん、あっ、ええと、あー、ううん」

「何かあったの? ちょっとおかしいよ」

「えっ、いや」

「いつから感動詞しか話せなくなったの?」

 今さっきからなのだが。

「ごめん。何て言うか、ちょっとお話があってですね。そのー……」

 また感動詞で詰まってしまった。

 不思議そうに首を傾げる桑原さん。

「――ちょっとなんか話そうか。そっ、そうだ。また本借りてたね。何の本?」

 我ながら情けない話題だ。

「司書の先生がオススメっていうから借りてみたんだよ。なんか恋愛小説みたい」

 一瞬で閃いた。

「ちょっとその本、見せてくれない?」

 恋愛小説なら、告白シーンがあるはずだ。丸々パクるわけにはいかないが、参考になるはずだ。

「いいよ」

 そう言い、鞄から小説を取り出し、僕に手渡す。

 それを受け取り、桑原さんに隠すようにして本をめくる。

「………………」

 流してそれらしきシーンを探すが見当たらない。一通りめくって見たものの、そういう描写がなかったので、二周目で見つけようと最初のページをもう一度開く。

 最初は気が付かなかったが、冒頭からいきなりキスシーンだった。この手の恋愛小説はすでに付き合っている二人の関係を描く恋愛小説であり、告白するシーンは書かれていない。

「意味ねえー」

 思わず声に出してしまった。

「何が?」

「いや、別に。ありがとう」

 参考にならない本を返すと、桑原さんもペラペラと本をめくりだした。

「面白いと思うけどなあ」

 本を閉じて、鞄にしまう。

「いや、まあ面白そうだったよ」

 内容などまったく気にしなかったが、話しを合わせようとわかったような振りをした。

「内容わかんなかったでしょ?」

「まあ。最初から付き合っているというのはわかった」

 それしかわからず、それでは意味が無いのだ。

「へえ、そうなんだ。最初からかー。それまでの過程が大事だと思うんだけどね」

 まさに僕と同じことを思っていた。まあ、なぜそれが大事かというのはまったく違うと思うけど。

「確かに、恋愛小説を謳うならそこに至るまでが重要だよね。どうやって出会ってどうやって付き合い出したかとかさ」

「あれ、和泉君って恋愛小説なら語れるんだね」

 最近まで好きなる気持ちがわからないなどと言っていた僕が、恋愛小説の在り方を語るなど、桑原さんからしたら意外でならないだろう。

「いや、何て言うか、人と人が結ばれるにおいて、それなりのエピソードがあると思うからさ、それを差し置いて、その後の話を書こうっていう作者の発想はすごいなあっていう、どっちかって言うと実在する作者の転換力を讃えたというか、別に恋愛小説がどうこうではなく、物語をさぞかしノンフィクションですと思わせることが出来る作品という自信の現れでそういう設定にしているのかも知れないし、それに――」

「も、もうわかったから」

 思わず饒舌になってしまった。恥じらいから重くなっていたはずの口はどうしてこうもころころと変わるのだろうか。

 照れ隠しと一言には言えないほど、僕の頭はどうかしている。

「好きなんだね」

 突拍子の無い発言に耳を疑った。

 好きなんだね? って言いましたか?

「えっ? 誰が」

「和泉君。本好きなんだね」

 ああ、本ですか。

 主語が抜けた文章にここまで戸惑ったことはテストでも無い。

「ああ、本も好きだよ。見ていてドキドキする」

 こういう時、無駄に冷静だ。わざと『も』を使ったり『ドキドキ』という動悸がしたりすることをほのめかす。

「私も次の展開とか考えるとドキドキする。予想通りだと嬉しくなるし」

 桑原さんは今現在の次の展開はどうなると予想しているのだろうか? 僕が告白して、予想通りと思い、嬉しくなるのだろうか?

「じゃあ、自分の予想と外れたらどう思う?」

 興味本位で聞いてみた。

「外れても、納得出来るならいいかな。有り得ない展開になるのはちょっと残念」

 聞かなければよかったかも知れない。この後の展開が有り得るとは言いきれない。むしろ、有り得ないと思うほうが普通かも知れない。

「でもさ、有り得ない展開でも、その話を読んでから自分の中で想像できたらそれはそれで良いんじゃない?」

 僕は誰をフォローしているのだろうか……有り得ない話を書く小説家か? 違う。僕はこの後の展開を見越して、自身に保険を作っているだけだ。まあ、そういうのも大事だろう。

「想像出来れば納得出来るんだけどね」

 桑原さんの思想の片隅、奥の奥にある欠片でも良いから、想像していてもらいたいものだ。

「桑原さんは想像力豊かなほう?」

「自分で言うのも何だけど、小説の展開に関しては豊かなほうかも。色々読んだから奇抜で無ければ想像出来るよ」

「じゃあ現実のほうは? 有り得ない展開を受け入れることとかできる?」

「どうかな。そうなってみないとわかんない。小説なら読めば終わってくれるけど、現実は有り得ないことが起こっても自分で解決しないとならないからね。そもそも現実で有り得ないことって滅多に起こらないし」

 現実は誰かが面白く書く話ではない。自分で考えて、自分で答えを見つける。誰かが僕の物語を作ってくれるなら、この辺りで勇気ある主人公の僕が意を決してくれるのだろう。しかし、それこそフィクションで、僕は僕が思うことしか想像できないし、行動出来ない。

 勇気無い主人公が今出来ることとしたら、それはもう探りを入れるという女々しいことに過ぎない。

「例えばさ、今この瞬間に隕石が降ってきて、学校が崩壊するとしたらどうする?」

 自分でもこの答えを聞いてどうしたいのかわからない。僕が思うに――

「有り得ないでしょ、それは」

 想像通りだった。有り得ないことの答えを出すこと自体有り得ないんだ。

「じゃあもし、学校から出たら、道に百万円が落ちていたらどうする?」

 僕の想像している桑原さんなら――

「警察に届ける」

 これも想像通り。有り得ないことだが、万が一、億の一の場合は答えが出る。

「じゃあ、宿題を家に忘れたけど、取りに戻ったら学校に遅刻するとしたら?」

「んー、悩むね。私だったら取りに行かずに忘れたままを選ぶかな。遅刻は成績表にも表記されるし。というか忘れないけどね」

 桑原さんらしい答えだ。桑原さんには有り得ないことだろうが、答えを出さなくてはならない質問にはしっかり答えてくれる。

「――どうしたの? 急にそんな質問攻めして」

 ここまでの質問は全部保険だった。

「……最後」

 息を飲んだ。

「好きって感情をこの前まで知らなかった友達に告白されたらどうする?」

 これも保険か。最後の最後まで女々しい。

「相変わらず狡いね」

 桑原さんは少し笑った。確かに、僕はずっと狡いままだ。

「狡いやり方しか思いつかなくてね」

 僕の作る話は狡い主人公が狡い方法で恋愛をしようという話になってしまったようだ。

「……想像してたよ。教室に誰もいなかったのは新見さんの差し金でしょ? 不自然だもん」

 想像されていたということは、桑原さんの中でもう答えは出ているのかも知れない。

「……」

「逆に聞きます。自分の気持ちを口に出さず、相手の気持ちを理解してから告白しようと考えている人をどう想いますか?」

 桑原さんのほうが一枚も二枚も上手だ。きっと僕がこうするってことも想像していたのだろう。だからこそ、この逆質問がすぐに出てきたんだ。

「狡くて最低だ」

 最後まで恐怖に勝てなかった。断られるのが怖かったから、結論を知ってから行動しようとした。先ほどの質問で桑原さんの答え次第で気持ちを伝えることをやめようとした。こともあろうに、向こうから言ってもらえれば最善と思っていた。

「だよね……でも、予想が当たると嬉しいんだよ」

 桑原さんは恥ずかしそうに俯いた。

「じゃあ……」

 少し興奮した。

「初めてだからさ、言葉にしてほしい。そっちのほうが嬉しい」

 顔を上げた桑原さんは、そう言って僕の言葉を待った。

 結局、言われないと想いを伝えられない狡くて最低な僕にチャンスをくれた。

 こんなにも僕を理解してくれる人は金輪際出会えないかも知れない。

 僕ははにかみながら想いを告げる。何百万、何千万の人が同じ言葉を口にしていると思うけれど、僕の声で僕の意志で初めて想いを告げることにした。

「……好き、です」

 歯切れがよかったとは口が裂けても言えない。それでも、今、ここで言ったこの言葉は、いつまでも繋がり、この先もずっと残る想いの言葉だった。

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