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例えそれがその時の、その一時の想いだとしても、それがいつかに繋がる想いで、いつまでも残る想い。
その想いを伝えることは、果して自分にとって良いことなのだろうか?
仮初に思う心は、どこかで自分が否定している。そんなんだからいつまで立っても僕は僕のままなんだ。
想いってなんだ? 想うってなんだ?
想いを伝える。想いを受け止める。
自分の胸の内を相手に伝える。ありのままを言葉にして、ありのままを口に出して、それを伝える。
デメリットしか残らないとか思うのは僕が最高に最悪にネガティブな人間だからなのか。
誰もがそう思っていると思っていた。それはただの高校三年生の僕が勝手に思っていたことだった。
今。下校中になんとなく通り掛かったこの公園で、それが間違っていること証明されたような気がした。
手ぶらで学校に通いたいという理由で高校生が好むハンドバッグを拒否し、わざわざリュックで通学しているのに、僕は右手に傘を持っている。当然、忌ま忌ましくしたしたと雨が降っているからだ。
手ぶら主義の僕に傘を持たせるほどの天候にも関わらず、木造のベンチに長い黒髪を濡らしながら俯く少女は、明日の登校は何を着て行くのだろうと考えさせるほど、雨に対して無防備で、短いスカートの裾を強く握り締めている。
複雑な心境だろう。微かに啜り泣く声と流れる涙は雨によってカムフラージュされている。
何を思ってこんなところで泣いているのだろうか。公園という公共の場所で人目も憚らず涙腺から分泌される液体を晒し出す姿は、僕からしたら同情を促しているとしか思えない。
しかし、雨の日の夕方には僕以外誰もいない。これが日没間近の晴れの日だったら、座りすくむあの女の子に同情する人もいるかも知れない。
視界に入ってから数秒の間で、同情を求めていると思われる少女を同情してしまった。
まあいいか。僕には関係ない。
前を通り過ぎる時はどうしても気になってしまう。
横目で女の子を見る。
「ねえ」
声を掛けられた。女の子は微動だにせず、僕が立ち止まった時には開いたはずの口は既に塞がっていた。
「何か?」
ここで傘を差し出すべきかの善否もわからない僕は、首だけを捻り、その女の子を先入観で悲哀した。
「……」
何も話さない。
人の帰路を阻害しておきながら、顔も上げない女の子を睨みながら言葉を待つ。
数秒、いや秒にも満たなかったかも知れない。僕にはこの無言が耐えられなかった。この子が口を開いた時、何を言うのだろうか考えてみた。こんな状況で何を言われても、僕には気の利いたこと一つ言えはしないことがわかった。
例えばそれが家族事情、例えばそれが友達事情、例えばそれが――
「恋って難しいと思わない?」
例えばそれが恋愛事情。それもまた例外ではない。
そもそも雨の降る公園で俯き啜り泣くほど失恋というのが辛いものなのか。
ドラマとかで感情を表す過剰表現じゃないのか?
そう考えると、年頃の女の子がテレビの影響で「真似してみようかな」みたいな自己陶酔にしか見えない。
「僕に言われましても……ね」
なんて言われようが、そう返すしかなかった。
包み隠さず、ここで僕の思いをぶちまけると一言で済む。
関わりたくない。
他人の色恋沙汰をとやかく言う筋合いも権利もない。
だって、僕はたった今、この数秒前に想いを伝えることがなんたらとか考えていたくらいだ。
「私、振られたの」
いや、見りゃわかるけどさ。
何故所存の知れない僕にそんな重い話をするんだ。
「ずっと好きだったんだよ。一年間想い続けてやっと伝えられたのに、こんな結末って……」
頬から滑り落ちる雫が何なのかは明白だった。それも地に落ちたらただ土を湿らせる水滴に過ぎない。それでも、その雫はぽたぽたと流れる。
その水滴が雨と一緒の扱いになるというのが心許なくなり、傘を女の子の頭上に差し出した。
ああ、僕のカバンにはあらゆる教科の教科書が入っているというのに。
雨の感触が無くなったことに気がついて、女の子は初めて顔をゆっくりと上げた。
悲痛だ。その表情は悲しみを全面に表していた。それよりこの子は確か――
「新見さん?」
「……和泉君、気がつかなかった?」
名前を呼ばれて確信した。新見早紀。こともあろうにクラスメイト。ちなみにほとんど会話をしたことはない。まあ、会話したことが無いのは新見さんに限らないのだが、あまり失言すると僕がクラスで孤立しているのがバレてしまいそうなので追記はしない。
「私だって気がつかないのに止まってくれるなんて優しいのね」
小さく呟いた。
優しい? この僕が?
疑問に思う。
「誰かにこうしてほしかったんじゃないんですか?」
僕である必要なんて無い。この人は誰かにこうしてほしいと思っていたからこそ、こんな場所で濡れながら泣いていたんじゃないのだろうか? そして僕はたまたま通り掛かった誰かに過ぎない。誰もがする当たり前をしただけだ。
「冷たいね」
まあ、確かに今の発言は冷たかったかも知れない。自己反省を自分の中だけで整理して、「それだけ濡れれば冷たいですよ」と、冗談混じりに言ってみる。
「……そう。誰でもよかったのよ。可哀相な私を見て同情してくれる人がいれば良かっただけ」
僕の冗談が軽くスルーされ、重い言葉が返って来る。
「遠目からでもその可哀相オーラ出ていましたけど、僕なんかで満足できましたか?」
「本当に冷たいね」
「だから、雨のせいですよ」
そう言うと、新見さんはこちらを向いて、無理をしながら微笑んだ。
「和泉君ってさ、人を好きになったことある?」
突拍子の無い質問だったが、考えるまでも無く即答した。
「無いですよ」
即座に「だよね」と返される。
聞くまでもなかったと言わんばかりに新見さんは僕を憐れむように溜息を吐いた。
「わからないんですよ。誰かを好きになるっていう意味が――」
真剣に言ったつもりだが、新見さんはもう一度溜息を吐く。
「そんなこと思っているから誰も好きになれないんだよ」
意味がわからない。僕ってわからないことだらけだな。
「じゃあどう思えばいいんですかね?」
僕が言うと新見さんは顔をまた俯かせた。
「すみません。デリカシーに欠けました」
失恋して、気持ちが整理しきれていない人に聞くことじゃなかった。
「いいよ。教えてあげるけど、今はそういう気分じゃないからさ。明日の放課後とか暇?」
明日でいいのか……。
「まあ、暇といえば暇です。友達とかいないですから」
「……辛い現状を付け加えないで。更に沈むからさ」
「それはすみませんでした」
「いいでしょう。この失恋ほやほやの女子高生が根暗な和泉君に恋愛をご教授してあげましょう」
根暗とか間違っていないから困る。
「はあ……」
「随分楽になった。じゃあ私帰るね。明日の放課後教室にいてね」
新見さんは立ち上がると「じゃ!」と右手を上げ、雨にも負けず走り去っていく。
その背中をその場で見送り、僕は大きく溜息を吐いた。