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魔王を倒した勇者が五人帰ってきたので、本物を面接で見抜きます

作者: 宿木ロク
掲載日:2026/07/26

 王国が選んだ正規の勇者は、魔王城で死んだ。王国軍主力ごと。


 王都中が敗戦の布告を待っていたある夜、魔力監視塔が魔王の反応消滅を告げた。


 誰が倒したのかを示す記録はない。


 その翌朝、魔王城から五人が帰ってきた。


 五人が魔王を倒した勇者だと名乗り出たのは、ひと月も経ってからである。


 魔王は一体しかいなかった。


 王宮の式典係は白馬を一頭しか用意していない。魔王の数だけ見れば、正しい判断である。


 それでも朝から、私の机へ催促状を三枚送ってきた。誰を乗せるのか、と。


 馬丁からは、《成人五人の相乗りは不可》という、至極もっともな意見も届いている。


 五人とも、同じ魔王を、同じ時刻に、自分が倒したと申請していた。


 王宮は一晩で五人分の証拠を鑑定し、戸籍から職歴票まで机へそろえた。


 英雄が要るとき、王宮は速い。


 その五人が、王宮の面接室で横一列に座っている。


 彼らの間に、五人分の証拠を集めた鉄箱が一つ。


 蓋には、文書鑑定官の白い検印が三つ。その横に《全点真正》とある。


 証拠が偽物なら、話は簡単だった。鑑定官は五人全員の証拠を、等しく面倒なまま返してきた。


 式典係への返事は、当然まだ白紙だった。白馬にも待ってもらうしかない。


「功績認定官ユーディト。日没までに一人を選べ」


 軍務卿の背後、開け放した窓から王宮前の槌音が響く。


 三日後の凱旋式へ向け、勇者が白馬のまま上がる壇が組まれていた。


 功績認定官は、誰が何を成したかを証拠で確定し、その名へ勲章と報奨をつける役目だ。


 この椅子に座って四年になるが、問いは一度も変わらない。誰が、何を、どのように。


 今日は、その「誰が」の部分だけが五人いる。


「民はひと月、魔王を倒した者の名を待っている。白馬の上へ五人は載せられん」


「二人でも馬丁は反対すると思います」


「馬を基準に選べと言っているのではない」


 五枚の申請書をそろえた。


「安心しました。私が選ぶのは、白馬に似合う者ではありません」


 五枚を軍務卿へ向ける。


「魔王を倒した者です」


 軍務卿は、いちばん体格のよいセヴランへ目をやった。


 磨かれた胸甲、古傷のある頬、まっすぐな背。確かに絵にはなる。馬の意見は聞いていない。


「結果を待つ」


 扉が閉まる。


 書記官に新しい紙を出させた。


 書記官は五枚出し、五人の顔を見て、さらに五枚重ねた。


 五人のうち四人は、これから嘘をつく。どれが本物かは、顔では分からない。


 書記官にも分からなかったらしい。優秀な判断だった。


「では、一人ずつ伺います。魔王城へ入ってから帰還するまで、何をしたのか順に話してください」


 五人が、順にうなずいた。


「元騎士セヴランから始めます」


 ほかの四人を控え室へ移し、最初の勇者と向かい合った。


 ◇ ◇ ◇


 セヴランは鉄箱から、王印のある最終突入命令書を取り出した。


「聖剣が折れたあと、私は北水門へ向かいました」


 セヴランの声に迷いはなかった。


「水門は崩れた石壁に埋まっていました。私は荷重を読み、抜いても崩れない石を選びました。馬具の革帯で滑車を組み、点検孔へ入って内側の留め具を外しました。落ちた石で肩を裂きましたが、自分で布を巻いて止めました」


 羽根ペンを止めた。


「点検孔の幅は?」


「大人の肩幅より、少し狭い」


 セヴランの肩は、面接室の椅子より広い。


 座られている椅子が気の毒になる体格だった。


「どうやって通ったのですか」


「石を外し、身体を横にして」


「外したのは、崩れた壁の石ですね。点検孔そのものは広がりません」


「はい」


「横向きで薄くなる種類の肩には見えませんが」


「通りました」


 セヴランの顔色は変わらなかった。


「その後は?」


「戻ろうとする取っ手を肩で押さえました。妻にもらった赤い糸を剣へ結び、百まで数えました」


「家族の話は不要です。討伐行為だけを述べてください」


 遮ると、セヴランは一度だけ口を閉じた。


 書記官が戸籍の写しを机の端へ置く。


 セヴラン、三十四歳、未婚。


 勇者の妻が戸籍から消えているのなら、それはそれで別の部署が走る案件である。


「奥方のお名前は?」


「リナ」


「戸籍には婚姻歴がありません」


「そうでしょう」


「そこで納得されると、戸籍係と私だけが置いていかれます。訂正しないのですか」


 セヴランは、王印の命令書へ手を置いた。


「赤い糸を結んだのは、私です」


 その言葉を調書へ残した。


 次に入ったアマラは、魔王城から持ち帰った二十七枚の認識票と、擦り切れた祈祷簿を机へ置いた。


 右脚を引きずることなく、椅子まで歩く。


「私は折れた右脚で、太陽石を東水門まで運びました」


「いつ折れたのですか」


「魔王の尾に払われたときです」


 治癒官の所見には、骨折痕なしとある。


 本人と違い、右脚は魔王戦への参加を否認していた。


「這って運んだのですか」


「はい。石を胸へ抱き、肘で進みました。水門に着いてからは、黒く濁った水へ祝福をかけました」


「あなたの教会で使う祝詞ですか」


「いいえ。東部の小教区に伝わる古い祝詞です」


「なぜ唱えられたのです」


 アマラの指が、二十七枚の認識票のうち一枚を押さえた。


「私が教わったからです」


 彼女は訂正せず、押さえた認識票から指も離さなかった。


 三人目のガンツは、椅子に座るなり鉄箱から地下水路図を出して広げた。


「南水門は岩で塞がれていた。俺は亀裂を読み、火薬を詰め、水の逃げ道を測った。濡れても消えない導火線を編み、影どもを北の横穴へ引きつけてから点火した」


 ガンツの職歴が、供述のたびに地下水路のように枝分かれしていく。


「坑道師のほかに、用水路工と縫工の経験が?」


「ない」


「では、導火線に使った結び方をどこで?」


「戦場で」


「戦場は職人組合の講習所ではありません。誰から習ったのですか」


 ガンツの口元が歪んだ。


「俺が結びました」


 この調書のまま通せば、職人組合で資格審査が三件、同時に始まる。


 だが水路図へ刻まれた煤も、石粉も、魔王城地下のものだった。


 窓の外で、凱旋壇を組む槌が三度鳴った。


 勇者が決まらなくても、大工の仕事は正確だった。


 四人目のホルンは、折れた聖剣の鍔と黒く変質した工具を机へ放った。


 左腕を撫でながら、西水門を語る。


「鎖が焼き切れていました。俺は魔王の火が残る炉へ鉄を入れ、左腕を焼かれても槌を離さず、鎖をつなぎ直した」


 彼が袖をまくる。


 太い腕には、古傷一つない。


「火傷は?」


「ここに」


 傷のない皮膚を、指がもう一度なぞった。


 なぞる位置は、二度とも同じだった。


「治癒魔法で消した記録はありません」


「でしょうな」


「魔王の火は、鉄を焼いて、鍛冶師の腕だけ避けたことになります」


「そうなる」


「持ち帰ったのは、その二点ですね。槌は」


 ホルンの指が止まった。


「置いてきた」


「離さなかったのでは」


「……置いてきた」


「それでも、焼かれたのは自分だと?」


「俺です」


 戸籍と診療記録と職歴票は、候補者より話が通じた。


 最後のペロウは、三十二人の役割を記した戦地記録帳を膝へ置いた。


「私は中央の心臓門を開きました。取っ手を押さえながら、四門から届く鐘を確認しました」


「鐘を確認した場所は?」


「心臓井の西にある小鐘楼です」


「心臓門から何歩?」


「四十二歩」


「その間も、心臓門の取っ手を押さえていた?」


「はい」


「腕が四十二歩あったのですか」


 書記官が、四十二歩を尺へ直して欄外へ書いた。誰も頼んでいない。


 初めて、ペロウがわずかに笑った。


「いいえ」


「ならば訂正を」


「訂正はありません。鐘を鳴らしたのも、取っ手を押さえたのも、私です」


 五人とも、指摘された矛盾を訂正しなかった。


 調書に残ることを、承知の上で。


 五人とも、戦場については同じことを語った。


 地下に五本の黒脈があり、聖剣で胸を貫いても、魔王はそこから再生したこと。


 五つの水門を使い、四方の鐘のあとに中央の大鐘が一度だけ響いたこと。


 外へ出た五人が、魔王の魔力の消滅を見届けたこと。


 魔王は一体。水門は五つ。増殖しているのは、申請者の経歴だけだった。


 五枚目の調書を閉じた。


 次に確かめるべきは、彼らと魔王城へ入り、帰還しなかった者たちだった。


 ◇ ◇ ◇


 五枚の申請書を床へ並べた。


 同行者欄には、それぞれ別の名前が記されている。


 北に五人、東に五人、南に五人、西と中央に六人ずつ。


 合計二十七人。一人も重ならない。


 王宮の戦没者名簿を開いた。


 魔王城の項に、二十七人分の欄はない。


 最後の一行が《その他》で、横に数字だけが書いてある。


 二十七。


 功績の確定しない死者を一行へ収める書式は、私の課が通したものだ。


 名簿は、数だけは間違えていなかった。


「この方々の申請記録を」


 書記官が戸惑った。


「全員ですか」


「全員です。戦死、失踪、遺族補償、診療、職人組合への照会も」


「日没まで、あと二刻です」


「走れる書記を全員使ってください」


 王宮の廊下は走らない。それが書記官の第一規則である。


 この日だけは、第二規則になった。


 式典係の催促状が、四枚目になった。


 軍務卿は、催促状より早く来た。


「ユーディト。書記を二十人走らせたそうだな。誰を調べている」


「五枚の申請書の、同行者欄です」


「帰ってこなかった者だ」


 軍務卿は床に並んだ申請書へ目を落とし、すぐに上げた。


「遺体がない。軍籍もない。石工と、坑夫と、恩赦兵だ」


「はい」


「民が待っているのは、その名ではない」


 答えを持っていなかったので、黙っていた。


「日没まで一刻半だ。五人のうちの誰かにしろ」


 扉が閉まる。


 白馬は、まだ一頭だった。


 最初に戻ってきたのは、遺族補償課の古い束だった。


 石工トマ・ハルバ。


 遺族欄に、妻リナ。


 添付された陳述書には、出征の朝、剣の柄へ赤い糸を結んだとある。


 残る四人分の記録にも、一つずつあった。


 馬具の修繕資格。


 荷役の職歴。


 点検孔へ入れる小柄な体格。


 裂傷を固定した従軍記録。


 北水門の五枚を、セヴランの調書の横へ並べた。


 東水門の名簿を開く。


 帰還前の診療所で右脚を折った農民兵。東部小教区の古い浄化祝詞を修めた下級神官。


 東水門の記録も、アマラの調書の横へ置く。


 ホルンが撫でていた左腕の火傷は、若い鍛冶師の負傷者台帳に残っていた。


 ペロウが鳴らしたという鐘は、記録兵の担当表にある。


 ガンツの発破も同じだった。坑夫、火薬運搬人、用水路工、縫工、恩赦兵。一人で覚えたという五つの仕事に、五人の担当者がいる。


 矛盾には、すべて名前があった。


 五枚の調書と二十七人の記録を重ね、書記官に複写を取らせた。


 五人を同じ面接室へ戻した。


「あなた方の中に、本物の勇者はいません」


 誰も驚かなかった。


 ガンツだけが、机の下で両手を強く組んだ。


「セヴラン。赤い糸を剣へ結んだのは誰ですか」


「私です」


 遺族補償課の陳述書を、セヴランの前へ置いた。


「石工トマ・ハルバ」


 セヴランの顎が、初めて下がった。


「アマラ。折れた右脚で太陽石を運んだのは?」


「私です」


「農民兵セド・ラウル」


 彼女は二十七枚の認識票から手を離した。


「あなた方は、死者二十七人の功績を盗んだ」


 ペロウが鞄の底から、薄汚れた紙束を出した。


 三度却下された申請書だった。


「名前をつけて出したときは、認定官まで届きませんでした」


「理由は」


「遺体がない。軍籍がない。証人は身内だけ。ひと月で三度、束のまま戻ってきました」


 ペロウが紙束を机へ置く。


「名簿へ載ったのは、数だけでした。二十七、と」


 私が見たのと、同じ一行だった。


「だから自分たちの名前をつけた?」


「勇者を名乗れば、本人確認が行われる。発言は一行ずつ真偽を調べられ、調書は捨てられない」


 この王宮では、嘘のほうが丁寧に読まれる。


 ガンツが椅子を鳴らして立った。


「だから俺は、こんな真似はやめろと言ったんだ。今からでも一人に絞れば――」


「ガンツ」


 アマラの声は静かだった。


 ガンツは頭を抱え、また座った。


「……南に残ったパクスは、盗みもするし、嘘もつく、恩赦目当てのろくでなしだった」


 指の隙間から、掠れた声が出る。


「俺はあいつが嫌いだった。だが、嫌いだった奴の仕事まで、なかったことにはできない」


 ペロウが三度目の却下印を指で叩いた。


「二十七人の仕事を、五人で分けて名乗りました。ここまで運ぶために」


「目的が何であれ、虚偽は虚偽です」


「はい」


「あなた方自身も、二十七人を五人の『私』へ押し込んだ」


 ペロウはしばらく調書を見ていた。


 やがて、閉じた記録帳を私の前へ差し出す。


「では、ほどいてください」


 新しい紙を一束、書記官へ渡した。


「勇者としての供述は、すべて虚偽として扱います。最初からやり直します」


 五人の顔が固まった。


「今度は、一人称を使わずに答えてください」


 書記官が新しい紙の一行目へ日付を書く。


「行動した者の名前から答えてください」


 ペロウの指が、閉じた記録帳から離れた。


 ◇ ◇ ◇


「聖剣が魔王の胸を貫いたあと、何が起きましたか」


 問いに、ペロウが答えた。


「魔王は倒れませんでした。心臓が黒い霧になり、城の地下へ逃げた。直後、東の水路から新しい肉体が出ました」


「なぜですか」


 ガンツが水路図を机へ広げる。


「魔王の命は、地下を走る五本の黒脈につながっていた。一本でも残れば、そこから戻る」


「黒脈を断つ方法は?」


「城は、元は聖水を流すための宮だった。四方と中央、五つの水門を開けば、流れを逆にできる」


「一度開けば終わりですか」


「いや。手を離せば閉じる。聖水が黒脈を洗い切るまで、百呼吸は押さえなければならない」


 五つの場所で、ほぼ同時に。


 一つでも閉じれば、魔王はそこへ逃げる。


 中央では、黒い霧となる心臓を井戸の上へ縛りつける者も要る。


 一人の剣士が強ければ済む戦いではなかった。


「北水門を塞いだ石を選んだのは?」


 セヴランの手が、膝の上で握られる。


「石工トマ・ハルバです」


 書記官がその名を書いた。


「なぜ彼に分かったのですか」


「ひびの向きを見ていました。セヴランが大きい石へ手をかけると、叩いて止めた。そこを抜けば全員埋まる、と」


 セヴランは、自分の名を他人の名のように置いた。


 書記官の羽根ペンが、一度止まった。


「革帯で滑車を作ったのは?」


「御者オルト・ベル。荷馬車から外した馬具を、壊れた歯車へ巻きました」


「取っ手を肩で押さえたのは?」


「荷役人ダン・モル」


「点検孔へ入ったのは?」


「厩務員キース・アレン」


「肩の裂傷を巻いたのは?」


「衛生兵ネーヴァ・ソル」


 五つの姓名が並ぶ。


 一人の騎士がしたことになっていた仕事が、分かれていく。


 石工の目。御者の革帯。荷役人の肩。小さな身体。血を止める手。


「あなたは、なぜ北水門を離れたのですか」


 セヴランの視線が、王印の命令書へ落ちた。


「トマに、これを押しつけられました」


 紙の端が、何度も握られた形に波打っている。


「『これを持って帰れ。誰がここに残ったか、家族へ伝えろ。リナには、赤い糸を最後まで持っていたと』と」


 命令書を開く。


 王印の下に、一文がある。


 《最終城門を越えた者は、身分および従来の軍籍を問わず、王国軍臨時兵として扱う》


 石工も、坑夫も、恩赦兵も、この一文で兵士になっている。


 指で押さえて、二度読んだ。


「北水門が百呼吸目まで開いていたのを見ましたか」


「いいえ」


 セヴランは即答した。


「鉄扉が閉じたあとのことは見ていません。北の鐘を、脱出路で一度聞いただけです」


 証明できないことを、彼は足さなかった。


「東水門。太陽石を運んだのは?」


 アマラの唇が、わずかに動く。


「農民兵セド・ラウルです」


「右脚を折っていた?」


「脱出前には、すでに折れていました。抱えようとしたら、石を取るなと怒鳴られました。床を這って運ぶから、おまえは祈祷簿を持って帰れと」


「祝福を続けたのは?」


 アマラは答えなかった。


 机の上の認識票を一枚取り、縁の欠けた鉄板を親指で撫でる。


「下級神官エリサ・ノールです」


 名前を言い終えるまで、三度息を継いだ。


「彼女に祝詞を教えたのですか」


「逆です。教わったのはアマラです。けれど、最後まで唱え続けたのはエリサだけでした」


 薬師助手マリ・セルナは、エリサの声が嗄れるたびに薬を作り足した。弩兵ヨル・カムと灯火番レム・イスカが、通路の影を防いだ。


 五つの名前が、東水門の欄へ入る。


「東の百呼吸目を見ましたか」


「いいえ。鐘を聞いて、祈祷簿を持って外へ出ました」


 見ていないことを調書へ明記させた。


「南水門を開いた者を」


 ガンツが腕を組む。


「坑夫ブラン・ドロ。火薬運搬人ルッツ・エイル。用水路工イヴォ・セム。縫工ライラ・クロフ」


 一人ずつ、机へ置くように名を言う。


 最後で止まった。


「もう一人います」


「分かってる」


 ガンツの歯が鳴った。


「恩赦兵パクス・リード。影どもを引きつけて、発破地点から離した」


「パクス・リード。仲間からの評判は?」


「最悪だ」


 返事は早かった。


「ガンツの水筒から酒を盗んだ。埋め合わせると言って、最後まで返さなかった」


 ガンツは水路図の南へ、太い指を置いた。


「それでも、パクスが影を連れて走らなければ、火薬へ火は届かなかった」


「あなたを帰したのは?」


「ブランだ。『穴を掘るのは俺でもできる。ここから地上まで迷わず帰れるのはおまえだけだ』と、脱出路へ蹴り込まれた」


 ガンツの拳が、少しずつほどけた。


「西水門の鎖を直したのは?」


 ホルンは反射のように左腕へ手をやった。


 指先が傷のない皮膚へ触れる前に、止まる。


「鍛冶師ルーク・ケイン。俺の弟子です」


 書記官が顔を上げた。


 ホルンは首を振る。


「失礼。ルークは、ホルンの弟子でした」


 言い直した声は、先ほどより低い。


 使ってはいけない一人称が、初めてこぼれた。


「火傷を負ったのは?」


「ルークです。鎖を炉から引いたとき、左腕を焼いた」


「鎖だけで水門を開けたのですか」


「綱職人カレル・ドーンが耐水縄を継ぎました。ベッカ・ロス、ノル・サイ、テオ・ギン、ウルマ・フェイが鎖と縄を引きました。四人がかりで、やっと指一本ぶん動く鎖です」


 西水門の六人が記される。


「ルークは、あなたへ何を持ち帰らせたのですか」


 ホルンが折れた聖剣の鍔を持ち上げた。


「これと、黒脈に触れた工具です。あいつは槌も取った」


「何と?」


「『親方は、俺が直したと証明してください。俺が下手だったら、魔王が生きています。それで分かるでしょう』」


 笑ったのはホルンだけだった。


 声にはならなかった。


「心臓門を開き、取っ手を押さえたのは?」


「ジオ・バレスです」


「四門の信号を確かめ、中央の鐘を鳴らしたのは?」


「記録兵ミラ・オーウェンです」


 ペロウは記録帳を開かなかった。


「魔王を井戸へ縛った者は?」


「サシャ・ネム、コル・グラ、ファビ・トス、ロイン・エル」


「ミラとジオを含めて六人」


「はい。四人とも、綱を手首へ巻いていました。手が滑っても解けないように」


「あなたは?」


「役割表と記録帳を持って、中央の脱出路へ入りました」


「なぜ記録官が、最後を見届けなかったのですか」


 ペロウの手が、記録帳の表紙を覆う。


「ミラが帳面を閉じたからです」


 その手つきを、今も見ているようだった。


「『ここで最後まで書いた記録は、誰にも読まれません。読まれる方を持って帰ってください』と」


「最後に見た時点で、六人は生きていましたか」


「はい」


「百呼吸目は?」


「見ていません」


「最後の言葉は?」


「知りません」


「死亡した順番は?」


「分かりません」


 三つとも、調書へ《証明不能》と書かせた。


 ペロウが、一つだけ足した。


「脱出路を抜けたあとで、閂の落ちる音を聞きました。あれは、内側からしか掛かりません」


 同じ音を、ほかの四人も聞いていた。


 二十七人が百呼吸目まで生きていたとは断定できない。


 誰かが途中で倒れ、隣の者がその手を引き継いだかもしれない。


 五人が知っているのは、配置と役割、脱出前の負傷、本人から託された言葉、そして扉が内側から閉じられたことまでだ。


 では、討伐そのものは何で証明するのか。


 朝から机に積まれていた「本物」を、一つずつ開いた。


 王印の命令書は、三十二人を最終突入時点で臨時兵としている。


 書記官が欄外に三十二と書き、五を引いた。


 役割表には、五班三十二人の配置と、各班から一人を伝令として帰す指示がある。


 アマラが持ち帰った認識票は二十七枚。同行者欄の名と、一枚ずつ合った。


 五人が別々の脱出路から出た時刻は、外郭部隊の日誌と一致する。


 王都魔力監視塔の記録では、五本の黒脈すべてで聖水の反応が始まり、百三呼吸に相当する時間、途切れず続いた。


 必要だったのは、百呼吸。


 三呼吸、長い。


 その直後、魔王の魔力は消滅した。


 五人の供述が真実だから、認めるのではない。


 供述で、証拠が読めるようになっただけだ。


「最後の質問です」


 五人を見た。


「魔王を倒したのは誰ですか」


 誰も答えない。


 王宮前の槌音も、いつの間にか止んでいた。


 やがてセヴランが口を開く。


「誰か一人の名にはできません」


「なぜ?」


「北水門だけでは、魔王は東へ逃げた。東だけでは南へ。中央の鎖だけでも、黒脈が一本残れば戻った」


 アマラが、認識票を両手でそろえる。


「一つでも水門が閉じていたら、魔王は生きています」


「ならば、一人にする必要はありません」


 私は判定書の功績欄へ書いた。


 《二十七名による共同討伐》


 書記官が、最後の名の横へ番号を振る。


 二十七。


 日没の鐘が鳴った。


 ◇ ◇ ◇


「二十七人を認定すれば、次の戦から、遺体のない申請が山ほど来る」


 軍務卿は、完成した調書を最初から読み直した。


 窓の外では、組み上がった凱旋壇に白布が掛けられている。


「偽の遺族が群がれば、本物へ回す金がなくなる。魔王が死んだ今、国をまとめる象徴も要る」


「ですから、五人の供述だけでは認定していません」


 判定書の証拠欄を開いた。


 王命から魔力監視塔まで、別々に残された記録は同じ結論を示している。


「百呼吸目に誰が生きていたかは証明できません。誰がどの取っ手へ最後まで触れていたかも断定しない」


「それで、なぜ二十七人全員を?」


「二十七人は役割を引き受け、五人を外へ出し、内側から脱出路を閉じました。その後、五門は百三呼吸作動し、ほかの脱出者はいない。個人の最後の一撃ではなく、班としての直接参加を認定します」


 軍務卿は、セヴランの申請書を指で弾いた。


「この男を勇者にし、褒賞を二十七家族へ分けさせれば早い」


「それでは、二十七家族が受け取る金は、勇者からの施しです」


「結果は同じだ」


「違います」


 私は最終突入命令を彼の前へ戻した。


「彼らは王命で兵士になった。ならば遺族が受け取るのは、国が兵士へ約束した補償です」


「凱旋式はどうする。一人の英雄が必要なのは、政治の事情だ」


「討伐者が一人だったかどうかは、政治の事情では変わりません」


 軍務卿の指が、机を二度叩いた。


 やがて判定書を引き寄せる。


 そこには、こう書いてある。


 勇者認定申請者五名――全員不認定。


 虚偽申請については、別途処分審査。


 魔王討伐直接功労者二十七名――共同討伐者として認定。


 王国軍臨時兵として戦死認定し、全員を遺族補償の対象とする。


 帰還者五名が証拠と記録を持ち帰った行為は、伝令任務として別途記録する。


「五人を無罪にはできんぞ」


「求めていません」


 軍務卿が署名欄へ名を書いた。


 そのまま式次第を取り、先頭にあった《勇者入場・白馬一頭》へ二本線を引く。


「二十七本の旗を、三日で用意させろ」


 私は判定書を抱え、席を立った。


 扉の前で、軍務卿が呼び止める。


「認定官」


「はい」


「二十七家族の照会は、おまえの課でやれ。名を間違えれば、今度こそ国が嘘をつくことになる」


 私は書記官へ、最初の面接で不要だと言った項目を戻させた。


 家族。


 故郷。


 所属した組合。


 補償の届け先。


 功績だけでは、金も名前も帰る場所を持たない。


 三日後、王宮前に白馬は出なかった。


 二十七本の旗が、朝の風に並んだ。


 五人の帰還者は、虚偽申請の取り調べを受けるため、王宮の控え室にいる。


 窓は広場に面していた。


 布告官の声が、石壁を越えて届く。


「石工、トマ・ハルバ」


 セヴランが目を閉じた。


「御者、オルト・ベル」


「農民兵、セド・ラウル」


 アマラは、膝の上で二十七枚の認識票をそろえた。


「下級神官、エリサ・ノール」


「鍛冶師、ルーク・ケイン」


 ホルンの右手が、傷のない左腕へ伸びる。


 触れる直前で止まり、そのまま膝へ下りた。


「記録兵、ミラ・オーウェン」


 名は続いた。


 坑夫、火薬運搬人、用水路工、縫工、恩赦兵、綱職人、衛生兵、荷役人。


 一人ずつ、職と姓名が読まれていく。


 二十七人目の名が、広場へ響いた。


 私の隣で、書記官が戦没者名簿を閉じた。


 魔王城の項は、二十七行になっていた。


 その下へ、もう《その他》とは書かなかった。

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