【1-4-3】
ミーム様の居城はラフェシア城から離れた森の中にある。元々は城内の一室で過ごして頂く予定だったのが、本人たっての希望で、空き家であった小城を彼女の棲家とする事が決まった。住んでいるのは彼女が直接召し抱えたメイドが数名だけであり、周りには商店どころか村落も何も無い。静かであるという点を除けば生活する上で不便で仕方ないだろう。それでも彼女たちはこの森の中に構える古城で暮らしていた。
私は久方ぶりにその古城を訪れていた。
「アインか。息災か?」
「これはレオ将軍。ご無沙汰をしております。本日はどのような御用向きでしょうか?」
ここのメイド達は、真っ黒な給仕服に身を包みぴくりとも表情を変えない。それが何やら不気味で私は苦手としていた。
「ああ、火急の件で参った。ミーム様にお時間を頂けるだろうか?」
「確認を致しますので少々お待ち下さい。ツヴァイ。お願いできますか?」
呼ばれるまで気づかなかったが、アインのすぐ後ろにツヴァイも控えていたようだ。コクリと頷きすぐに姿を消す。確認をしに行ってくれたのだろう。私はアインが出してくれたお茶を飲みながら彼女の帰りを待った。
「……ミーム様は通して良いとのことです」
暫くして戻ったツヴァイから報告を受ける。私は二人に礼を言い、今は東塔の最上階におられるというミーム様の元へと向かった。
コツコツと階段を登る音だけが響く。ミーム様に会うのはいつぶりだろうか。建国の日ということはないだろうが、それでも前回お会いした日を思い出せない程であった。ただ、初めてお会いした日の事を忘れたことはない。およそ尋常ならざる場面ではあったが、それでも彼女の存在は際立っていた。人ならざる美貌。血濡れた黄金の髪の毛。紅い真紅の瞳。そして何事をもまるで意にも介さない佇まい。私はその日初めて自分とは在り方を異にするもの、神という絶対者を認めさせられた。
「ミーム様、レオです。入っても宜しいでしょうか」
私の背丈よりも二回りは大きそうな扉の前で、部屋の中にいるであろうミーム様に声をかける。……待つも返事がない。耳を澄ませるとピアノの旋律が聞こえた。演奏されているのだろうか? それであれば、終わるまで待ったほうがよいだろうか……。しかし悠長な状況でもない。許可も取っているために、私は意を決し扉をゆっくりとあけた。
部屋の中は広く開けており、四方から光が入ってくる構造になっている。部屋の真ん中には大きなピアノがあり、隅に申し訳程度のティーテーブルが置かれていた。
ピアノを演奏されているミーム様が視界に捉える。ただこの角度からでは彼女の後ろ姿しか見えず、その表情は窺い知れなかった。
「ミーム様、突然の来訪誠に恐縮にございます。何卒お願いしたい要件あり馳せ参じました」
旋律は終盤に向かっているのか激しさを増していた。
「すでにお聞きになっているかと思いますが、ガブリエット殿が負傷しレナード殿は戦死なされました。我々は近日中に亜族に対し全面攻撃を仕掛けるつもりでしたが、これでは指揮系統並びに戦力に不安が残ります。一度前線を戻し体勢が整うまで待ち、然るべき時期にまた――」
突然のけたたましいピアノ音に遮られ、私の言葉は最後まで続く事はなかった。そしてようやくミーム様が口を開く。
「――綺麗な旋律だったでしょう?」
「え? ええ、はい」
予想外の質問に面食らう。確かに旋律は美しかった。最後の音はともかくとして。
「この旋律は昔ある人族が自らの種族の儚さを想い作ったもの。旋律の中には全ての感情が詰まっている。喜び、怒り、悲しみ、苦しみ。人が持つ想い。まあ完成する前に作り手は亡くなってしまったんだけれども。だから最後は無いから、今みたいな音を鳴らして終わらせているの」
『それもまた人族らしいと思わない?』なんて言いながら、こちらを振り返る。改めて見てもゾッとするほどの美しさだ。そして、その眼差しから発せられる圧力は人ならざるものである事を再確認させられる。
「レオは亜族への進軍を止めるために私の元まできたのでしょう?」
話はすでに伝わっているようだった。私はこの圧力に飲まれまいと気を張りなおし、彼女へ話を投げかける。
「仰られるとおりです。ガブリエット殿、レナード殿お二人の戦力を欠いている今、進軍したとしても勝てる見込みはございません。一度体勢が整うまでは拠点維持が賢明です。どうかご判断を」
彼女は私の目の前までゆっくりと歩み、私へ手を伸ばす。何をされるのかと一瞬身体を固くする。ただその手は私の髪を撫でるだけだった。
「ああレオ。私の愛しい子供。こんなに髪が傷んでしまって……。日々の雑務で疲れているのね。手入れの暇もないのでしょう? 可哀想に」
とても、とても優しい声だった。思わずその声に溺れたくなる。考えを放棄したくなる。私は飲み込まれまいと必死だった。そして彼女は言葉を続ける。
「進軍したとしても勝てる見込みが薄いのであれば、致し方ないわね。レオの言う通りにするのが懸命かしら」
自分から投げかけた提案ではあるものの、彼女の言葉に驚く。まさか受け入れて下さるとは。ただそれでもこれで民草の血をいたずらに流すことはなくなる。私の理解が追いついていなかっただけで、彼女は私たちの事を第一に考えて下さっているのだ。私は感謝の旨を述べようと口を開いた。
「――と、言うとでも思った?」
目の前にいる人族の神は、悪魔のような笑顔を浮かべていた。
彼女の言葉に冷や水を浴びせられたかのように、背筋が凍りつく。ただそれでも彼女の発言の本意を聞かなければ。
「……どういうこと、でしょうか?」
「誤解しないで欲しいけれども、私は肯定も否定もしない。ただ、あなた達人族が望む方向へ誘導してあげているだけ」
ミーム様の笑みがさらに深くなっていく。
「今、レオは進軍をやめろ、と言ったけれども、ラフェシア国民は納得するかしら? 今更その意思を変えることができるかしら?」
「しかし、止めなければ甚大な被害に!」
「ええ、そうなるかもしれない。――ただ、そうならないかもしれない。決めるのはあなた達人族。私はいつもあなた達が求める選択の後押しをするだけ。亜族への進軍も、そのひとつでしかない」
そんな、そんな事では、国など成り立たないのではないか。誤った方向へ進まないよう務めるのが我々の役割ではないのか。
「……今回もし進軍せよとの意思が多かったとしても、それは一時の勢いの誤った判断です。そしてその判断を覆すことが出来るのは、ミーム様をおいて他におりません。何卒お力添えを頂けませんか」
「私は人族の神よ? 人族が選んだ選択を否定することはあり得ない。どんな判断だとしてもその決断を私は祝福する」
『それが神というものよ?』と彼女は私から離れる。そのまま部屋の中央に戻り、手を左右に広げてクルクルと回りだした。
「ら、ららら、らららら、ららららら。ふふっ。さあ人の子らはどんな判断をするのかしら? 賢くも、愚かな人族。愛しい我が子ら。その行く末はどうなるのか? 憎き亜族を滅亡せしめるのか? それとも逆に飲み込まれるのか? ふふっ。あはははっ」
これ以上交渉の余地はないと考え、私はこの居城を後にする。彼女の笑い声は帰路の間もずっと頭から離れなかった。
――後日人族内での会議が行われ、亜族への進軍が決定された。
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