表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

3話「手続き」

放課後───…


学校の門を出ると、夕暮れの色が世界を包んでいた。


昇降口で履き替えたスニーカーが、アスファルトを軽く蹴るたびに音を立てる。


そのたびに、胸の奥が少しだけざわついた。


校門の向こう、少し離れた駐車場で


小さな車の前にもたれかかるように立っていたのは他でもない――晋也さんだった。


「あ」


目が合った瞬間、自然と声が漏れた。


黒のスーツにグレーのスラックス。


でも、俺を見つけた瞬間に浮かべたその笑顔は


どこまでも穏やかで優しかった。


「おつかれ。学校どうだった?」


「ん……ふつう。まさか迎えに来てくれるとは思ってなかったけど」


「はは、言い忘れてたからね」


「そっか……これから、家庭裁判所だっけ?」


俺が返すと、晋也さんは頷いて運転席側のドアを開けてくれた。


シートベルトを締めるとき、手がちょっと震えていたのを、自分でも感じた。


役所へ向かう道すがら、ふたりの間に流れるのは


緊張でも沈黙でもなく、ごく当たり前の日常の空気だった。


「住民票も戸籍謄本も確認した」


「あと、診断書も問題なさそうだよ。家庭裁判所のウェブサイトでダウンロードした申立書も、ほとんど埋めてきたから、あとは今日、最終確認して提出するだけだ」


晋也さんはハンドルを握りながら、今日の予定を淡々と説明してくれた。


その声は落ち着いていて、俺の不安を少しずつ溶かしていくようだった。


助手席の足元には、クリアファイルにまとめられた書類の束が見える。


それらが、これから始まる新しい生活への第一歩なのだと思うと、不思議と心が落ち着いた。


家庭裁判所に着くと、想像していたよりもずっと静かな場所だった。


待合室には数組の人がいるだけで、誰もが静かに自分の番を待っている。


晋也さんが受付で手続きを済ませ


番号札を受け取ると、俺たちは隅の椅子に座った。


「緊張する?」晋也さんが小声で尋ねた


俺は小さく首を横に振った。


「ううん、晋也さんがいるから大丈夫」


晋也さんはふわりと笑って


俺の頭をぽん、と軽く叩いた。


その手のひらの温かさが、じんわりと心に染み渡る。


手続き自体は晋也さんが事前に準備してくれていたおかげで、スムーズに進んだ。


担当の書記官からいくつか質問を受け


書類に不備がないか最終チェックが行われた。


俺は晋也さんの隣で、時折求められる署名に応じるだけだった。


「これで、今日のところは終わりです。後日、家庭裁判所から連絡がありますので、お待ちください」


書記官の言葉に、晋也さんは深く頭を下げた。


俺もそれに倣う。


家庭裁判所を出たときには、すっかり夜になっていた。


空には星が瞬き、街の明かりがぼんやりと輝いている。


「おつかれさま」


晋也さんが、俺の顔を覗き込むように言った。


「晋也さんこそ、ありがとう」


車に乗り込むと、昼間とは違う安堵と少しの疲労感が漂っていた。


「そうだ、せっかくだし晩御飯外で食べていく?」


晋也さんの問いかけに、俺は少し考えてから言った。


「え!食べたい!どこ行く?」


俺の素直な反応に、晋也さんは柔らかい笑顔を見せた。


「近くに美味しい居酒屋があるんだ。お酒は飲めなくても、雰囲気だけでも楽しいよ」


「やった!じゃあそこに行こう」


車が静かに動き出す。


シートに身を沈めながら


俺は今日一日の出来事をゆっくりと思い返していた。


「これからもっと忙しくなるけどさ」


晋也さんが口を開いた


「……うん?」


「焦らず、ゆっくりやろうね」


その言葉に、俺は強く頷いた。


窓の外を流れていく街の灯りを見つめながら心の中で思う。


この人と一緒ならきっと大丈夫。


居酒屋に着くと


ほんのりとした木の香りと賑やかな話し声が俺たちを包んだ。


「いらっしゃいませ~」


威勢のいい店員さんの声が響く


晋也さんが迷わず窓際のテーブル席に案内してくれる。


テーブルの中央には熱々のおしぼりが置かれ


カウンターからは美味しそうな匂いが漂ってくる。


「何が食べたい?」


「えっと……あ、この刺身の盛り合わせとか食ってみたい」


「いいね。じゃ俺は焼き鳥にしようかな」


メニューを眺めながら


俺はまだ見慣れない料理の名前をひとつひとつ確かめていく。


注文を終えるとしばらく無言の時間が流れた。


「晋也さん」


俺が呼びかけると


彼はおしぼりで手を拭きながら「ん?」とこちらを見る


「あの……さっき言ってたこと」


「どれ?」


「焦らずゆっくりって」


「あぁ、あれ。ほら、柊って一人で思い詰めちゃったり、突っ走っちゃうとこあるでしょ?それで昨日俺のとこに一目散で来たわけだし」


「それは…うん」


「いくら俺が親代わりとして認められたとしても、片親だとか、それ以前に未成年後見人って制度は法的な親子関係が成立するわけじゃないから周りからなにかしら言われることもあると思う。思春期は特に」


「…結構めんどくさいんだね」

「まぁな。でも、なにか言われたら俺に言え」


「だけど……その…そんなに晋也さんのこと頼って、負担にならない?」


言葉に詰まる。


「それぐらいでならないから」


晋也さんは微笑んだまま続ける。

「柊のことは家族だと思って守るし、力になりたいと思うから、俺にまで気遣う必要ないよ」


「……そうなの?」


「だから遠慮なく頼って、高校の愚痴とか楽しかったこととか、昔みたいにゲームもしよう」


「…そうだね」


「だから、焦らなくていいんだよ」


「……うん、ありがと」


言葉が止まった。


その沈黙が心地よくて少しだけ泣きそうになる。


「お待たせしました~」


店員さんが料理を運んできた。


「わぁ……うまそっ、!」


俺は箸を取り


目の前の刺身に手を伸ばす。


「うわ、これめっちゃ好きかも」


「ふふ、よかった」


「これもいる??」


「ん!食う!」



帰宅後───…


家に着くと、すっかり夜も更けていた。


「柊、今日は一人で寝れそう??」


「ね、寝れるって!昨日はちょっと弱ってただけだし…」


「そう?なら良いんだけど……」


晋也さんは俺の背中を押しながら


部屋へと促した。


「おやすみ」


「おやすみなさい……」


ドアが閉まり部屋に一人になった途端、静寂が押し寄せてくる。


でも、もう昨日のような孤独感はなかった。


(焦らず、ゆっくり)


晋也さんの言葉が頭の中で何度も響く。


俺はベッドに潜り込みながら


胸の中にぽっと灯った光を感じていた。


明日からの日々が、少し楽しみになっている自分がいた。



◇◆◇◆


それから数日のうちに後見人選任の正式な通知が来た。


その日から、俺たちの日常は少しずつ、しかし確実に「二人の暮らし」へと変わっていった。

朝、晋也さんよりも先に起きて、食卓には手早く作った朝食を並べて、その匂いに釣られて晋也さんは起きてくる。


一緒に出勤、通学の道を歩くし、仕事が休みの日には「気をつけて」と見送ってくれるし


帰ってくれば「おかえり」と迎えてくれる。


週末には、一緒にスーパーへ買い物に行き


献立を相談するようになった。


俺が夕食の準備をしている間に皿を用意してくれたり、夕食が終わると「ゲームしてていいよ」と言って後片付けをしてくれる。


リビングで並んでテレビを見たり、他愛もない話をして笑い合ったり。


この何気ない日々の積み重ねが、俺と晋也さんの間に、確かな絆を築き上げていくのを感じていた。


温かくて、穏やかな「家族」の形だった。


でも、我儘を言ってしまうと少し複雑な気持ちもある。


(前、俺の小さい頃のプロポーズ覚えてたけど…本気にはしてないんだろうな…)


(今、好きとか言ったらやっぱり迷惑なのかな)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ