人を喰う桜
幼い日。
桜色の少女に出会った事がある。
「あなたは?」
思わず問う。
彼女に見惚れながら。
彼女は風に揺られ首を振るばかりだった。
その姿に恋をした。
返事などいらなかった。
――ただ、見つめていたかった。
それだけだった。
「また会いに来ても良いですか」
問いに彼女は答えなかった。
一度たりとも。
だけど、確かに感じた。
『気の済むまで来なさい』
そんな返事を――。
***
「君は綺麗だ」
見上げた桜の木は記憶から色褪せたりしない。
そして、かつてと同じように僕の声掛けに返したりしない。
風に揺られて微かな返事を――感じさせるだけだ。
「見てくれよ。僕はもうすっかりお爺さんだ」
白髪さえも全て抜け落ちた。
まるで枯れ木のように。
「君に恋して幸せだったよ」
――あと、何度この場所に来られるだろうか。
そう思いながら僕は踵を返す。
この桜の木が『人を喰う桜』などと呼ばれていると知ったのは随分と前のことだ。
その言葉の意味を若い僕は考えたこともなかった。
しかし、今なら分かる。
「確かに君に喰われたよ、僕は――」
何せ、人生の全てを君に奪われたのだから。
春のそよ風によろめきながら、僕は木漏れ日の中をのんびりと歩き続けた。