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3.僕が走ってもいいんだろうか

夏休み初日、僕は自宅の玄関でランニングシューズの紐を結んでいた。

あの事故からスズがどうなったのかわからない。

スズと仲の良かった友達がお見舞いに行くと言っていたがそこに混じることなんてできない。当然、ランニングアプリを見ても、スズの走行記録は更新されていない。


それでも僕に何かできることはないだろうか・・・。ぐるぐる悩んだ末にたどり着いた結論は、僕が走り続けることだった。


スズは僕が走っていることで励まされる、一人じゃないと思えるって言ってくれた。

僕が走り続ければ、それでスズがランニングアプリを通じてそれを知れば、きっと元気づけられるんじゃないか。

病院のベッドでも家でも孤独を感じないで済むんじゃないだろうか。

そう思って毎日走ることにしたのだ。


それから毎朝、スズのことを思いながら運動公園のトラックを走った。

家で休んでいてもスズのことが心配になって、夕方にも走ることがあった。


きっと夏休み明けには前みたいに学校で元気な姿を見せてくれる。

また前と同じように、一緒に走れるようになる。

時間はかかるかもしれないけど、また僕なんか追い付けないくらいのスピードで駆け抜けてくれる。


だからその日まで僕がここで走り続けて、待ってるってメッセージを伝えよう。


そう祈りながら一歩一歩踏みしめるようにして走った。


毎日暑かった。雨が降った日もあった。

それでも一日でも休めばスズががっかりするかもしれない。そう思って毎日走り続けた。


気づけば8月の月間走行距離は150キロを超えて、200キロに迫っていた。


そんな僕の願いが届いたのか、8月31日に奇跡が起こった。運動公園にスズが姿を見せたのだ。

スズは松葉杖をついていて右膝には固定用の装具を付けており歩みはゆっくりだったけど、少しずつこちらへ近づいてくる。


「あっ、あっ・・・元気?」

僕は待つのがもどかしく、思わずスズに駆け寄ったが、行動とは対照的に言葉はほとんど出なかった。会えたら伝えたいことがたくさんあったのに。


「元気に見える・・・?」

スズは松葉杖でトンッと地面を叩き、僕の呼びかけにいつもよりも低い声でそう答えると、フッと息を漏らした。以前のような弾ける笑顔は見せず、少し口角を上げてシニカルな表情をしている。


「コウが走ってたの、ずっと見てたよ。アプリで。」

「うん・・・。」

その言葉に鼻の奥がツンッとなった。そうか、ちゃんと僕が走ってたことはスズに届いていたんだ。

しかし、僕の勝手な感動はスズの低く張り詰めた声により、唐突に裏切られた。


「何のために走ってたの?」

「え・・・?」

スズの顔を見ると、これまでに見たことがないくらい冷たくて硬い。あの白い歯を見せたにこやかな笑顔とは違って、今日はぎゅっと唇を結んでいる。いつも優し気だった瞳は、今日ばかりは責めるように鋭く僕を射抜いてくる。


「もしかして、わたしが怪我したから、頑張れば来年の勝負で勝って、何でもお願い聞いてもらえるかもって思っちゃった?」

張り詰めた空気に驚き、言葉が出なかったため、代わりにブンブンと首を横に振った。


「じゃあなんで?なんでずっと走ってたの?長生きするために心臓を動かしたくないんでしょ!!」

「い、いや・・・。僕が走ってたら・・・スズが気づいてくれて・・・それで少しでも力になれればって、元気づけられればって思って・・・。ごめん・・・。」

詰問するような口調に僕は後ずさりながら弁解した。しかし、それでスズは許してくれなかった。


「は?もしかして、コウが走ったらわたしが喜ぶとでも思ったの?は?はっ?なんでそんな風に思うの?」

「いや・・・・。」

「走れなくなってずっとベッドの上にいるわたしが、コウが楽しそうに走ってる様子を見せられてどう思うか考えなかった?もう前みたいに走れないかもって不安になって、毎日夜に泣いてたわたしに、自分だけノーテンキに走る姿見せつけて、傷つくとか少しでも思わなかったわけ!!」


そうかもしれない。独りよがりに、僕が走ればスズが元気づけられるなんて思ってたけど、たしかに走れないスズにとって、僕が毎日走っている姿を見せつけられることは辛かったと思う。僕はなんてうかつなんだ・・・。

「ごめん。」

「走って元気づけようなんて気持ち悪い・・・。もうわたしの前で走らないで・・・。」


スズは静かにそう言って、そのまま松葉杖をついて歩き去って行った。

ゆっくり遠ざかる背中を見ていると、言われっぱなしで少し腹が立ってきた。

たしかにスズの気持ちをよく考えるべきだったけど、「気持ち悪い」とか「もう走らないで」とか、いくらなんでも言い過ぎじゃないか!


「そっちから走ってみようって誘っておいたくせに!励まされるとか期待させるようなこと言ったくせに!急に態度を変えるなよ!言われなくたってもう走るのなんかやめてやる!!それで満足なんだろ!」


気づけばスズの背中に向かって叫んでいた。スズは一瞬歩みを止めたが、振り返ることなくそのまま去って行った。僕はなんてことを言ってしまったんだとすぐに後悔したがスズを追いかける勇気は出なかった。


新学期初日。スズは松葉杖をつきながら教室に入って来た。その姿を見たクラスメートは一斉にスズの周りに集まって行った。スズは、「大丈夫だった?」とか「手助けするから何でも言ってね」といったクラスメートの言葉に一学期と同じような笑顔で明るく応対していたが、僕にはなぜかその顔が少し寂し気に見えた。


もう一度スズと話したい。スズの気持ちを思いやれなかったこと、僕が関わらず暴言を吐いてしまったことを謝りたかった。

でも、教室ではスズの周りには心配してお世話をする友達が集まっていて、2人で話せる機会はなかったし、スズは目も合わせてくれなかった。



結局、僕は走るのをやめなかった。夏休みが終わった翌日からも早く起きて運動公園に行って走り続けた。

僕だけ走ることに罪悪感はあった。でも、もしかしたら、いつかスズがまた走れるようになってここに来るかもしれない。今は走れないからあんなこと言っちゃっただけで、怪我さえ治れば前みたいに話せるかもしれないという一縷の望みを捨てきれなかったから。


ただ、スズに僕が走っていることが伝わると傷つけてしまうだろうから、そっとアプリの友達登録を外しておいた。こうすれば、スズがまた走る気になってここに来ない限り、僕が走っていることはわからないはずだ。



「走っていると悩みなんて全部吹っ飛んじゃうよ!」

かつてスズが言っていた言葉は、半分は本当で、半分は嘘だった。

たしかに息があがるような激しい走りをしている時は悩んでいる余裕はなくなる。だけどアップやダウンのためゆっくり走っている時は、頭を使うことがないから、逆にいつも悩み事が頭を駆け巡った。


「勝手にそんなことして気持ち悪い」

「もうわたしの前で走らないで」

スズに言われたセリフが何度もリフレインされる。


「言われなくたってもう走るのなんかやめてやる!!それで満足なんだろ!」

僕がスズの背中に向けて叫んだ言葉を思い出す度に身を悶える。


そして最後には決まって自分を責めた。


「どれもこれも僕が勝手な思い込みでスズを傷つけたからだ・・・。全部僕のせいだ。」


またスズと一緒に走りたい。もう一度話して誤解を解きたい。どうしたらいい?

いくら考えても答えは出せず、少しでも考えなくて済むように、あえて自分を追い込むような厳しい練習メニューを課した。

ただただ、忘れるために走り続けた。


そうやって毎日走り続け、秋になり、冬が来た。


この間、スズは松葉杖から杖に持ち替え、その杖も持たなくなり少しずつ回復はしているようだったが、陸上部の練習には復帰していないようだし体育はずっと見学だった。


4月にはクラス替えがあり、スズとは別のクラスになり、顔をあわせる機会はまったくなくなった。

それでも僕は走り続けた。それしかスズとつながれる絆が思いつかなかった。



5月5日の早朝、僕は一人で運動公園にやってきた。

今日はスズと約束した勝負の日だ。スズが来ることはないだろうが、一応のケジメとして今日は一人で走るつもりだ。目標は、去年のスズの自己ベストである5分35秒。それをクリアできれば僕の中でのスズへの未練は一区切りしよう。

そう思いながら、準備運動をしてトラックを軽く一周走って戻ってくると人影が見えた。


「おはよ・・・。」

すこし緊張した声で挨拶をしてきたのはスズだった。

「あっ、おはよう。」

「走ってたんだ・・・。」

「あっ・・・いや今日はたまたま・・・。」

僕は目をそらして、素早く頭の中で言い訳を考えた。走ってたんじゃなくて速く歩いていたとか、スキップだったとか言えばごまかせないだろうか・・・。

しかし、すぐにそんなバカな言い訳などまったく通用しないことがわかった。


「わかってるよ。コウが走ってたことは。だって・・・。」

そう言うとスズは振り返ってすぐそばにある二階建ての家を指さした。

「あそこがわたしの家だから・・・。」

この瞬間、僕は青ざめてしまった。アプリの友達登録を外せばわからないだろうと安易に考えた過去の自分を責めたい。

「ずっと見てたよ。毎朝、それからたまに夕方もここに来て走ってたのを。雨の日だって、そういえば雪の日も走ってたよね・・・。」


僕の脳裏に、あの夏休み最終日にスズに言われた言葉がよみがえった。

「気持ち悪い」「もうわたしの前で走らないで」


もう何も言い訳できない・・・。


「「ごめんなさい!!」」

全力で下げた頭の先で、僕が叫んだのと同じセリフが聞こえた。


「え・・・?いや・・・。ごめんなさい。僕が走ることでスズが傷つくことはわかってたのに・・・」

「ちがうよ。わたしの勝手な八つ当たりでひどいこと言っちゃって・・・。言ってからすぐに、わたしのせいでコウが走るのやめちゃったらって後悔して取り消したかったけど素直になれなくて・・・。でも、次の日も、その次の日もコウが変わらず走ってる姿を見ることができて救われて・・・。」


「あ・・・うん・・・。」

遠慮がちにスズの表情を覗き見た。伏し目がちで表情が硬い。いつでも明るいスズらしくない。


「あの時はあんなこと言っちゃったけど、本当はコウが走ってくれているのを見て、また走りたい、走ろうって前向きな思いが少しずつ湧いてきたんだよ。ケガをして、きっと元のように走るのは難しいけど、だけどコウが毎朝楽しそうに走ってるのを見て、また一緒に走れるようになりたいってリハビリも頑張って。だからありがとう。コウには感謝してる。でも、ずっとそれが言えなくて・・・。」

そこまで一気に吐き出して、スズはやっと笑ってくれた。以前の弾けるような笑顔ではなかったけど、控えめな笑顔も魅力的だった。


「僕の方こそ・・・。」

スズは素直に気持ちを話してくれた。だったら僕もちゃんと本心を話すべきだ。

「1年前、ずっと悩みに捕らわれてて、コウって名前の通りずっと無限に悩んでいて・・・。でもここでスズに悩みがぶっ飛ぶから一緒に走ろうって誘われて走り始めて。コウって名前もいい名前だって言ってもらえて。そしたら少し前向きになれて・・・。まあ走って悩みがぶっ飛んだことはないけど、それでも目標のために頑張ることができて・・・それなのにあんなひどいこと言ってごめん。本当はずっと感謝してる・・・。」

そう言うとスズはにっこり微笑んでくれた。僕も思わずはにかんでしまい、二人して照れて目をそらした。


その微妙な空気を打ち破るように、スズがパンパンッと手を叩いた。

「さ、さあさあ!じゃあ、湿っぽい話はこれくらいで、さっそく始めようか!」

「えっ?何を?」

「忘れたの?今日は勝負の日じゃんか!!」


そう言うと、スズはジャージを脱いだ。下には競技用のユニフォームを着ていた。

そして、入念に準備運動をしてからトラックをゆっくりと走り始めた。


「走れるようになったんだ・・・。」

トラックを一周して戻って来たスズの姿を見て胸に迫るものがあった。なんとかこらえたけど、油断したら涙が出そうだ。

「どうしたのよ、そんな顔して!これくらいで感動なんてまだ早いよ。本気出せば、まだコウには負けない気がするな~!というかずっと走ってたのに、1年近く休んでたわたしに負けるなんて恥ずかし過ぎるからね!ハハハッ!!」

スズはバシバシと僕の肩を叩いて笑い始めた。


「じゃあ!さっそく勝負だ!手を抜いたらブチギれるからね!!スタート!」


そのスズの一言から唐突に始まった1500m走勝負は僕の圧勝だった。最後はスズを周回遅れにしてゴールしたが、僕がゴールして勝負がついた後も、スズは律義に残り一周を走り切ってからゴールした。


「フウ・・・、ちょっと・・・ハァ、ハア・・・こういう時って・・・フウ・・・。怪我上がりのわたしに配慮して・・・ハァ・・・花を持たせるもんじゃないの?」

「いや、手を抜いたらブチ切れるっていうから・・・。」

そう言って麦茶のペットボトルを差し出すと、スズはその場に座り込み、一気に半分くらい飲み干した。


「いや~!そんなに必死になってわたしに勝ちたかった?何でもお願い聞いてもらえるから?ハハハッ!!」

朗らかに笑ったスズの顔には何の屈託の色もなく、去年の同じころに見たのと同じように天真爛漫で弾けるようだった。

「ああ、そうだ。それをさっき走ってる時に考えたんだけど・・・。」

「なになに?何をお願いするつもり?せいぜいデートくらいにしてもらえるとうれしいかな。ハハハッ~!」

「いや、そんなことじゃなくて・・・。」

「えっ?そんなことって・・・。」

スズは笑顔を止めて急に真顔に戻った。

いけない、ちゃんと説明しないとまた誤解されちゃう!!


「実は来年も勝負して欲しいんだ。スズが練習にはモチベーションになる目標が必要だって言ったじゃん。だから来年もスズと一緒に走れるといいなって。またスズと一緒に走れることを目標に頑張れるから・・・。」

我ながら思い切ったことを言ってしまったと恥ずかしくなって思わず下を向くと、スズが急に肩を組んできた。えっ?近い・・・。

思わずスズの顔を見ると、白い歯を見せてにっかり笑っていた。


「なるほどなるほど~!コウの気持ちはよくわかったよ~。そっか~!じゃあ来年も勝負だね。」

「あっ、うん。ありがとう。」

僕は思わぬ接触に緊張して身を固くして視線を落とすと、スズがポツリとつぶやいた。


「じゃあ、来年の勝負でわたしが勝ったらデートしてもらおっかな~。いや、来年まで待てないし、来週でもいいよ!今度こそ負けないよ~!!」

おどけた口調だったので、またいつもの軽口かと思いスズの方を見ると、スズは急に僕と反対方向を向いてしまった。その耳は真っ赤だった。


さっきから僕の心臓が激しく鼓動しているのを感じる。もしこれからもずっとこれが続くなら、きっと長くは生きられないだろうな。


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