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外に出してやる、と言いながら結局、二日も放置された。文句を言ったら、「調べ物をしていたんだ」と平然と答えられた。食事を奢るように言うと、嫌がらなかったので、反省の色があると見なして許すことにした。「軽い奴だ」とオルネオが呟いたのを、ラウラは知らない。
格式ばったところは嫌だ、とラウラがゴネたので二人は廃れた軽食屋に入った。ここなら適当な恰好をしていても、誰も咎めない。持ち物を返してもらったラウラはいつもの外見に戻っていた。日差しにやられないように、フードと斜光眼鏡はしっかり身に付けている。
似顔絵の男と屋敷にいた男が同じだと告げたとき、オルネオはたいそう怪訝な顔をした。その件の調査でラウラの仮釈放が一日ずれたということも、本人には預かり知らぬ事情だった。
「屋敷には遺体が四つあったそうだ。女のものはなかった」
口の中に物を詰めすぎて話せなかったので、ラウラは鼻で返事をした。
「犯人は恐らくシリウスだろう。連れていた子供は、該当候補がありすぎて絞れなかった。この街で最近、子供が行方不明になったという報告は一件だけだ。それはカルミナが追っている」
「“蠍”って連中だろ。ガキ攫ったのがそいつらってんなら、シリウスって奴は、それとは関係ないんだろうよ」
パンを千切って口に放り込む。固くて噛み切れないのを水で流し込んだ。
「問題は、シリウスがどうしてあの屋敷にいたのかだ」
「用事があったんだろうな。死んだ連中ってのはどういう繋がりだったんだ」
「年齢も身元もバラバラだった。共通するのは、性別と、背信者だったということだな。おおっぴらに公言していたこともあったそうだ」
「おっかねぇなぁ」
そう言いながら、ラウラはフォークで野菜を薄肉に包んでいく。
教会に非協力的な態度をとると、酷いときは身柄を拘束される。更生する余地がなければ、最悪の場合、処刑だ。
「あの屋敷はもう何年も人が住んでいないそうだ。にも関わらず、人の出入りがあるという報告があった」
「調査に乗り込んできた日に、居合わせちまったんだな。運がねぇなぁ、ほんとに」
運などと曖昧なものは、有って無いようなものだとラウラは思っていた。考えもしなかったが、あの男に改めて言われると、確かにツイてなかったかもしれない。
「背信者が集会に使うようなところに、どうしてダリアはおまえを呼び出したのか」
「まぁ、教会は嫌いだけど」
「おまえは誰それ構わず、そんなことを吹聴して歩いているのか?」
「いや……」
もっとも、互いの状況を見ていれば、それとなく察するものだ。どんなに祈ったって腹は膨れないことを、身をもって知っているのだから。
「おまえとダリアとの連絡を取り持った奴に、ダリアの居場所を聞き出せないだろうか」
「無理っつーか、知らねーと思うぞ」
「聞くだけ聞いてくれ」
「面倒くせぇ」
「協力、するんだろう?」
皿に残っていた薄肉の野菜包みを、オルネオが指に摘んで横取りしていく。大事に取っておいたものだったので、ラウラは、むっと頬を膨らませた。
酒場は夜にならないと開かない。あの小男が昼間どこにいるのか、ラウラは把握していなかった。
一方、オルネオには時間を潰せるだけの用事がまだあるらしい。かといって別行動は許されず、あっちこっち引きずり回される羽目になった。
今、オルネオは宿屋に話を聞きに行っている。人目に晒されたくないのと日光を避けたいという理由で、ラウラは店の路地でぼんやりと待ちぼうけしていた。
「ねぇ、あれってあんたの男?」
突然、横から声をかけられた。驚いて振り返ると、買い物籠を下げた女が立っていた。
ラウラと同じ歳か、いっそ幼い。吊り上り気味の目からは、勝気そうな印象を受ける。こげ茶色のうねる髪を後ろで束ねていた。
「て……」
「なんか、意外。でも、あんたらしいかなぁ。まぁ他人の男なんて、どうでもいいけど」
「じゃあわざわざ聞くなよ! てめぇ! なに平然と出てきてんだ!」
女はいきなりラウラの胸倉を掴んだ。そのまま路地の奥へ引きずっていく。
表から見えない位置に来て、ようやく手を離した。
そして改めて口を開く。
「死ななくてよかったわね」
「言うことはそれだけか!?」
女は肺の底からため息を吐いて、渋々といった体で「悪かったわね」と言った。「でも私一人が悪いわけじゃない」とも付け足した。
「ダリア、わざとじゃねぇんだろうな。あいつと鉢合わせするように仕向けたんじゃねぇのか」
「それは違う。あんな殺人狂、わたし知らないから」
元から吊り上り気味なダリアの目が、さらに険しくなる。
「ていうか、腹が立ってるのはこっち。仲間を殺されて、そのうえ……許さない。絶対とっ捕まえてやる」
そうとう頭にきているようで、頬が高潮していく。
「なぁ、結局、何の用だったんだ?」
ダリアは、今度は小さくため息を吐いた。ラウラに言っても仕方ないことだったと気づいたのだろう。
「聞きたいことがあったのよ。ほら、あんたって、変なことに詳しかったでしょ。幽霊とか、お化けとか」
「おい、てめぇの間違った記憶はどこで捏造されたんだ」
「違った? 前に妖精ひっ捕まえて見せてくれたと思ったけど」
ダリアにとっては、妖精も幽霊も同じ分類になるらしい。
ラウラは鼻の頭を掻いた。いつ、そんなことをしただろうか。
「それ」
「あ?」
ダリアがラウラを指差していた。口元が緩んでいる。
「考えるときに鼻の頭を掻く癖。直んないのね。いっつもツンケンしてるくせに、そういうとこ、かわいい」
想定外の評価に、ラウラはかっとなった。その様子を見て、ダリアが声を立てて笑いだす。
当の本人は面白くない。さらし者にされた気分だ。癖を矯正することを心に固く誓う。二度とやらない。
喉を振るわせておかしそうに笑うダリアに、もう一人のダリアが重なって、ラウラはぎくりとした。色あせた過去の姿だ。記憶の奥底に埋めていたある一幕が、じわじわと表層に上がってくる。
あれは、退屈と不安に怯えて毎日を過ごしていたときのことだ。顔を合わせるたび、ダリアはことさら不機嫌な顔をしていた。あらゆるものを睨みつけて歩いていた。無理もない。敵は世界なのだから。一分の隙も見せるわけにはいかなかったのだ。ラウラも似たようなものだったが、こちらは諦めの境地にも達していたので、肩肘張らずに生きていた。
(妖精じゃねぇ、あれは……)
新月で、己の手さえ見えない暗がりだった。手慰みにエアリアルで遊んでいたのだ。淡い緑色の光に惹かれてきたのは、虫ではなくダリアだった。物珍しい現象に興奮したのか、いつも張り詰めていた頬が緩んでいた。そのとき、初めてダリアが笑ったところを見たのだ。
それを機会に親しくなった。だが、お互い我が強いのと、馴れ合うのを嫌がる性質だったので、友人と知人の間というあやふやな関係に留まっていた。
エアリアルは一般人に見せるものではない。だから適当に嘘をついた。まさか覚えているとはラウラも思わなかった。調子に乗って言わなくていいような、どうでもいい話もした気がする。
ラウラは頭を抱えた。
「詳しくないんだったら、いいわ」
ひとしきり笑って、ダリアは肩をすくめた。
「あっさりしてんな」
「いいのよ。わたしもどうかしてた。狂人の戯言なんて、真に受けて……。それより、あんたの連れは何を探っているの?」
「てめぇの居場所だ!」
本人を目の前にしているのも間抜けな話だ。
「迷惑。ねぇ、あんた、わたしのとこに来なさいよ」
「あぁ?」
「匿ってやるって言ってんの」
ラウラは鼻で笑った。
「てめぇ、自分の立場わかってんのか。追われてんのは、そっちなんだぜ。こっちは少なくとも、てめぇを追いかける間は守られてんだ。わざわざ危ない橋を渡るつもりはねぇよ」
面白くなさそうにダリアが片目を細める。
「なけなしの善意を持って、わざわざ助けに来てあげたのに」
「逃がしてやろうってんだろ。時間稼ぎにさ。しばらくどっかで大人しくしとけよ」
返事はなかった。もうラウラを見向きもしない。踵を返したダリアはそのまま路地の奥に消えていく。所詮は、その程度の関係だったのだ。利害が一致しなければ、共にいる理由もない。
昔の馴染みだからと、慣れないことをするのではなかった。教会に目を付けられて、困っているだろうと思ったのに。ついでに、人手も足りないから、力を貸してもらうつもりだったが、アテが外れた。
あの二人はダリアを探しているそうだし、これ以上の用はない。
無駄なことを続ければいい。無能な教会の愚か者。
四人の遺体は教会に引き取られたまま、帰ってこない。彼らは教会の手によって葬られることを良しとしないだろう。己の死後さえ自由にならない。
ダリアは唇を噛む。
前触れもなく現れた、あの狂った殺人者。教会はまだ奴を捕まえられていない。狂人を野放しにしたまま、まったく違うことに奔走している。
いや、捕まえられては困る。彼らより先に見つけなければならない。
路地を抜けて、ダリアは表通りに戻ってきた。
ラウラが一人になるタイミングを計っているうちに、時間を浪費してしまった。まだ回らなければならない家が残っている。
買い物籠を抱えなおしたダリアは、足早に歩き出した。
大通りは人で賑わっている。教会の僧服を着た人間とすれ違ったが、ダリアには見向きもしなかった。心の中で舌を出しておく。
雑踏から子供が出てきた。避けようとすると、一緒に動いて進路を塞いでくる。
訝しく見下ろすダリアに、少女が笑んだ顔を向けた。
柔らかな栗毛は肩口で切られていた。フリルをあしらった瀟洒な服は、人形に着せるドレスのようだ。目の瞳孔が、不思議な色をしていた。光の加減だろうか。きらきらと瞬いて見える。
石膏で固めたような顔だ、とダリアは思った。こちらに微笑んでいるのではない。少女は最初から笑っていた。