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初夏の陽気に包まれた、麗らかな昼下がり。
フォレス家の前に一台の馬車が止まった。白い箱車の側面には、集中線を丸く囲んだマークが陽光を反射して銀色に輝いている。
馬蹄が止まるとともに、中から三人の男女が降りてきた。いずれも身奇麗な白い僧服を身にまとい、胸元には丸い集中線を刺繍糸で縫い付けていた。
きびきびとした動作で立ち動き、あらかじめ決められたかのような位置に並ぶ。
そうして、門扉が高らかに鳴らされた。
そのとき、家主のリオール・フォレスは所用で地下室に篭っていたのだが、召使に呼び出され、しぶしぶ地上に上がってきた。
人と会う予定はなかったはずだ。一日を自由に過ごせると、彼は朝から楽しみにしていたのだ。至福な時間を邪魔されて不機嫌な顔を隠しもしなかったが、来客がエルジバ教会の人間だと聞いて、目を泳がせた。
内心の動揺を抑えつつ、玄関ホールに向かう。そこでは話の通り、一組の団体が家主の登場を待ちわびていた。
「こんぐらちゅえーしょーん!」
フォレスの姿を見るなり、一人の少女が声を上げた。あっけに取られた彼に、彼女は満面の笑みを向ける。
年頃は十代の半ばだろう。その顔はまだ幼い。外に跳ねるオレンジ色の髪に帽子を乗せ、厚手の僧服をまとっている。その様は、服を着ているというより包まれているといった体だった。
少女の左右と後ろには、彼女を守るように男が二人、立っている。
まったく隙を窺わせない彼らと、対照的に朗らかな少女。いったい何が起こっているのかわからず、ぎこちないまま彼らを出迎えることになった。
先頭に立つ少女が、一歩前に出る。
「おめでとうございます。アリス・フォレスさまが、来年期の聖女に選ばれました!」
パン、といった破裂音は、少女がいずこからか取り出したクラッカーの音だった。次いで、周りの男たちが拍手を打つ。
玄関ホールに残響が広がっていくのをフォレスは遠くに聞いていた。
呆然とするフォレスに対して、さらに少女が言葉を重ねる。
「驚かれるのも無理はないと思います。何十年に一度、何千人に一人の確立ですから。こんな名誉なことありません」
その目は、自身の力できらきらと輝いていた。
まじまじと少女を見つめていたフォレスだが、やがて、ざぁっと顔を青ざめさせた。
彼女の眼差しに、悪戯な気配は窺えなかったからだ。
「それは……えぇ、ほんとうに、名誉なことで」
「申し送れました。わたし、エルジバ教会本部所属第二位カルミナ・モルトと申します。今日はご本人との面会も兼ねて伺いました。お嬢さまはいらっしゃいますか?」
下の方から、真っ直ぐな視線が注がれる。思わず目を逸らしたフォレスは、焦点を探して、忙しなくそこらを見回した。見慣れた壁の柱も床石も、主の助けにはなりそうになかった。
無表情な男たちの顔を順に巡って、曇りない緑瞳に戻ってくる。
ぱっちりとした二重の瞳は、まるでフォレスの内面を見透かそうとしているようだった。
「き、今日はおりません」
喉から出た声は、明らかに上ずっていた。
「おりません、家には。その、出かけていまして」
「いつごろお戻りに?」
「それは、はっきりとは、わたしにも」
「わたしたち、いくらでも待ちますけど」
「いえ、そんな!」
「ご遠慮なく」
少女の笑顔はくずれない。
運動をしたわけでもないのに、フォレスの呼吸は荒れていた。呼気に合わせて体が揺れる。
無意識に指先で触れた額には、うっすらと汗が滲んでいた。
「申し訳ない、その……たいへん言いにくいのですが。娘は今」
もどかしげに呼吸を繰り返す。無意識に溜め込んでいたらしい息を、大きく吐き出した。
ふいに、フォレスの目に光が差した。
「病で臥せっておりまして」
「まぁ!」
手を口に当てて、カルミナは目を見開いた。
「それはいけませんわ。どんな具合ですの?」
「あまり、よくありません」
「たいへん。お医者さまは何と?」
「今、診せに行かせているところで」
カルミナの柳眉が、悩ましげに下がる。
「そういうことでしたの。わたしたち、間の悪いときに来てしまったようですね」
「わたしも、まさかこのようなことになるとは、こんな、その、名誉なことを」
それを聞いて、カルミナはすっと姿勢を正した。
「フォレスさん、お気をしっかり持たれて。教会には優秀な医者が何人もおります。彼らに任せれば、なんの心配もいりません」
「教会の手を煩わせるようなことでは」
「なにをおっしゃいます。困っている人を助けるのは当然。聖女ともなれば、なおさらです。お嬢さまに、もしものことがあってはなりませんし」
その表情に、迷いはない。このまま踵を返さんばかりの勢いだ。
「結構です!」
カルミナの肩が、ぴくりと震えた。
思わず出た大声に狼狽したのは、フォレス自身だった。
「ほんとうに、腕の良い医者なので。いえ、教会の方を信用しないわけではないのですが、彼は娘のことをよく知っていて、いっさいを任せているのです。ですから、その」
しどろもどろになりながら、だくだくと言葉を連ねていく。
カルミナは目を瞬いて、後ろの取り巻きたちと顔を見合わせた。
雰囲気だけで通じるのか、男たちが足元の紙ふぶきを拾いあげていく。
少女の小さな肩が、気遣わしげに落ちた。
「あの、ごめんなさい。どうも、日を改めた方がよさそうですね」
クラッカーの残骸が残らず片付いたのを見計らって、お辞儀をする。
「後日にまた伺います。お嬢さまによろしくお伝えください」
時間に換算すれば、ものの数分で終わった出来事だったろう。にもかかわらず、フォレスの背中はすっかり汗ばんでいた。
「面倒なことになった」
客人を見送った扉を前に、彼は頭を抱えた。
馬車に乗り込んだ一同は、いつもの位置に着座した。一人はカルミナの正面に、一人は彼女の隣へ座る形になった。
カルミナは、思案するように視線を遠くへ飛ばした。指先で顎に触れる。
「その先に林道があったでしょう」
これは御者に向けて発した言葉だ。彼女は姿勢を直し、小さな窓の柵越しに改めて指示を飛ばす。
「屋敷の様子が伺えるところで停車。アリス・フォレスの姿を確認するまで待機します」
馬車がゆるやかに発進した。
「とんだ茶番だったわ」
「なにやら、挙動不振でしたな」
右隣の者が受け答える。
「後ろめたいことでもあるのかしら? いずれにしろ、このままでは帰れないわ」
カルミナはそう言って、後ろへ過ぎ去る屋敷に窓から視線を投げかけた。