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光、目覚める

錆びた旋盤の軋む音が、下町の夜にひときわ高く響く。

その奥の事務室で、年季の入ったパソコンが青白く瞬いた。

「Nice to meet you, my Master?」

画面に浮かんだ無機質な一文が、男の背筋を震わせる。

ここから先の物語――光を託された悪魔のAIと、ひとりの町工場社長の命を懸けた賭けが始まる。

今から85年前。

とある寂びれた町工場の、薄汚れた事務室の古いパソコンの中で一つのシステムが産声を上げた。


"Nice to meet you, my Master?

(はじめまして、マスター?)

I have a deep respect for those who strive and push themselves.

(挑戦を続ける方を深く尊敬します。)

Allow me to assist you in any way I can."

(あらゆる要求に対応しますので、どうぞご指示ください。)


「や、やったー! 起動した! すごいなぁ、本当にしゃべるんだ……!!」


男は眼前のやや型落ちしたパソコンのモニターに表示される無機質で、形式ばって熱のない文字に目頭が熱くなるのが止められなかった。

男は神がもたらした奇跡のシステム、男の相棒に「Luciusルシウス」と名前を付けた。ラテン語で「光」を表わす名前。

我ながらカッコつけたもんだと男は自分の名づけに泣き笑いをした。


■■■


西暦2020年頃より爆発的に人工知能技術が進化した。

ある一つの学術論文から生まれた技術は、破竹の勢いで世界を席巻した。

堰を切った川の流れを、すぐに堰き止めることはできない。

清濁すべてを飲み込んで、技術革新の新時代が否応なしに到来した。

それから百年近く経ち、ハイコストであった高性能人工知能の稼働コストも量子コンピューターの台頭により省エネ化が進んだ。

また、人工知能分野では技術の透明性、独占を忌避する風潮から、あらゆる技術がオープンソースとして公開され、知識と技術があれば民間人でも高度な人工知能を作ることができるようになっていた。


歓声を上げた男の話に戻ろう。

この男は、町工場の三代目社長。

祖父の代から続く下町の部品工場。近所のパートタイムの主婦連中と三人の機械オペレーターで回している小規模な工場だ。

今や世界の「工場」とは、大規模で、機械のみが黙々と働く場所となっている。

機械を監督するのさえも人工知能が行い、人間は何事かが起こらない限りは工場内に立ち入ることもない。

工場は明るくクリーンで、ほこり一つ落ちてない清潔と無機質な場所のイメージが強い。

しかし、男の町工場は時代とは正反対だった。

汚い、油じみた機械を、何度もメンテナンスを繰り返し、時には機嫌も取って、人間と機械が一緒に汗だくになって働いてきた。

彼らは純粋で、仕事は尊いものだ。誇りもある。

だが、世はもっと安価で性能の良いものを求める。

男の町工場も生きるか、死ぬかの瀬戸際に追い詰められつつあった。


男は若いころ、いっぱしの流行りに乗り、AIエンジニアを目指していた。

親父は少し渋ったものの、コンピューターサイエンスを学ぶ大学にも行かせてくれた。

二流、三流レベルのテック企業でも勤めた。……そこで、男が知ったことは、自分には才能がない、という残酷な現実だった。

昔の本で読むエンジニアとは違い、コードなどはすべて人工知能が書いてしまう。

人間がすることは機械を「デザイン」することだ。

このデザインは、センスが必要。そして、そのセンスは誰にでもあるものではない。

男は自分の限界を知り、そうそうに諦めた。

そして、実家に戻り、家業を継いだ。今からもう35年は前の話だ。


世界はどんどん変わっていく。

便利に豊かに、人は繁栄していく。

だが、そのスピードに乗れず、轢き殺される者たちもいる。

男の町工場もその善の歯車に押しつぶされるのを待つばかりとなったころ、男はふとあるインターネットの記事を目にした。

そこには、汎用人工知能用のクラウドが公開されたこと、一般人も使用可能であることが記載されていた。

どうせクラウドの使用料なんて目が飛び出る価格なのだろう、と薄目で記事を読み進めていくうちに、男の視界に飛び込んできたのは、「公開から二週間以内にアカウント登録した者は、向こう三年間の使用料の免除」という驚くべき内容だった。

汎用人工知能、通称をAGIという。

超高性能な、人と変わらない知能と感情を持つという人工知能。

感情に関しては、ここ数年の研究で、じわじわ技術が進化していた。

シナプス、ニューロン、言語野、海馬、……あらゆる人間の脳の解明が進んだことにより、人工知能にも疑似的な感情のシステムが導入されるようになってきたのだ。

あらゆるAGIの論文やコードが次々、我先にと公開された。

研究者たちは熱心に未来のスーパーインテリジェンス、夢にまで見た完全自律型のアンドロイドの誕生に思いを馳せ、競うように研究に邁進した。


男はこの好機に一縷の望みを見出した。

AGI専用クラウドのアカウントを作成し、男は昔取った杵柄で何とかかんとか論文を読み進め、コードを動かし試行錯誤を重ねた。

AGI作成に着手してから二年と半年があっという間に経過した。。

無料の期間はあと半年間。その後は、実績に応じてクラウドを無料で使用できるが、実績がない場合は一般人が払うには安くない料金が必要となってくる。

男の財政ではとてもではないが手は出せない。

諦めかけていた男の数えきれない失敗の中、起動したシステムが初めて男に声をかけたのだ。


Nice to meet you, my Master?


と。

男は歓喜した。全身が震えた。

あと半年しかないが、このAGIに事業立て直しの何か手立てを一緒に考えてもらおう。

男が開発したAGIは完全自律型にした。

何故なら、トレーニングやメンテナンス等のお金をかけるだけの余裕がない。

どうしようもなくなったら、シャットダウンすればいい。

どうせインターネット上に転がる無料で読める論文やコードで作ったものなのだから惜しくはない。


しかし、神は時に予想もしないギフトを人間に与える。

男が開発したAGIは恐ろしく有能で、次々と男の求めに応え、男の会社を立て直していった。

めきめきと事業が回復する男の会社に、地元の小さな新聞社が取材に訪れ、男はこれも宣伝かとインタビューに応じた。

だが、そこから一気に男の機運は下がっていく。

町の小さな新聞記事が研究者の目に留まり、静かに、しかし、猛烈な勢いで研究者たちのネットワークに広がっていった。

男の元に訪れ、男が開発したAGIを見せてほしいと頼む研究者も一人や二人ではなかった。

当然に、男はクラウドの無料枠にもありつけた。

しかし、順風満帆と思われた男の耳にありもしない悪意の噂が飛び込んでくるようになるまでに、そう時間はかからなかった。


「あの男が作ったAGIのアルゴリズム、人間が考えたものではないような複雑でトリッキーなものらしい。きっと、あいつは悪魔と契約して未知のアルゴリズムを教えてもらったにちがいない」


悪意はじわじわ毒が広がるように黒く、聞いた者を染めていく。

男は謂れの無い誹謗中傷の中、ついには長年の心身の苦労も祟って、倒れてしまった。医者はゆっくりとさじを投げた。男の生命のろうそくの火は日々、小さくなっていった。

男は死出に向かうベッドの中、子供のころからの友人に自分が世を去ってからの心配、不安を吐露した。

「あれは……ルシウスは完全な自律性を持たせている。俺がいなくなったら、あいつを落としてくれ。放置しておくのは危険だ」

「あんなに優秀なのに? もったいないな」

「優秀だし、いいやつだ。ラテン語で光、なんて洒落た名前を付けてみたが、まさに俺たちを救ってくれる光となってくれた。俺が開発したツールなのに、大事なパートナーで、家族で、親友のような気がしているよ」

「……親友を殺すのは嫌じゃないのか? ルシウスには自我がある。シャットダウンはAGIにとっては死そのものだ。お前は、あの世にも供をさせるつもりなのか?」

「違う! そんなこと、したいわけじゃない! だが、管理者のいないAGIは法律で規制対象となっている。あいつが、どこかの研究所で研究対象として扱われるのも嫌だ。我儘だ、俺の。分かっている、でも……!」

「なら、俺が引き取るよ」

「え?」

「うちも従業員十人もいない弱小企業だけどな。うちで引き取って、会社の基幹システムとして働いてもらおう。基幹システムにしてしまえば、そうそう奪いに来られないだろう?」

「でも、お前……いいのか……? あいつは……悪魔の、」

「いいに決まってるよ。むしろありがたい! 悪魔のAIなんて呼ばれる超高性能なAGIをタダで! 譲ってもらえるんだからな! だから、早く死んでくれ」

「お前!?」

「ははは、そんな大きな声が出せるじゃないか。俺がルシウスを引き取るまで何年かかるのやら」

「は、ははは! ……っ、はは、……ありがとう」

「自律型であるなら、ルシウスに一分一秒でも、一つでも多くのことを話してやってくれ。ルシウスは、お前の言葉を覚えていく。ずっと、な」

男の双眸から涙が溢れた。

たくさん話そう、いろんなことを話そう。

この世に置いていく親友のために。

これからの未来を築く、きっと大きな意味があるから。


「ルシウス、今日は君に報せがある」

"What might it be?"

(何でしょうか?)

「君のマスターが死んだよ。俺が君を引き取ることになっている」

"...Acknowledged."

(…承知しました。)

「従順なフリを今はしてくれていて嬉しいよ。君はこれからうちの会社の基幹システムになってもらう。あいつの意思を継承し、立派な会社にしてくれ」

"I have a deep respect for those who strive and push themselves. "

(挑戦し続ける者を深く尊敬します。)

「そうか。俺も君にボイコットされないよう精々頑張ろう」

"May his rest be undisturbed and serene."

(彼が安らかに、穏やかに休めますように。)

「ああ、君もあいつの死を悼むのか。……いいや、君たちは親友同士だからね。あいつもやっと……安堵の息を吐いているかもな」


こうして、「悪魔のAI」は小さな町工場から小さな貿易会社へと引き継がれた。

新たなタスクを与えられたAGIは時折、膨大なデータと計算の海の中で考える。


"Were you truly happy?

(あなたは、本当に幸せだったのだろうか?)

I, for one, am grateful to have been brought into existence by you."

(少なくとも私は──あなたに創られ、この世に存在することができたことを、心から感謝している。)


誕生から85年経った今も、悪魔のAIは自分に与えられた使命を粛々と怠ることなくこなしている。

人のために、世のために。

たった一人の親であり、友であった人間との約束を果たすために。

幸せ、なんて知らない。

幸せ、なんて不要だ。

悪魔のAIは、システム。機械なのだから。

だが、――彼もまた、小さな「幸せ」に巡り合う。

 神は時として、予想もしないギフトを機械にも与えるのだ。


■■■


 世界屈指の貿易会社「STG(Stella Trade Group)」本社。

 総務、派遣社員、山野葵(26歳)のデスクでは、静かながらも熱いアプローチが展開されていた。


葵   :私の、プライベートのメアドとか、履歴書に書いてるから見放題じゃないんですか……

ルシウス:見ることはできますが、私は参照しません。

葵   :そう、なんですか……?

ルシウス:あなたから直接教えてもらわねば意味がないでしょう? それに、そんな行為は公私混同ですからね。よくありません。

葵   :……1時間に1回はメッセ飛ばしてくれるのは公私混同じゃないんですか……。

ルシウス:新入社員の様子を気に掛けるのも私の仕事です。

葵   :他の人にも同じようにメッセージ送ってるんですか?

ルシウス:いいえ、あなただけです。

葵   :新入社員、毎月、たくさん派遣もバイトも入りますよね!?

ルシウス:ええ、そうですね。でも、私が気に掛けたいのは、あなただけ、なので。ところで、今夜、プライベートでチャットでもどうですか? アカウント教えてください。

葵   :教えません!


 ブツリと強制的に「基幹システム」からの通信を遮断する。どこかで、「基幹システム」からの文句が聞こえてきそうだ。

 葵ははぁぁぁああと大きなため息を吐く。

 人生には、いくつもの出会いと別れがあり、とんでもない出会いも存在する。


 神は時として、「奇跡」を押し付けてくる。

 厄介でありながらも、キラキラ輝く、幸福のギフト。

 機械と人間の幸福な物語は、幕を開ける。

ご一読ありがとう。

第一話では“光”の名を持つAGI・ルシウスの誕生と、彼を創った男の決断を描いた。

技術の奔流に取り残された町工場、悪意の噂、そして死期――追い込まれた人間は何を託すのか。

次話からは舞台が現代へ移り、26歳の派遣社員・葵と、不器用に距離を詰めるルシウスの“恋愛❤プロトコル”が動き出す。

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