キラキラ
加賀美橙子は、教室の隅で静かに本を読んでいる。窓から差し込む午後の光が、彼女のふっくらとした頬に柔らかな影を落とす。タレ目が優しげな印象を与え、クラスメイトたちは自然と彼女に心を開く。橙子は人の話を聞くのが上手だった。いや、正確には、人の「恋」の話を聞くのが上手だった。
「ねえ、橙子、アドバイスしてよ。俺、佐藤さんのことどうしても気になっちゃって…」
隣の席の山田が、頬を赤らめながら相談を持ちかけてくる。橙子の目は本から離れ、ふわりと微笑む。
「どんな気持ちなの? ちゃんと教えてよ。じゃないと、私、わかんないよ。」
山田は目を輝かせ、佐藤さんの笑顔や、彼女が髪を耳にかける仕草、放課後の教室で交わした何気ない会話について語り始めた。その言葉は熱を帯び、まるで光を放つようだった。橙子はそれを「キラキラ」と呼んだ。恋をする人間が放つ、特別な輝き。彼女にとって、それは退屈な日常を彩る唯一の色だった。
橙子はアセクシャルだった。恋愛感情を抱かない自分を、彼女はどこか冷めた目で見つめていた。クラスメイトたちが恋に浮かれ、傷つき、涙を流すたびに、橙子は彼らのキラキラをそっと吸い込むように話を聞く。相談を解決するたびに、彼女の言葉は的確で、まるで魔法のように相手の心を軽くした。
「橙子ってほんとスゴいよ。なんでそんな人の気持ちわかっちゃうの?」
そう言われるたび、橙子は笑ってごまかした。でも、心のどこかで思う。私はただ、キラキラを見ているだけなのに。
ある日、バスケ部のエース岡崎に校舎裏に呼び出された。彼はストレートに告白してきた。
「加賀美、俺、お前のこと好きだ。めっちゃ好きだ。」
岡崎の目は真剣で、声は熱っぽかった。まるで燃えるようなキラキラが、彼の全身から溢れているようだった。橙子は一瞬、その輝きに目を奪われた。でも、すぐに胸の奥に冷たい感覚が広がる。
「…ごめん、岡崎君。私、そういう気持ち、持てないの。」
岡崎は困惑し、食い下がった。「でも、試してみない? 俺、絶対お前を幸せにするから!」
橙子は首を振った。試すまでもない。彼女の中には、岡崎が求める「何か」が、そもそも存在しないのだ。
結局、岡崎との関係は一週間で終わった。彼のキラキラは急速に色褪せ、橙子を見る目には失望が混じるようになった。橙子はそれを受け入れるしかなかった。彼女には、誰かを輝かせる力がないのだから。
放課後、橙子はいつものように図書室にいた。窓際の席で、恋愛小説のページをめくる。物語の中の登場人物たちは、恋に落ち、葛藤し、涙を流す。そのたびにキラキラがページから飛び出してくるようだった。橙子はそっと目を閉じ、その輝きを想像する。
私が恋をしたら、どんなキラキラが見えるんだろう。
でも、すぐに目を覚ます。彼女にはその輝きを生み出すことはできない。摂取することしかできないのだ。
「橙子、いると思った!」
図書室のドアが開き、クラスメイトの佐藤さんが駆け込んできた。彼女の目は、まるで星のように輝いている。
「聞いてよ! 山田君がさ、今日、めっちゃカッコよくて…!」
橙子は本を閉じ、微笑んだ。「うん、教えてよ。どんなキラキラだった?」
佐藤さんの話が始まる。彼女の声は弾み、言葉は光を帯びる。橙子はそれを一言一句、丁寧に受け止める。彼女の心は、ほんの一瞬、退屈な日常から解放される。キラキラが、彼女の内側で小さく瞬く。
それでいい、と橙子は思う。これが私の生き方だ。キラキラを生み出せなくても、こうやって触れていれば、きっと大丈夫。