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ちょっと昔の昔話

ちょっと昔の昔話。

小説ちょっと昔の昔話


 

 昔、むかし、と言ってもそんなに遠くない昔のこと、ある街にお爺さんとお婆さんが住んでいました。

 お爺さんは、会社を定年退職になったばかりです。

朝起きるとテレビをつけ、ご飯を食べて、お昼を過ぎた頃散歩に出かけます。散歩から帰るとまたテレビを見て、ご飯を食べてお風呂に入って寝る。という特にする何もなく、退屈な毎日を送っていました。これといった趣味もないお爺さんはこのままではいけないとお婆さんがよしなさいというのも聞かずまた仕事を探すことにしました。

お爺さんはそれまで営業といって会社で作った商品を売る仕事をしていましたから、新聞の求人欄に営業という文字を見つけては電話をかけてみました。

ところが募集はどこの会社も六十五歳を過ぎたお爺さんには断られてばかりで、仕事はいつまで経ってもみつかりませんでした。

ある日、ご飯を食べながらお婆さんはお爺さんに話をしました。

「あなたは、何故、そんなに働きたいの?」

「何故って、まだまだ若い者には負けているわけにはいかないからさ」

お婆さんはお爺さんの話を聞くと溜息をつきました。そして、お爺さんに言いました。

「あなたは、若い者に負けないとか言っていますけど、若い人の何に負けないというのです?」

お婆さんの言葉にお爺さんは考え込んでしまいました。

するとお婆さんが、言いました。

「仕事を一生懸命してくださってきたことには、本当に感謝しています。でもね、あなたは何かというと最近の若い者はと言いますけど、最近の歳をとった者も似たりよったり。昔の人と比べると大したことはありませんよ。それが証拠に、私の若い頃にはお爺さんからもお婆さんからも退屈なんて言葉聞いたことありませんよ。若い人には若い人のすること、年寄には年寄りの役割があるんじゃないですか。お仕事を探すのはいいんですが、若い人たちや世間と張り合ってばかりじゃ疲れてしまいますよ」


「そうは言うけどばあさんや、ワシは毎日、毎日退屈で仕方がない。もう気が狂ってしまいそうじゃ」

するとお婆さんは、笑いながら

「あらあら、それは大変だこと。でも本当に気が狂ってしまったら、病院へ行って貰いますからね。わたし一人では気の狂った人の看病はどうにもなりませんから、ホホホ」

「ホホホって、ワシが真剣に悩んでいるのに」

「あらあら、それは大変、ごめんなさいね。」

「ごめんなさいねって、人ごとみたいに……」

「いえいえ、そういうわけじゃないんですよ、ホホホ」

「ホホホって、笑っているじゃないですか」

とお爺さんが言うとお婆さんは少し考えてから、

「だってお爺さん、毎日、毎日同じことばかり言っていますから。もしかして、おボケになったんじゃないかと思いまして、ホホホ」

と言いました。

お婆さんの言う通り、お爺さんはここのところ同じことばかり言うようになっていました。でも、お爺さんがボケているわけではありません。お爺さんは、同じことを話していることはちゃんとわかっていました。

「失礼な、ボケている訳じゃないぞ。ただ、毎日同じことばかりで他に話すことがないからこうなっているだけじゃ」

それを聞いたお婆さんは、またホホホっと笑いながらご飯を口に運びました。

「なぁ、ばあさんや昔の年よりもこんなに退屈な毎日を過ごしていたんだろうか」

とお爺さんは聞きました。

「さぁ、どうでしょうかね~」

と言うとお婆さんは、ニッコリと笑いました。それを見てお爺さんはお婆さんに聞きました。

「ばあさんのお爺さんやお婆さんはどうだったか憶えているかい」

「さぁ、どうでしたでしょうか。昔のことですから、お勤めといっても今みたいに決まった定年ということもなかったでしょうし。それに、わたしのところには畑がありましたから、退屈なんていうのはなかったんじゃぁないでしょうかね」

「そうか、ばあさんのところもか、ワシの家にも小さかったが畑があった。ワシの爺さんも婆さんとよく一緒に畑仕事をしとったような記憶がある」

「昔はどこでもそうでしたからね~、ホホホ。それに昔は自分で畑を持っていなくても親戚の誰かのところには田んぼか畑があってみんなで助け合って作業をしていたものでした」

 昔と言っても、そんなに遠くない昔、人々は自分で働けると思っているうちは働き、小さなこども達は親や祖父母のそういう姿を見ながら育っていました。それに大抵どこの家にも大なり小なり畑や田んぼがあり、力仕事は別にして雑草を抜いたり肥料を撒いたりと年寄りでもすることのできる仕事は沢山ありました。

 「昔は、よかったんですかね~」

とお婆さん。

 「昔はよかったのかな~」

とお爺さんもつられてこう言った後「はぁ~」とため息をつきました。

 

 「ワシはなんのために仕事をしてきたのかの~。年とってしまうと、使い捨てられたようで切ないもんだの~」

 お爺さんは寂しそうにつぶやきました。

 「使い捨ては言いすぎかもしれませんけど、どの道命はいつか終わってしまうんですからそんなものかもしれませんね~」

 とお婆さん。

 

 「婆さんは、寂しくないのかそんな風に考えて……」

 「はい。別に寂しくはありませんよ。子ども達は、大きくなったし、こうしてこの歳まで生かせてもらって世間を見せて貰えているんですから」

 

それからお爺さんとお婆さんは、色々と話をしながらご飯を済ませました。お婆さんはご飯の片づけを終わらせるといつものように仏壇に向かって手を合わせていました。

その姿を見てお爺さんは、お婆さんに訊ねました。


「毎日、毎日。お婆さんは何をそんなにお祈りをしているんだい」

それを聞いたお婆さんは、ニッコリと笑いながらいいました。

「何を願っているというわけでもありませんよ。こうしてご飯を食べられてありがとうございますって、ご先祖様にお礼を言っているだけです」

それを聞いて、お爺さんがまだ小さかった頃に聞いた言葉を思い出しました。

「そう言えば、まだ小さかった頃、ワシのお婆さんもよくそうやって言っておった」

「そうですね。私もよく聞きました。その時は何故そんなことを言うのか不思議に思ったこともありましたけど。こうして歳をとってくると自然にそんな風に思うものなんでしょうかね。ホホホ……。若い頃はあれもしたいこれもしたいっていろんなことをしてみたかったものですが、今となっては、もうそんなことどうでもよいことのように思われてもきます」

そして、暫く二人は黙って顔を見合わせていました。

どれ位か時間が過ぎてお婆さんが急に神妙な顔をして口を重たそうに開き話し始めました。

「私ね、いつかお爺さんに話そうと思っていたんですけど……」

そうお婆さんが言った時、お爺さんは少しドキッとしました。

家を顧みず働き続けた挙句の世間でよくある熟年離婚をお婆さんが切り出すのかと思ったからでした。

お爺さんはできるだけ冷静を装いながらもお婆さんに

「なに?」

っと聞きました。

それでもお婆さんはお爺さんの慌てた様子を見逃がしませんでした。お婆さんには、お爺さんの考えていたことがわかっていたようでした。お婆さんは少し意地悪がしてみたくなり、もったいぶるように

「ちょっと言いにくいんですけど」

と俯き加減に口を開きました。

お爺さんは、お婆さんのいつもと違う様子に気が気ではありませんでした。老眼鏡はズレ堕ち、煙草を咥えたものの吸い口に火をつけて熱い煙を吸い込んで咽てしまいました。

その様子を見て、お婆さんは気の毒になり、

「ホホホ……」

と笑いだしてしまいました。

「な、な、何を笑っている」

とどもりながら話すお爺さんを見るとお婆さんは、益々可笑しくなってきました。その内お爺さんの表情が硬くなり黙り込んでしまうと、お婆さんは可笑しいのを我慢して言いました。

「お爺さんいったい何を、慌てているんですか」

と言うと口元に手を当てそれ以上の笑いをかみ殺しているようでした。

お爺さんは、

「ワシは何も……」

と言いながら新しい煙草を取り出すと火をつけました。

お婆さんはこれ以上話をもったいぶるのがお爺さんに少し気の毒なような気がして

「もしかして、私が離婚を切り出すとでもお思いになったんじゃありませんか。テレビの見過ぎですよ」

と言ってお婆さんは、また、笑い出しました。

その様子を見てお爺さんは少し安心したようにつけたばかりの煙草を灰皿に消しました。

それからお婆さんはお茶を入れ可笑しい気持ちを落ち着かせようとお茶を飲みました。お爺さんは、お婆さんの様子を見ながらお婆さんの笑いが収まるのをただ待っていました。二盃目のお茶を飲み終わった頃お婆さんの笑いは漸く収まりました。


「正直、言いますとそんなことも考えた時も何度もありましたよ。でもね、それももう昔のことです。今は、こうして二人とも何とか元気に暮らしていけることが幸せって思われるようにもなりました」

そう言うとお婆さんはお爺さんの湯飲みに入った冷めたお茶を捨て温かなお茶を入れました。

「私が、話したかったのはね。そんなことじゃ、なくって。私たちの両親に申し訳ないことをしたなってことなんですよ」

お婆さんの入れた湯のみを手に取りお爺さんはもうずいぶん前に亡くなった両親のことを思い出していました。

「私たちが若かった頃、景気も良くてお金を稼ぐために家もとを出てしまいましたけど、それが世間の風潮で当たり前のことのように何も考えてはいなかったじゃありませんか……」

お爺さんとお婆さんの若い頃、日本は丁度高度経済成長期でそれまで誰も経験のしたことのない程に生活が豊かになった時でした。それまで若者の多くが農村で兼業をしながら手伝っていた家業である農業を捨て故郷を捨て都会へと移住していきました。お爺さんとお婆さんもそうした若者の一人だったのです。

「家は、専業農家。お爺さんのところは、たしか……」

「丹後の田舎で機を織っていた。小さいけど田んぼも、畑もあったな……」

「そうでしょ、それで夢を見て街に出て工場で働いて、いつの間にか実家を捨てて。みんな同じように結果として親を捨てるようになってしまいました……」

「親を捨てるっていうのは、言い過ぎだろ」

「いいえ、それは私たちの都合の話しで。やっぱり、私たちは親を捨てたと同じことをしてきたんだと思います」

「そうかな……」

お爺さんは、少し不服に感じましたが黙ってお婆さんの話を聞きました。

「私たちの、両親も沢山やりたいことがあったでしょうにそれでも我慢して親の面倒を見て祖父母の面倒を見て、いえねただお金だけのことじゃなくてちゃんと面倒見て。一緒に暮らしてきてましたよ。でもね、私たちはそうしたことに窮屈を感じて……、時代もそうだったんでしょうけど。結果として、親と暮らすことはなかった。それが、子供たちにも当たり前になって、独立、独立ってなってしまったでしょ。私たちが、親のありがたさを口では言ってもちゃんと見せてこられなかったから。世間もこんな風になってしまったのかなって思いましてね……。私は、今はいいですよ。お爺さんがいますから。でもね、この先どちらかがいなくなった時には、やっぱり淋しいって思う時もあるかなって思いましてね。お友達を見ていてつくづく感じたんですよ。中には、まだ動ける内にってあちこち旅行へ行く人もいますけど。なんだか、昔のお爺さんや、お婆さんのことを思い出すと余命いくばくも無くなってあれもしたい、これもしたいって言うのも罰当たりな気がしましてね。だから、どうっていうこともないんですけど。何か、最後に世間や、若い人たちにご奉公できることはないものかって考えているんですよ。昔の人は、代を譲って何もかも譲って後は家のお手伝いやら、子供の世話やら、田畑の草引きやらすることはありましたけど。私たちは、この歳になってもお金の心配やら、楽しみやら、なにか自分のことばっかりで申し訳ない気がしましてね……」

お爺さんはお婆さんの話を黙って聞いていましたが、

「でも、金がなかったら年金だけでは暮らしてゆけんだろ……」

と言いました。

「それですよ。それ……。その考え方を、私たちが変えてあげないと、私たちの子供はいいですよ。でも、孫やその先まで同じようになってしまうのかと思うとなんだか申し訳ない気持ちになりませんか」

お婆さんは、何か切羽詰ったような表情で言いました。

「何も、子供たちに一緒に暮らしてくれって、今更のように、言うんじゃなくて。生きている内に何もかも子供にやって、後のことは任せたって言ってみたらどうかって思いましてね。昔の人のように……。委ねるってことも大切なことなんじゃないですかとおもいましてね」

「でも、それって一緒に暮らせっていうことじゃないのかね」

「違いますよ。まぁ、それも一つかもしれませんけど……。介護施設に入るもよし、田舎に移るもよし、一緒に住むのもよし。ただ、僅かばかりの財産を死ぬまで離さずに心配ばかりで、意固地になるっていうのもなんだか本望じゃない気がしましてね。子供たちにこの先委ねて、もしかしたら、いいことばかりじゃないとは思いますけどその結果、酷いことになったとしてもまぁそれが私たちの因果なのかって思うしかありませんよ。そうなるようでしたら、年金だけで暮らしてゆけるように本当に田舎に引っ込んで畑でもしながら食べ物作ればいいじゃありませんか」

「そんなこと、言ってもなぁ……」

お爺さんは、お婆さんの話を中々承知することができませんでした。それから、二人は毎日のように話をしました。

そんなある日、お婆さんが言った一言にお爺さんは心を動かされたのです。

「世間のどなたも棺桶まで金は持っていけんとおっしゃいますが、皆さん言うだけで死んだ先までお金の心配をされていることが淋しいんです。親も信頼できなければ、子も信頼できないからお金に固執してしまうんじゃないですか。そんな世の中にしてしまったのは、私たちかもしれません。ですから、その償いというわけじゃありませんが、私たちだけでも子供に信頼を託してみませんか。いえね、私は本当言うと子供たちに面倒を見て貰いたいというんじゃないんですよ。できれば、田舎で小さな畑をしながら細々とでもいいから、もう一度お爺さんと昔をやり直してみたいと思っているんです。家を持つ必要もありません。私たちの年金で払える位の家を田舎に借りて、できれば私やお爺さんのお友達も一緒に暮らせるような母屋と離れが沢山ある家を探して暮らせたらいいなって思っているんです。だから、少々の蓄えは全部子供にあげてしまってきれいさっぱり、若い時に街に出てきた時みたいに出直してみたいなって思いましてね。老い先、短いですけど場所を変えて新婚生活のやり直しっていうのも少し粋じゃありませんか。昔の私たちの両親やお爺さんお婆さんたちの姿を思い出しながら畑仕事もしていたら、退屈なんて言っていられませんしね……」

お爺さんは、お婆さんの言葉を聞きながら、九十九歳で亡くなったお爺さんのお婆さんのことを思い出していました。お爺さんのお婆さんは九十九歳で亡くなるまで家の横にある畑で野菜を作っていました。ある夜、お爺さんのお婆さんは、夕食を終えると

「わし、先にいんでくるで。お前はきばって勉強しないや」

と言ってまだ小さかったお爺さんの頭を撫でて床に就きました。次の朝、朝食の支度ができても起きてこないお婆さんを起こしに行くとお婆さんは顔に笑みを湛えたまま息を引き取っていました。前の夜、お婆さんが言った一言は寿命を感じて話したことなのだろうかとお爺さんはずっとそのことを心に持っていました。


「いつ聞いても、素敵なお話ですね」

お婆さんは、その話を聞くたびにお爺さんに言いました。そして、今……。

「わたしもね、お爺さんからその話を聞くたびに思うんですよ。苦しんでかどうかわかりませんが、病院で今か、今かって思われながら亡くなってしまうよりもそうして寝ながらいつの間にか逝けたらって。その方が幾らも幸せだと思います。そして、できるなら。お爺さんに、ありがとうって言って寝てしまえたらってね」

お爺さんは、お婆さんの話を聞きながら目がしらの熱くなるのを堪えられませんでした。その時には、お婆さんは、もう、ボロボロ涙をこぼしていました。


それから、お爺さんとお婆さんは二人の子ども達を家に呼びました。そして、お爺さんはお婆さんと話していたことを子供たちにも話しました。

二人の子供は、どちらも一緒に住むようにと勧めてくれましたが、お爺さんはお婆さんに言われた通り、

「先の短い新婚生活を楽しませておくれ」

と幸せそうに笑って言いました。

そして、子供たちの前に預金通帳と家の権利書を出して、

「これが、ワシたちの全財産じゃ。これを二人して仲良く分けるように」

と言って全部渡しました。

「あぁ、すっきりした」

とお婆さんは言いました。

「一緒に住むように言ってくれてありがとう。それだけで、嬉しいですよ。でも、私たちは田舎に住みたいって思います。それで、二人には、一つだけお願いがあります」

また、お婆さんは言いました。

「ご苦労だけど一年に一度でいいから、家族そろって孫たちの顔を見せに来ておくれ。そうして、私たちが無くしてしまった、街では教えられないことを孫たちに教える機会をおくれなさいね。それが、私たちのお願いです」

それからお爺さんとお婆さんは、全部の財産を子供に託し街から遠く離れた田舎へ引っ越してゆきました。そして、二人のお友達にも話しかけ、一つの母屋に幾つもの離れのある家に沢山の仲間と暮らすようになりました。

夏と冬の学校が休みの時、その田舎にはお爺さんとお婆さんの子供や孫たちが集まるようになり賑やかに過ごすようになりました。

こうしてお爺さんとお婆さんは幸せに余生をおくりました。

おしまい。


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