45 『スモークルーム』
レオーネがカードを投げた。
「逃がさないよ。《クリアシールド》」
次の魔法を発動させる。それは、透明の魔力の壁が出現するもので、これによって相手の逃げ口を塞ぐ段取りである。
さっきまで空中に吹雪いていたコウモリたちの幻影も徐々に消えてゆく。そのおかげで、ロメオの視界を遮るものは煙だけになった。
しかし、その煙も、魔法をすり抜けられるロメオには効果がないはずである。なのに、煙は視界を遮る。理由は、煙そのものは魔力によって創り出したモノではなく、本物を身体に貯蔵していたからだと考えられる。ロメオにとっては、厄介な相手だ。
「!」
ロメオが足音を聞き分け、声を上げた。
「違う! レオーネ、やつの目的は煙幕による逃走ではない!」
足音がない。
それはつまり、煙幕だけ蒔いて逃げようとする者の動きではない。なにか、別の狙いがあると読める。
誘拐犯が吐いた煙は刹那のうちに廃墟に充満し、先程消えたばかりのコウモリと入れ替わりに空間を埋め尽くす。だが、煙は上にはのぼらない。重たい気体が低い位置で広がるばかりである。
「なんだと」
「うわぁ!」
困惑混じりのレオーネのつぶやきと、リディオの短い叫びはほとんど同時だった。
「大丈夫か、リディオ」
隣にいてリディオをかくまっていたレオーネが、突然姿を消したリディオに呼びかける。
一度、動きを止めていたロメオだが、すぐに察する。
――《スモークルーム》というこの煙幕は、一つのつながった空間である部屋として、離れた場所にいる相手にも接触できるもの。あるいは、煙に触れた相手を取り込むものか。そんな魔法だろう。だったら、相手に気づかれる前に動く。
相手に、自分が魔法の性質に気づいたと気づかれる前に、である。
駆け出すロメオは、足音が相手に聞こえないよう注意を払った。
もし、相手が煙の中を動くことができるとすれば、さっきまで相手がいた場所へ行っても意味はない。だが、気配でわかる。
距離が詰まれば空気の揺らぎからでもわかった。
――いる。
誘拐犯がロメオに気づいた。
「来たな!」
「《リールスモッグ》」
レオーネがカードを横回転で投げる。弾くように上に飛ばされたカードは、煙を巻きつけるように取り込み、瞬く間に煙が消えた。柔らかい声でレオーネが言った。
「煙に巻くには、相手を選ばないとね」
「今回は相手が悪かったですね」
ロメオもそう言って、誘拐犯の目の前まで迫って拳を引いた。対する誘拐犯もナイフを手に切りかかった。
「ぐはっ!」
拳は誘拐犯のみぞおちを射抜く。誘拐犯は血を吐いて気絶してしまった。ナイフでロメオの腕に切りつけたが、血が出ただけでダメージは小さい。
リディオがロメオを笑顔で見上げる。
「すごかったぞ! ロメオ兄ちゃん! かっこよかったぞ!」
「大丈夫か? リディオ」
「おう! あっ、でもロメオ兄ちゃんがっ」
ロメオの傷口を見て泣きそうな顔になるリディオに、ロメオは穏やかに言い聞かせる。
「ワタシは平気だ。鍛えているから、この程度の傷はすぐに治る」
「おれが人質になったせいで、戦いにくかったのか?」
ははっ、とロメオは笑った。
「ロメオ兄ちゃんが怪我することなんて、ほとんどないのに。こんなやつ相手に血が出るのは、おれのせいだ」
確かにリディオのせいで怪我をした。ロメオは、拳を突き出すにもリディオが邪魔になり、相手をうまく狙えず軌道修正が必要になった。そのために相手のナイフが繰り出されても、それを受けて、時間を置かずにリディオを取り戻すことを選択した。再度距離を取って時間を置けば、リディオの危険が増すからである。
でも、ロメオは小さく笑いかけるだけだった。
「ワタシの実力不足だ。普段から、相手の魔法をすり抜けるか無効化してばかりだったせいで、注意深さが欠如していた」
「ごめんな、ロメオ兄ちゃん……っ」
「だからリディオのせいじゃない。この程度の傷、痛みもないしな」
ロメオが優しくリディオの頭をなでると、素直なリディオは安心したように「すごいぞ、ロメオ兄ちゃん!」と笑顔を見せてくれた。