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出会い

作者: ユリア

 人は、それぞれの人生の中で様々な出会いを経験します。


 私の限られた経験の中でも出会いによって考えさせられ、教えられることがあり、その一つに、『人は自分の存在を肯定的に捉えられないと、生きられない』ということがあります。


 いじめによる子どもの自殺が報道される時がありますが、家庭や学校に自分の居場所をなくした子どもは、自分を肯定的に捉えることができなくなってしまうのではと思います。子どもや人に居場所を与えてくれるのは人間であり、『人は自分を必要としてくれる人間に出会う』ことによって、『自分の存在を肯定的に捉えることができる』と思うようになりました。


 『自分の存在』と『自分の存在を必要としてくれる存在』の関係は、「和紙」に墨で「花」という字を書いた時の「和紙」の「白」と墨の「黒」の関係に似ていて、「花」だけでは紙が真っ黒になり、「花」が「花」であることができません。「花」は周囲の「和紙」との出会いによって、「花」であることができます。


 自分を必要としてくれる人との出会いについてこんなエピソードがあります。


『Sさんから教えられたこと』


 身障者のボランティアで、Sさん(男性)と一時期一緒に活動することがありました。Tシャツの襟から露わになった首には、首周りの半分にわたる細長い傷跡がありました。

 Sさんは、「これ、自殺未遂の跡なんです」とにこやかな表情で、心の病を患って自殺未遂に至った経緯と心の病から立ち直った経緯を話してくださいました。


 コンピュータ産業が急成長する時期に、Sさんは大学を卒業してシステムエンジニアの会社に就職しました。仕事をこなしてもどんどん増えるばかりの先が見えない状況の中で、上司との対立もあって次第に心が病んでいき、ある日、発作的にカッターナイフで首を切りましたが、発見が早くて命が助かりました。


 Sさんは、首の治療と心の病の治療ができる専門の病院に入院することになりました。

首の傷がよくなっても、心の病がよい状況にならない日々が続きましたが、ある事がきっかけで心の病が一気に快方に向かうことになります。


 ある日、Sさんの病室に同じ年頃の男性(Tさん)が入院してきました。

物静かな雰囲気を持ったTさんでしたが、Sさんが話しかけても黙ったままでした。

 Sさんは、大学時代に色々なサークルに所属していて社交的だったので、Tさんを何とかしゃべらそうとして話しかけてみるのですが、相変わらず黙ったままでした。

 Sさんは、Tさんから話を引き出すのをあきらめて、大学時代の思い出話などを一方的に話すことにしました。


 そんな日々が続き、SさんがいつものようにTさんに話していると、Tさんが急に涙を流し始めました。

 そして、Tさんが初めて口を開き、「僕はうれしい、僕にこんなに熱心に語りかけてくれる人は、今までに誰もいなかった。あなたは、いい人だ。」

 その時Sさんは、「俺でも人のためになれるんだ、こんな俺でも人の役に立てるんだ・・・。」と思い、一気にこみ上げるものを感じ、二人で肩を抱いて泣いたそうです。

 この後、Sさんの心の病が快方に向かいました。


 人は、何故自殺しようという思いに至るのでしょう。

人間は、『自己保存本能』という大変に強い本能を持っているのですが、それを超えて自殺という行動に至る人間の『心』を不思議に思い、時折、人の「心」について思いを巡らせることがあります。


                    ~~~~~


 幼い時の体験が原因で大人に対して不信感を持ち、心を閉ざしている子どものために大人が最初に出来ることは、何でしょうか。

 喜びは人に話すと倍になり、悲しみは人に話すと半分になるといいます。子どもが背負っている心の重荷を話す時のサインを見逃さずに、受け止めることもその一つではないかと思っています。


『K君に教えられたこと』


 養護施設の学習ボランティアで最初に担当したのが中学三年生のK君だった。

 身長が180cm近くあり、やや小太りの体型で、成績はいつも学年で最後から二番目でした。K君の生い立ちは、古参のボランティアの方から予め聞かされていました。


 K君は、7才の時に三つ違いの兄と共に養護施設に預けられました。

 K君の母親は、兄弟を残して姿を消し、兄弟は、酒好きの父親と生活をすることになりましたが、しばらくして父親は酒が原因で体を壊し、他界しました。


 K君は、女性に対して大変な嫌悪感を持っていて、普通に会話ができたのは、ボランティアグループの代表者だった最古参の女性だけでした。私と同じ時期に、福祉系の大学を卒業してK君のお姉さんを担当した施設の職員の女性は、K君に泣かされることが多かったようでした。


 学習ボランティアによる勉強会は、夕食後に高校受験を控えた中学三年生は会議室で、それ以外の学年は食堂で行われ、当時、施設の中学三年生は、公立の高校に進学するか、指定された職業訓練学校に入学しないと、都からの補助金を受け取ることができなくなり、実質的には養護施設を出て働くことになりました。


 K君との最初の勉強会の時、K君は持ってきた教科書をテーブルの上に叩き付けました。その瞬間、K君が大人に対して持っている不信感の根深さを感じました。

 K君は、高校に進学せずに調理師の学校を希望していたので、勉強には全く興味がなく、学校からの宿題は忘れた、勉強はやりたくないの状況でした。見たいテレビの番組があるからと、勉強会に来ない時もありました。

 そこで、勉強会で何をやるかをK君に決めさせることにしました。すると、技術家庭の授業での工作が途中だったので、それをやりたいと言いました。私が中学の時の技術家庭の授業では、本立てや椅子を作りましたが、その時の工作は、集積回路と印刷回路基板を組み立てて、時間を音声で知らせる電子時計でした。時代が変わったと思いました。


 ある日の勉強会では、学校の美術の授業で途中までしか描いていなかった絵を描きたいと言いました。他の生徒が高校受験に備えて黙々と勉強している中で、一人だけが絵を描いている少々異様な光景でしたが、その絵を見せてもらうと、柔らかくなった時計が木に掛けられた抽象画で、見たことのあるような構図だなと思っていたら、サルバドール・ダリの「記憶の固執」を思い出しました。K君がそのような絵に興味を引かれて、印象に残っていたことが新しい発見でした。


 そんな勉強会を繰り返して半年以上が経過した時、ある日の勉強会で、K君は、今日は国語の本を読みたいと言いました。少々意外でしたが、国語の本を音読することにしました。勉強会の時間は、途中の休憩時間を入れて二時間ですが、一時間近く読み続けました。休憩時間になった時、K君が私に話しかけてきました。

「父ちゃんと一緒だった時、海の近くに住んでいて、夕方になると兄ちゃんと三人で海で海草を採った。海草が沢山採れると夕飯に海草を食べて、採れない時は、普通のご飯を食べた。毎日、海草を食べてると食べるのいやになって、普通のご飯を食べたくて採れた海草を捨てた時があった。父ちゃんは『しょうがねえな』と言って食堂でご飯を食べさせてくれた」


 K君は、話し終えて間もなく急に居眠りを始めました。父親に隠し事をしたまま、父親が他界してしまったことがずっと心に引っ掛かっていたのかもしれません。K君は、休憩時間の間、居眠りをした後、勉強会の終わりの時間まで音読を続けました。


 その後、K君は、希望していた調理師の学校に入り、卒業まで養護施設に残ることになりました。


 私がボランティアグループを脱退する時、他のボランティアの方々や施設の方々から寄せ書きをいただきました。K君は、一言だけ「ありがとう」と他の人よりも少しだけ大きな字で書いてありました。


 嬉しかった。


             了



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