第4話 オアシスになる
それから8年後、フラワーショップ・カナリヤはすっかり瑠菜の店になっていた。沙也加の畑からは直送で花を届けてもらっていて、信州の朝霧の香りがすると常連客からも好評だった。
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そんなある日の閉店間際、店の外にはスーツを着た青年が所在なさげに立っていた。瑠菜はその日最後のお客様に花束をラッピングして渡し、店の外に送り出したあと、その青年を手招きした。
「拓馬、変だよ、そんなところに突っ立ってたら。中に入っておいでよ」
青年は頷くと瑠菜に続いてそそくさと店に入った。瑠菜は表の電照看板の灯りを落とし、ガラス扉の内側にかかっているプレートを『Closed』に替える。
「そこ座ってちょっと待ってて。レジ締めちゃうから」
「うん」
拓馬と呼ばれた青年は、古木 拓馬。瑠菜の彼氏である。大学の同級生で、同じ駅で乗り降りしていることから、何となく互いの存在を知った。そして下校時に瑠菜がこの店に入ってゆくところを拓馬がたまたま目にして、翌日、駅のホームで声を掛けたのが知り合うきっかけだった。
就職して地方の工場に配属されていた拓馬が戻って来たのが3年前。久しぶりにカナリヤの前を通って瑠菜を見掛けたのだ。以後、二人は少しずつ接近した。と言っても二人の仲はまだ中学生並み。ぎこちなくキスするのがやっとのスローペースであるが、その日は一緒に夕食でもと拓馬から言い出してきたのだ。
瑠菜がレジのジャーナルを打ち出してパソコンに入力し、ドロワの現金やクレジットジャーナルを事務室の金庫に運んでいる間、拓馬は店内をキョロキョロ見回して待っていた。
「お待たせ-」
エプロンを外した瑠菜が戻ってみると、拓馬が花桶に入ったガーベラの茎を手で押さえている。
「どうしたの?」
「あ、なんか折れちゃってて可哀想かなって」
「あー、ガーベラって弱いのよ。すぐにクタってなっちゃってさ。だからそれ無駄だよ」
「じゃ、どうするの?」
拓馬はガーベラの茎から手をそっと放した。茎はヘナっと曲がる。
「ん-、短く切って生けるか、オアシスに挿しちゃう」
「オアシス?」
「スポンジみたいなヤツね。お水吸わせてそこに寄せ植えみたいに生けるの。アレンジメントとかでよく使う」
「ふーん」
「ほら。これよ」
瑠菜は作業台にあったオアシスの小さいブロックを拓馬に見せた。拓馬はそれを手に取ってしげしげと眺めまわす。
「これ、もらってもいい?」
「いいけど…どうするの?」
「ちょっと研究する」
拓馬は企業の素材研究部門に勤めている。こんなの材料になるのかな。瑠菜は聊か疑問だったが、小さな欠片だしそのまま拓馬に渡し、微笑んだ。
「ガーベラは明日何とかするからさ、拓馬は心配しなくて大丈夫よ」
拓馬って優しいんだな。時々優しさを無駄遣いするけど…。
瑠菜は店の施錠をすると、そっと拓馬の手を取った。
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二人は商店街のはずれにある小さなイタリア料理店に入った。瑠菜もお気に入りの店で、フラワーショップ・カナリアの得意先でもある。
オーダーを終わって、瑠菜はスマホを拓馬に見せた。
「ほら、さっきのオアシスの使い方」
「本当だ。お花の土台になってる」
「お水を沁み込ませるんだけど、慌ててぎゅってやると中まで沁み込まないのよ」
「ふうん」
「だから初めはゆっくり、時間かけて中まで沁み込ませるの。そうしたらお花も長持ちするのよ」
「へえ」
瑠菜はまたスマホをピッピッと触る。
「ほら、こんな安いのもあるんだけど、あまり良くないの。何が違うんだか判んないけど、ちゃんとしたオアシスの方が、お花が長い間きれいに咲いてくれるの」
「そうなんだ」
「研究になる?」
「うん。個人的に」
「ほぉ」
「お待たせしました」
二人分のパスタとピザが運ばれてきた。
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その帰り道、瑠菜を自宅前まで送ってくれた拓馬は、カバンからさっきのオアシスを取り出した。そして瑠菜の前にオアシスをかざす。
「何してんの?」
「瑠菜、俺、瑠菜のこれになるから」
「は? これって、オアシス?」
「うん。長い間、瑠菜がきれいに咲き続けられるよう、水をちゃんと吸って支えるから」
唐突な行動と言葉に瑠菜は少々驚いた。
「あ、ありがとう…」
瑠菜は拓馬をまじまじと見つめる。もしや、これプロポーズのつもり・・・?
しかし拓馬は瑠菜の怪訝な表情が読み取れない。
「またちゃんと話するから…。それから、お父さんにもお会いしたいから」
ふふ。瑠菜はちょっと可笑しくなった。拓馬。きっとレストランからここまでの道中で一所懸命考えてたんだ。まあ、いいや。プロポーズはまたの機会に取っておいてもらおう。
「うん。でも順番間違えないでね」
拓馬は一瞬硬直し、生真面目な表情になった。
「わ、わかってる。じゃあ」
拓馬は瑠菜の手をそっと握り直し、そして手を挙げて振り返ることなく歩いて行った。
やっぱり拓馬は拓馬だな。そう、私たちはゆっくりと、急がないでやってゆこう。オアシスのお水と一緒だ。その方がきっと長持ちする。拓馬が優しく握ってくれた手を見て、瑠菜はほっこりとした。




