第四章 二人きりの卒業式
「──卒業生の皆さん。卒業、おめでとうございます。皆さん、これからそれぞれ違う道を歩むことへの不安も抱えていることと思いますが──」
誰が騒いでるというわけでもないのに、至る所からひそひそと話し声が聞こえてくる。このだだっ広い体育館の中で、校長の祝辞を真剣に受け止めて感動するような感受性溢れる人が、果たして何人いるんだろう。
そもそも、卒業式って必要なのか。友達が沢山いて充実した中学三年間を過ごした人ですら、卒業の日にこんな長話を聞かされるよりは仲間と思い出でも語りながら騒いでた方が楽しいんじゃないのか。
卒業生は体育館の前の方に、来賓は後ろの方に座っている。つまり、そう──お姉ちゃんが遠い。頑張って後ろを見ようとしても、邪魔な同級生に阻まれて顔も見えない。あ、今こいつ顔が引きつった。(ジロジロ見てんじゃないわよぼっち)みたいな顔してるけど安心して、見てるのお前じゃないから。
『式終わって解散したら校門の近くにいて。母さんも父さんも来れないみたいだし、ファミレスくらいなら私が奢ってあげる』
脳内で、数分前のお姉ちゃんの言葉が再生される。待ってても暇だから式も見ていく、とも言っていた。ごめんねお姉ちゃん、外で待ってた方がスマホ使える分暇じゃないんだ……
「──続いては、卒業生一同による、別れの言葉です」
誰かが言った「絆を深めたー」とか「楽しかったー」に続けて全員でイベントの名前を叫ぶとかいう、定番のアレだ。そのあとに合唱を披露する予定だけど、お姉ちゃんを見ながら歌えたら多少は感動するだろうか。
周りの卒業生が立ち上がるのを見て、あたしも立ち上がる。周りの卒業生が壇上に上がっていくのを見て、あたしも移動する。
「さまざまな思い出を胸にー!」
「私たちは今日―!」
「「「卒業します!」」」
一応、あたしも声は出しておく。胸にするような思い出はないけど。
「期待や不安を抱え、満開の桜の下、私たちはこの学校の門くぐりましたー!」
あたし中学入った直後は期待に胸躍らせてたからはっきり覚えてるけど、入学式の直前に台風あったから桜なんておよそ散ってたよね。
「本気で仲間とぶつかり合って、笑い合ったー!」
「「「体育祭―!」」」
その日は確か……寝てたかな。ぶつかる仲間も笑い合う仲間もいなかったもんで。
「みんなで声を合わせ、心を一つにして歌ったー!」
「「「合唱コンクールー!」」」
あー、その日は寝てたような。練習は授業だから出てたけど、本番で心が一つになったとは到底思えない団結力の無さだったな。
「昼は思い切り楽しんで、夜は友達と思い出を振り返って泣いたー!」
「「「修学旅行―!」」」
いやぁー、その日はちょっと寝てたかなぁ。というか、絶対嘘でしょそれ。
「「「──歌います!」」」
ふと、階段に上がったことでお姉ちゃんを探しやすくなっていたことに気付く。見渡すと、ハンカチで顔を隠しながら震えてるお姉ちゃんを見つけた。周りの保護者達には泣いているように見えるのかもしれないけど、あたしにはわかる。あれ……爆笑してる。それを見て、やっぱりあたしはお姉ちゃんが好きだなぁ、と思う。おかしい話じゃないはずだ。
指揮者が腕を振り始め、重いピアノの音が響き始める。合唱コンクールをスルー皆勤賞したあたしは客を前に歌うこと自体初めてだけど、手を抜いたりはしない。あたしの歌声は、きちんとピアノの音色に乗っていた。そんな中、隣の人の声が異常に震えていることに気付く。見ると、滅茶苦茶に崩れた表情で泣いていた。
あたしは、前に向き直りお姉ちゃんを見つめる。一応、笑いは収まっているみたい。
なんであたしは全く泣きそうにならないのかと考えると、答えは一瞬で出た。口にする、別れを惜しむ詩──それが、あまりに実感の湧かないものだったからだ。きっと、校長の言葉も、言わされた台詞も、全部そう。それに気付いたあたしは──考えるのをやめた。
「いやぁ、それにしても、真乃……傑作だったよ……ぶふっ……」
「お姉ちゃん、笑いすぎだよ……」
「あんた絶対台詞言いながら内心でツッコミ入れてたでしょ!顔が、顔がもう、そういう顔だった……ふふっ」
あたしの卒業式は、お姉ちゃんの笑いのツボに入ったらしい。
あたりを見渡すと、ちらちらと元同級生らしき顔が見える。卒業式直後にファミレスに来るなんてあたしたちだけだと思ってた……もっと遠いところで祝ってもらうべきだったか。
「はぁーおっかし……ちなみに私、真乃が入学式以外の行事全部すっぽかしてたことすらお正月の時に初めて知ったんだけど、実際のところ三年間どんな生活してたの?」
「学生としての在るべき姿を体現したような生活かな」
学生たるもの、勉強が最優先なのは当たり前のはず。予習復習はおろか、宿題もやらないで、授業中はずっと騒いで、受験の一年前になってようやく勉強を始めるなんて、そっちの方がどうかしてる。まぁ、あたしはクラスの空気が受験期で重くなってた時には余裕こいてまったり遊んでたけどね。
「へぇ、ちなみに高校でもそんな生活する予定なの?」
「二年生以降はそうすると思う」
お姉ちゃんのいる一年間は、きっと違う。何をやっても、何を話しても、楽しいって思える。そして、その思い出はあたしたちが姉妹でいる限り絶対に消えることはない。お姉ちゃんが卒業した後も、ずっと重ねていける。
「……私、あんたと同学年の人と仲良くなって友達紹介してあげよっか?」
お姉ちゃんが、急に顔色を変えてわけのわからないことを言い始めた。
「それ……あたしが喜ぶと思う?」
「それをすればあんたは怒るって、わかってるよ。でも、私が卒業した後の二年間も、誰かと、それなりの距離感で過ごせれば──今回みたいな卒業式にはならないんじゃない?」
「お姉、ちゃん……?」
目はいつもより細く、頬はこわばっている。声は静かなのに、語気がいつもよりも強い。初めて見る表情に、困惑する。怒ってる、のかな。
「私、笑ってたけどさ。あの卒業式、ほんとは許せない。誰のせいかと言われればあんた自身のせいだけど……それでも、内向的ってだけで存在してたことすら認められないような祝辞、台詞、合唱曲……あの式の全部が、私は嫌い。真乃は?」
「大嫌い。仲間と、仲間とって……強いられてるの、すごく気持ち悪い。あたし、多分本当に一人で過ごしたかったんだと思う。今まで、強がりとか抜きで寂しさなんて感じるタイプじゃなかった」
「……刷り込まれたんだよ。学校って、そういう風にできてる。私は、それに負けたから必死になってまで友達を作った。そのことに気付いたのも、さっきだけど」
──初詣で、お姉ちゃんは言ってた。
『努力しただけ私はあんたより上だと思ってたんだけど──なんか、ちょっとわかんなくなってきちゃって。私は、どうしたいんだろう』
あたしの卒業式が、あの時誤魔化した悩みの答えになったのかな。もしそうなら、皮肉な話だよね。それに、その結論がまるで、あたしがお姉ちゃんに勝ったみたいな形になってるのも、なんだかずれてる気がしてならない。
「……お姉ちゃんは、本当はどうしたかったの?」
「あんたと同じ。気を遣わなくて、理解し合える関係ならほしいけど……少なくとも、現状は本意じゃない。だか、ら──」
言葉に詰まるお姉ちゃんを見ると、どうしようもなくもどかしい気分になる。きっとその先の言葉は、あたしがお姉ちゃんに言いたいことと全く同じはずなのに。
あたしは、テーブルに肘をついてストローに口をつける。炭酸が抜けてだだ甘いコーラの味が口いっぱいに広がった。お姉ちゃんは、まるで物理的に喉に何かを詰まらせたみたいに、息苦しそうだ。
「お姉ちゃん、友達を捨てるのは流石に~とか考えてそうな顔」
「……あんたも大分私を理解してくれてるね」
「別に考えなくていいよ。お姉ちゃんは今まで通り、友達と楽しくやってればいい。そこからあたしが勝手にお姉ちゃんを拉致って独り占めする」
「ぶふっ……真乃、かっこいい……ふふっ」
──あぁ。お姉ちゃんのこの笑い方、好きだな。イラっとくることもあるけど、そんな感覚もひっくるめて、ずっと見ていたくなる。
「おい、なんで笑う。あたしは真面目に言ったのに」
「いやぁ、別に。──真乃」
「……なに、お姉ちゃん」
「卒業、おめでとう」
あたしは今この瞬間、やっと卒業した。中学から、ぼっちから、寂しさから、涙も流せなかった日々から──卒業した。きっと、お姉ちゃんがいなければ……お姉ちゃんが最高のパートナーだと気付かなければ、高校に行ってもあたしは中学生のままだったんだと思う。
このお話は一旦ここで終了です。ただ、もしかしたらこの話はちゃんとシリーズ化するかもしれませんので、興味をもっていただければTwitter(@KuroneCreate)での続報をお待ちください!