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第三章 雲行き

 雨も雪も降らせず、ただただ空を覆い暗くする雲は、本当にあたしの心情をよく表していると思う。お姉ちゃんと二人で家を出たこの状況は、何もかもが当初の予定通りなはず。それなのに、この不快な空気は一体、なんなんだ。

「お、お姉ちゃん」

「何」

「なんでもないっ!?」

「「…………」」

 いやぁ、ほんと、お姉ちゃんの一挙一動から目が離せないなぁ!もちろん悪い意味で!……結果論だけど、お母さんはお姉ちゃんを諭してくれていたようだし、あたしが盗み聞きさえしてなければ、今頃素直になってくれたお姉ちゃんと和気あいあいとした会話を楽しんでいた頃なんだよね。

 はぁ、なんであんなことしちゃったのか。いや、あたしの言葉がどう受け取られてるか気になったからなんだけど。

「はぁ……真乃、いつから聞いてたの」

「あ、そのー、エアコンの話から、全部、です」

「な、なんで敬語?」

「いや、お姉ちゃん、怒って……」

「う……大丈夫。私は怒ってないから──ほら、よしよし」

「んっ!?」

 唐突にあたしの頭に手を置いたお姉ちゃんに、あたしは驚きを隠せない。髪の流れを乱さず、やさしく、ゆっくりと頭を撫でてくれると、その手付きからお姉ちゃんが本当に怒っていないことが伝わってくる。

 さっきまで怖かったお姉ちゃんとのギャップで、味わったことのない安心感に包まれる。この感覚って確か、DVの仕組みに似たヤバイやつじゃ……

「……じゃあ、なんでそんな怖い顔してるの」

「いや、ほら……私、真乃が聞いてないと思ってあんたの言葉をぼっちの迷走呼ばわりしたりして……少し前偉そうに説教垂れたのに、母さんには逆に叱られちゃったりして……むしろ、あんたの方が怒ってるんじゃないかって思って、気まずくてつい……」

「あたしは、怒ってなんかない。お姉ちゃん、あたしの言葉を覚えててくれたじゃん。それに、拒絶したいわけじゃないって、言ってくれた」

 頭が、熱い。お姉ちゃんの手の冷たさが、心地いい。心地よすぎて、なんだか泣きそうになってくる。でも、ここで泣くのは違う気がする。まだ、全部分かり合えたわけじゃないんだから。

 だから、必死に涙を堪える。堪えるけど、涙腺はどんどん緩んでくる。そして、もう限界かと思った瞬間、お姉ちゃんの手は止まった。

「……真乃!初詣、行こっか!」

 お姉ちゃんが、見たこともない満面の笑顔であたしを見つめる。いつものけだるげな表情のどこにこんな明るい感情を隠してたのか、想像もつかない。

「──うん!」

 ふと、指で目を擦ってみる。いつもより少しだけ湿っていた気がするけど、泣いたって程じゃない、はず。空を見上げる。流石に、あたしの気分と共に雲が晴れたりはしないらしい。でも、見える色が同じなのに、見てる時の気分は全然違う。こんな曇り空の下でお姉ちゃんと初詣に行くことが特別とすら思えてくる。別に、晴れてても変わらないはずなのに、おかしな話だよね。

 ──さっきまで目を逸らしてた、あたしの本音の中の本音が、音を立てて主張を強めていくのがわかる。多分、あたし自身は既に答えを出せているんだと思う。




「へぇ……こんなところに神社あったんだ。思ってたより並んでないね」

 家の近くの緑道から少し外れたところにある、小さな神社。以前、授業で隣町に行った帰りに道に迷い、偶然たどり着いた場所だ。その時は人なんて全く見当たらず、静まり返っていたのをよく覚えている。

 それが今は、入り口の鳥居までの行列ができている。なぜだか、それが少し寂しくも思えたりする。

「駅の方の神社に行くのかと思ってた。友達に誘われたのもそっちだったし」

「あの雰囲気は嫌い」

「それはわかる」

 お姉ちゃんが、くすりと笑いをこぼす。

 駅の近くには、ここよりもっと大きい神社がある。一昨年のお正月に暇つぶしに覗いたことがあるけど、そっちは酒を飲む大人や凧揚げとかではしゃぐ子供でごった返していて、お正月を宴かなにかと勘違いしてるようにすら見えた。

「わかってくれるんだ」

 正直、馬鹿にされると思った。お姉ちゃんは、高校で単独行動をとることはほぼないって言っていたことがある。家でも、スマホを介して友達とずっと話してるし、それだけ他人と関わるのが好きなお姉ちゃんは、駅の方の神社で踊り狂ってる様の方がしっくりくる。

「……私って、実は真乃と結構似てるんだよ?」

 考えたこともなかったけど、言われてみれば……と思い当たる節がなくはない。お姉ちゃんは、スマホで友達と話してる時に楽しそうな顔を全くしない。

「友達作るための努力をしなかった世界線のお姉ちゃんが、あたし?」

「みたいなところはある。それでも、努力しただけ私はあんたより上だと思ってたんだけど」

 もし、お姉ちゃんが今まで無理をして友達を作ってたんだとしたら、今までのあたしは大分無神経だったのかもしれない。一人でいるのが好きと言い張って、友達を作ろうともしないことを「生き方」なんて言ったっけ。挙句の果てに寂しくなったとか、滑稽すぎて笑えてくる。

「──なんか、ちょっとわかんなくなってきちゃって。私は、どうしたいんだろう」

 最後の言葉は、あたしに向けて言ったというより、お姉ちゃんが自分自身に何かを聞いているようだった。お姉ちゃんの目はその時、確かにあたしから逸れたから。

 その答えを、今のあたしは持っていない。数か月前のあたしなら、簡単に「無理して作った友達なんて捨てちゃえばいいじゃん」って言えたんだろうけど。

「…………」

 暗い顔をしながら、ゆっくりと足を動かす。忘れていた外の寒さが、急に身体を襲った。止まったように思えた時間の中、静かに列は流れていく。

「ほら、お姉ちゃん。ここで手を洗う」

 やがて手水所の前までたどり着くと、この空気を誤魔化したくて、思ったよりも大きな声をだしてしまう。

「そう、だね」

 声はまだ、空元気って感じだったけど。久しぶりにあたしの目を見てくれて、少しだけ身体が温まった気がする。

 お姉ちゃんは、もこもこの手袋を手早く外し、コートのポケットに押し込む。初詣が初めてと言う割に、まるで毎年やっているような手際で両手を清めていく。ただ──

「つ……めた……っ!」

 お姉ちゃんの絞りだしたような声があまりに悲痛すぎて、聞いてるだけできついものがある。

「ひや……やばいねこれ」

むしろ、予習したはずなのに作法をよく覚えてないのはあたしの方で、わかってるような態度はしながらお姉ちゃんの動作を真似た。この真冬に冷水を手にかけたんだから当然冷たく感じるが、あそこまで悲痛な声が出るほどではないと感じてしまう。

 紙で手をさっと拭き、手に温かい息を吹きかける。あたしはそれだけで手の温度が元通りになったけど、案の定お姉ちゃんは違うらしい。紙を何十枚も鷲掴みにし、手はとっくに乾いてるのに摩擦して温めようとずっとわしゃわしゃと音を立てている。息も吹きかけてるのに、一向に温まる気配はないらしい。

「お姉ちゃん……紙そんな大量に使わないの……」

「無理!し、死ぬ!!!はぁーっ!はぁーっ!」

 必死に息を吐きながら紙を擦り続けるお姉ちゃん。よく見ると足まで震えてるみたいだ。

そもそも、気付いてないのか。ここにあたしがいるってことに。

「──お姉ちゃん」

 少し力任せにお姉ちゃんの手から紙を根こそぎ奪い取り、ごみ箱に放り込む。

「は!?ちょっあんた殺す気──え……?」

「昨日は寒さであたしの布団まで潜り込んできたくせに、何で気付かないかな」

 あたしは、お姉ちゃんの手を両手で包み込む。……いや、冷たい。冷たすぎる。さっき手にかけた水と同じくらい冷たいんだけど。ここまで極端に冷たいと、流石に心が温まるなんて感覚はほとんどない。

「……お姉ちゃん、実は変温動物だったりする?」

「わ、私も中学理科で習ったとき、本気でそうかもしれないと思った……」

 声がちょっと震えてる。その上、時々カチカチと歯と歯のぶつかる音が聞こえてくる。

「多分あたしは恒温動物だから、寒かったらいつでもあたしにくっついていいよ。昨日みたいに」

 ちょっと──いや、かなり役得だし。

「昨晩は寝てたから気にならなかったけど、起きてると流石に気恥ずかしい」

「そっか、残念」

「残念って?……あぁ、むしろ真乃が私にくっつきたいと」

「む……」

 お姉ちゃんは、寒さを堪えながらもわざとらしくニヤニヤとこっちを見つめてくる。

 なんとなく、からかわれながら受け入れられるっていうのも悪くないと思ってる自分がいるけど、このままだと癪だからちょっとだけ反撃することにした。

包んでる手をさっと引き離し、そのまま一人で行列に戻ってみる。

「待って手を離さないで!!!寒い!死ぬ!ちょっと!!!」

「からかうな」

「わかったから!わかったからもっかい手握って!」

「……いつでもくっついていいよって言ったじゃん」

 ──そう、あくまで、お姉ちゃんの方からこの手を取ってもらう。

 両手を少しだけ前に出し、ひらひらと揺らし、この手を取れとサインを送る。

「ええい背に腹は代えられん!!!」

 お姉ちゃんは、思ってたより躊躇せずあたしの両手を掴んだ。

「背に腹は代えられないって……もうちょっといい雰囲気で掴んでほしかった」

「あんたがそうして欲しいって言うなら、私も遠慮なく真乃をカイロにする」

「ちなみに、本物のカイロは?」

「一回試したけど、触ったら火傷しちゃってもう使いたくない」

「ああ、確かにあれは手がある程度は温まってないと熱すぎるかも」

「その点、真乃の体温はちょうどいいからね。この冬の間お世話になるよ」

「……ずっとでいいよ?」

「流石に夏は暑苦しいな」

「ずっとってそっちじゃなくて……や、それもいいかも」

 今年も、来年も、再来年も……これからずっと、冬の度にお姉ちゃんの手を握ってられたら、毎年冬が楽しみで仕方なくなりそう。そう思って言ってみたのに、春夏秋冬ずっとくっつきたいって意味と受け取られたらしい。まぁ、お姉ちゃんがそれでいいなら、その方が嬉しいけど。

 ──前を並ぶ人たちが、一体何を願っているのか気になるほど素早く祈りを済ませては散っていく。気付けば、あと二組であたしたちの番だ。確か、二礼二拍手一礼だっけ。

 ……しまった、両手が塞がっててお賽銭に入れるつもりだったお金が取り出せない。

「お姉ちゃん、ちょっと手を離して。お金取り出さないと」

「げ……私よりお金が大事か……」

「変な言い方しないでよ」

 お姉ちゃんは、嫌な冗談を言いながらしぶしぶと手を離す。理想的と言えば理想的だけど、すっかりあたしの手にハマっているらしい。

 ポケットから財布を取り出し、中身を見ながらいくら使うか迷う。やっぱり、大金はたいた方がご利益はあるのかな。それに、お姉ちゃんと初詣に来れた記念としても、ここは奮発してもいいのかもしれない。

「ま、真乃?流石に諭吉はやりすぎだと思うよ?前並んでた人、誰もお札なんて入れてないよ?」

「え……でも、高い方がご利益ありそうじゃない?」

「それもなくはないらしいけど、どっちかというとこういうのは語呂合わせらしいよ。確か、五円玉を入れると『ご縁』があるとか、そんな感じの」

「じゃあ、五円で」

「え?」

「はい、お姉ちゃんの分」

 何か言いたげなお姉ちゃんを気にせず、財布から五円玉を二枚取り出し、一枚をお姉ちゃんに渡す。

 そもそも、今日は何のために来た。お姉ちゃんとの縁を深めるためだ。生まれた時から一緒にいたはずなのに、今まで変に意地を張って深められなかった──最高のパートナーとの縁を。

「……まあ、今まで構ってあげられなかったし、これから始まる一年間のために新たな縁を……という意味では、合ってるのかな」

「これから始まる一年間?」

「あれ?あんた私の高校受けるって言ってなかったっけ?だから高校最初の一年間でぼっちを回避するために私と距離を詰めたんじゃないの?」

「………………あ」

そうじゃん。考えてみればお姉ちゃんとあたしは二歳差……一年間は一緒なんだ。

実は、本当に全く狙ってなんかいなかった。進路とか全く興味なかったから「お姉ちゃんの高校偏差値結構高いしその辺でいっかな」って感じで適当に志望校決めて、既に模試でS──ほぼ合格確定の判定をもらっている。

「お姉ちゃん、ひどい。あたし、そんな理由でお姉ちゃんに近付きたくなったんじゃないよ。ただ、お姉ちゃんこそ一緒にいるべき最高の相手だって思っただけなのに……」

「ちょ、わざとらしい。なんのつもり」

 あんまり関わることがなかったお姉ちゃんならもしかしたら泣き落としが通じるかもと思ってたけど、そんなことは無かった。初詣に誘ったときのこともそうだけど、お姉ちゃんって何故かあたしのことをよく知ってるんだよね。さっき言ってた「あたしとお姉ちゃんが本質的に似てる」って話が本当なら、自分に置き換えて考えればある程度考えがわかるっていうのもおかしい話じゃないのかな。

「……お姉ちゃん、今年は友達と関わる機会なんてほとんどないと思った方がいいよ。なんなら、今のうちにお別れの挨拶してもいいかもね」

「え、ちょっと何言ってるの真乃。うわっ、目が本気だ」

「ほら、お参りあたしたちの番だよ」

 目の前の家族らしき三人組がはけると、目の前に拝殿が姿を現す。いかにも神社らしい、木の匂いかカビの臭いかもわからないこの空気が、なんとなく好きだ。お姉ちゃんが、横目であたしに目を合わせてきた。合図かな。何も言わずに、手元の五円玉を賽銭箱に放り投げる。投げた五円玉を見ると、お姉ちゃんの投げた五円玉と全く同じ瞬間に箱の中へと消えていった。

二礼、二拍手。両手を塞いだまま、目を閉じる。

──神様。唐突ですが、今年はお姉ちゃんを独り占めにします。まぁ、距離を縮めようと思ってたところで一年間同じ高校だってことを思い出したんだから、当然の話ですよね。お姉ちゃんの友達なんて関係ないです。授業間の十分休みの度に躊躇なくお姉ちゃんの教室に行くつもりです。正直、これはただの宣言なので神様は聞き流してもらって構いません。

一つだけ、教えてほしいんです。あたしは、お姉ちゃんと恋人になるべきなんでしょうか。あたしの言葉を聞いたお姉ちゃんが「愛の告白みたい」と言ってから、必死に目を逸らしていた話です──

「──ちょっと真乃、長い。お祈り長い!」

「……はっ」

 む……後ろも結構並んでたし、ちょっと長すぎたか。まだ神様に相談中だったのに。

 ……まぁ、その答えを神様が知っていたとしても、拝殿から声がして教えてくれるわけじゃない。きっとあたしは、神様に問いかけるフリをして、本当は自分に聞きたかっただけなんだ。

 合わせていた手を下ろし、軽く礼をする。目を開けて横目で隣を見ると、お姉ちゃんと目が合った。もしかして、ずっとこっちを見てたのかな。

「まったく。そんなに長く、何を祈っていたのやら」

 くすりと笑う。その零したような笑い方は、年越しの時にあたしにあけおめを言ってくれた時に似ている。

「なんだと思うー?」

「……まぁ、私に関係することなのは察した」

「ふふ……あ、おみくじ引いてこうよ」

「わかったわかった──うわっと、引っ張らないで!転ぶ!」

 お姉ちゃんの手を掴み、冷えて硬くなった土の上を走る。特に走らないといけない理由はないけど、なんとなく走りたかった。お姉ちゃんを引っ張ってるはずなのに、いつもより身体が軽い。追い風でも吹いてるのかな。

次回、1/1/20:00頃更新予定です!

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