第二章 勝手すぎるあたしと、利口すぎるお姉ちゃん
「初詣?私と……?」
「む……何か文句でも?」
「いや、特に文句はないけど。でも、どういう風の吹き回し?あんたが行事に乗っかるどころか、私を誘うなんて」
お姉ちゃんは、じっとりと怪訝そうにあたしを見つめてくる。
まぁ、警戒されるのも無理はない。あたしが行事のためにわざわざ外出することも、外出にお姉ちゃんを誘うことも、初めてだった気がするし。
「まぁまぁ。お姉ちゃんだって、あたしにあけおめ言ってくれたでしょ?つまり、なんだかんだであたしたちはお正月でおめでたい気分になってるってわけ」
「いやいや、それはないよ。私、友達にも初詣誘われたけど流石に断ったよ?あんな寒い中わざわざ神社まで歩くのってアホじゃない?」
しまった、先に誘われてたか。そして、あのお姉ちゃんが友達の誘いを断るほど初詣は嫌なのか。心なしか寒さが絡むと口が悪い気がする。
「お姉ちゃんが、友達の誘いを断った……?」
「あんた勘違いしてるかもしれないけど、今の話をそのまましたわけじゃないよ?友達の間で、『私の家は行事の日は家族で過ごす決まりがある』ってことになってるよ」
「あたしには、本音を言ってくれたってこと?」
「別に真乃に気を遣う必要ないでしょ?」
あたしはその言葉を聞いて、なんだか胸が熱くなってくる。
多分、それはお姉ちゃんの中であたしは友達よりも格下っていう意味なんだろうけど。でも、それってつまり、お姉ちゃんの友達は本当のお姉ちゃんを知らないってことだよね。
「……じゃあ、あたしも気を遣わなくていいよね。お姉ちゃん、初詣行くよ。断ったら今の話と昨日の出来事をお姉ちゃんの友達にバラす」
──ますますお姉ちゃんと初詣に行きたくなったあたしは、スマホを手に取って直球でお姉ちゃんを脅しにかかる。
以前お姉ちゃんの友達が家に来た時、絡まれて何故か連絡先を渡された。極力あの人たちとは関わりたくないけど、お姉ちゃんが建前を使ってまで保ってる関係性がこのスマホひとつにかかってると思うと、背筋が冷えるような感覚に陥る。
正直、やりすぎたかな。嫌われた、かな……?
次のお姉ちゃんの言葉が、どうしようもなく怖い。
「はぁー、そうきたか……まぁ、あんたが駄々こねることなんてめったにないから多少付き合ってあげてもいいけど」
──よかった。嫌われてない。本当によかった。
「それじゃあ──」
「──でも、気を遣わないって言うなら。そっちも本音言ってくれる?結局あんたは、何のために脅してまで私と初詣なんて行きたいの?」
「え?」
「気付いてない?本音だ建前だそんなくだらないことばっか気にしてるあんたが、今一番『駆け引き』に走ってるって。私と一緒に行きたい理由を話すんじゃなくて、あくまでそれを隠して私が行きたくなるように仕向けようとしてる」
「ち、ちが……」
思わず否定しようとするけど、言葉が続かない。否定できない。あたしは、確かに打算でお姉ちゃんと距離を縮めようとしてた。
「別に脅したことを怒ってるんじゃない。でも、あんたはいつも建前を馬鹿にするね。自分も本音なんて言わないのに、私が建前で友達付き合いしてることに文句言ってさ。私は、真乃が建前嫌いだってこと知ってるから、全部本音で話したよ。だから、次はあんたの番。それだけ」
お姉ちゃんの顔が、笑ってない。普段よく笑うわけでもないのに、それだけで何故か息が苦しくなってくる。それに、お姉ちゃんの言葉を一つたりとも否定できない。今だって、『この状況をどうすれば打破できるか』ばかりを無意識に考えてしまう。お姉ちゃんは、あたしが思っているよりずっとあたしのことを見ていた。
お姉ちゃんは、全部本音で話してくれて、あたしはそれが嬉しかった。それなら、あたしが本音で話したらお姉ちゃんも喜んでくれるのかな。
──それなら、いっそ。
「……お姉ちゃんと、もっと近付きたい。いつだって一緒にいられて、気を遣わなくても離れたりしなくて、お互いがお互いを理解してる関係……それを目指せるのは、お姉ちゃんだけだから」
「えっ」
お姉ちゃんの挙動が不安定になる。さっきまでの怖い雰囲気が一瞬で解けて、小さく微笑みながら凄い勢いで瞬きを繰り返す。まあ、この流れで妹に恥ずかしい言葉を言われたら、理解できないのも無理はないか。
「えっと、真乃。私の知る限り、その言い方って愛の告白みたいな感じなんだけど……その意味で、合ってる?」
──愛の告白……恋人、かぁ。
「まだ、そこまでじゃない」
「なるほどなるほど、『まだ』……ね」
お姉ちゃんが明らかに動揺してる。さっきまであたしを睨んでたお姉ちゃんが、今はあたしから露骨に目を逸らす。かと思えば、急にこっちを見つめて悩ましげな顔をする。
「……ごめん、私が悪かった。そんなつもりだったんなら、初詣でもう少し仲良くなってから言いたいって気持ちもわかるよ。実際、急にそこまで言われると私の方もすごく恥ずかしいし」
「……いや、こちらこそ。建前の大切さが身に染みてわかった」
「初詣、私でよければ一緒に行くよ。……とりあえず、母さんにエアコンのこと話してくるから先に支度しててくれる?」
「…………わかった」
これは──お母さんにあたしのことを相談しに行く流れだな。それも、おそらくかなり話が拗れる……一応、様子を覗きに行こう。見た感じ、お姉ちゃんはまだあたしに対して多少の遠慮をしてる。お姉ちゃんの本音は、この後の会話で言うことだ。
「──エアコンの件はわかったわ。年始の休業が終わり次第業者さんにお願いするから、それまでは真乃の部屋で過ごすのよ」
「わかった。お願い」
「それで、紗良……もう一つの相談って?」
「そのー、真乃のことなんだけど」
お母さんの部屋の扉に耳をくっつけると、中の会話がよく聞こえてくる。案の定、あたしのことについても話すらしいけど、それ自体はあたしにとって大した問題じゃない。問題は、さっきの言葉がお姉ちゃんにどう受け取られているかだ。
「……さっき、真乃に初詣に行こうって誘われたんだよね」
「あら!真乃が、紗良を、初詣に?」
お母さんの大げさな声のトーンから、顔を見なくても衝撃を受けているのがわかる。
「結局ちょっと話して、私も行くことにしたんだけど……その、母さんはどう思う?」
「へ?いや、私は行事に興味ないけど、我が家が行事で何もしないのは私が禁止したからってわけじゃないわよ?楽しめるなら行ってくればいいと思うわ」
「あーその、許可が欲しいわけじゃないの。つまり……真乃が私を誘ったことについて、どう思う?」
「確かに、今までの真乃の様子を見てると考えられないことだけど……いいんじゃないかしら?姉妹の仲が良くて悪いことなんてないと思うわよ」
「……もうじれったい。真乃いないから直球で言うけど、あの子友達できなすぎて迷走してる気がする。なんで誘ったのか聞いたら、『お姉ちゃんと近付きたい。ずっと一緒で、気を遣わなくてよくて、理解し合える関係になれるのはお姉ちゃんだけ』だなんて言ったの」
やっぱり、迷走してると思われてた、かぁ……でも、さっきの言葉をほとんど覚えててくれただけでも、一歩前進かな。
「……それで、紗良はどう思ったの?」
「私……?」
「なーに驚いた顔してるのよ。あなたは妹にそう思われて、嫌な気持ちになったのかしら?もし、本気で嫌だってことなら、私からそれとなく言っておくけど」
「ち、ちが……っ!私は拒絶したいんじゃ、ない!」
お姉ちゃんが、予想外の反応を見せる。てっきり気持ち悪がられてると思ってたから、この盗み聞きだって、心をグチャグチャにされる覚悟で来たのに。
「……紗良。今まで真乃が友達作りを諦めないよう黙ってたけど、あの子はその一点についてあなたよりずっと立派よ」
「その、一点……?」
「あなた、流されすぎなのよ。この間だって、友達に誘われて軽音楽部に入って、二か月くらいでその友達が辞めたからって一緒になって辞めて……その時も、私にこうして相談に来たわね」
「…………」
「対して真乃はどうかしら?中学三年間、部活なんて考えすらしなかった!どころか、体育祭から文化祭、合唱コンクールまでも全部仮病で欠席!その度に私は口裏合わせて学校からの電話に応じたわ!あああめんどくさかった!」
「う、わぁ……」
ちょっと、なんでその流れであたし盛大にディスられてるの。お姉ちゃんマジ引きしちゃってるじゃん、ねえ。
「……もちろん、それが正しいわけじゃないわ。真乃は真乃でもう少し周りに合わせることをするべきだと思う。でも、紗良も紗良で、少しは周りを気にせず自分のやりたいようにやるべきだと思うわ」
「私が、真乃を見習って好き勝手に……?」
「ぞんざいに扱ってきた妹に急に距離を詰められて、困惑する気持ちはわかるわ。でも、それを私に相談する必要はない。あなたが真乃の言葉を聞いて、それが迷走だと本気で思ったなら拒絶すればいい。あなたが真乃の言葉を聞いて、もっと距離を縮めたいと思ったなら、誰に邪魔されようといくところまでいっちゃえばいい。違うかしら?」
ちょっと、お母さん。話が早すぎる。さっきお姉ちゃんに言われたときは悪くないと思ったけど、あくまで今は距離を縮めることが目的なんだから……
「い、いくところまで?」
冗談めかして笑うお母さんに、お姉ちゃんは困惑した声で聞き返した。
「さっきも言ったけど、あなたたちは両極端なのよ。本当、その勝手さ成分は足して二で割って生まれてほしかったわ……」
「だから、真乃と一緒にいて身勝手を学べってこと……?」
「話聞いてた……?私が答えを言ったら意味ないじゃない。あなたが考えることなのよ。……ほら、初詣は行くんでしょ?早くそこで聞き耳立ててる真乃に構ってあげなさい?なんてね──」
「えっ──あ」
「あら」
あたしは、バレてたのかと思ってつい声を漏らす。まずい、と気付いた時には、既に扉の向こうから凄まじい威圧感が放たれていた。
「…………真乃、あんたねぇ……」
「……真乃、ごめんなさい。冗談のつもりだったの。まさか本当にそこにいるなんて思わなかったの……」
「お母さん。冗談が細かすぎるよ……」
お母さんは、盗み聞きについて怒ることすらせずにこの空気について謝ってくれた。
「「「…………」」」
──そして、あたしはどんよりとした気まずい空気の中で初詣に行くことになってしまった。果たしてこんな重い空気の中でお姉ちゃんと距離を縮めるなんてことが、できるのだろうか。
次回は1/1/16:00頃更新予定です!