第一章 寒い夜と温かい朝
──寒い。
身体を覆う分厚い布団は十分に熱を帯びていて、足なんてもう熱いくらいで。でも、温かいとか幸せとか、そういう感情が湧いてこない。
もうすぐ、今年が終わる。永利家は基本的に行事に関心ないから、明日朝早いらしい両親は既に寝床に着いたし、かくいうあたしもベッドの中だけど、一応は所謂大晦日だ。
そう──もう何ヶ月かで卒業式だ。滞った人間関係がもうすぐリセットされると考えたら、それは嬉しいことなのかもしれない。でも、果たして中学三年間を最初から最後までぼっちで過ごしてきたあたしは、このチャンスを掴み取れるのか。問題はそこだよね。
……駄目だ、このままじゃ寝れそうにないや。一度布団を出て……リビングでテレビゲームでもしようかな。
手探りで枕元からスマホを取り、画面を点ける。表示された時計で、年明けまでちょうど三十分とわかった。画面の灯りを頼りに、重い身体を引きずるようにベッドから降りてドアのもとまで歩く。
ドアを開けて廊下に出ると、急に視界が明るくなって思わず眼を瞑る。リビングから光が漏れているのがすぐにわかった。誰かがまだ起きているのか、はたまた電気を消し忘れたのか。
リビングに入ると、お姉ちゃんがゲームをしていた。ちょうどあたしがやろうと思ってたアクションゲームだ。
「お姉ちゃん」
「ん……真乃?なんで起きてるの?」
あたしに呼ばれるとお姉ちゃんはゲームをポーズ画面にし、目を指で擦りながら眠そうにあたしの方に振り返る。
「なんか寝れなくて、ゲームでもしようと思って起きてきたの。お姉ちゃんこそ、大晦日なんて興味ないと思ってた」
「あー、そのー……今日高校で友達とさ、誰が一番年明けの瞬間ピッタリにあけおめ送れるか~みたいなことやろうってなって。だから眠気覚ましにゲームしてるの」
「うえー、くだらな……」
「真乃ならそう言うと思った。ま、私もぶっちゃけくだらないと思うけど、誘われた遊びは時間の許す限り乗っとくに越したことないんだよ。案外それだけでも人間関係上手くいくもんだし」
「そーゆーのいいから。あたしは高校でも馴れ合いをする気はない」
「そんなこと言ってるけど、あんた寂しくて寝れなかったんじゃないの?」
図星。なんでバレてるの。
「別にお姉ちゃんに関係ないでしょ。あたしにはあたしの生き方ってのがあるの」
「生き方っ」
ブフッ、と音を立ててお姉ちゃんが笑う。あたしも確かに大げさに言ったけど、そこまで派手に笑われると流石にカチンとくる。でも、こんなところで喧嘩してもイライラして余計寝れなくなるだけだ。
「……もういいからお姉ちゃん、それあたしもやりたい。CPUとやってるよりは楽しいんじゃない?」
「ん、いいよ。コントローラーもう一台出してくるから座ってて。……どこ置いてたっけなー、棚の方か……?」
けだるげにあぐらを解き、のそのそと棚に向かって歩いていくお姉ちゃん。お互い基本一人でプレイしてるけど、一応コントローラーは二台持ってる。最後に一緒にやったのはいつだったかな……思い出せないってことは、ここ数年は一度もやってないのかな。お互いソロプレイで経験を積んできた、というわけか。
お姉ちゃんのいたところにあぐらをかくが、思わず声がでそうなほど床が冷たい。普通、誰かが座ってた場所って多少のぬくもりは残ってるものだよね。確か冷え性って言ってた気がするけど、ここまでとは……
「あったよ。やろっか」
「うん」
お姉ちゃんは隣に座ると、コントローラーを操作してゲームを対戦モードに切り替える。簡単に設定を済ませると、すぐに対戦が始まった──のだが。開始直後なのに、何やら見覚えのないアイテムを持っている。
「うん……?何、このアイテム」
分割された画面を見ると、何やらお姉ちゃんも同じアイテムを持ってるらしい。
「え?真乃もしかしてこのゲームのアイテムとか覚えてない?」
「いや、このゲームあたし今でもしょっちゅうやってるけど、こんなアイテム見たことない……まぁいいや。お姉ちゃんそれの効果教えて」
「投げると爆発して一発でとんでもないダメージになるやつ。確か盛り上がり重視でゲームバランスが壊れるから、ソロでは出ないようになって──あっ」
「…………」
ははぁん、なるほどね。つまり、お姉ちゃんもソロで練習積んでると勝手に思ってたのはあたしだけで、お姉ちゃんは友達と何度も対戦してたと。その上あの態度ね。「えっ?対戦モードやったことないの!?」みたいな、あの態度ね。
「お姉ちゃん」
「……なに?」
「──ぶっころしてやる!!!」
「ちょっ真乃口悪いってうわ上手っ!なにそのコンボ動画でしか見たことない!流石ソロ!」
「今ソロって言ったな!?ソロって言ったよな!?」
蹴りで転ばせ、三連パンチを二回で止めることで隙を減らし、相手の硬直にステップで潜り込んで再び蹴り。力を溜めて回避を誘い、溜めをキャンセルしてからアッパーカットで浮かせ、溜めておいた必殺技でフィニッシュ。
一人でやってた時に成功したこと無かったコンボだけど、今、怒りに身を任せてたら指が勝手に動いたみたいに決まった。
「……ぐぬ……ソロに負けたか……」
「まだ言うか!!!もっかいだ、トラウマ植え付けて二度と友達と対戦モードできなくしてやる!」
「何それ嫌すぎ!わかった、もう私も本気出すよ?対人戦経験という残酷な現実を人生ソロのあんたに突き付けるからね?」
「な──っ!……キレたよ。完全にキレちゃったよ!?」
夜だから黙々と遊ぶつもりだったけど、あれだけ言われたらあたしも怒りを抑え込めない。お姉ちゃんもお姉ちゃんで、いつもと違って随分声が大きい気がする。普段友達の前だとこんな感じなのかな。
──しかし、やっぱり騒ぎすぎだったのか。
「うるさいのはあなたたち二人ともよ!真乃!紗良!こんな夜中に騒がないの!」
寝室の方から、騒音で起こされたらしいお母さんの怒鳴り声が聞こえる。
「げっ……はーい!もうすぐ寝まーす!……真乃、ちょっと声のトーン下げて」
嫌そうな顔をしながら、お母さんに適当な対応をするお姉ちゃん。
「や、二人ともって言ってたでしょ。お姉ちゃんも大分うるさかったよ、珍しく」
「否定はしないかな。家でここまで騒いだのは人生初かも……あれ?そういえば真乃、今何時?」
思い出したかのように時間を聞いてくるお姉ちゃん。あたしはズボンのポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。点けるや否や、思わず「あっ」と声が出た。
「え、まさか……」
「お姉ちゃん──あけましておめでとう」
「あー……うん、あけおめ、真乃」
察してくれたらしいけど、特にショックを受けているような様子はない。むしろ、笑いをこらえきれなくなったようなニヤッとした笑顔で、最初のあけおめをあたしにくれた。
時刻は、十二時三分。結局、お姉ちゃんの『誰が最初にあけおめ言えるか競争』みたいなくだらない遊びはお姉ちゃんの惨敗だったらしい。
お姉ちゃんは、真実を知ってるあたしの目の前でスマホをいじり、「ごめん、一瞬意識飛んでたわ笑」と打って送信した。そんなノリで許されるの……?と思いながら画面を覗いてると、友達から次々に「そんなことだろうと思った笑」「絶対寝てたな笑あけおめ!」「あけおめ~」と送られてきている。
「……ええ」
「真乃、これがコミュニケーションだよ。……あ、このことは内密にね?」
「友達に対してそれはどうかと思う……」
「あんたは友達ってもんを重く考えすぎなの。それこそ、私と話してる今くらいの感じで接すればいいんだよ」
「お姉ちゃんと話してるとき、ねぇ……」
クラスの人と話すときは、相手のことを知りたいとか、自分のことを知ってほしいとか、とにかく仲良くなることを目的にしてた。ただ、ノリとかお世辞とか、そういう適当なやりとりが嫌いで、そのせいで驚くほど友達ができない。
お姉ちゃんと話してるときは、どうだろう。そもそも話す機会があんまりないけど、とりあえず仲良くなろうという考えは全くなかった。家族である以上、大人になるまで疎遠になることはないし、逆に大人になれば何事もなく離れていく。気を遣うだけ損だし、気楽に話してた。
「あー真乃、考え込まないで。考えないことが秘訣なの。どう言えば伝わるかなーもう……」
お姉ちゃんの声ではっと我に返る。危うく思考の渦に呑まれるところだった。
「とにかく、真乃はもう寝な。私はもうちょっと友達と話してから寝る」
「そうだ、あたし寝れなくてゲームしに来たんだった。いい具合に眠くなってきたし、そろそろ寝よっかな……」
「ん、おやすみ」
「おやすみー……」
考えないことが秘訣って……今まであたしが悩んでた時間は無駄だったってことなのか。お姉ちゃん以外の人を適当に扱うのは気が引けるけど、今学校で何をやらかしたところであと二か月程度もすればクラスは離れ離れだ。どうせなら、この機会に練習してみてもいいのかも。
そんなことを考えながら、自分の部屋に戻って布団を被る。最初はひんやりするが、瞬く間に熱くなっていく。……一応、今夜は眠れそうだ。もっとも、脳内に漂うのは快適で幸せな眠気じゃない、疲れに身を任せた重い睡魔だけど。
──温かい。
腕に何かにひんやりしたものが触れていて、熱をどんどん吸われているのがわかる。でも、不思議なことに寒いとか不幸とか、そういう感情が湧いてこない。昨晩の悩みが嘘みたいに、幸せな寝起きだ。
ぼんやりとまどろみながら、重い目を指で擦る。ゆっくりと目を開くと、目の前に人の頭らしきものがあった。
「んぅ……?は?え?」
──その異常な状況に脳内は一瞬で覚醒する。数秒の大混乱の後に、目の前の頭の正体に大方予想がつき、おそるおそる布団をめくってみる。
「すー……すー……」
出てきたのは、静かに寝息を漏らすお姉ちゃんだった。
……いや、なんであたしはお姉ちゃんと一緒に寝てるんだ。あたしは昨日、確かに一人で寝た。つまり、寝てる間に勝手にあたしの布団に入ってきたってことだよね。所謂夜這いってやつなのか。
じゃあ……もしかして、さっき温かいって感じたのは、お姉ちゃんがいたから?
「……お姉ちゃん?」
「すー……」
「……」
試しに、だらりとあたしの方に垂れているお姉ちゃんの右手を、軽く両手で包んでみる。すごく冷たいけど、触り心地がさらさらしてて良い。
あと、手から何かを受信して、それが身体中に巡っているような……変な気分になる。それが、不思議と心地いい。起きた時の温かい感覚は、おそらくこれのせいだ。他人と距離を縮めるのって凄く神経をすり減らすけど、お姉ちゃんはあたしが生まれた時から既にこの距離にいたんだよね。
──あたしは、一人でいるのが好きだった。でも、三年間を一人で過ごしているうちに、一人が寂しいと感じるようになった。だから友達を作りたいって思ってた、けど。お姉ちゃんがいれば、なにも友達にこだわらなくてもいいのかもしれない。
いや、我ながら思考が飛躍しすぎたとは思う。それに、今それを考えるのって、ぼっちを拗らせた悲しい末路みたいだ。でも、あたしが苦労して他人と関わって得られる幸せが、今のこの感覚に匹敵するのか……考えずにはいられない。
「お姉ちゃん、起きて」
「う……んん?真乃、なんでここに……?」
「いや、完全にこっちのセリフだよねそれ」
「え?……あ」
何かを思い出したらしい。目を見ようとすると、目を逸らしてくる。何か変なことでも企んでたのか、はたまた本当に夜這いか。
「とりあえず事情聴取ね」
「そんな、妹の布団に潜った程度で罪人みたいな……えっと、昨日真乃が寝た後、しばらくして自分の部屋に戻ったんだけど……その、エアコンがなんか壊れてて──」
「オーケーもういい。察した」
お姉ちゃんの冷え性ときたら、この暖房の効いた部屋であたしと一緒の布団で寝てても全身が冷たいレベル。そんな異常体質なのに暖房もない部屋で寝ようもんなら、もう、死ぬよね、うん。
「話が早くて助かるよ。この後母さんに話して修理頼んでもらうけど、なんせ年末年始だからどこも休みだろうし……今週いっぱいは一緒に寝ることになると思うけど、我慢してね」
「それなら──」
──お姉ちゃんのベッドを、この部屋に持ってきたら?
思わず口から出かかった言葉を、かろうじて抑えた。
「……なに?」
「なんでもない」
「はぁ……とりあえず、母さん起こしてくるよ」
──やばい。今お姉ちゃんを逃がしたら、言い出しにくくなる。
ゆっくりと布団から足を引き抜き、身体を捻って床に足を着けるお姉ちゃんを、あたしは焦って呼び止める。
「──お姉ちゃん!今日……暇?」
「え、私?一応暇だけど」
──あたしはさっき、気付いた。お姉ちゃんこそが一緒にいるべき最高の相手かもしれないことに。
でも、正直それが友達ができないことに対する逃げだと言われれば、あたしは多分否定できない。もしかしたら、少し我慢して友達を作れば、お姉ちゃんなんかよりずっと居心地がいい相手になるのかもしれない。
だからこそ、確かめてみたい。といっても、友達を作って比較してみるなんてことができればハナから苦労はないわけで。つまり、お姉ちゃんと過ごしてどれだけあたしが満たされるか──それだけが判断基準になる。
「この後さ、初詣行かない?」
次回は1/1 12:00頃に投稿予定です!