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5話 父子(おやこ)

翔作たちと別れ、帰宅した壱馬。

独り、どこか空虚な広すぎる家の中で、地下に続く入ったこともない扉のことを夢想する。

そんな折、滅多に会話を交わすこともない父・琢馬と食事をともにすることになる。

 僕が帰宅したのは19時頃、今から夕飯を作り出すには少しばかり遅い時間であった。

家には誰もいない。

独りであることは僕には当然のことで慣れっこで、ごくごく当たり前の何ら変わりない日常。


ツタの這う古ぼけた外壁。

二階建ての似非洋館のような家。

寂れて手入れの行き届いてない庭園は失楽園といった趣だ。


父さんはおそらくまだ帰らないだろう。

父さんは研究にのめり込み、その世界の中で今評価されているようになった男はきっと多忙なのでしょう。

外にだらりとぶら下がっては、風で小刻みに揺れる洗濯物を片付ける。

次にすこしだけ部屋を掃除することにした。

お腹は・・・そこまで減っていないので後回しだ。

父さんも、万一帰ってきたとしても外で食べて済ませているに違いない。

そう思いながら、ご飯を炊き始める。


 当時はハイカラだったかもしれないデザインのベランダに出て、連日の照りつける太陽で乾ききった洗濯物を取り込む。

それらは僕が干した時から何一つ表情を変えず、ただ水分が飛んだだけであった。

一枚ずつ丁寧に畳んでは箪笥に仕舞う動作は、何年も繰り返ししてきたことでとっくに手馴れてしまった。

大きな古箪笥の中で仕切られた父と僕の衣類が並ぶ光景、それだけがただいつも僕の眼だけに映り込む。

引き出しの中に一枚一枚と男二人分の衣類が積み重なっていく様子が、とても軽くそして重苦しく感じられた。


 洗濯物を片付け終えてふと廊下に出た。

特に何かが特別なものがあるわけではないのだが、見られているような感覚になる。

その視線に近い感覚の先を振り返る。そこには突き当りの壁に入ったヒビがあるのみだ。

ヒビは下辺からてっぺんまでもう少しで届きそうなほどだ。

その壁は風呂場に近接しているため、湿気の影響を多分に受けて生じたに過ぎない。

それ自体の存在が影響を与えていないつもりでも、いつの間にか自然と時間の経過の中で無意識に働きかけてつくり出すものもあるのかもしれない。


あーあ、後で補修業者を呼ばなければならないなぁ。

こればかりは誰か出来る人に頼まないと。

こんなに毎日見かけるであろう場所なのに、今日初めて意識するまでそれの大きさに気付かなかったなんて。

なんなら父さんなら育った生家だし、発生している異変位気づきそうなものなのに。


 違和感、いびつ、胸のざわつき、冷たさ。

なんだか寒いなぁ、風呂に入って温まろう。

壱馬は浴室を洗い流し、お湯を浴槽に張った。

服を脱ぎ湯に浸かると、体の芯まで温まる。

あぁ、今日もまた家に帰ってみたらひとりきりだったな。

そう心の内で呟いた。

風呂の湿気で、またほんの少しだけ壁のヒビが広がっているのだろう。


 風呂から出て居間を見渡す。

僕と父の二人きりで住むにはあまりに広すぎる我が家。

元々曾祖母、つまりは父の祖母にあたる代から存在する家で、尚且つ父の生家である家だ。

やけに一部屋づつの空間が大きく、そして古式めいた格調を保ち、そしてその格調の合間の隙間から年月がじわりじわりと雨漏りの染みの如く漏れ出ている。

人が生まれては月日を重ねていく中、ほぼ手入れのされていないこの邸宅は、文明開化の音色は錆びつき大正浪漫の華も萎れてしまった。

加えて「不運にも」昭和の激動のうねる波には浚われることなく在り続けしまった。


 事実、時折戦争もののドラマや個人がロケで撮影依頼を申請しに来る。

最近は役所で申請を取り仕切ってもらっているので、事実上持家でありながら公民館さながらの扱いだ。

こうして来た依頼を父が快く貸してしまった後日には、テレビスタッフが粉骨砕身一心不乱に戦前の雰囲気を再現したドラマの光景が広がり、あたかも時代が本当にタイムスリップしたかの如く遜色なく、我が家の庭や居間がテレビスクリーンに映し出されることとなる。

そして学友たちから『お前の家がテレビにまた出てきた』と茶化されるまでがセットだ。


僕自身は、別に物を壊されないなら家を写真なり動画なりの撮影に貸すこと自体、何ら問題は無い。

いや、そもそも借りた場所のものを壊すのは、人として論外と言ってしまえばそれまでだが。

まあ、それでも父さんにとっては結構な副収入となっているみたいだ。

貸すスペースの広さや時間にもよるが、父さんの外面の良さは確実に金銭を生み出していた。


 皮肉なものである。

普通の家庭ならば一家が団欒としていて当然の場所が、本人には必要性の薄い場所と切り捨てながらも、「その空間」が他者には価値を生じて金となる。

本人が不要なそれが、金銭を生み出す場として必要になっている。

思えば庭や屋根裏なんて貸し出してる時以外使うことは無いし、地下室以外はひとしきり貸し出しのために使い倒されたような印象が拭えない。


そうだ、地下室。存在自体すっぽり抜け落ちていた。

ここだけは貸したことがないし、そもそも僕も入ったことがない気がする。

多分小さい頃、一度間違って好奇心からあの部屋に入った…と、思う。

どうして確信をもって断言できないのか。結論から言うと理由は二つある。

一つは出来事自体が夢か現か、記憶が茫々としていて判別がつかないからだ。

もしかしたら、僕があの地下を覗いてみたいと思うあまり、部屋の内部を寝てる合間に夢想したのかもしれない。

ただ一方で部屋で、体感したようなひんやりとした空気や、ドアに手をかけた触覚がいやに脳裏に焼け付いている。


二つ目は、地下室の扉の向こうから、先の記憶の断片が「非現実的」だったからだ。

扉の向こうに広がっていたもの。

まずは地下に続く階段、それを降り切ると木目の扉がある。

ゆっくりと開けるなり、キィという小さな音とともに黒々とした空間が眼前に広がった。

白い薬品棚や、水道付のテーブル、そして字のびっしり書かれたノート。

無機質な、科学的な薬品たちは独特の匂いを発している。

あぁきっと危険なものに違いない。

僕は反射的にそう感じ取ると同時に未知のものへの恐怖と冒険心の発する感情の高揚を抑えきれなかった。

どくどくと、自分の胸の鼓動が暗い空間に響いて反響する。


部屋を奥へと歩みを進めると、そこには機械でできた樽のような箱が規則正しく並んでいる。

これは何だろう、樽の周りをしげしげと見つめていると一か所だけ分厚いガラス張りの場所があった。僕は湧き上がる好奇心を自制することは出来ず、中を覗く。

すると、そこにあったのは。

…なんだったのだろう、思い出せそうで思い出せない。

人のような、動物のようななにかだった…気がするのだけれど、それも正しい記憶だったか判然としない。

この記憶の様相そのものがまるで空想のような事柄に満ち満ちている。

だから、僕は地下室に入ったことがある「ような気がする」としか表現することができない。

もしかしたらやっぱり夢だったのかもしれない。


 嘗ての出来事を思い返しながら、僕は今。地下室に続く扉の前に立っている。

当たり前ながら鍵が厳重にかけられており、開けることは適わない。

まるで僕の記憶に重々しく蓋をするかのように、扉は開くことをその冷たい身で全身全霊で拒んでいた。

試しに針金をそっと鍵穴に差し込み、鍵を開けようと試みる。

………!!待てよ、これは!!!


その瞬間。

「ただいま。」

玄関の戸が開く音とともに、短く冷たい声が聞こえた。

慌てて針金をポケットに仕舞って、壱馬は玄関まで走る。

黒くくしゃくしゃとした髪、銀縁の眼鏡の奥には冷たい瞳。

細くシュッとした輪郭の割に、どこか中性的な細面の顔は年齢の割にずっと若く見える。

そこには父さん、桐村 琢馬が立っていた。

「おかえり、父さん」

緊張した声で壱馬が琢馬に声をかける。

「今日は早く帰ってこられた、いつもすまないな」

どこを見ているかわからない目をしながら、すれ違いつつ言い放った。

「う、うん…」

25.5。僕と父さんの全く同じサイズの靴の数々を見ながら返答する。

いつからだろう、こうなってしまったのは。


「ご飯はさっき炊いたよ。作り置きのおかずと、冷凍食品もあるからご飯はすぐ出せるよ」

何も期待してはいないはずだ。言ったところで…

「そうか、ならたまには一緒に食うか。勿論まだ食べていないなら、の話だが」

その言葉を聞いた途端、夏の暑さとは違う温かさが広がった。

壱馬はそんな気がした。


 食卓には沈黙が続いた。

僕も彼も一言も発さずに、チキンとレタスのサラダに箸を伸ばし、白米を頬張る。

その沈黙に耐えきれずに、僕は男性に話しかけた。

「研究の方は…順調なの?」

その言葉に、男の箸は止まる。

「今現在も、順調に進行中だ。素晴らしい被検体が今も結果を残し続けているからな」

意外なことに無表情の顔に、少しの笑みを浮かべて話す。

父さんの笑顔を見たのはいつ以来だろうか。おそらく、僕を引き取って色んなところへ連れてってくれた頃くらいじゃないだろうか。


「壱馬は、北条さんとは仲良くしているのか。」

「あっ…」

不意に自分に向けられた質問に、すぐに言葉が出なかった。

ちょっと考えてから落ち着いて回答する。

「由希乃とは…いつも通りだよ。

いつも口うるさくお姉さんみたいに振る舞って世話焼きでさ…ま、まぁ悪い気はしないんだけど」

なんだか照れくさくなってしまう。

それは自分のことを聞いてくれた言葉へなのか、他の理由なのか。

「で、でもいつもの友人たちとは仲良くやってるよ。

今日も輝彦や翔作と一緒に、4人で夏の課題をあらかた片付けたし。」

あまり日常や学校のことを聞かれたことがないせいか、口早にどんどんなってしまった。


「そうか、それならば良い」

また無表情に戻った父さんは箸を動かし始め、下を向いた。

なにかまずいことでも言ってしまったのだろうか、この空気は僕が悪いのだろうか。

昔のように、とも思ったがそれは叶わぬことなのだろうか。

そんな不安がよぎってしまった。


しばしの沈黙の後、父さんが声を上げた。

「…!そうだ、一つ忘れていた。

壱馬、すまない。細胞の癌化研究の関係でサンプルが一つでも多く必要なのだが。

明日、少しだけ血液を提供してもらえないか」

「え…大丈夫だけど」

突拍子もないお願いに少々驚いてしまった。

だが父の研究が少しでも進み、ひいては父の帰りが早くなるなら…と思いOKを出すことにした。


「すまないな、突然で。言いにくいことだったから直接伝えようと思ってな」

こういった不器用な気遣いはいまだにちゃんとできるようだ。

良かった…なんだかそう思ってしまった。

そうだ、言いにくいこと。僕もあるじゃないか。

今ならアサーティブにやり取りができるのではないか、一縷の望みをかけて問いかける。


「あの、さ。父さん。

地下室のことなんだけど、あそこにはやっぱり貴重な資料とかがあるの?」

夜明けの空気が日差しにより温められ始めたような、そんな空気だった食卓が一気に凍りつくのを壱馬は感じ取ってしまった。

しまった。


「確かに、お前は一度気になったことは追求して理解をしようとする。

知識欲に富んだ性格だ、と思う」

指をぱちんぱちんと2回鳴らしながら重い声で琢馬は話す。

「実に私に似た性格だ。素晴らしいとも思う。

だが、時にそれは知らなくて良いことに首を突っ込んで、知らなくていいことを知ることになる。

かつての私や今のお前のように」

怒り、いや静かな拒絶。

それを諭すように僕に投げかけている。

「大したものではないし、めったに使うこともない。

お前は知らなくていいことだ。

さっさと忘れて寝なさい」


その言葉に対して、より膨らむ興味以上に熱くなるような感情が沸々と湧いてきてしまった。

「それでも知りたいんだ!大したものじゃないんでしょ!

家族にも話せないの?それとも僕をまだ子供だと思っているからなの?

確かに僕はまだ所詮高校生かも知れない!

でも…でも父さんにとって僕はそんなにも信用できないの?

それとも僕が血の繋がってない養子だから」

「いい加減にしろ」

父さんは左手で軽く机を叩き、一呼吸した後に静かに冷たい声で僕を制した。


「養子だろうと、私はお前を大事な我が子と思っている。

無論、お前を子供だからと信用していないわけではない。

今のお前には、もう関係がないんだ」

眼の前の男は席を立ち、背を向ける。

さっきまで開きかけたような扉が、また閉じていく。

「めったに使わないんでしょ?

じゃあなんで最近あの扉を開けたの!

本当は見られたらいけないものを閉まっているんじゃないの!」

同時に、背中を向けた琢馬は立ち去る動作をピタリと止めた。

怒りに任せながら自分が言ってしまった言葉の意味を、ハッと理解してしまった。

あの扉を調べてしまったことを、父に言っていることと同義じゃないか。

そして、自分の方こそ親を信用していないことを口にしてしまったことを。


「私はお前を信頼し、そして曲がりなりにも大事に思っていたが。

お前が私を信頼もしていなかったとは残念だ。」

たった一言だったが、琢馬の言葉は壱馬の心に深く突き刺さった。

「もう寝なさい、私を1人にしてくれたまえ」

こちらをちらりとも見ない彼の背からは失望の感情がひしひしと伝わってきた。

その様子に壱馬は二度と目を向けることが出来ないまま、食卓を離れることしか出来なかった。


ひやりと冷たい廊下に出る。

静かな拒絶を感じたあの瞬間、自分を認めてもらえてないと思ってしまった。

それが、父が普段仕事にかかりきりなせいで、僕が感じている自己への不安を浮き彫りにしたこと。

それらがあの地下室の扉一枚のことを通して爆発してしまった。

僕は部屋に戻り、その日は自己嫌悪と、父との深すぎる境界に言い表せぬ感情を抱え布団に潜ることしか出来なかった。



廊下の突き当り。

壁に入ったヒビは、月明かりに照らされながら上から下まで歪に伸び切っていた。

正直、稚拙ながら養父と子供の微妙で少し間違えたら壊れそうな関係を描いたつもり…です。

僕自身あまり父との関係はよくありません。

そういう意味では、僕自身が高校生の頃に思ったことが無意識ながら表現しようとしたセクションなのかも知れませんね。


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