6話 ある女性の場合
西実 由季は先輩の寿々木聡とともに"ある殺事件人"の現場捜査へ赴くこととなった。
しかし、そこにあった遺体は18年前、西実の心の奥底に昏い影を落としたある事件を想起させるものだった…。
18年。
”先輩"が殺人事件で殺されて今年で18年が経った。
『同じマンションでありながら何故気づけなかったのか?』
うねる冷たい波のように、後悔が常に心に押し寄せる。
心がその波によって水底へ飲まれるたびに
「あぁ、きっと彼女も苦しかったのだろう」
と感じてしまう。
西実由季は夏の高く青い空を見上げながら、今この瞬間も冷たい波が心中に降りかかる。
今こうして刑事になったこと。
府中の地に移り住んだこと。
全てはあの事件が切欠だった。
忘れもしない大学2年目の"あの日"。
蝉の声がけたたましく響く、長いながい夏休み。
剣道部の部活の帰りであった。
帰ってきて最初に、練習に励んだ体を癒すべくシャワーを浴びていた。
風呂は本当に偉大!湯船に入れば、体から疲れが染み出して癒やしてくれる。
これから夕飯だ、という時に刑事が訪ねてきたのを今でも覚えている。
真面目そうな雰囲気で丸眼鏡をかけ癖っ毛の髪。
どこか爽やかで元気そうな風貌の男性だった。
「夜分遅くに失礼します、西実由季さんですね。
警察のものです、下の階で西実さんの所属する研究室の先輩……えっと、南美代子さんですね。
が、遺体で見つかっておりまして……。
不躾ながらお話など聞けないかな、と思いお訪ねしました」
それを聞いた瞬間に、膝から力が抜け泣き崩れた
玄関マットの柔らかい感覚が、あの日は無機質に硬く感じた。
私の心と体は、あの時氷のように冷たく脆かった。
学科・部活問わず、信頼して世話になった人が無惨に殺された現実。
まだ20の女学生には耐えがたかった。
不意に世界の半分が消えた感覚に陥る。
以来その悲しみと憎しみは、心のどこかに巣を張った。
日々犯人を捕まえるべく、執念を燃やす人生のはじまったその日。
人の心の力というのは偉大なもので、一見不可能に見える物事も時には容易く超えてしまうものなのだ。
気づいた時には、市政の一警察官になっていた。
特に警察という職が好きだった訳ではない。
が、元より正義感も強く、厳格な父に武道全般教わっていたためか、抵抗も無く就いた。
何より真面目かつ素直な性格から、"結果的に"西実には適職だったのかもしれない。
いや、或いは新しい陽の光をそこに求めたのかもしれない。
矢のように月日は流れ、仕舞いにはここ府中で刑事になっていた。
そんな流れ着いた地で、なんという巡り合わせだろうか。
いや呼び寄せられたのだろうか。
府中で出会ったのは、18年前のあの日に私の部屋を訪ねてきた刑事、寿々木聡その人だった。
西実と顔合わせをした時、寿々木は心底驚いた
まさかあの時の事件関係者が、自分の下に配属されるとは思ってもみなかったのだろう。
西実も『寿々木が自分を覚えている』ことに吃驚するばかりであった。
「あの時は……すまなかった。
結局未だに事件を解決できていないのは、自分達の未熟さゆえだ」
初仕事の日、帰りがけに寿々木から西実に向かって投げかけられた一言。
何をこの人は謝っているのか。
悪いのは彼ではない、殺人犯なのだ。
西実はそれを言葉として、投げかけたかった。
"あなたは悪くない"という精一杯の気持ちを、声で伝えようとした。
だが……その男の横顔を見た途端に、言葉が喉から出ていくのがためらわれた。
何かを決したような強さと、どこまでも深い悲しみと後悔。
それを両の目に讃えていた……ように感じた。
実際はもっと多くの複雑な感情が入り混じっていたのだろう。
少なくとも、事件に対して大きすぎる感情を抱えていることは一目で分かった。
事件の負い目もあったのだろうか。
寿々木は徹底して西実を指導したし、人一倍温かく接してくれた。
まるで、とても仲の良い兄のような従兄弟のような。
そんな感覚を残した間柄である。
西実自身も常に必死であり、また努力家だった。
その裏には良き上司に応えようという気持ちと、精一杯仕事をこなす先に、憎くてしょうがない殺人鬼がいる。
そんな確信。
その二つの感情が相重なっているが故の必死さだった。
【ライナーノーツ】
ザ・キャリアウーマンの西実さんの登場。
既婚の男性先輩と、色恋沙汰がない美人の後輩女性…そのコントラストの組み合わせはいいですよね…。
西実は年齢は38ですが、20代半ばに見えるくらいの美人のイメージです。