Episode 2 実家に帰らせていただきます
「お世話になりました」
「行かないでくれ!!まっ、待ってく」
「マイル!!お前は黙って家の中に入ってろ!」
「父上!そんな、」
すみ渡るような青空の下、セレスティアは嫁いだ先のエアルド侯爵家から今まさに出ていこうとしていた。あの事件から数時間後、正式に離婚届が受理されたセレスティアは実家に出戻ることになったのだ。
離婚した筈の元夫は出ていこうとするセレスティアを止めようとしていたが、朝方に駆けつけた父であるエアルド侯爵に捕まり家の中に放り込まれていた。怒りを隠そうともしない侯爵に震えながらも抵抗しようとするマイルにセレスティアは心の底から呆れた。呆れを通り越して軽蔑する。
あんなことをしでかしておいてよく「行かないで!」などと言えたものだ。
無様に騒ぎ立てるマイルを家の中に放り込んだ侯爵は直ぐ様セレスティアの元に駆け寄ってきた。その顔に浮かぶのは先程の怒りではなく心配そうな
表情だ。セレスティアに近付いてきたと思った瞬間、侯爵は勢いよく頭を下げ謝罪の言葉を発した。
「私が不甲斐ないばかりに済まなかった!セレスティア嬢の未来をこんな馬鹿に任せようとしたばかりに、」
「もう、過ぎたことです。それに侯爵様が悪いわけではありませんわ」
「きちんとあの馬鹿には自分のしでかした罪を償わせる!だが、悪いのはやはり私」
「いいのです!もう、謝らないで」
「セレスティア嬢・・・」
「それに、もう遅いですわ。これから私はきっと社交界の笑われものになるもの」
(侯爵様に当たってもしょうがないけど・・・)
マイルがしでかしたことは謝るだけで済む話ではない。
マイルがしでかしたことのせいでセレスティアは夫を捕まえておけない不甲斐ない妻になってしまった。夫を寝取られたという事実はどう足掻いても変えようのないもの。社交界でセレスティアはそんな夫人たちを見てきた、不甲斐ない妻と笑われる姿を。今のセレスティアもそれと何も変わらない現状である。今さら社交界になんて戻れる訳がない。セレスティアの未来はお先真っ暗だ。
「これからは隠居生活でもしようかと考えています。生憎、私には魔法の才があるのでそれを生かして・・・」
「い、隠居生活!?」
「はい。何かおかしいでしょうか?」
「あ、いや、そのだな」
不思議そうな顔をするセレスティアに侯爵は思わず口ごもった。泣きもせずに堂々と前を向くセレスティアの姿は見とれるほど美しい。だが、問題はそこではなく隠居生活をすると言ったことである。
セレスティアは誰もが見とれるほどの美しさと、それに見合う教養を持っている上にそれを傲ったりもしない。つまり、貰い手なんて山ほどいるような完璧美少女である。だが、当の本人はそうとは思わずに隠居生活するしかないと考えていた。
「気にしないでください、侯爵様」
「ちょっと待ってくれないか?それはかんちが」
「そろそろ帰りますわ」
「そもそも隠居生活なんてできな」
「いいえ、ちゃんと隠居するので大丈夫ですわ!」
「あぁ、そうだな・・・・できないと思うが」
「任せてください!」
問答無用で侯爵との話を終わらせたセレスティアは元気よく馬車に乗り込んだ。セレスティアについていくと言った使用人もすでに他の馬車に乗り込んでいた。セレスティアが乗る馬車にはリナリーも一緒だ。
「では、お世話になりました侯爵様。さようなら!」
「元気でな」
「はい!楽しい隠居生活送りますね!」
「・・・・・楽しい隠居生活なんてあるのか?」
馬車に乗り込んだセレスティアは窓から最後の別れを侯爵に告げた。セレスティアを乗せた馬車はその言葉を合図に走り出した。どんどん遠ざかっていく馬車から元気よく手を振るセレスティアに侯爵は複雑な顔をしていた。
「隠居生活なんて“あの方”がさせてくれないと思うがな・・・」
不穏に呟いた侯爵の言葉はセレスティアに届くことはなかった。
ガタガタと揺られながらセレスティアの乗る馬車はユーデェナ伯爵家を目指していた。退屈そうに窓際に頬杖をついている主の姿にリナリーは心配そうに声をかけた。
「大丈夫ですか?セレスティアお嬢様」
「えぇ、平気よ」
「長旅ですもの、疲れて当然ですわ」
「ありがとう、リナリー。貴方がいつも側にいてくれるから安心できるわ」
リナリーはセレスティアが十歳の頃に専属としてついた待女であり、結婚する際にも共についてきてくれた女性だった。リナリーはセレスティアよりも十歳上で頼もしいお姉さんと言う感じだ。リナリーが側にいてくれたお陰でセレスティアは結婚してからの一年間を耐えていけたのだ。
「やっと、解放されましたね!」
「そうね。これで自由の身になったわ」
「はい」
泣きそうな顔で笑うリナリーにつられてセレスティアも涙目になった。耐えることしかなかった結婚生活から解放されて気ままな隠居生活ができるのだ。泣きそうになりながらも嬉しそうに顔を綻ばせたセレスティアにリナリーも満面の笑みを返す。
幸せそうに笑い会う二人の耳に突然、馬車を走らせていた御者の叫び声が入ってきた。驚いて窓から外を覗いたセレスティアも目に入ってきた景色に同じように叫ぶ。
「え、えぇ!?り、リナリー!」
「どうしました!?お嬢様!」
「ほ、本当にこの道で合ってるのよね?」
「もちろんですわ、もうすぐ伯爵邸につきま・・・・すって、えぇ!?」
不安そうなセレスティアの言葉に頷きながらリナリーも馬車から外を覗いた。そして、まったく同じリアクションで叫んだ。
二人が見たのはもうすぐつく筈の伯爵家の前にいる馬車の渋滞だった。
「な、なんでこんな事になってるの?!」
「わかりませんが、何かあったとしても私がお嬢様をお守り致します!」
「えぇ、でも・・・あそこにいるのは」
あきらかに高貴な馬車が数多くいる中でも存在感を放つ馬車、この国の王家の馬車を見つけたセレスティアはその横に立つ男に目を引かれた。遠くからでもわかる紫銀の長い、まとめられた髪。こちらを見つめる藍色の双眸、すらりとした鼻梁に薄い唇は見るものを圧倒するような美貌を醸し出している。恐ろしいほどに整った顔はかすかに笑っているのがわかった。
「取りあえず、このまま行っていいわ」
伯爵家に近付くセレスティアが乗る馬車に歓声が上がった。あれだけ渋滞していたのにセレスティアの乗る馬車がきた途端、大勢の馬車は道を一斉に開けた。無事に伯爵家の前についた馬車からセレスティアは覚悟を決めて降りた。
「セレスティア、久しぶりだね」
「・・・な、何故、殿下がここに?」
「セレスティアに会いたくなってね、と言うか敬称なんてやめてくれよ」
「フィル・・・」
降りたセレスティアに声をかけてきた先程の男、セフィルードは美しいかんばせに笑みを浮かべた。セフィルード、ヴァニダス王国の王太子でありセレスティアの従兄弟である男だ。
(どういうことなの?)
かつての幼なじみの登場にセレスティアは大いに困惑していた。