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3.退(ひ)けない理由

 立て続けにいかされて、時間が時間ゆえに、保志はうっかり眠っていたらしい。覚醒の自覚で、己がどうやら深く眠っていたことに気付く。どれだけの時間をロスしたのか、慌てて相変わらずTODOリストを表示しているメインモニターの右上角に示された時間を見る。


 01:27 GMT(グリニッジ標準時)

 09:27 JST(日本標準時)


 とすると、不覚にも眠ってしまっていたのは二十分強ぐらいということか。とりあえず、ホッと一息ついて辺りを見回す。


 国際総合司法庁オルマの本部は、公正の原則を貫くために、国連の主要機関が本部を置く独立したスペースコロニーに所在する。コロニーの名前は、特別に捻らずに、公用六か国語のうち、一番強い米語で、The United Nations Colonyと名付けられている。ただ、国連公用語でない日本語を母語にする者にとって困ったことに、略称が些か発音に忌避感を禁じ得ないモノなのだ。日本人として残念だと保志は常々思っている。正確にはアンコに近い発音なのだが、そう、まさにそのものズバリ、UNCoうんこである。


――UNCoの保志です――


 言うたびに、どこかにざっくり引っかかる。保志の仕事場であり、生活の場である可動式派出所兼官舎は、その親玉であるUNCoと同じく、一応GMT(グリニッジ標準時)で運営されている。幾ら真夜中で執務時間外――プライベートタイム――だったとはいえ、仕事部屋で一戦やらかしたバツの悪さに、保志は剥き出しのままの尻を掻いた。


「ろくちゃん、お目覚め?」

 聞き慣れた軽い声質がモニター付属のスピーカーから聞こえて、保志の気分はげっそりとなる。

「阿呆、そっからセレの声を出すな」

「美耶子は帰ったのか?」

「いんや、美耶子さんは退職祝いに、ろくちゃんの好きなもの何か作るってキッチンだよ。もう、やさしくしてって言ったのに、ベットぐらい使ってよ……。結構、美耶子さん痛かったと思うよ」


 たしかに執務室の床は硬い。だけど……。保志は断言したい。乱暴されたのは自分の方だ。あのむちゃくちゃなテクニックは何だというのだ。奥様御用達のいけない雑誌で仕入れた知識を、自分の快楽のために試してみることに全く躊躇ためらいがない美耶子は、たまにとんでもないことをしたがるから油断ならないのだ。もう若くないんだから、アクロバット要素を取り入れるのはいかがなものかと、それだけは切に訴えたい。


「馬鹿いえ、俺に抵抗なんてできたと思うのかよ」

 いやそうに保志が呟くと、セレの声が「きゃはは」というように陽気に笑った。

「いつも言ってるだろ。壁から場合は4444よんしモードで一つ頼みたいんだけどな。とにかく、顔がないときにセレモードはやめてくれ」

 言ったとたんにTODOリストがかき消えて、見慣れたあの顔が大写しになった。


「顔がついてりゃいいってもんじゃねぇ」

「文脈を文字通り解釈すれば、顔があればいいってもんだと思うのよ。ろくちゃんがどうする了見でいるのか分かるまで、オイラは長年連れ添った相棒として、箱野郎の4444はほっといて、直接アンタと話したいわけよ。分っかるかなあ」

 AIというものは、普通は仕えているご主人様が、違法なことをしない限り、オール・イエスでいいものだと思う。けれど、こういうところで頑固に存在を主張するから、セレは変わっていると判断せざるを得ないのだ。そう保志はつくづく思う。自我が強すぎるというのはパートナーとしてなら、そう悪くもないのだろうけど……。一応部下というか、道具なはずなので、何というか……。


「長年連れ添ったってそういう年かよ。そういや、何年になる……っけ?」

「オイラとの付き合いは多分五年くらいじゃないかな。4444時代を考慮に入れれば、ちょうど十五年だよ。耄碌しないでよ、もう」

 保志はちょっと天井に目をやって考える。そういえばセレが必要以上に個性的になったのは、官舎のホストである本筋ホンスジからはみ出して、普段使われることが少なかったシンクロナイザー受信器をアバタロイドとして使い始めてからだ。

 経験すること、それが自分への反応として返って来る。交流した人たちからセレとして扱いをうける。それっぽっちのことで、あんなにも劇的に変わるのかと思うと、不思議な気もする。


 ともあれ、セレがあの身体の形を取るようになったころから、五年も経つのかと思うべきなのか、まだ五年にしかならないのかと不思議に思うべきなのか、しばし保志は考えた。すでに彼の中ではセレはセレでしかなく、官舎のホストの4444と同じと言われてもどこか座りが悪い。セレが自分の本体そのものを「箱野郎」と呼んでも違和感を感じないレベルになってしまっている。


「あのさぁ、オイラは機械だからいいけど、乙女だったら絶対にその格好、直視できないね。猥褻物ワイセツブツはしまったら?」

 画面の中のセレの目が、いやそうに保志の下半身に向けられている。視線までコミュニケーションの道具にできるとは、今更ながらあなどれないAIやつだ。保志はとりあえず服装を整えることにする。

 下着捜索隊員保志は、さしたる障害にも遭わず目的物を発見したので、さっさとブツを回収完了し、身繕いを始めた。その保志に向かって、画面の中にいるセレがよしよしというように頷いていた。別にパンツを穿いたぐらいで褒めてもらいたくなんかない。

 どうにも、4444の擬似人格というより、遠隔地にいる誰かとビデオチャットをしているような、そういう手応えがある。


「十五年のうちの五年って、丁度三分の一だね。ろくちゃん」

 三分の一という言葉に、保志の眉間が引きつった。

「……セレ君……。ちょっとの間、三分の一という言葉を言わないでくれるかい?」

 気難しげに宣言した保志をからかうように、セレは、指令と同等に扱われるべきはずの意思決定上位者である保志の命令を、さらりと無視して続けた。


「だって、オイラはろくちゃんのこと愛しちゃってるっていつも言ってるでしょ。美耶子さんにはぶん殴られそうだけど、オイラはろくちゃんが給料三分の一でねばってくれることを祈ってるのよ。オイラAIだから、どの方角の神様にお祈りしたら効果があるのか、今一つ自信ないんだけどさ」


 セレを無視して執務室を出て行こうとする保志を認識して、自身の存在をアピールするつもりなのか、またしてもスピーカーから、音量も曲調も、どこかほんのりやさしいピアノのメロディーにアレンジして、お誕生日の歌が流れ始めた。


――ふん。勝手にやっておけ。


 保志は思う。単調な繰り返しに飽きないのは、AIらしいと評するべきなのだろか。それとも、実働年齢、五歳児並みの単純さなのだろうか。




 官舎の廊下にも、あらゆるところに4444が監視の目を光らせているし、適度な間隔を維持してスピーカーも壁面に埋設する形で置かれている。美耶子がいるとかいうキッチンへ向いながら、優しいメロディーにしばし保志は浸される。


 三分の一。そう、全く忌ま忌ましいのは、三分の一特例だ。あんなものがあるから、やり残しを作ってしまった人間は、深く深く悩むのだ。まったく、選択の余地もなく現役から蹴りだしてもらえれば、多分それでよかったのだ。


――第一、特殊技能が要るような仕事じゃないよな。


 保志はつくづくと思う。要るのはちょっとした忍耐力と、法の正義が正義のスタンダードで構わないと信じられる単純さと、それからフットワークの軽さ。それだけだ。


 保志がやってる仕事などは、だれかがやればいいことで、それが保志でなければならない理由などは、クリエイティブ系でないすべての仕事に共通するように、ないのだ。


 なのに、なぜか技術の継続および従事者の育成に特別な配慮がいる専門職に指定され、つまりは、いわゆる「三分の一特例」に該当する職業ということになっているのだ。

 本来、三分の一特例対象業種は、そのまま保護されなければ後継者が育つことがなく絶滅していくだろう技術を保全する目的で作られた。漆職人とか、柳行李やなぎこおり職人とか、桐箪笥職人とか、現代の必要からは既になくてもいいものでありながら、一度廃れると二度と復活できないだろう職人技を人類の無形遺産として保護していくために作られた。

 基本、三分の一リストに載っている業種の従事者は、全額国庫負担による安定収入が保障されている。ただし国庫負担を無限増大させるわけにはいかないから、一般の定年よりは相当早めに、業種ごとの基本定年が定められている。もちろん定収入がなくても、生産物を売ることは当然できるから、普通のモノ作り関係の第一種リストに載っている手に職があれば定年なんぞは怖くない。


 大体がそういう手仕事関係の職人さんは、闇雲に従事者を増やしたところで、厳然として適正という壁がある。後継者育成が困難な理由には、とにかくその道に入ってみなければ適不適が判断できないことと、その道に入ってはみたものの、決定的に素質がなかった場合に軌道修正が難しいというところにある。始めてしまったらドロップアウトしたくても、なかなか難しいのが現実だ。

 それで、その両者の妥協点を探ってできたのがこの制度なのだ。他に職業を持ったままで――もちろんどっぷりつっこまるのが、一番歓迎されるのだが――全労働時間のうち、最低三分の一以上を職業訓練に充て、ある程度の期間(最低五年)を職業訓練に従事することができる制度だ。もちろん、やってみたものの即バックという場合は、違約金を払えば三分の一プログラムから逃亡することも可能だ。

 端的に言えば、国家主導型、超長期徒弟制度というわけだ。


 しかし問題は、その財源である。どこの天才が考えたのか、財源はとんでもない方法で確保された。技術を授ける方の現役労働者が、定年退職時に支給されているそこそこの年収を三分割し、後継候補二名にも三分の一ずつ支給するというものだ。

 国は新しく職業訓練を受けようとする者に、現年収の三分の一か、退職者の年収の三分の一のうち、どちらか多い方の収入が保障される。

 国は制度の維持のための人件費と、僅かな差額の負担のみで、文化遺産級技術の消滅を防ぐことができ、技術者にとっては持てる技を伝える相手が確保でき、挑戦者にとっては現職での収入を落すことなく、時間を大幅に犠牲にすることもなく、人生を元のレールに戻せるという保険をかけた状態で、一風変わった絶滅危惧職業に携わってみることができる。

 企業は、この三分の一特例に基づく職業訓練に従事している者が、法定労働時間の三分の一までの労働力減少を理由に解雇することは、出産・育児休暇の取得を理由に解雇した場合に課せられるのと同等の罰金を、国と雇用者に対して支払うよう義務づけられている。

 さて、この現代版三方一両損もどきの制度は、みんながみんな、少しの不具合を義務として引き受けるという、負担の分散という考えが微妙に世論に受けて、非常にうまく機能した。

 自然特殊技能に限定されていたものが、特別に特殊でなくても、放っておいては従事者に事欠くような職種へと適用範囲が広がっていった。


 内戦後の荒廃した国土に付き物の地雷処理技術者とか、内乱国の政情安定のための治安維持に携わる者、有毒廃棄物処理技術者、宇宙空間建造物における有機廃棄物処理技術者などなど、などなど。

 それがいわゆる、三分の一特例、第二種リスト業種だ。


 けれど、危険、退屈、大変が当たり前の、万年従事者不足の第二種リスト業種においては、決定的な問題があった。

 つまり、成果物をオークションで売れるようなモノ作り関係者とは違って、その種の仕事の現行従事者にとっては、三分の一に減額された薄給が、雀の涙の年金に加算されるだけという、非常に情けない状態になるということだ。


 しかし、何でもそうなのかもしれないけれど、ある仕事に長々携わっていると、愛着というものが普通に湧くのか、第一種リストの連中とは違って、第二種の場合、三分の一特例の適用を拒否して引退していくものが多い中、自分のノウハウを手弁当に等しくても伝えたいという人間が、どんな業種であっても必ず何年かに一人はいるらしい。


 さて、そしていよいよ第三種リストの登場になる。国は、三分の一の成功に気をよくして、自らの中にも三分の一特例を敷衍させたのだ。いわゆる公職と呼ばれる職業の中にもニッチに位置するような、余り人数が必要でないわりに、特殊なノウハウが必要であり、かつ、その従事者育成にある程度の期間が必要とされる職種について、そのやり方を踏襲したのだ。


 バッパー保志の職業の正式名称は、人口密度稀少域特例総合司法官である。しつこく整理すれば総合というのは、本来であれば分業されるべき司法の仕事を、人口密度稀少域フロンティアにおいてのみ、民事に至ってはくまなくこなす何でも司法屋だ。

 警察がすべき犯罪があったと目される場合の捜査・逮捕。そして、裁判というシステムが担当すべき、立件から裁判、量刑確定までをこなし、最後には刑務官が行うべき刑執行まで(刑事事件は、さすがに建前上は例外されている)までをこなさなければならない。

 日本管区の人口密度稀少域自体がそもそも少ない。それからついでに、人間が少なければ犯罪の発生も少ない。そして犯罪が起きたところでそもそもの目撃者に足るものも少ないために、告発者も少ない。

 殺人事件がおきたところで、だれかが訴えなければ、まあそういうことが起こったこと自体が超特急で藪の中に入ってしまう。よって立証も極端に困難。現行犯逮捕でなければ、犯人逮捕は非常に難しい。だだっぴろい管区の所為で、訴えがあったところで、シンクロライド(シンクロイドに乗ること)したり、アバコン(アバタロイドを操縦すること)したりして、最速直行しても、ほぼ犯罪現場に到着したときには、後の祭りが基本という、ストレスフルな立ち位置だ。


 当然、職種特性上、司法の専門家であることが要求されるから、第一種か二種の司法試験合格者であることが最低条件なのだが、普通、この資格所持者は文系に分類される人間が多いのだ。けれど犯罪者とガチ対決があることも想定される以上、銃火器に対応できる程度の戦闘能力は要求される。ついでに、シンクロライド中に知死レベルのダメージをくらっても、(痛みの感知レベルは死亡と同等だから)精神的に「あー、今日もよく死んだなぁ」程度の暴言を吐ける程度にタフであることが望まれる。


 この暇な激務を、三分の一の薄給プラス雀の年金程度でこなせというのは、やはり、親方日の丸にしても、如何せん阿漕あこぎに過ぎると保志などは思うのだけれど、読者諸兄におかれましてはいかがなものだろうか。


 とにかく、報われることが碌にないこんな仕事でも、それをやろうと思った自分が過去のどこかにいて、そして、命令系統の上位に、保志ならばできると判断してくれた誰かがいて、毎日のように目の前にやってくる対応しなければならないことに駆けずり回っていたら、あら不思議、十五年もたっていました……と、そういうことだ。


 ただこれだけは言える。仕事に取り組んでいる中で、具体的に誰かを助けることができた。だれかの命をうばったことがあった。誰かの人生を剥奪する決定をくだしたことがあった。そして、必ずいつも誰かの役に立っていたとは断言できないけれど、誰かのためになったことが一回や二回ではなく確かにあった。


 そういうバッパーという仕事が、自分にとって多分、楽しかったのだ。


 仕事にやりがいを感じることができて、老化による劣化というものを自分のこととして、静かに受け入れていく季節に自分は静かにいかなければならないのだ。多分それは間違いない。


 大変で楽しかった。やり甲斐が確かに有って、そして間違いなく充実していた。この仕事は、三分の一の薄給でペイするようなものじゃない。

 保志は自分が三分の一特例の適用を受る前にしていた最初の職歴である裁判官という職業に、四十五歳の誕生日が来たら、一直線に戻るつもりでいた。家族からも離れて超遠距離単身赴任も潮時だろう。ちょっと世間相場より早いけれど、退職金をがっぽり手に、正規の退官をしてしまってもいいと思っていた。人間がいっぱいいる場所に帰るのも悪くない。うん、確かに、ずっとそう思っていた。


 なのに……。


「大体さ、ジョリー・ロジャーの野郎を、のうのうとのさばらせたまんまでさぁ、ろくちゃんが引退するって言うとは思えないんだよなぁ……」


――それだっ。全部、あれが悪いっ。あの……髑髏野郎……。


 ジョリー・ロジャーという言葉が、執務室を出て廊下を歩く保志の脳天目掛けて降って来る。保志は視線に最大級の力を込めて、ぎりりとばかりに虚空をめつけた。


 ジョリー・ロジャーという言葉を知らない人間だって、アレは知ってる。現物ゲンブツを見せて、これがそうだと言えば、殆どの人間は「ああそうなんだ」と納得もするだろうが、八割がたの人間は、1週間後にジョリー・ロジャーと言ったところで、それがアレのことだというのをすぱっと思い出したりはしないだろうというぐらい、こと日本語圏において、名称の知名度と実物の知名度が乖離しているマークだ。


 ジョリー・ロジャーを日本語で一番分かりやすく表現するなら、「海賊旗かいぞくき」か「毒薬マーク」というところだろうか。あるいはもっと端的に髑髏と骨スカルプ・アンド・ボーンズといえばいいか。


 もっとも、義賊だか愉快犯だか知らないが、保志の管区を跋扈ばっこしつつ、ジョリー・ロジャーを名告なのる者(組織?)は、犯罪者の癖にきっぱりした姿勢を崩すことがない。悪いことをしている自覚のある全うな犯罪者じゃなく、選んだ仕事がたまたま犯罪とされるものだったんだもん、的な清々しさまで持ってる連中なのだ。

 保志の受け持ち管区に、人が入植してくる大きな理由の一つが、希土類元素レアアース類の豊かな鉱床である。その採掘によって生まれる巨利は遠距離輸送の手間をかけてなお釣りが来る。

 レアアースは、混合希土ミッシュメタル状態であっても、高価なことに一向に変わりはない。やはり現代においても変わらぬ人口密集域である地球からの距離のせいで当然かかる輸送費用をさっ引いてまだ利が大きく残るのが、レアアースの採掘だ。


 需要が減らないことによって、それは変わらず高価であり続けている。


 保志の管区テリトリーに出没するジョリー・ロジャーなる者は、高速軽快艇でフットワーク軽く高額貨物専用の輸送船を狙い、根こそぎ奪うのではなく、積荷の中でも殊更に高額なものを抜いていく。

 輸送船強奪の海賊行為といえばカッコいいが、超遠距離輸送船は生体にはいろいろな意味で負担が大きいために基本的に無人であることを考えると、限りなく倉庫での『抜き荷』に近いセコさがある。


 つまりコソドロに限りなく近い生態系でいるくせに、採用しているシンボルマークは、頭蓋骨の下か背後にくるはずのバッテンが、交差した大腿骨という基本スタイルではなく、りを持った剣、カットラスを交差させたジョン・ラカム・スタイルというやつなのだ。そのつうを気取った選択チョイスも気にいらない。


 警察仕事も担わなければならないバッパーとして、一応保志は戦闘も可能な快速移動手段を持っている。それでも何度か警報に呼び出され、現場に駆けつけたものの、荷は抜かれた後という煮え湯を飲まされることがほとんどだった。ただ一度だけ保志は現状に滑り込みセーフで間に合ったことがある。

 セキュリティ警告が発動したということで通報を受けたとき、たまたまアレに乗って近場に出張っていたのだ。現場に急行し、何とかあれがまだ居る間に、うまく遭遇することができたのだ。保志が普段使う高速移動手段であるアレは、超遠距離輸送船に生物が乗り組んでいないのと同じような理由で生身で堪えられるようなものではない。当然、保志はシンクロライド中だった。


 あのジョリー・ロジャーを染め抜いた高速軽快艇に果敢にも挑んだとき、向こうは保志がシンクロイドだと知ってか、それとも普段抜き荷をしてる程度の平和的な犯罪者だろうとも、本来は殺人にさえ禁忌を持たない狂人なのか、思い切り知死レベルの攻撃を受けたのだった。当然シンクロイドボディはお釈迦になったし、そのせいで何十枚目になるか分からない始末書を書いたのは、ごく記憶に新しい。

 普通は、胸を撃ち抜いたり、腹を刺したり、頭を吹き飛ばされたりする程度だ。それならボディも修理で済んだ。その程度なら、胸を張るようなこっちゃないが、保志は慣れている。


 あのとき保志は、二度とは忘れられないほどに別嬪のアバタロイドに、四つ裂きにされたのだ。手足が、メリメリともバリバリともつかない、非常に耳障りな音を立てて、引き裂かれちぎれていく。あの感覚を思い出すと、今でも柄にもなく神経を病みそうになる、可愛いらしい自分に気付く。

 人口密度稀少域では人間誰しも「だれも見てないし」状態になるらしく、保志のところにまで持ち込まれる事件は、想定されている民事より殺人が圧倒的に多い。

 日本の刑事さんの世界では、地球が唯一の人類居住圏だったころから使われている伝統的用語群があり、その中に、死体のことを「お六」というものがある。保志が三分の一挑戦者トライヤーとして、日常生活の片手間にフロンティアまでシンクロライドしていたころ、教官であり、上司であり、ここの管区の前任者であった男が、「保志がきてから死体率が増えた」とか難癖をつけてきた。そしてつけられた渾名あだなが、お六製造メーカー、「ろくちゃん」なのだ。


 もちろん単身赴任が原則のバッパーには、軽口を叩き合うような同僚はいない。「ろくちゃん」なる差別感がたっぷり感じられる渾名は、前任者の退官と共に墓場に納められたと思っていた。だが、何を考えたかAIのくせにアバタロイドを操作するという趣味にはしったセレが、4444の古い記憶バンクの中にあった「ろくちゃん」という渾名を蔵から出してきたのだ。


――殺されたまんまで、抜き荷ネコババというにはでかすぎる金額を持ち逃げされたままで、引退なんかできるのか、俺は。


 保志は廊下で途方にくれる。


 傷つかなかった身体に傷痕は残らないが、どんだけ痛かったかという感情的な記憶は魂に焼きついている。あの驚くほどあかい唇をした、肉感的ナイスバディなアバタロイドのドライバーは、きっと男に違いない。アバカマなんかにこけにされたまま、俺はリングを降りるのか?


 美耶子がいるはずのキッチンまでの道程の途中で、見事保志は遭難した。一歩も足が進まない。温かい微笑みを持った、愛し(?)の奥さんが待ち構えているはずの――ここは腕を振るってくれたと言うべきだろうか――豪華退職記念ディナーのテーブルにつくことを、拒否すれば、嵐が起こるのは間違いない。平穏に今日を過ごすより、嵐に果敢に立ち向かう自分しか想像したくないのはなぜだろう。


 こんな仕事、薄給に唇をかみしめてまでやるこっちゃないと思いながらも、敗北の痛みを抱えたままで、ジョリー・ロジャーと対決する機会チャンスを永遠に放棄するのを、自分は本当に望んでいるのだろうか。もちろん、薄給に堪えてまで、あいつに果敢に挑む自分を想像するのも、それはそれで困難だったのだが……。



 三分の一の薄給。


 殺されたまんまの敗北感を背負っての引退。


 間違いなく美味しい美耶子の手料理。


 すべてが保志にとって不条理そのものだ。


「はっぴば~すでぃ でぃあ、ろくちゃ~ん」


 もちろんセレの歌は、不条理の筆頭に決まっていた。


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