表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/25

17.デビュー戦

 信じられないことに、宇宙空間に浮いていた。


 雪山の中、ふぶかれてしまうと、どこまでも続く白い世界の中にぽつねんと取り残される。自分まで、白く白くなって、景色に溶け込んでしまいそうなあの感覚。


 前も後ろも天も地も、全てが消え失せて、大気がない宇宙独特の点灯しっぱなしの星たちが、圧倒的な量で在った。そして自分がそれらを見ている以上は、自分もあるには違いないという事実、それも在った。

 だが、それしかなかった、というのが迫神の実感だった。自分という存在は、かくもちっぽけで頼りないものだったとは、そう思った。


 どちらが上でどちらが下なのか。自分が宇宙の中心なのか、それとも一つの星に過ぎないのか。人工大気に守られていない状態で、体感として間近かで輝く恒星を見やる。その眩しさに手で庇を造ろうとする。


 ――手。


 白く光る金属の、いかにもゴツゴツとした手。


 迫神は呆然とした。


 あの普段は静かに横たわっていることが多い、白がなぜかことさら印象が強い巨体コロッサス。物騒な武器を満載させているのに、威嚇としてすらそれを使うこともなく、保志総司官が移動に使っているそれ。

 この一年と数か月の間、少なくとも迫神のいるときに武力行使が目的で出動したことはない。


――今……飛閃なのか……?


 静けさはおそろしいほどだった。シンクロライドでも、聴覚はオリジナルの感覚にごく近く反映されるものだから、ここが真空にごく近い、宇宙空間の真っ只中であるゆえに、飛閃の動作音すらも伝わってきていないのだと分かる。もしくは、音を拾う必要性を認めていなから、ある音が無視されているのかもしれないが、それにしても、静かだった。

 準備不足ながらも、気持ちの上で闘いに来た迫神にとって、その静けさは居心地が悪いものだった。あたかも戦いの後の無情さを醸し出しているような種類の静けさ。


「手遅れ?」


 一人呟く。


 耳元でセレの声がした。

「大丈夫……まだ間に合う」


 少しだけ、安堵の吐息。それから声に出せば、セレと会話ができることに気付いた迫神は現状把握しようと取りあえず口を開いた。


「現状は? ここはどこ? どうしたらいい?」

「ろくちゃんはちょっと前に落ちちゃった。また、しばらく不機嫌だろうな」


と、高性能カメラがぐぐっと足元にあった星を拡大していく。テラフォームド・シティと違って宇宙に向かって剥き出しの鉱山施設は、高性能カメラを遮らない。どんどん拡大されたその先に、壊してバラバラに放り投げられたマネキンのような形状の、元は人型だったとおぼしき物体が映し出された。

 あれは保志だ。そう思ったとたんに、迫神は胸を駆け上がって来る吐き気と闘わなければならなかった。シンクロライド中の感覚は、味覚、嗅覚を除いて全て本体にダイレクトにフィードバックされる。

 どれほどの痛みを彼が味合わされたのか推し量ることもしたくないが、一気に裂かれて即死だったことを祈りたい。そうでなければ、地獄だ。


 武装して強化スーツを着込んだ、見るからに戦闘用のアバタロイドが――後藤が言っていた髑髏マークを船体に白々と浮き上がらせた――SSSサブ・スペースシップに、何か積荷のようなものを運び込んでいる。


「ここはイットルビア地区の名産、イットリウムの採掘施設で……」

 迫神が立て続けに投げた三つの質問に、順序よくセレは答えるつもりらしい。

「オイラたちは、ジョリー・ロジャーの船がSSN(亜空間航法)に入る前にトッ捕まえる」

 これで三つの疑問に対する答えは、全てそろった。迫神は少し微笑んでから、表情を引き締めた。あいあいからも、保志総司官からも指令もバックアップもなく、そんなものをトッ捕まえる手段が分からない。


「勝負になるのか? セレ」

 迫神が言うと、笑い声が聞こえた。

「マニ=ア=コロマと、ただのSSS(さんえす)が勝負になるとでも? オイラの飛閃は軍隊相手でもタメはれるのよ」

「マニアックなコロマ?」

「マニピュレイテッド・アームド・コロッサス。武装巨人型特殊車両って感じかな」

「つっこむ?」

「イットリウム鉱山の施設ぶっ壊したら、始末書じゃ済まないよ。三世代ローンの賠償金抱え込まないと」

「子供もいないのに、三世代ローンが組めるわけないだろう? そうなったら自己破産してやるからいい。じゃ、タイミングは離陸してから、加速しきる前になる?」

 迫神が言う。

「それでいいと思う。でもさ、半六ちゃんは、子供の前に奥さん見繕わないと」

「面白みがない男だからなぁ……もてない」

「もてる必要なんかないじゃん。結婚なんて、たった一人、まあ、いいかって言ってくれる人がいればいいんだから」

「その一人がいないの」


「あいあいは?」

 迫神がつまる。たかがAIにこの複雑な心境が分かってたまるか。相手にされないと分かってる。けれど、それでも学生ならば受け入れられようと、拒否されようと、素直に思いを伝えることにためらわないでいい。あとは野となれ山となれだ。

 けれど、とにもかくにも、あいあいは仕事仲間なのだ。気まずく、やりにくくなるぐらいなら、このままでいい。玉砕するなら、三分の一の期限きっかり最後でいい。それも、東京で直接玉砕してやる。お前の監視下でなんか、やってやるもんか。


「仕事中だろ。余計なこと言うな」

「ズルいよ。生き物のなんだから、気持ちいいこと……ちゃんとすればいいじゃん」

「……セレ。人間は、自分だけ気持ち良くてもいいって話じゃないんだ」


 セレは黙らなかった。

「だって機械と生き物の差って、そこじゃん。あんたたちは、気持ちいいって感じる能力がある。特別に何も磨かなくても、ごはん食べれば気持ちいいし、うとうと寝てても気持ちいいし、トイレで排泄行為したって、ずーっと気持ちいいって顔してるじゃん。生き物の特権だよ、それって。オイラたちはどうやったって、分からない。どれだけデータを積み上げても、想像もつかない……ズルいよ……」


「セレ……。人間はただの生き物よりも、もうちょっと複雑なんだ。気持ちいいって感じる力が生き物独自の能力だとしても、自分だけがよくても……ま、それはそれでいいって考えるやつもいるんだけど……でも、それじゃ半分しか埋まらないんだ」


 迫神は不思議な気分だった。なんで、機械の身体になった状態で、気持ちいいという感覚がどうやっても分からないのは不公平だと嘆く機械(AI)相手に恋愛談義を繰り広げなきゃならないんだ?

 気持ちいいことを積極的にしていいというのが、万が一、生き物の権利だとしても、弱いものを蹂躙して刹那の快感にはしるものの見苦しさを、かなりの割合で垣間見させられている者にしてみれば、その権利には制限が伴うのだと思わないわけにはいかない。

 本能に任せて自分を穿ち込んで、自分だけが快楽に酔いしれて、された人間が生涯癒えぬ傷をそれで負うとしたら、そんなものクソクラエだ。

 どちらにせよ、あいあい相手では、自分如きが暴力で蹂躙することが果たして可能なのかどうかは――別としてだ。


「……そんなん、言い訳だよ」

 セレが呟いたとき、SSSサブ・スペースシップのハッチが閉じられた。


「セレ……。行くぞ……とにかく、あいつらをぶちかませばいいのか? 飛閃の装備一覧、表示できるか?」

 刹那、目の前の仮想モニターに、使用可能な武器らしいものものしい名前が、ずらずらと並んだ。自分のことはどうにかしつつあるものの、飛閃こいつの装備の知識は、一般人のままお粗末な迫神は決めあぐねて、ただの記号の羅列としてのそれを見つめる。

「どれ……使っていいんだか……。オススメは?」


「半六ちゃん。オイラ……思うんだけどさ」

「何?」

「お得意のカラテキックでいいじゃん。SSS筐体ぶっ壊しても、人間的に死ぬ人は乗ってないんだから、穴あいてもいいし。ま、できれば推進装置蹴り飛ばしてくれるのが一番なんだけど」

飛閃これで、カラテキック?」

「モーキャプだったら、できるでしょ? 普段どおり、動くだけでいいんだから。飛閃の筐体硬度と比較したらSSSなんて薄い板同然だから」

「できるとは思うけど……、何で推進装置……?」

「SSSこなごなにしちゃったら、イットリウム四散しちゃうよ。回収はできるだろうけど、動けなくしてくれるだけで済めば、アバタロイドと盗まれつつあるイットリウム、両方とも無傷で確保できるじゃない。アバタロイドの通信履歴が取れれば、前んときみたいにアジトの割り出しできるかも、だし」

 たしかに、アバタロイドを無傷で確保できれば、可能性として犯人を探知できるかもしれない。それと、高価なイットリウムをロスしないで済むのも大きい。でも、そんなもん狙って蹴れるのか?

「足場がないのに?」

「そっちにはあるじゃない足場。そこ、ゲーム屋さんの、モーキャプ・ブースなんだから。体感カメラモードやめて、データカメラモードにして」


「モード切り換えってどこでやるんだ?」

「音声指示でいけると思う」

 セレの言葉が終わる前に迫神は叫んだ。

「カメラモード切り換え」


 と、目の前にピコンと「体感」「アラウンド」「3D」という文字が三種類浮かんだ。体感だけ、色が薄くグレーだ。「文字が出てきた。今のこれが体感なら、アラウンドと3Dって?」

「アラウンドは、ろくちゃんの執務室の三面モニターの豪華版。側方三百六十度と、天蓋がモニターになる。だから、モニターを見る感じになる。3Dは目の前に立体映像がでて、そこにオイラが映るはず。観察者の視点になれる。選択は視線で選んで瞬き2回でマウスのダブルクリックと一緒。でも、ゲーム屋さんのだから、音声でも選択できると思う」

 迫神は少し考えた。カラテ技をかますなら、宇宙空間で上下左右が分からないのはどうにも勝手が掴めない。それに、神の視点で操作するのは、ゲーマーじゃない自分には、多分無理だ。

「3D」

 迫神がそう言葉にすると、次の瞬間に、聴力が一気に戻ってきた。ブースの中には、普段、音としては認識していない音があった。機械がうなる音、自分の鼓動や呼吸。絶望的なまでの孤独感から解放され、迫神は背中の緊張が即座に和らいだのを実感した。そして床に立っていた。これが安心感の、多分、一番の根拠。


「セレ……。お前への指示も、今みたいにアバウトで大丈夫か?」

「もちろん、なんとでもスリ合わせするよ」

「分かった、SSS目掛けて移動。ポイントはこの辺」

 なんとなく視線を合せて瞬きしてみるとそこがぽっと赤く光る。

「半六ちゃん、すごい感覚いいね。オイラも丁度そのへんでうまくキャッチできると思ってた。車幅の調整は任せて」

「飛閃って車両なのか?」

「統計分類だとそう」

 目の前でジョリー・ロジャーの軌跡と、飛閃の軌跡がだんだん近寄る。迫神が焦点を合せた箇所辺りで大体交差しそうだ。

 でも、こいつでカラテ技をかけるのは難しい。


 そのとき、迫神の頭に、あいあいと訓練でやっていたとき、セレが表示させるターゲット・ホログラムが甦った。


「セレ、ここの俺を飛閃と仮定させて、SSSの位置を射撃訓練のとき出してくれるホログラムみたいな形で、狙う場所表示できるか?」

「……そのくらい、お易い御用だけど」

「じゃあ、そうしてくれ。あ、それから、俺の位置はSSSからみた定点にしてみてくれ。立ってるこっちの目の前を、やつが通りすぎてく……そういうイメージで」

 ふいに、目の前が暗くなった。周囲の星たちが光の線になって通りすぎていく。迫神は静かに、すべての世界の中央に立っていた。

 星々が自分を中心に回り、そして、その中を一つの機影がぐんぐんと迫って来る。静かに立って集中する。あれを蹴り落とす。チャンスは一度。

 少しだけ、腹に息を落とした。腰から足裏を通って、自分の重みが足裏に抜けていく状態が、自分の体ゆえに普通に再現できた。その感覚が、集中しようとしていた意思を滑り落とした。そして、できるという確信が残って居た。


 迫り来る光。


 ふいと息をとめて、迫神はその点の進行方向を遮る形になるように身体を使った。当たる直前に爆発するイメージ。当たる瞬間はむしろ力を逃す感覚。いつもの、あれ。正確無比のひと蹴り。彼はそれを、その光の弾目掛けて繰り出した。


 もちろん、体には何のフィードバックもない。体感モードでないのだから仕方ないが、型の演武のように、その爆発点に、衝撃が起こるはずの打点には、イメージのみしかなかった。何も感じない。けれど、確信はあった。


 ――合ったはず


 そう思った瞬間に、セレの叫ぶような声が、耳の間近かで爆発するかのように響いた。


「やったぁ。すごい!」


 これで空振りしたら、めちゃくちゃ間抜けだったよなァ。と、迫神はことが済んでから、背中に冷や汗が伝うのが分かった。セレは自分が空振りしたら、そのときはバズーカでもぶっ放して、撃墜するんだったのかななどと、もうするはずのない失敗に迫神がうじうじしそうになる前で、全ての音が、もう一段階ボリュームアップして甦ってきた。


 モーキャプ・ブースは並んでいる。隣の賑やかなBGMが、うすい壁を通して洩れて聞こえて来るのだ。ドシャン、ガシャンという効果音も伴っている。いま自分がしたことは、現実なのか、それとも妄想なのか。


 とにかく、目の前でモニターには相変わらず宇宙が作りもののように示され、運動エネルギーを完全に阻止された、たよりなく浮かんでいる玉だったものが、ゆっくりとSSSの形に戻りつつあった。

 見るところ、飛閃の胴ぐらいの大きさのようだ。この大きさのものを蹴り損なったら、それはそれで恥ずかしかったか、と、考えた。しかし、あの頼りない圧倒的な無力感を味わわされた宇宙空間で、ちっぽけなモノ同士がぶつかる確率の低さを冷静に考え、当たったことのラッキーさに足がすくんだ。

 迫神はチープなゲームセンターのブースで、自分が何をしたのかを捉えきれずにへたり込んだ。しばらく立ちたくない。


「SSSを近くの宮崎保安官事務所に強制連行してみる。直接オマルにつないで、実行犯をたどれるかどうかやってみてもらうよ。シンクロイド・ボディとの通信は切られてるだろうけど、履歴消去まではできてないと思う。ろくちゃんはあいあいみたいに、死になれてないから、多分棺桶で悶絶してると思う。オイラろくちゃんひっぱりだして、医療ベッドで寝かしてから、ふらふらしないで、ちゃんと棺桶入っておくから、三分の一より超過勤務で申し訳ないんだけど、あとで来てくれる?」


「うん、分かった……。情けないけど、……ちょっとエキサイトしたのの揺り戻しで力入んない。少しだけ休んでから……行く。ホント……情けない」


 飛閃のような反則的に強いモノをアバターにして、仮想空間で光の玉ぶん殴っただけだ。なのに力尽きた……。

 つい、自虐的な笑いが洩れる。こんな緊張感は自分には向かないと、つくづく迫神は思った。あいあいは……こんな、一か八か、タイトロープを渡るような緊張感を強制される現場で、凶悪な武器を持っている犯人を生きて逮捕して、ちゃんと裁判という正義の場に引きずり出すために、行動不能にさせるまで五秒もかかるヘボい武器を持たされて、そこがレコンのポジションだからと、平気で死にに出掛けていく。

 正義のために闘う。同じ大義名分を共有しながら、なんという違いだろう。自分のような裁判官というものが不要だとは決して思わない。直接、報復に報復を塗り重ねていく愚を、近代化は拒絶した。それは賢い大人の選択だと信じる。


 けれど、悪意を持って武力で来る人間に対して、なんと人は無力なのだろう。そして、無力が蹂躙されることに断固として異を唱えれば、暴力という同じ言語で圧倒するという汚れ役が、平和のためにある。


「ここ、ネットに繋がる? あいあいのところがどうなってるか知りたい」

「うん……ニュース画面にしとく。そこ、半六ちゃんが出るまで、オマルで押さえとくから。デビュー戦……勝利お疲れ……」


 セレは不思議な存在だと思う。人間になりたいのだろうか。


「人間に……なりたいのか?」

「違うよ……。知りたいんだ。どうして、あんなに優しい存在にも、強い存在にも……。愚かで、醜い存在になれるのかを……オイラ……知りたいんだ。ねぇ、半六ちゃん、あなたには分かる? どうして、同じ人が夜叉にも菩薩にもなれるのか……」


 セレの言葉が、胸にささる。


 立て籠もり事件の現場の、緊迫感が続く中継の画面が迫神を取り巻いた。武装して、闘っている男たちの中に混じって、亜衣里がいるのだろう。けれど、装備のせいで誰が誰だか区別が付かない。

 無力な子供たちを盾にして、残虐な行いを恥もせず、正義だの主義主張だのとゴタクを並べて、無意味に命を奪う連中がいる。

 己の命や安全を差し出して、盾になろうとする人たちがいる。

 そして、自分たちが醜い存在だと気付きもせずに、血まみれな担架で運ばれる子供たちに縋り付く親に、カメラやマイクを向ける人たちがいる。


 それを見ている、もっと愚かな自分がいる。


 同じ人間なのに。


「うん……セレ……。不思議だ……。不思議だよ……ね」




     * * *




 棺桶の中で、亜衣里には自分の中に帰ってきたのが分かった。慣れきった感覚。余りにも、死ぬまで時間が掛かったせいで、傷もないのに体中が痛む。


 宇宙でのミッションは、思えば非常に楽だった。向こうもどうせ機械に乗っている死なない身体。そして、守るものは資源だの設備だのそんなもの。


「あいあい、大丈夫? 今日は酷かったね……」

 小さな手。血まみれの小さな手。あれを抱いていた自分の手は、いくらでも使い捨てできる仮初めの手。そして、死んだのも偽モノの死。だけど、あの小さい身体にあった命は、あの子だけの命で……取り返しはつかない。

 金城さんの声が普段より優しい。


 なんで、犯人を射殺できない? なんで、電子レンジでトッ捕まえなきゃいけない? なんで、殺す方に殺される方と同じだけの命の重さを保障しなきゃならない?


 疑問が次から次へと湧いてきて、涙が止まらない。


「どうなりました……?」

 喉が言葉をだすのに苦労している。死んだとき、喉を撃ち抜かれたのを身体が覚えているのだろう。喉が潰れているかのような声だった。目の前で女の子が頭を撃ち抜かれた。即死していたらそのまま無視するところだった。けれど、あの子は生きていてそして言った。


――ママ。


 だから、必死で運んだ。必要だと思ったからそうした。突入しても解決せず、現場が膠着してしまえば、説得にあたるプロにがんばってもらうしかない。自分たちのような人間が次に必要になるのは、当局が犯人たちを生きて捉えるより、射殺していいと上が判断してからだ。今は、自分でなければできないことは何もない。

 こんな服を着て動けば、格好の的になるのは分かっていた。SATの制圧班の人間は、ほぼシンクロイドしている。そんなのは、ドラマや映画でばれている。撃ち殺してこちらの戦力をそぎ落とすことに、生身レアでさえ平気で殺せる人間が、ためらいを覚えるはずもない。シンクロイド・ボディは丈夫だ。血などないから、失血死などしない。骨は金属で、皮膚はただのハコだ。


 抱いている女の子の小さい体から声が聞こえたのは、あの「ママ」だけだった。息をしているのか、していないのかすら気に留める余裕すらない。自分が落ちてしまったら、この子の体は武装集団とのにらみ合いが落ち着くまで、ここに放置される。救急医療チームに引き渡せれば、助かるかもしれないのに、その可能性がゼロになる。生きていてほしいという思いは、おそらくあの位置に被弾したら生存は無理だろうという確信から目をそらさせた。無駄な行為と思いたくなかった。


 金城の声は返ってこない。それが、事実を語る。


「だめ……だった……?」

 自分で引導を渡すしかない。亜衣里は聞いた。

「……残念だった……わ」


 涙が出るのは生きているからだ。


 悔しいのも……生きてるからだ。


 ごめん……ね。ズルイよね。撃たれても死なないなんて、ズルい……よね。


「それでね……、今のあなたに言い難いんだけど……、あなたのシンクロライド先を、学校の現場からイットルビアに変えてくれって……ずっと……保志総司官から応援要請があったの……」

 あんなところで……人は死なない。どうせいるのは、ロボットだのアンドロイドだの、シンクロイドだの……そんなのばっかりだ。

 子供たちが命を取られている地獄の現場と、そんなところと天秤にかけようがない。保志という人は何を考えているんだ。


 怒りに身を任せて身体を起こそうとして、全身が覚えている、あるはずのない痛みに亜衣里は苦痛のうめき声を上げた。


「……あいあい。保志総司官からの言伝てだって、セレという人からあったの。必ず、一番に伝えてって、頼まれたの。そこを攻めているやつは――そこって今日の現場になってる学校だと思うんだけど――思想犯でも、愉快犯でも、狂人でもない。金に目が眩んだ守銭奴が……鉱山から三分の一のあいあいを剥がそうとしているだけだ。こっちからひっぱれば……同じ根っこに辿り着く。応援頼む……って言ってた……って。それの意味、あいあい、分かる?」


「……分かりません」

 セレをなぜ挟むのだ。保志が直接言って来ればいいじゃないか。

 聞きにいかないといけない。


――あいあいを……。

 私を?


――鉱山から剥がそうと……。

 ここに張り付けるために……、そんなことのために……、どうして普通に今日を生きて、明日を信じている人の人生を、壊せるのだ?


 私は聞かなきゃ……。


 私がいなければ、今日の事件はなかったのかどうか……。それを、ちゃんと確認しなければ。自分がその伝言を受け取って、そっちに行っていれば、私が抱いていたあの子は死ななかったのか、ちゃんと聞かないと……。


 亜衣里はのろのろと、おっかなびっくり、身体を棺桶から引き剥がした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ