15.三分の一ずつの将来設計
人口密度稀少域に指定されている、国連参加国日本管轄下イットルビア地区。
人が少なく、犯罪も、訴訟ごとも少ないはずのこの地域に、とりあえず、近代法治国家に相応しい司法の光を当てるべく存在する、国連総合司法庁イットルビア可動派出所。
たとえそこに、住んでいる人間が一名しかいなくても、人が暮らす以上、最低限の重力環境は必須である。そんなわけで、小さいとはいえ、直径1.6キロメートルという巨大なドーナッツ・リングをスポークでハブにつないだ形をしている。もちろん、その全ての可住空間を、人にやさしく整えたら、管理も大変なわけで、基本、ここの主、人口密度稀少域特例総合司法官保志の居住している官舎部分と、執務室以外は、無理なく人工重力を発生させるためのダミーチューブで生身者の居住環境など考慮していない貧弱な造りになっている。
総司官保志が、個人的宿敵(多分向こうは屁とも思っていない)、自称宇宙義賊ジョリー・ロジャーを逮捕するまで、引退などできるかと、三分の一の薄給取りに成り下がってまで、後継者育成に尽力するプログラムの適用を希望したため、ここには、一月当たり十日ほどやってくるシンクロライダーが二名いる。
その二名は、生身の保志とちがって、宇宙で人工建造物に住むというリスクから守られている。もちろん、有重力のほうが宇宙酔いもなく、快適に過ごしやすい。その意味で、物置に行くことなんぞほとんどなくても、酸素の補給すら基本として必要としない身体である彼らは、チューブ全体が行動範囲になる。保志がいる、ささやかな生身用空間との行き来に、エアロックをいちいち噛ませるのが面倒なら、そこを除いても優に外周1.5キロメートルを超えるスペースを往復するサーキットを作ることができる。もちろん、宇宙仕様防護服なしで過ごせるんだから、体を鍛えたい連中にはもってこいの空間に違いない。
保志はもちろん、そんなところに防護服なしで足を踏み入れたら、酸素濃度なんて基本的なものすら、まったく頓着されてないんだから、即死とまではいかないかもしれないにしろ、十分死ねる空間である。
シンクロライダーたちは、ケージで飼われているハムスターのための福利厚生施設である回し車よろしく、絶好のサーキットトレーニングの施設として、その贅沢すぎる空間を利用している。鬼教官、相澤は、少なくとも相棒として利用できるまでに鍛え上げようと、日々、迫神を絞り倒している。
「うちの連中にも、ここ使わせたいぐらいよねぇ」
亜衣里の目の前で、迫神がこのターン何度めかで、出撃用のフル装備を装着し終わった。今日は珍しく、空間を贅沢に使う走り込みコースではなく、装備を脱いでは装着、装着しては脱ぐのエンドレス・サーキットだった。させられ続けている迫神は、相澤が提示してくる鍛えるためのメニューの豊富さに、内心、舌を巻いていた。これらはすべて、相澤を鍛えてきた全てなのだろう。そして、彼女は、それをこなしてきたから、その道の専門家になったのだろう。
亜衣里も、迫神のタフネスに少なからず驚いていた。もっと簡単に音を上げると思っていた。体を動かすことしか取り柄がない、ウチを目指してくる連中すら泣きが入る辺りまで、ものはついでと追い込んでみても、苦しそうにというか、今にも死にそうな表情になるのは当然として、愚痴一つもらさず食らいついてくる。
装備の持ち方ひとつ、満足にできなかった迫神の、このフル装備までの装着の速さは、鬼教官としては満足がいくものであり、一戦闘員としての亜衣里の競争心にとっては、穏やかならざるさざなみを立てるに十分だった。
アニメの魔法使いの変身シーンのように、手早く、ぱぱっと自動化してくれればいいのだし、実際にやろうと思えばできるのだろうけれど、装備の最終チェックは本人の責任だ。いざというとき機能しなかったら、自分が悪い。亜衣里がいるのは、そういう世界だ。
犯人を追い詰めた、向こうの銃口が急所を捉えているのが、照準器スポット位置で分かるときに、頭がパニックを起こしても、体が勝手に装備の安全装置を解除できる、そこまで動きを自分の体の中に落とし込まないと、話にならない。視認性が確保できない暗闇の中で、指先の感覚だけで、自分の装備の状態を正確に把握できることが、生死を分ける可能性だってあるのだ。しかも、すべての動作の要求は、可及的速やかに、だ。
手順を狂わすことなく速度をあげようと思えば、考えなくても体が動くところにまで持っていく必要がある。
――随分、早く……。
亜衣里はその先を言葉にするのをやめた。迫神の成長速度は、普段から不精して体を動かすことをさぼっている輩では実現できないものだ。生身の迫神も、きっと、頭だけでなく、体もいいのだろう。セレから聞いた、カラテマン、というのがガセネタだったとしても、だ。
実際、シンクロライドというものは、地球にある走査棺桶の中で死体のように眠っている迫神の肉体の能力と、ほぼ完全にシンクロしている。無重力だの超低重力など、普段の運動とは一線を画した動きは別にして、外からの刺激だけでなく、内側の反応すらフィードバックされる。再現してくれないのは、嗅覚と味覚くらいだ。
迫神は、訓練を始めてこのかた、帰ったときの棺桶の中の悪臭に、我ながら辟易としているくらい汗まみれなのだが、それでもこっちの身体は汗などかかない。かく必要もない。改めて考えてみると、どうにも不思議なシステムだ。
「あいあい……」
積極的に亜衣里に打ち解けるつもりがないように見えた迫神だが、自分以外の一人と一台(?)が彼女をそう呼ぶ環境では、いつの間にか回りにへつらって、彼女をそう呼ぶ形になっていた。東京での仕事では、同僚を愛称で呼ぶなどというのは絶対に考えられないのだが。
たとえ全労働時間のマックス三分の一の時間に限定した付き合いとはいえ、地球カレンダーで一年を過ぎたころには、むしろそう呼ぶ方がしっくりくるほどには彼女に打ち解けていた。
「私人間における人権保障に関する……記述について、……アメリカ合衆国連邦裁判所、最高裁判所の判決の要約として、……それぞれ正しい場合には1を……、誤っている場合には2を選べ。……憲法の自由権的基本権の保障規定は、……私人相互間の関係について当然に……適用ないし類推適用されるものでなく、……私立……大学には学生を規律する包括的権能が認められるが……、私立大学の当該権能は……、在学関係設定の目的と関連し、か……つ、その内容が……社会通念に照らして合理的と……認められる範囲においてのみ是認される」
迫神の言葉が切れ切れなのは、もちろん、総量十キロ超過している装備が重いからだ。それをつける一連の動作――防護服を着て、抗弾ヘルメットを被り、レッグホルスターにハンドガンを携帯し、亜衣里のリクエストによるソウドオフ・ショットガンを小判鮫にしたライフルを担ぐ――を、重力環境下で繰り返し続けていれば、当然そうなる。これで息が上がらない方が奇怪しいのだ。
迫神の誦文が終わった。出題された問いが完結した――きちんと閉じた、ということだ。
「アメリカ? 日本じゃなくてだと……えーと」
「次にくるまでに……、ちゃんと考え……て……おくこと。一年目……玉砕してるから、あと四年しかないん……だから」
迫神が言うのに、亜衣里は思わず舌を突き出しそうになった。子供っぽい動作をするところだった、危ない、危ない。
「過ぎたことじゃないですか。もう、いつまでも言わないでくださいよ」
迫神コーチングが付いたとしても、二足のワラジに三分の一規制付き、ついでに仕事もそこそこある生活の中で、亜衣里は肝試しに受けに行った今年度第一種司法試験は、予測された通り、見事に滑っていた。迫神が軽く笑った。
「年取ってからの一年は、成長期の学生時代のと全然違ってあっという間にたちますらかね。さっさとやっつけないと、取りそこねますよ」
耳に痛いことを言われて、亜衣里は逆襲することにした。
「私ももうちょっと問題集やっつけとくんで、迫神さん、そのままちょっと、外周往復、五本どうぞ」
事も無げにいう亜衣里に、さすがの迫神が苦情を言った。
「あいあい、それ……おたくのぴちぴち二十歳前後の若者向けセットでしょ。年寄りにそんなことさせたら死ぬよ」
亜衣里はくすすと笑って取りあわなかった。迫神が口ほどにへたっていないのは知っている。むしろ精神的に軟弱なのが目立つ若者に比べて、訓練スタート時点で十分な持ち物があるといっていいぐらいだ。
「その程度で死ねるなら、死んでもらおうじゃないですか」
人間には明朗陽気な人間と、陰鬱陰気な人間といると思う。自分はどちらかというと、陰気にもなれず、陽気にもなれず、ごくごく平凡なところで適度なオプチミストとペシミストを行ったり来たりしている俗人だと、迫神は思う。
そして、なのか、だから、なのか分からないが、あの啓介が、なんだかんだいって大好きなように、こんなふうに見事なぐらいなまでの陽性の人間に惹かれる傾向がある。
イチゴの一件がなくても、豪華すぎる質量で負けても、あいあいのように何にだって積極的で、過ぎたことに鬱々せずにいられる存在には、多分魅せられていたんだろうなあと、最近は思う。
人間が暮らしている二十四時間サイクルのうちの、約三分の一の労働時間の、さらに三分の一でしか関わっていない自分を、しかも若干陰気臭くて、間違いなく面白みがないちょっと枯れかけた自分が、多分、彼女にとって魅力などないだろうところまで分析してしまう自分が残念だ。もっと無邪気に、彼女にアプローチできたら楽しいんだろうなと、こっそり思う。
基本形というかホームポジションとして陽気な啓介だったら、あのプライベートモードで全開時の積極的な美耶子先生だったら、どうしただろう。生身でも一度お茶くらいしようと、誘えているんだろうなと思う。同じ、東京に住んでるのだから、会おうと思えば幾らでも会えるはずなのだ。
三分の二の、亜衣里の私生活はどうなんだろうかと、気になるのは気になる。けれど、現実の日本での距離は一向に狭まる気配もなく、余りにも遠すぎてよく分からないままだった。
とにかく、迫神は五年間の自分の生活に侵蝕してきた非日常を楽しんで、五年間の寄り道が終わったら、潔くフロンティアを去り、つまらない、けれど使命のある人生に還ろうと決心した。だから、逆にちゃんと亜衣里に司法試験を採らせなければという情熱が湧いてきている。
あの子にしてみれば、休憩時間のすべてを一種司法試験の過去問題と対峙して過ごすのも、目の前にあるのが自分の顔なのも、きっと負担には違いない。なのに不機嫌などという言葉を知らないかのような笑顔で、いつもそこにいてくれているだけで、十分に有り難い。
さて、その亜衣里である。真面目に取り組めば取り組むほど、合格ラインが遠くに霞んで見える一種試験の高い高い壁に、ほぼ挫折モードになっていた。一応、保志と迫神の手前と、やろうと決めた自分への義務感から、ちゃんと暇さえあれば問題集と向き合うようにしているものの、投げ出したくてたまらないというのが本音だった。
セレが言っていた通り、迫神そのものに足りないのは実戦経験と銃火器取り扱い経験だけだ。基本的な体力や反射神経などは十分なレベルに達している。正義感、倫理観、冷静さ。どれをとっても現役の、迫神と同年配のベテランの中に入れても全く遜色ないに違いない。
警察武装の基本のキの字も知らないというレベル以下だったが、今の迫神は、既に、亜衣里が現在仕事で指導に当たっている若者たちのスタートライン以上の実力を持っていると思う。足りないのは、初歩的なレベルでもいいので、現場実習だ。亜衣里一人では、複雑な現場を再現できない。
三分の一リスト登録者の中から、なぜか自分を選んでくれた保志の期待には応えたいのは別として、まず、一種司法試験持ち、国際規格の法律知識を扱えなければ、バッパーにはなれない。
「鬼……。高齢者には労りが必要……」
迫神が、きちんと「鬼」と言った。ならば、きちんと鬼になります。
「文句言わない。いってらっしゃ~い」
亜衣里は爽やかに迫神を送り出した。
おじいちゃまの域に入ってきている、イットルビアの宮崎保安官など、司法試験なんてやめちまって、保安官の後継になれと頻りに誘って来る。宮崎夫人の料理は美味しそうなので、一度で良いからホンモノをご馳走になりたくてたまらない。
最先端の技術でテラフォームドされたニューイッテルビーは、緑豊かで殺伐としたところの少ない、いい町だ。正直、あと十年後に、相変わらず突入班のポイントマンをしている自分というのは想像できないし、また、したくもない。
ついでに宮崎保安官の管区だと、この辺一番の大都市、ニューイッテルビーの治安維持任務と、金の卵のようなイットリウムや、ルテチウム鉱山の保護という二大業務がもれなく付いて来る。
家畜の面倒を見て、地場の野菜と物々交換をして、人工降雨と温度管理のお陰で不作が殆どないという暢気な農業人をしながら、ことあれば治安維持警察として出動するという生活も楽しそうだなと、本気で思いだしている。
人だらけの東京にそろそろ二十九年も住んでいるのに、未だに恋人の一人もいないのだから、どうせなら若い男が回りにいない環境の方が、いっその事スッキリしそうなそんな気もする。
ここにつながる棺桶にも、死地につながる棺桶にも、ほぼ毎日のように入っているのに、自分の身体の中で目覚めたとき、目の前に王子様の顔があったことなど一度もない。多分これから引退まで入り続けても絶対にない。
小柄で歌が上手いだけで、棺桶の前に王子様がいた某白雪姫はズルいと思う。彼女と自分とどこが違う? ガタイと顔だけじゃないか。能天気な楽観主義なら、アレにも勝つ自信があるのに、まったく不公平だ。
現に迫神だってそうだ。穏やかで、聡明そのもので、ちょっと要領は悪いのだけれど、真面目な取り組みを根気よくできる人なので、結果として何事も見事に身についていくタイプだ。最初の最低な印象とは真反対に、魅力的な男性だと思う。
でも、あの人には、全く自分は三分の一の同僚にすぎず、銃火器の取り扱いや殺伐とした犯罪の現場に汚れまくっている自分など、特殊部隊の名物、鬼教官という扱いが精々で、一応二十代の女の子などという、ふわふわと甘い場所には分類にされていないに違いない。そうでなければ、生身のときに会おうかという、お誘いの一つも来ていいにきまっている。
亜衣里がここに来て初めてで、ついでに今のところの最後になっている、武装出動したルテチウム鉱山の侵入立て籠もり事件。あれでセレと組み、保志のバックアップで、ルテチウム鉱山への強盗を企んでいたアバタロイドの武装軍団を見事制圧した。鉱山泥棒は、間違いなく、ここの全住民の敵だ。管区内に居住している保安官に限定した範囲で有名人だった総司官の三分の一見習い相澤亜衣里の名は、イットルビア地区に住む一般人にまで一気に浸透した。
さすが人口密度稀少域は常日ごろの話題に飢えていると見える。ときたま、アバタドライブではなく、飛閃に乗って警邏に直接赴くと、相澤亜衣里などという本名でなく、三分の一あいあいという、いま一つ締まりのない愛称で呼ばれることも多くなってきた。
ここに住むのも悪くない。そのときのバッパーはもちろん迫神だ。彼が自分のところの保安管区に見回りに来るときに、宮崎夫人が保志総司官にお菓子や料理をふるまうように、もてなして……、うん、そんな四年後なら、十分に思い描ける。
そんな気がしている亜衣里だった。
彼がバッパーになって、生身勤務に変わった時、ちょっとしたゴチャゴチャを収めにいって死ぬことがないようなレベルに鍛え上げる。それは突入に当然シンクロライドするSATのレコン候補を鍛える以上の配慮がいる。少なくとも、今となっては、生身の迫神が死ぬところは見たくない。
迫神の頭が、それでも床は丸かったと証明するように、小さくなる前に床に沈んで見えなくなった。
「セレ……迫神さんの進行方向二百メートル付近に、ターゲット五回連続表示してあげて。もちろん、携帯物は全部違うもので」
「了解。あいあい、もちろん、動かすよね」
「当然」
フル装備でスタートダッシュをしたあとのどこかで、都度違うものを――武器だったり、携帯電話だったり、棍棒だったり、鞄だったり――持った人のホログラムをセレに投影させる。迫神は、動くターゲットなのか、銃口を向けてすらいけない一般人なのかを判断して、対応を決めなければならない。出てくる場所もまちまちなのだから、気が抜けるはずもない。純粋に訓練としての難易度は高い。
大体、TAIのセレが出してくるターゲットは、普段SATで使ってるようなチャチなものではない。本当にリアル感あふれる立体映像なのだ。誤射したときは、当たったところから、血を噴き上げて、場所によっては中身までぶちまけるという念の入りようだ。赤ん坊を抱いた若いママをショットガン至近距離で射殺したときは、さすがの迫神の脳味噌が、バーチャルであることをとっさに把握できずに昏倒した。あれ以来、彼の撃ち急ぎ(早漏)は激減した。亜衣里は思う。
――このシステム、マジにSATに欲しい。
* * *
「あいあいの司法試験は、微妙なとこだけど、半六ちゃんの仕上がり、目覚ましいんじゃないの?」
少額訴訟よりちょっとやっかいな事案、オマルにランダム抽選してもらって、裁判官と弁護士をつけてもらってちゃんとした裁判にしなければならないものをどう順番にさばいていくかの日程調整をしていた保志に、セレが声をかけた。
もちろん、セレが使いたい身体は今はふさがっている。よほどセレとして保志と話したいのか、執務室の壁面モニターに、これ見よがしに例の穣太の顔が大写しになっている。
「……」
保志は、穣太ごっこをしているセレが映っているのと反対の壁面モニターに目をやった。
迫神は先程までは装備の着脱訓練をしていたが、今は装備をつけての行動訓練に変わっていた。勝手に4444が計測しているのか、ストップウォッチが動き出している。周回タイムは相当なものだ。多分、自分は若い時もあそこまでの身体能力はなかった。大したものだ、さすが若者は違うわいと、いささか年寄り臭く感動する。というか、名簿の頭を指名した自分が選んだ亜衣里より、リスト全員からセレが選んだ迫神に、より適性が多く分布していたとしても、驚くには当たらない。
タイマー換算でみて、多分二百ほど走った辺りから、ホログラム・ターゲットが出だした。軽機関銃を持っているサラリーマン風の男の腕を吹き飛ばし、ハンドバッグをふりまわしているおばさんのときには、トリガーに指も掛けず、走り抜け、至近距離にハンドガンを携帯した男が湧いて出たときは、火力に頼らずに迷わずアサルトライフルを、打撃武器としてぶちかました。
迫神の特徴は、やっぱり鍛え抜いたカラテマンというところにつきるだろう。はっきりいって、おちついて打撃武器を使ったときより、頭で判断する暇もなく、素手での打撃だの蹴りだのを炸裂させたときの方が、ターゲットの破損度が高い。
「そろそろ、正直に白状して、応援頼んじゃったら? ジョリー・ロジャーを一緒にトッ捕まえようってさぁ」
迫神と亜衣里がここに来る日を、実は保志はイットリウム輸送日に必ず設定していた。一応、いつでもモーキャプ・ルームに入れる体勢で、飛閃をセレにコントロールさせ、びっちりと張りついて、護衛してきた。あれからほぼ一年。イットリウムの抜き荷被害は未然に阻止できている。
こそ泥にすぎないジョリー・ロジャーが、義賊を名告る理由を考える。テロリストのよう手手前勝手な主義主張が見え隠れする。民間人をも無意味に巻き込んで殺傷することに禁忌を覚えないくせに、人道主義だとか、世を正すとか勝手な屁理屈をこねる連中なのだ。直接、話し合ったことはないが、そうに決まっている。
貴金属や現金そのものと、レアメタル類は違う。産業界に資源として売って初めて金になるのだ。鉱物はそのままでは石の塊にすぎない。使用ルートか販売ルートがあるのだ。ジョリー・ロジャーが抜き荷などというセコイ手段を用いて、断続的に仕事をしてきていたのは、貴重なものを一度に根こそぎにしては、当局も厳しく取り締まらざるを得なくなることを警戒してるということももちろんあるだろうけれど、大量に出回ることでの値崩れを避けているのだろうと保志は思っていた。
レアはレアだからレアなのだ。レアじゃなくするリスクは取らない。ここで輸送船一台分のブツが盗まれ、別の場所からそれ相応分の物量が売りに出されれば、だれだって、出てきたブツは盗られたブツに違いないと勘繰るに決まっている。ばれない程度、探られない程度、そして、商売の持続性が担保できるように「定期的」に出せること。私有地に鉱脈をもっているのだと言抜けできる形で、きちんとしたバイヤーにちゃんとした商ルートで流している――そうに決まっている。義賊? ふざけるな。てめーら、百パーセント盗人だ。
ここ数十年、輸出量が相変わらず好調だった中国産のレアアース。ここのところ、荷動きが若干鈍って高騰してきているのは間違いない。
抜かれていたブツは、中国原産という名札をつけて、地球生まれの資源のふりをして流通してきていたに違いないのだ。もちろん、細密に成分分析をかければ、産地が異なるのはバレる。だが検査用ロットだけ中国産を混ぜておけば、産業界が全量検査なんぞするわけがない。
ここ半年ほど、中国原産の流通量は、低迷したままだ。高値基調は連中にブツがある限り歓迎すべきことだろうけれど、ここまで徹底的に抜き荷をさせていないのだから、如何せん奴らの在庫もそろそろ底をつくはずだ。
組織か企業かしらないが、ずっとそれを資金源にして活動してきた連中は、いらいらがたまっているはずだ。何としても、ゲンブツを手に入れたいに決まっている。
ジョリー・ロジャーをトッ捕まえるのに、何か特効薬はないかと日々悶えていた保志に天啓が訪れたのは、あの、あいあいの見事なルテチウム鉱山制圧のお手並みを目の当たりにしたときだった。
保志はあいあいとセレが討ち漏らして、実行犯が坑道を出てきたときに備えて、飛閃の胸部にあるモーキャプ・ルームでスタンバっていたのだが、その必要はなかった。初めてチームになる二人――セレとあいあい――の連携による制圧力は予想以上のものだった。
亜衣里が使っているLサイズか、迫神とセレとたまに美耶子が使うMサイズの可変筐体のどちらか――最悪二つとも――を買い換えなければならないことになることも覚悟して、現場に送り出したのだが、結果は全部で五体もあったアバタロイドの完全制圧だった。アバタロイド本体を非破壊状態で確保できたことで、レコーダーの逆探知を利用して、火星にあった実行犯のアジトを押さえられたのだ。しかも二人の身体に被害はなかった。
そう、亜空間通信(SSC)が繋がっていなければ、アバタロイドの通信履歴はリセットできない。通信中ならアバタロイドをゲートに逆探知が利くし、消去する暇もなく通信を切られれば、通信履歴はアバタロイドに残る。いずれにせよアバタロイドを破壊することなく確保できるのは、大きい。
レアアースで食っているイットルビア地区で、亜衣里が一躍英雄になったのは、自然のなりゆきといえる。みんな、こそ泥だろうと強盗だろうと、折角の採集物を目の前でさらっていかれるのは我慢ならないと思っていたのだから。ジョリー・ロジャーのアバタロイド、それがたとえ一体であっても、非破壊状態で確保できれば、やつらのアジトをガサ入れできる。オマルだって、令状を出し惜しみはしないだろう。
保志と給料と仕事をシェアしていく三分の二を、冷静に時間をかけて選んだならば、一種試験持ちでない相澤を保志が指名することはなかっただろう。自分の悪運に感謝するしかない。あれを鮮やかに制御した相澤は、間違いなく拾い物だ。あいうえお順名簿一番に過ぎなかったという選択基準を今更だれに告げるだろう。
それはともかく、そのときに保志は閃いたのだ。
――亜衣里がいれば、採掘場で、奴らを出し抜ける。
ステルスモードの哨戒艇で、のこのこやってきたジョリー・ロジャーの、あの海賊旗をペイントした高速艇を、何度も取り逃してきた。飛閃単体で後ろから追いかけても、亜空間航法(SSN)に入られてしまえば追いようがない。
いくらジョリー・ロジャーでも、これ見よがしに張りついて飛閃が警護している輸送船に、船体を横付けするほど間抜けじゃあない。
ルートを干されれば、そして、ブツを望めば、間違いなくやつは荷物が生まれるその大元に手を伸ばして来るだろう。
あいあいという、切り札がある今、アバタロイドだろうが、シンクロイドだろうが、ともかくCQB(Close Quarters Battle=閉所戦闘)に持ち込めれば、勝算はこちらにある。
動き回るジョリー・ロジャーを追っかけるのは、結局はトカゲの尻尾を掴みに行くのに等しい。ジョリー・ロジャーを確保して裁判にかけさせたとして、頭はのうのうと生き延びて、次の尻尾を生やして来るに決まっている。
それじゃあ殺された恨みは晴らせない。
鉱山にジョリー・ロジャーがのこのこやってくる。しびれを切らして輸送船狙いをやめて、イットリウム鉱山をそのものを襲いに来る、その日が保志の待ちに待ったXディだ。そして、やつらの本拠地に、司法警察官が令状をきちと携えて家庭訪問できる、それでこそ、忌々しい三分の一にケリをつけられる。
正面モニターには、飛閃のカメラが捉えている、イットリウム輸送船の姿が、宇宙の闇にも負けじとばかり、クッキリと白光りして輝いているのであった。
でてこいよ、そろそろ、でてこいよ、……マイ・ディア・ロジャー。