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1.バッパーろくちゃんのお誕生日

 正確に時を刻むことなどできない保志ほしの、アテにしてはいけない体内時計によると既に八分ほど前から。

 正確無比に地球標準時を刻んでいるモニターに表示されている秒針によれば、一曲歌い終わる毎に、律儀にきっかり二十秒のインターバルをおいて。

 セレの野郎が素っ頓狂なまでに軽い調子で、古典的定番であるハッピーバースディーソングを繰り返していた。世界で一番歌われている歌として、ギネス・ワールド・レコーズの不動の位置を譲らないことで知られている、あれだ。


 保志は、セレがそのうち飽きるはずだ、飽きるに違いない――飽きるなんて高等なことが、TAI(タイ)にできるんだろうかというシンプルな疑問には目を瞑り――と、自分に言い聞かせた。

 気を取り直して、いつもの仕事場所である、壁一面どころか、三面を埋めつくした巨大モニターのど真ん中に位置する仕事ブースに陣取って、本来は被尋問者が映る正面モニターに表示させていた文字を見た。それは何度見ても変わらない。変わるわけがない、自分が何もしていないのだから。ちょっと気分を変えてみようかと、保志はその文字を画面に表示できるいっぱいにまで拡大させた。

「老眼進んだ?」

「馬鹿言え」

 そんな短い会話の間も、セレは歌をやめなかった。


 一見、全くの人間に見えるセレだが、彼を制御している知能はその頭の中にはいない。彼の、いわゆる内部構造はことごとく、その行動を制御すること「だけ」を目的として作られている。

 健康的な浅黒い肌は、文字通りの意味で日陰者の、宇宙暮らしにある東洋人には余りないけれど、きっとセレが形を借りているモトネタのやつが、紫外線禍が騒がれてる昨今も気にせずにお陽さまに当たっているからに違いないのだ。

 全く、機械の癖に妙なところにまで気を回しすぎだ。大体、セレンにあいつの現在近似値情報があるということは、最近もやつは棺桶カンオケ入りしてトリップした、ということだろう。そして、その旅行先が少なくともここではなかったということだけは確かなのだから腹が立つ。

 官給品を目的外で使用することは厳密に言えば窃盗罪に当たる。総合司法官の身内が、使用権なんて木っ端なものの泥棒ちょろまかしてるなんて、勘弁してほしい。

 そこで得たデータを平気で流用しているセレンもセレンだ。


 あいつの形をしているセレは、今にもずり落ちそうなジーンズから、だらしなくシャツの裾を半分だけはみ出させている。入れるなら入れる、出すなら出すで徹底すればいいものを、どうして、ああいう中途半端な着方をするのだろう。ついでに既に数える気も失せたピアスの穴が、前見たときよりも増えているように見えるのは、気のせいとばかりは言えないだろう。きっとまんまのやつなのだ。全く、アレが甘やかすから、セレのモトネタ野郎はこうなるんだ。

 そう思ったところで……、保志は若者の服装についてぶつくさ言う時点で、自分が年寄り化していることの端的な証明だと気づいてうんざりする。中年男と若造の趣味が一致を見ることは、性犯罪の円満解決と同じくらいレアなケースと承知している。


 セレ自体は、本来シンクロイドとして機能するのがスジの身体ボディを使っているのだから、肌の見てくれも触感も人そのままだ。つまり、生身の人間程度の大雑把おおざっぱな感覚器官の感度では、彼を人外であると判断するのは無理だ。稼働しているシンクロイドを人間と区別するのは、センサー内臓のゴーグルをつけなければ、こいつらと慣れ親しんでる保志にだってできないだろう。生身のアレがここにいるはずがないから、迷わなくて済むというだけの話だ。


 さて、そのセレである。やつは軽いノリながらも朗々と歌いつづけ、同時に、全くの副音声で普通にしゃべるという、人間サマにはできない芸をやらかしている。つまりは、厭味なことに当分の間、あの気に障る歌を止める気はさらさらないということだ。

 たった一人のセレが副音声を使って二、三人のようにしゃべるのは、慣れているし我慢もできる。職業柄必要とされる太い根性に裏打ちされた平常心に、公的なお墨付きが与えられている保志なのだ。それでも自分の誕生日までに決めなきゃならないことを思い出させるあの歌の、エンドレスリピートは辛抱ならない。保留している自分自身が気に入らないからイライラするのだという、そんなこともわかっている。だからこそ、たまらない。

 プリンス・ショートクじゃないんだから、基本的に一つの声で一つの文脈でだけしゃべるようにと、あれほど言い聞かせてあるのだが、緊張が強いられているミッション中でもなければ、セレはそんな人間保志のまっとうな文句など、こうやって無視しやがるのだ。


 たかがAIの発展型といえども、TAI認定されているセレンのレベルになれば、準人権持ちだ。頭ごなしにこっちの理屈を押しつけても通るものではない。保志はため息をつく。機械様の人権なんかくそくらえだ。


 さて、今日の地球日本標準時間0時をもって、このイライラしている男、ジョルジォ保志ほしが来てほしくないと願い続けた、現在拝命中の職における定年退職日が、めでたくやってくる。

 彼が所属する総合司法庁職員としての定年にはあと十五年ほどあるが、人口密度稀少域特例総合司法官としての定年がまさに今日、この四十五歳の誕生日だ。


 たかが人造物であっても、普通なら長年の相棒と別れるのは感慨深く辛いもの……ではあるのだろうけれど、まったく哀しみも寂しさもちらとも湧いてこない。

 というのも相棒セレの制御(つまり反応)が、どうにもどこか普通のTAIの範疇をはみ出しているとしか保志には思えないからだ。

 もっともセレに言わせると、ほかでもない、自分(ほし)の個性に合せて成長した結果なんだそうだ。そう言い張られたら、釈然としないながらも納得するしかない。それでも、あの顔で「関係性って、つまりそういうこと」と、微笑まれると殴りたくなる。いかん、いかん。家庭内暴力で検挙されようものなら、特別職でない一般司法官にとっても命取りだ。退職金がパアになる。

 保志自身の自己判断では、自身は面白みがないまでに仕事実直一点張りの総合司法官なのだ。胸に手を当てて来し方をつらつらと振り返ってみる。想像力まで駆使できるほどの思考力を持つAIは、しもべどころか必須の相棒として遇してきたはずだ。歌って踊れるAIを求めたことは一度だってないと断言できる……はずだ。


     * * *


 法律的正式名称『人口密度稀少域』、一般呼称『フロンティア』。この僻地(へきち)で公職に就いている保志の相棒パートナーは、この職においてはごく標準スタンダードな、量子式演算で思考する人工知能である。長たらしいので忘れたが、堅苦しい正式名称の頭文字を並べた型番はSELEN。それにシリアル番号の4444――四の四並びとは験担ゲンカツぎ的に最悪だと思う――をくっつけて省略して、彼自ら、「セレン4×4(よんし)」と呼んでくれとのことだった。こうやって人型に収まってる子機の方は、便宜的に「セレ」だ。

 「よんし」と決めたのは、縁起を担いだわけでもなんでもなく、「よんよんよんよん」も「よんせんよんひゃくよんじゅうよん」も普通に呼ぶには舌が回りきらないだろうからで、他意はないそうだ。

 もっとも、大元のSELEN4444も子機扱いのシンクロイドも、保志にとっては同じ扱いなので、彼自身はどちらも「セレ」で済ませることが多い。向こうも、どっちにしろ自分のことなのだからと気にもとめていない様子だ。だったら分ける必要もなかろうに……。人格ってやつは人間と一緒で、ささいなことにこだわるからめんどくさい。


 保志が人間である以上の、些細で多岐にわたる必要から(ぶっちゃけていえば利便性ってやつから)、セレは普段使用頻度が低いシンクロナイザー受信機(Receiver of synchronous device)をアバタロイド風に使用している。けれど、本体は保志が住んでいる可動官舎のそのものを支配しているAIであって、この空間にいるわけではない。そんなもん、いくら小型化しているらしいとはいえ、移動官舎に収まるようなものではないらしい。

 つまり、目の前にいる、このセレが相棒なんだと錯覚しがちではあるけれど、宇宙空間なんぞという人間の居住には到底向かない場所で、やっぱり彼は単身勤務であると言える。ただ、その錯覚は、日常生活を淡々と送る上で、とても役立つものだ。だから、彼はここにいるセレを相棒だと認識しているし、そう認識している以上、紛れもなく相棒なのだ。

 しかし、保志の生命維持を可能にしているインフラのコントロールの一切合切を担当しているのも、またセレということになる。生身の人間に対するような信頼感と、身の安心安全に対する、いわゆるよくできた家電に対する安心感と、本来同じものに対して切り分けて感じているのは、保志の都合とはいえ、改めて考えると奇妙でもある。


 さて……。

 ここ、いわゆるフロンティアで、人間らしき形をした有質量物を見たとき、それが生身の人間である可能性は三分の一以下だ。同じ宇宙人が住んでる地域とはいえ、もっと人間がひしめいている入植済の宇宙植民施設スペースコロニーだの、地球化済み都市テラフォームドシティなら、生身含有率はもうちょっと高いのだろうけれど、今まさに人類の持続居住の可能性を探っているこの地域ではそうではない。


 保志の受け持ち管区であるここいらの宇宙で、人型ヒトガタの物体として活動しているモノは三種類ある。

 一つ目は、保志のような生身(レア)な人間。真空に曝されても死ぬ、水分とエネルギーの補給がなければあっさりくたばってしまう、この宇宙という居住地においての圧倒的な弱者だ。もちろん、生存権優先順位は第一位。つまり何か悲劇が起こったときには、他の連中に守られて生き延びようと見苦しくしてオーライという立ち位置だ。

 人類発生地太陽系ハーブスから亜空間を通ってやってきた人間(ついでに家畜も)が、人工建造物やテラフォーミングされた大地で住んでいるのだが、当然、既にこの地で生まれ育っている、ここしか知らない新世代人たちもいる。


 お次は同期システムを利用して滞在している人間。彼らは遠い人間定住域、まあ天然モノでも人工モノでもかまわないが、星と名のつくそんなもんに住んでいて、意識だけやってきている人間だ。彼らの本体は読取機スキャナに直結された生体維持カプセル、通称棺桶カンオケの中で完全に動きを凍結されている。彼らの意識は当然、現在動いているシンクロナイザー子機の方に同調している。けれど、動いている方は高性能の人型ロボット、いわゆるアンドロイドだ。この生身の人間が乗っているこいつらは、シンクロイドと呼ばれている。彼らを制御している遠隔地にいる生身の人間を指すときは、旅行者トリッパーとか、あるいは単にライダーという。

 シンクロイドが体験したこと全ては彼らライダーの脳味噌にリアルタイムでフィードバックされるけれど、行動しているほうが食べようが寝ようが生体維持の用はなさない。生命維持に支障をきたさぬよう、シンクロイドによるトリップ時間の上限は、一日の三分の一である八時間までと、法によって規制されている。

 もっとも、スキャナに付属する棺桶カンオケの生体維持装置は冷凍睡眠による長距離移送者が使うそれと機能的には同等なので、ぶっちゃけ、ちゃんとニア・コールドスリープ状態にして使うなら、何年入ってトリップしっぱなしでいたところで、乗り手が死ぬことはない。ただし、その場合は、脳味噌も思考を停止するために、肝心のシンクロイド操作ができない。つまりは、乗る意味がないということになる。


 では生体機能を活動状態に保ったままで、植物状態の人を医療ケアするような形で栄養分や水分を補給して長時間使うのはどうだろう。彼らの生活圏や移動先が無重力で、本体のケアを十分に行うならという条件に限り、無問題ノープロブレムということになる。ただし今度は本体そいつの筋力低下というものが問題になってくる。

 生活圏が有重力だった場合、同期終了後の筋力が、直立歩行困難なほどに劣化してしまうと非常に都合が悪い。もっとも、トリッパーの健康的不具合については、余程でなければ理学療法リハビリで回復可能だ。


 ともあれ、健常な人間に高い医療費を注ぎ込んだり、理学療法などをされたりしては、健康保健庁の予算が幾らあっても足りない。あれは血税でまかなわれているのだ。というわけで、普通のトリッパーは、無難に法的上限の一日八時間トリップを標準にしている。


 何か事情があっての連続トリップだとしても、シンクロイドの身体制御機能は完全にライダーに一致するから、三日も連続で乗っていれば、普通に歩いたり走ったりが露骨に難しくなってくる。

 マトモな人間なら小さい段差でつまずくまで徹底して本体の劣化に無頓着ではいられない。だから一日のうちの三分の一に当たる八時間ほどをシンクロイドに乗って、何やら彼らが目的としていることをして、残りのうち、まあ八時間から十一時間までを本体で生活して、あとは睡眠というのがトリッパーたちの基本だろう。


 シンクロイドは完全に肉体に同期するため、外見ももちろん本体と同じになる。保志がガキのころそうだったように、ブサイクだから人間、美形だから機械と、そう世の中単純にいかなくなったのは、もちろんこいつらの所為せいだ。


 それから三番目が、外部制御知能によって操作されている人型ロボット、いわゆるアバタロイドだ。

 古典SFではお馴染みの、今もマニアは研究し続けているらしいスーパーリアルタイプのアンドロイド、言うところのヒューマノイドは未だに実現されていない。人間をそのまま人間のように制御し、豊かな情感をも併せ持ち、人の友として十分堪えうるだけの知能を、その小さい筐体ボディに全部搭載するのは、物理的に不可能かもしれないと研究者が気づきはじめたとき、いわゆる人型ロボットが進んでいく方向は、岐路に立たされた。

 一つは、外部の知能で遠隔操作リモートコントロールをして動かせばいいという道。こっちでの問題は、距離が開くほどに大きくなるタイムラグをどう克服するかということにかかっている。そしてもう一つが、やっぱりヒューマノイドは一つの体の中で思考も完結するべきだという古典的こだわり派。

 通信同期機能の洗練に走った派と、完結したヒューマノイドにこだわった派のどちらに軍配が挙がったかなんてのは、現状を見るにつけ疑問の余地もないだろう。


 まあ、先駆者であるマニアに敬意を評してか、普通は外部制御知能によって動く人型ロボットをヒューマノイドとは呼ばない。あくまでも運転者のアバターであるということで、ついた名前がアバタロイド。こいつを制御している知能は、もちろん人間ヒューマンの場合もあるし、当然人工知能(AI)の場合もある。

 そしてやっかいなことに、こいつらの制御は子機であるアバターの能力準拠だということだ。露骨に目の前で犯罪が起きていたとき、前者の二つなら自分と大して変わりない身体制御能力しか持たない。が、アバタロイド(こいつら)の場合反則的に強かったりする。最悪、腕だの目だのから熱光線ビームが出てきても驚いちゃいけない。

 そこまでは極レアケースにしても、相手が操作コントロールにモーションキャプチャ・システムを使っていて、そいつがカラテ辺りの達人だった日には、その破壊力ときたら、とんでもないことになる。人間と擬人の区別は、センサー付きゴーグル(セレのネーミングは「教えて眼鏡」だ)で何とかつくけれど、連中がアバタロイドなのかシンクロイドなのかは、これはもう勘に頼るしかないという……。


 こんな場合、アバタロイドを動かしている人間もしくはAIを直接確保するか、通信を遮断することで制圧できなければ、まあ、保志のような生身の司法官が直接立ち向かって敵うような相手ではないことは分かってもらえると思う。


 幸いなことに、こいつらはあくまでも機械なので、アバタロイドをぶっ壊したところで操縦者ドライバーはちらとも痛まない。こいつらが保志が対処するべき犯罪を行っていたところで、いきなり脳天をぶっ飛ばしても、その犯罪さえちゃんと立証できれば問題ではない。犯罪に立ち向かう立場の保志にしてみれば、それぐらいが、連中の可愛らしさのせいぜいだ。

 シンクロイドが犯罪の現行犯だった場合はそう単純にはいかない。連中は完全に同調しているから、頭を物理的にぶち抜いたりすればトリッパーの脳味噌は、致死レベルの痛みを感じてしまう。心臓が弱かったりした日には、うっかり心停止になりかねないから、生身に準ずるぐらいの配慮は要る。

 おっかないアバタロイドには遠慮はいらず、それほど恐れるに足りないシンクロイドには配慮が必要。人権順位第一位の人間サマが相手だった場合は、いろいろな意味でもっと気遣いが必要で……。いっそのこと犯罪者からは人権というものを剥奪してもいいんじゃないか……と、疑わしきは罰せずの推定無罪の原則に戒められた総合司法官たるもの、口が裂けても言ってはならない思いが脳味噌を横切る今日この頃である。


 保志の人口密度稀少域特例総合司法官というのは、本来であれば権力の集中を避けるために、機能分化させることが定められている司法権を、なんでも屋的にこなせるというものだ。多分一番近いのは、旧暦でいうところの十九世紀、とりわけ1860年代以降約三十年間を指す西部開拓時代の保安官に近いと思う。

 犯罪があると思料されうる場合に、公訴の提起及び維持のために、被疑者(犯人)を確保し、証拠を発見・収集・保全する手続全般を行い、場合によっては簡易裁判および量刑確定まで、場合によっては刑執行までをも何でもござれ的に対処する。


 役柄的にはウェスタン保安官なものの、立場的にはいわゆる特別司法警察官に限りなく近いといえる。彼らの権限はあらゆる国の法律に縛られない。国際法で規定されるところの司法権利の殆どを付与されている。ただし、活動する場所は、人口密度稀少域に限定されている。

 人口密度稀少域という地域の特性上、旧来的な意味での保安官は区域ごとに一応いるし、彼らとの連携は欠かせない。むしろ問題は、保安官連中にパシリ的に利用されているということだろう。保安官には総合司法官に応援を要求する権利があるのだから仕方ない。

 利があるだろうと目されるから人は入植し、利が確かにあるから争いは発生し、みんなそこそこに平和な日常は欲しいから行政機能と司法機能を求める。機能的には必需だけれど、やりたがる人がいなければ公的機関のお出ましとなる。

 宇宙時代に華やかに突入して以降、さまざまな各国法の言い分に、大岡裁き的ゴリ押しが必要とされて、国連のキモ入りで設立されたのがまさに総合司法庁だ。であるからして、身も蓋もないい方をすれば保安官の切なる要望に答えるべく「ひねり出された」というのが、人口密度稀少域特例総合司法官というわけだ。

 判断力、知識、体力、精神力、全てを良好に保たねばならない総合司法官は、一般の司法官とは違い、現場投入される職業軍人と同じく、定年退官日が四十五歳の誕生日に設定されているのだ。


 呪わしきかな四十五歳の誕生日。


「はっぴぃばぁすでー でぃあ・ろくちゃ~ん」


 何度目かの甘ったるい語尾伸ばしでの渾名(あだな)で呼ばわれて、保志はそろそろきちんと怒ろうと決心した。大体、ネイティブ発音方言対応可能ですモードで英語を操れるはずのセレが、わざわざ子音をきっちり入れてカタカナ発音で歌っているのも気に入らない。サービスのつもりなら1962年のモンローボイスでやるくらいの根性は欲しいものだ。


「はっぴぃばぁすでぃ つーゆ~」


 冷静沈着が真骨頂である保志は、意図的に堪忍袋の緒をブチ切ることに決めた。


「ウルサ~イ」


 セレが歌い終わった途端に、保志は絶叫した。こいつは絶対に故意に「to you」を「ツユ」と発音してるに違いない。


「何で?」

「ウルサイものは、ウルサイ~っ」

「やだな、ろくちゃん、何をカリカリしてるのよ。オイラが耄碌モーロクしかけてるろくちゃんが、記念すべき今日の日を忘れたりなんかしないように頑張って歌ってるのに」

 セレは飄々(ひょうひょう)とした語り口を崩さない。保志は横目でにらんだ。

「お前がどんだけ人を痴呆症扱いしようとも、俺はちゃんと覚えてる」


 セレの人工知能(AI)の演算方式は量子式。マッシブと呼ばれるほどの量のデータを経験として蓄積しながら(検索性もやたらいい)立体複合的な多重思考ができるってやつだ。まあ簡単に説明すれば、超高性能。やつらがどういう制御によって、ここまでの擬人趣味マンライクを演じられるのかについては、保志は興味を持ったことはない。とにかく、このクラスのAIは、特別に『考え想像できる人工知能』(TAIタイ=Thinkable artificial intelligence)と呼ばれるべきものだと知っているだけだ。


 ただ、いろいろな意味で、セレが自分よりよほど上等にできているのは間違いない。それはまあ人間サマのなけなしの矜持きょうじ辺りを総動員してもくつがえしようがない事実なので、面白くないこともあるが我慢しなければという程度の分別は保志にもある。


 唯一の救いらしい救いといえば、セレ本体は、保志クラスの人間をどれほどまとめて、どれほどの期間、雇用できるか分からないほど高価であるはずなのに、存在権(AIという準人権を含めた場合、生存権という言葉は使えない)優先順位が保志より劣ることぐらいだ。

「そーお? だってさ、今日だよ。今日。ろくちゃんの退官日。普通の神経してたら、ここまで意思表明を保留にし続けないと思うな。オイラがどれだけ本庁オマルの四角四面なメインにいじめられてるかなんて、ろくちゃんは興味ないんだよねぇ……」

 セレの瞳が訴えるようにうるむ。こんなのに一々騙されていては、こいつの相棒は務まらない。保志は冷たく言い捨てた。

「いじめられて痛むような上等な神経持ってから、そういうセリフは吐くんだな」


 保志の厭味をどう受け取ったのか、セレは両足をさっと交差させると、足の裏全体を器用に使ってくるりと水平方向に一周身体を回してから、今度はシンプルなピアノ音で、Happy Birthday songの一小節目を響かせ始めた。その気になればフルオケまで出せる癖に、いちいち厭味なやつだと思う。

 それからセレは、ピアノの音に合っているのか若干ズレているのか、ちょっと判別できないような奇妙に感じられる間を持った動きを始める。多分人口通常密度の都市の若い連中の間で今まさに流行はやってるダンスなのだろう。


「セレ仕事中だろ」


「オイラはろくちゃんと違って、地球標準時にして二十四時間ちゃんと働いてますよ。なんだったら、仕事止めてみようか」

 保志は肩を派手にすくめてみせた。

「お前に一級殺人罪をやらかす度胸があるかよ」

 セレが仕事をやめるということは、中で生活している保志の生命維持活動ができなくなるということだ。一級殺人罪という等級は、生存権順位が低いモノが、上位のものを故意に殺した場合に適用される。自我のかたまりのようなSELEN4444がどれだけ上等であろうとも、生存権優先順位はこっちにある。損得勘定ができる思考能力があれば、たかが百年に満たない寿命しか持たない命をひねつぶして永久廃棄処分の憂き目に遭おうとする度胸などあるわけがない。


「オイラ、ろくちゃんとなら心中できるぐらい惚れてんのに、アンタいっつまでもつれないんだよね……」

 寂しそうな演技にだって、ほだされてなんかやるもんか。

「オレは女房持ちの中年男標準仕様として、当然に奥さんが怖いんだからな。誤解されるような言葉はつつしむように」

 保志の言葉に、セレはちょっと頬を緩めてみせた。セレの形をしているあれも、こんなふうに微笑んでくれるなら……、そう思いかけて保志は首を振る。全くなっちゃいねぇ。職種退官日の四十五歳だからって、うっかり感傷的になりすぎるわな……。


 セレが伴奏しながら、踊りながら、今日何度目かになる歌い出しとなる「はっぴ」とやり始めたところで、保志はもう一度叫んだ。

「ウルサイっつってんだろうがぁっ! そんなもん、楽しそうに歌うなっ。このクソタレがぁ」

 セレは途端にダンスをやめて、口の手前にこぶしにした両手をあてがうと、さも傷つきましたという目つきになった。相変わらず鳴りやまないピアノ伴奏が、メロドラマの濡れ場に流れているような、まったりせつない感じの節回ふしまわしのアレンジに変わった。まったく芸が細かいというべきか。


「あぁ、ヒドいなぁ。ろくちゃん……。クソたれたくても、出来ないオイラを傷つけようっての? 長年の相棒になんて酷い男性ヒト

 コンソールパネルを弄っていた保志の手が凍りついた。クソなんかないほうがいろいろな意味で便利だとは思うが、自分の身体というものの実感が薄いだろうTAIにとっては、それはしたいことなんだろうか。

 確かにいたしたブツは宇宙生活ではやっかいなゴミだけれど、素晴らしい逸品を、どどんと致した直後の快感は……そりゃあ、機械には味わえまい。


 セレがこの可動官舎のホストである以上、そういうときの自分がどんな表情をしてるのかとか、そういうことまでセレには見えているということだ。けれど、そこは暗黙の了解というか、不文律であっても線引きがしてあって、セレとして顔を出して来ることはない。まあ、そうであってくれなければ保志程度の繊細な神経の持ち主にはたまったものではない。

 それにしても肉体的快楽というものに――多分、セレがそれを理解はできても感じることはないのだろう――非常に露骨な興味を向けて止まないセレは、やはり人工知能の育っていく方向として随分路線を誤っていると思う。


「まさかとは思うけど……てめぇ……○ンコしてみてぇのか?」

「もちろん」

 即答するな即答。保志は十年来の相棒であるAIの、あまりにもとんでもない希望に倒れたくなった。それを意に介するふうでもなく、セレが続けた。

「オイラたちに、気持ちイイっていう感覚がナイのって絶対に設計ミスだと思うな」

「身体がないんだから、気持ちいい必要はないだろうが」

 呆れて保志が言う。

「その必要ないってのが問題なんじゃない。ズルいよ」

「冗談はその程度にしとけ。付き合いきれんわ」


 保志がいうと、セレの瞳が輝いた。


「そうそう、それそれ。第一、ろくちゃんがオイラとあと10年つきあってくれるってんなら、そのつもりで、冗談をもーっと鍛えとかないとなぁ」

「なんで総合司法庁オマル配下のTAIがそこを鍛えるんだね。第一テメェは、軽口ならもう十分なレベルまで、鍛えぬいてるだろうが。」

 保志が嫌そうに言うと、セレがよくぞ言ってくれました的な微笑みを浮かべた。

「オイラはろくちゃんと付き合ってたから、こんなになっちまったのに、つめたいんでないの? そりゃあ、ろくちゃんが言ってくれたみたいに、オイラはもう既にスゴいけどさぁ、実際、まだまだイケる気がするんだよねぇ。ほら、オイラ、ちょうどれてきたころじゃん♪」


「どの口が言うかねぇ。それ」

 語尾に音符が見えた気がして、保志は脱力した。


 と、セレは真顔になった。


「で、どーすんのさ。ろくちゃん。今まで、先のばしにしてきたけど、今日がリミットだよ。いい加減に決めてよ。三分の一でも粘るか。潔く現職引退するかさぁ……」

「うるせーっ。 分かってるよ。あと24時間あらぁっ。それまでに決めりゃいいんだろうが」

 保志の怒声など慣れているセレは、まったく口調を変えずに続けた。

「もう、23時間と49分35秒ぐらいしか残ってないよぉ」


 あいつらに痛覚があるものなら、ぶんなぐって見せもしようが、所詮はアバタロイドモドキで、感受器に数値入力があっても、フィードバック先に肉体はない。つまりやつは痛くもかゆくもなく、こっちの手が痛いだけだ。保志は作っただけのこぶしを震わせた。

「だから、ちっと静かにしてろってんだよ、セレ。誕生日なんかちっともめでたくねぇ。それ以上『は』から始まる歌、歌いやがったら覚悟しろよ」


「だって、いつまでも決めてくれないんだもん。正直、困ってるのよ。オルマのメインがウルサイってだけじゃなくてさ、オイラはろくちゃんが引退すれば新しい相棒の好みに変わらなきゃいけないじゃない?」

 しゃあしゃあといじらしく吐かれた科白セリフに、保志は目を座らせた。

「ふーん、じゃあ、今のお前のその態度は、飽くまでも俺好みを体現した結果だと、そう言い張るわけだな」

「ああ、そうだ、忘れてた」

 話題を変えるための方便か、実際今思い出したのかは不明だが、セレが突然真顔になった。


「今日は誕生日だからかどうかは知らないけど、奥さんがヤりたいって言ってたよ」

「げ……。あいつ来るって言ってたのか?……このややこしいときに」

 セレがへへっとばかりに声を立てて笑った。

「ややこしくしてるのは、ろくちゃんじゃない。もちろん、家族の権利だから許可しといたよ。そろそろ来ると思うよ」

「あいつなら……グリニッジじゃなくて……明石タイムで動くよな。今あっちは……9時チョイ過ぎぐれえか?」

「さすが、ろくちゃん、慣れてるね~。あはは、うん、その通り。実際、そろそろいつ来ても奇怪おかしくないよね」

 そう言ってセレはにっこりと微笑んだ。保志は慌てて執務室の背後に設置された棺桶モニターに視線をやった。恐ろしいことにトリッパーの走査器スキャナの読み取りが始まっていることを示すゲージの赤が、じわじわと上昇を始めている。


「……ああっ」

 悲鳴ともつかない声が、保志ののどから絞り出された。


「決めるってったって、結局は二つに一つしかないんだからさ。三分の一の薄給に堪えて、あいつをもうちょっと追っかけるのか、尾っぽまいて逃げるのか……の、二択にたくじゃん」

 赤ゲージがじわじわと上昇しているのを知っている癖に、おっとりとした口調のままでセレは話し続けたが、保志はそれどころではない。


「セ……セレ」


 言わでもがななことながら、それでも保志はセレを呼んだ。

「ああ、随分スキャン進んじゃったね。ほらぁ、オイラたちの話終わってないのに、ろくちゃんが煮え切らねぇから、奥さんきちゃったじゃん。しゃーないなぁ。じゃあ、オイラちょっと、仕事ね」

 セレが今使っている身体自体は、本来は単身赴任の保志が家族と交流するための官給品なのだ。シンクロイド受信器として使われていないことが多いので、便宜上セレが流用しているというだけの話で、保志の家族がトリップを望めば、セレは優先的にその身体ボディをシンクロイド受信器に回さなければならない。シンクロナイザーが情報を送ってきたら、即時に同調を開始する必要がある。


「じゃあ……今日もちゃぁんと、や、さ、し、く、し、て、ね」


 凍りついて動けない保志の耳元で、ねっとりと甘ったるくセレがささやいた。保志は背中に脂汗が伝うのを感じていた。

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