脱獄?
女王は謁見の間を退出し自室へと戻る。ブリュンヒルデはそれに付き従った。
そこは華美ではなく必要最低限の質素な部屋だった。本来の女王の好みはこうしたものだ。
王城、特に謁見の間は相手に見下されないように設計されている。見下されると今回の盗賊共のような愚かな輩が増えるため仕方がなくそうなっている。
部屋へ入ってすぐに女王は机へと向かうと、先ほど献上されたペンダントを入念に調べ始める。
ふとその手を止めると、傍に控えるブリュンヒルデに訊いた。
「ブリュンヒルデよ……先ほどの謁見、我はおかしくはなかったか?」
「問題ないかと……ただ……」
ブリュンヒルデは言い淀む。伝えるべきか逡巡する。
「何だ?」
「陛下らしくは無かったかと思います」
「そうか……お前は私を良く見ている。すまぬ。つまらぬ事を言った」
「いえ……」
そうして一時、考える様な素振りを見せてから女王はまた作業に戻った。
それを見てブリュンヒルデは一礼してその部屋を出るのだった。
†
アリシアとエリスは自分達に与えられた執務室へと入った。
女王の剣ともなればそれなりの部屋を王城に与えられる。もっとも退官の折りには返さねばならないが。
ソファーに座ったアリシアは酷く落ち込みながら呟く。
「ソニアを助けないと……」
それを聞いてエリスは窓へと近寄る。
外に広がる庭園を見て一度自分を落ち着かせるとアリシアへ言った。
「やめておきなさい。反逆者にでもなるつもり? それにソニアが決めた事でしょう?」
「でも……」
「陛下は約束を守ってくださる。大人しくリリスを待ちましょう」
「……わかった」
了承を言うアリシアだが納得はしていないだろうなとエリスは思う。
しかしそれ以上は続けなかった。自分も同じ気持ちだからだ。
ただアリシアの落ち込み様があまりにもひどいので、自身を奮起させざるをえないのだった。
†
地下牢にそれは響いていた。
ズシン! ズシン! と地面が揺れている。
「うーん……地震か?」
寝ぼけまなこを擦りながら私は半身を起こす。
そして周囲を見て、ああここは地下牢だったなと意識を覚醒させる。
地震であれば場合によっては逃げなくてはならないが……その時はどうするんだろう?
牢番が開けてくれるんだろうか? 放置だったら嫌だな……
そう思って、私はさらによく辺りの様子を窺う。
そして、それと目が合った。
「!!」
すぐさま巻き戻すように外套を引っ被り寝ている風を装う。
何あれ?
何あれ?
何あれ?
混乱しつつも今見たものを思い出す。
見た感じは蜘蛛。それもとても巨大な。それが通路からこちらを見ていた。
大丈夫だ! 鉄格子越しだった。だから安全なはず!
ということはあれが牢番か? 番モンスターじゃないか! 驚かせおって!!
私はそう思いながら早く去ってくれ、と外套に包まり隠れる。
私は死体……いえ、むしろ岩。私は岩。
などと思って固まっていると……
ガシャン! ガシャン! と音がする。
嫌な予感がして恐る恐る覗くと巨大蜘蛛が鉄格子に体当たりをしていた。
「なっ!? 何で! 牢番じゃないの?」
さすがにおかしいと思った私は直ぐに跳ね起きると装備を整える。
そして辺りに視線を走らせて気づく。鉄格子越しの離れた場所に、何やら繭らしきものが転がっている。
そこから飛び出しているのは人の手足。
あれが本当の牢番のエルフだろうか? 何やらもがいている気はする。
「き、きぃやああああああああ!! だ、誰かいませんかっ!?」
誰かいないかと悲鳴を上げる。
クール美少女の私が悲鳴をあげることなどめったにないが、これも転がっている番人のため。
慣れていないので奇声になってしまったのは致し方無い。緊急事態だ。
悲鳴を上げた事で怒ったのか、蜘蛛は何か飛ばしてきた。
蜘蛛の糸だ!
「ちょっ……!」
私の足に絡みついた糸は私を鉄格子まで引きずろうとしていた。
転ばされながらも無詠唱の蒼炎で糸を焼き切る。
しかし巨大蜘蛛も諦めずに立て続けに糸を吐き出す。こちらも負けじと焼き切る。そんな応酬が続いた。
すると蜘蛛は疲れたのか諦めたのかこちらに背を向けた。
向かったのは転がるエルフ番人の方だ!
まずい!
だがチャンスでもある!
私は背を向けた巨大蜘蛛に渾身の一撃を放った。
「其は蒼き炎帝の咆哮 其は青き太陰の火炎 蒼炎よ青の書の盟約に従い我が敵を滅せよ」
「『蒼炎嵐舞』!!」
私の前方に浮かんだ魔法陣から蒼炎の嵐が迸る。それが巨大蜘蛛に当たると全身へと燃え広がった。
「ふう、起き抜けにハードすぎる……」
私は一息つこうと座りかけるが……
「マジか……耐えやがった……」
燃えてはいた。燃えてはいたが致命傷ではないらしく、こちらへと向き直る巨大蜘蛛。
私の渾身の一撃を背後から浴びて耐えるのか!?
しかもとても怒っていらっしゃる!
ガンッ! ガンッ! ガンッ!
全身を蒼炎に焼かれながらも、狂乱の巨大蜘蛛は先ほどより激しく鉄格子に体当たりを始めた。
みるみるうちに鉄格子がひしゃげていく。
「嘘っ!?」
まずい! このままでは袋の鼠。逃げ場が無い!
私は退路を確保するため敢えて蜘蛛へと近づく。そうせざるを得ない。
瞬間。
「!!」
死の顎が空を切った。
私は反射的に身体を捻りながら倒れ込むようにして転がっていた。
どっと出た冷や汗が全身を伝うのを感じる。
攻撃を空振りした蜘蛛が態勢を整える前にこちらも起き上がる。
蜘蛛は頭部を少し鉄格子からこちら側へと出していた。
危なかった。まさに間一髪。
そこへ通路から声が聞こえてきた。
「どうした? 何があった? これは……!!」
こちらからでは姿は見えないが、どうも一人の様だ。なので私は叫ぶ。
「応援を呼んでくれ!」
「わ、分かった!」
走り去る音が聞こえる。後は時間を稼げば良いはずだ。
私は両手に短剣を構え半身で対峙する。
闇の鎧のペンダントを女王陛下へ渡してしまったのが悔やまれる。あれがあればこの窮地は容易く脱せられただろう……
蜘蛛はジリジリと力押しで鉄格子を歪めていく。
もう鉄格子は限界だろう。私は戦う覚悟を決める。
魔法を警戒したのか蜘蛛が糸を吐き出す。それが全身に絡みつくが気にしない。引っ張られるが動じてはいけない。
そして死を纏った巨大な顎が私を飲み込む……
「こっちにだって拘束技はある!」
私は素早く集中を終えて詠唱した。
「それは青き枷。それは青き首輪。縛めよ」
「『青薔薇の束縛』」
直前に魔法は完成していた。壁から突き出た茨は巨大な蜘蛛を拘束し私から引き離していた。だが、拘束された蜘蛛の方も負けじと糸に繋がれた私を引っ張る。
それはまるで死の綱引きだった。敗者死亡のデスゲーム。
蜘蛛も引っ張られるが、私も引っ張られる。
「負けるかァ!!」
イメージするのは蒼炎の魔女。
識界で見せてくれた蒼炎。後は青の書を信じればいい。
「其は蒼き炎帝の咆哮 其は青き太陰の火炎 蒼炎よ青の書の盟約に従い我が敵を滅せよ」
「『蒼炎嵐舞』!!」
集中力のせいか威力の増した蒼の業火は、蜘蛛の糸を焼き切ると同時に巨大蜘蛛を焼き尽くした。
「今度こそやったか……」
私は鉄格子を越えて捕まったエルフの方へと向かう。応援は無駄になったか?
だがしかし。
「!!」
歩を進めかけたその時、私は後方へと跳んでいた。
それは天井から降ってきた。
二体目。
そいつは様子を窺っていたのだ。つまりさっきのは囮。当て馬。こちらの手の内を知るための……
咄嗟に私は本脳に従っていた。
足が促すまま、ひたすら逃げる。
だが、巨大蜘蛛が追いかけてくるのが分かる。懸命に足を動かす。
恐らく城の出口とは逆に走っている。わかっていても止まれない。
いつの間にか灯りは無くなり、石造りの通路は洞窟へと変わっていた。
それでも止まらない。止まれない。
無我夢中で時折振り返っては無詠唱の蒼炎を放つ。
無詠唱なので威力は無くなるが、牽制にはなる。
その光が洞窟を照らす。その光を頼りに洞窟内を走る。
光が消えないのは当たったものが、追いかけてきているからだ。
だから私は逃げ続ける。
時間を稼ぐ為にも。時間を稼げば捕まったエルフも仲間が助けるはずだ。
そして振り返ってまた……
「!! 増えてんじゃん!」
全身を炎上させながら追って来るのは三体になっていた。
奥の方は暗くて見えない。他にもいるかもしれない。
絶望的な気分に陥りながらも足は止められない。息などとうに上がっている。
ゼェ、ハァ……と呼吸の乱れ、脈打つ心音が限界だと、暴れている。
それでも必死にどうするべきか考える。
「こっちは後衛だってのに……」
師匠からの手ほどきで、ある程度は前衛的な動きはできる。
だが本職は魔導士だ。前衛がいないとキツイのはこういう時だなと改めて思い知る。
そして止まれない私は全身で何かにぶつかった。いや、引っかかったと言うべきだろう。
この嫌な感触は知っている。もっとも私の知っている感覚はもっと小型なものだが……
周りを見渡すと案の定、糸が煌めいていた。
それは大きな蜘蛛の巣だった。
「あー、終わった……」
絶望に片足を突っ込んで、そんな言葉が出てしまっていた。
いや、脱出するべきだろう。少し冷静さを欠いていた様だ。
先ほどのように蒼炎で焼き切れば良いはずだ。
間に合うか? そう思って追って来る蜘蛛共の方を見る。
いや、無理だ。このままでは先にここまで辿り着いてしまう。
ならば……
「それは束縛の青き庭。 身体を縛れ。 精神を掴め。 青薔薇よ 咲き乱れよ!」
「『青薔薇の庭園』」
全身全霊を込めた青薔薇の庭園が、巨大蜘蛛共を束縛した。
さらに茨が道を閉ざす。しかしいつまで持つかわからない。
早く脱出を……そうは思っても思考が混濁してきていた。
魔力欠乏の症状だ。わかってもどうすることもできない。
眠い……全身から力が抜ける。だが倒れない。蜘蛛の巣に引っかかっているから。気持ちが良い気さえしてくる。
そこへ何かが近づく気配がした……
「もし、お嬢さんこんなところで寝たら死にますよ?」
誰かの声が聞こえる……だが、私は限界だった。
そのまま私の意識は深い闇へと落ちて行った……




